独尊


 彼は奇妙な男だった。

 いや、いわゆる変人という意味じゃない。

 彼は基本的に真面目で、清潔で、温厚で情け深く、人に好かれる人間だ。

 誰からも、とは言わないが。大抵の人間は彼を好んだ。最良の友人、最良の恋人、一人の人間として彼

は申し分なかった。

 ただ一つだけ奇妙だったのは、彼が一人という事を何よりも愛した部分である。

 いや、愛した、という言葉は適当ではないのかもしれない。本当は嫌ってさえいたのかもしれない。

 彼自身、そういう孤独を好む自分が不可解で、時には憎しみさえ抱いたようだ。

 そして絶望さえしていた。

 しかしそこから逃れ得なかったのである。だからこそ、愛した。それ以外に言いようがない。彼のその

一種特別な感情に付けるべき言葉があるとすれば、多分その一語だけである。

 嫌悪しつつも逃れられない。いくら不可解でも、心が望んでしまう。

 それは愛と呼ぶしかないだろう。

 彼の人柄は前述した通りだが。不運な事に、彼の容姿も人並み以上だった。

 当然、女性は放っておかない。そして彼も女を好んだ。誠実な男であったが、それと同時に好色と言う

べき男だったように思う。

 えり好みはしたが、全てを断るような事もしなかった。

 女性と居る時の彼は幸福そうだった。いつも笑っていたように思う。心から、楽しそうに。きっと彼自

身もそう思っていたはずだ。

 しかしそれも数日すると不意に切れる。幸福でいながら、何故か彼は愛しい人を遠ざけようとする。

 心変わりした訳ではない。その証拠に、彼はそうした後必ず悩み、時には涙していた。悔いているので

はないが、間違いなく悲しんでいる。

 その女性が嫌いになった訳ではない。彼は間違いなく彼女を愛していた。

 それでも遠ざける。

 なら、女性の方から離れていったのだろうか。

 それもまた違う。

 私は彼の友人だ。その関係上、彼だけでなく、女性の方を慰める事も多い。何故なら、その二人にとっ

て、私は一番近しく、馴染める人間だったからだ。

 成り行き上、その女性達と何度か付き合った事もある。

 しかしその誰をとっても、申し分の無い人達だった。

 その誰と結ばれても、きっと彼は文句の付けようの無い結婚生活とやらを送っていただろう。そこに不

満があるかないかはまた別の話として、男が選択できる結婚生活の中では、まず最上といえるものになっ

たに違いない。

 そう思わせられるだけのものを、その女性達は持っていた。

 容姿、内面共に問題が無い以上、何処に問題があるとは思えないし、何より彼女達は誰よりも彼を愛し

ていた。

 成り行きとして私と付き合っていてもそうで、私を選んだのも私が彼に最も近い場所に居る男だったか

らだ。だからすぐに解れ、皆私から離れていった。

 つまり私という関係は、彼を諦める為の儀式のようなものだった。

 私は一時の慰めにしかならない。しかし女性達もそれを知っていてそうしなければならないくらいに、

彼を愛し、大切な存在だと思っていた。そしてそれだけの敬意を彼に払っていたはずなのである。

 決して彼女達は傲慢になる事はなかった。

 実際、それは彼自身も認めている。彼女達からぞんざいな扱いを一度として受けた事が無いと、命を懸

けてでも誓う事が出来るだろう。

 ならば何が不満なのか。

 それが解らない。

 何故だ。そこにどんな理由がある。

 不思議な事に、彼自身、それを一番知りたいと思っている。

 自分でも解らないそうだ。

 ただ、同じ人とずっと一緒にいると、どうにも堪らなくなるらしい。

 何かが我慢できなくなるそうだ。

 私達は考えた。いろんな人に相談した。

 しかし、どうしても解らない。理由がどこにも無いのだ。まったく見当たらない。

 一体彼は何が不満なのか。

 彼にしつこく問うてみた事がある。

 女性を追い出す理由。何故そこまで頑なに孤独を守ろうとするのか。

 自分の時間が必要なのだ、自分だけの時間と空間が必要なのだ、彼はそんな事しか言わない。

 理由は無い。確かに無い。しかしどうしても我慢できないのである。

 邪魔になってくるそうだ。

 その女性がどうとかいう話ではない。ただそこに自分以外の何者かが存在している事が、彼にとって限

りない苦痛であるらしい。

 だから別れ、追い出す。

 そこで私は言った。

 君は女性と一通りの事を終えて、認めたくは無いが、満足してしまったのではないか、と。

 しかし彼は否定する。絶対にそんな事は無い。彼女達を間違いなく愛し。そして今も愛しているのだと。

それは決して間違いの無い事であるのだと。

 実際彼を見ていると、その悲嘆の仕方といい、追い出した後の放心状態といい、どう考えても彼は彼女

達を愛している。愛していた、のではなく、今も継続して愛している。

 そして彼女達もそれを実感していた。だからこそ今も彼を想っているのだろう。自分が否定された訳で

はない。だからこそ変わらず好きでいられる。

 それでも、何を言っても、彼が彼女達を追い出した事に違いはない。他ならぬ彼が、自分でそう決め、

それを実行した。

 これをどう弁護してやるべきか。

 どういう風に結論してやるべきか。

 いっそ呪われているとでも言った方が、しっくりくるのかもしれない。

 しかしそんな言葉では、彼は誤魔化されないだろう。決断は全て彼の意志なのだ。それに間違いはない。

誰かに強いられた訳でもない。彼が望み、実行した。その事に言い訳はできない。

 でも彼はそれを望んでいない。その時も、その後も望んでいない。

 これは一体どう云う事なのだろう。それには意味も理由も無く、そういうものなのだ、とそう結論すれ

ば良いのだろうか。

 そういう病とでも言えば良いのだろうか。

 確かにそう言ってしまえば、一応の形は付く。何でもかんでも何かのせいにすれば、一時は救われるか

もしれない。それを否定するつもりはない。

 だが根本的解決にならない事も確かだ。

 彼は今も愛する女性を追い出している。きっとこれからもそうするだろう。

 それを止めたい。しかしそうする為の答えが出ない。

 何かで理由付ける事が、その問題の解決方法になる訳ではない。単純な事だが、今私はそれを悟った。

 しかし悟ったところで、妙案が浮ぶ訳ではない。それもまた、同じ事である。

 結局は、何も解らない。

 私は試しに、一人の空間、つまり彼以外の出入りを禁ずる、彼だけの部屋を設ける事を提案した。

 そうすれば、不満が起きた時、そこに篭って晴らせばいい。いくらかは不満が残っても、それで不満が

爆発する事はなくなる、とまでは言えないかもしれないが、少なくとも可能性は減るだろうと。

 しかし結論からいうと、それは無駄な足掻きだった。

 彼はこの家に、この自らの空間に、異分子たる誰かが長く居続ける事に、たまらない違和感と嫌悪感を

覚えるのだそうだ。

 部屋ではない。自分の居場所、空気に誰かが居続ける事に耐えられないのだろう。

 それは恐らく物理的なものではない。主に精神的なものであるように思えた。

 とすればそれを解決する為には、物理的な方法でそれを行うには、もっと極端な方法が必要だ。

 そこで次に提案したのは、離れを造る事だった。

 これなら彼と同じ家に住む事にはならないし、一定の距離があるから、安心するのではなかろうか。

 だがこれも失敗に終わる。

 無駄なのだ。離れという避難場所を造っても、彼の本宅に彼以外の誰かが居るのだから、不可侵の聖域

を侵されている事に変わらない。

 結局これを解決するには、もっと根本的な事を変えるしかない。

 そうだ、同居するという事自体を止めなければならない。

 私は彼と女性を離した。通い婚とでも言うべきか、毎日か週何回か、日数を細かくは決めないが、いつ

もは違う場所に住み、必要に応じてというべきか、女性が、或いは彼が、互いの家に通うようにしたので

ある。

 これは多少効果があった。しかしそれも追い出すまでの日数が延びたくらいで、解決までには至らない。

それ以前に、女性の方が酷く不満を抱き、かえって状況が悪くなる事も多くなった。

 何故自分は愛する人、そして愛されている人と、このような生活をしなければならないのか。

 言われてみればそうだ。彼女には何一つ悪い所は無い。この不満は正当なものだ。

 そして女性の方から出て行く事が多くなり、結果として別れる事を止められない。

 ここまで行っても、彼は自分を改められない。

 何故か、何故彼はこうまで頑なに誰かの存在を、誰かの存在感を、彼の家に残す事を嫌うのか。

 まるで気に入らない臭いでも付くかのように、彼の生活そのものを侵略されてしまうかのように、彼は

どうしてもそれを嫌う。

 いや好き嫌いの問題ではない。それは本能なのだろう。絶対に許すことの出来ない、一点なのである。

 腹が減れば食べるように、喉が渇けば飲むように、どうしようもない何かなのだろう。

 彼は何度も諦めた。女性ともう付き合うまいとも考えた。

 しかし女の居ない生活など、彼にとって考えられない事だ。

 我慢できず自宅へ招く、するとそれが気に入らなくなる。

 そして追い出し、追い出した自分を責め、恨む。

 どうしようもない。

 しかしそうであるからこそ、私は彼を放っておけなかった。

 友人として、一人の人間として、嘆いている彼を放っておく訳にはいかない。

 心底困っている人間を、放り捨てる訳にはいかない。

 それにこういう感情は彼だけではない。孤独を愛する癖は、きっと誰にでもある。

 私にも当然ある。だからこそ彼を悲しむ。まるで自分を悲しむかのように。

 考えた末、最終手段として彼自身を動かす事にした。

 彼自身を家から追い出し、女性の家の方へ行かせたのである。

 しかしこれは簡単に察する事が出来るように、失敗に終わった。

 彼は他人の家に自分の居場所を見つけられず、全てに違和感を持ち、しかし私がこれが最後の手だと言

ったのを気にして、懸命に耐え、耐えながら体を壊し、とうとう天に召されてしまったのだ。

 今となっては、もう誰も彼を救う事も、彼の一体何が悪かったのか、それとも何も悪くなかったのかを

解明する事もできない。

 孤独癖が彼を滅ぼしたのである。

 そして私の言葉が彼に止めを刺した。

 私は悔いている。しかし最早取り返しが付かない。

 私は気付いてやれなかった。私が気付いた時、もう遅かった。どうにもならない所まできて、ようやく

私は気付けたのである。

 愚かだった。

 確かに彼女の家は遠かった。私と友人が会う回数もそれに応じて減った。しかしだからといって罪が軽

くなる訳ではなく、むしろ重くなる。

 だがそれはそれでいい。今悩んでいるのは、実はそこではない。酷いと思われるかもしれないが、私に

はもっと気になる事がある。

 それは、彼のあの想いと嫌悪感は一体なんだったのか、と云う事だ。

 これを解き明かす事が、私にできる唯一の事なのではないか。

 考えてみる。

 彼は居場所と言った。自分の居場所を感じられず、だからこそ身の置き場が無く、逃れる事も、耐える

事も出来なかったのだと。死ぬ間際にそう言っていた。

 彼の居場所は彼の家のみにあって、そこから離れては決して存在する事が出来ないらしい。

 そしてその場所は彼以外の存在を好まない。誰一人として、そこに介入する事を許さない。

 彼だけの完全な場所。それが彼の居場所であり、生きられる場所だった。

 もしかしたら人間はそれだけの為に、それが無い為に、滅んでしまうのかもしれない。

 結局、それだけが理由なのかも。

 だが彼はそれがあったのだ。持っていた。

 では何故だ。

 彼だけで完成している。そこに彼が居れば完成しているからこそ、異分子を嫌がる。必要ないからこそ、

それを頑なに受け容れない。

 ならば何故、彼は女を求めたのだろうか。

 生存本能か、ただの欲望か。

 しかしそれは満たされないからこそ望むのではないのか。

 それとも満たされるから望むのだろうか。

 完全な場所に居て、何故不完全なものを求めるのだろう。

 彼は何に不満があったのだろう。

 何故わざわざ不満になる事を知っていて、女を求めたのだろう。完全なものを壊したのだろう。

 それが解らない。それを知りたい。

 彼は何を、どうすべきだったのだろうか。



 私は人を放っておけない性格だ。

 つまり彼とは逆に、人に関わらないと生きていけない。

 誰かがいなければ、関わる事も出来ないし、関わってくれる事も無い。

 自分の周りにそういう誰かが居なければ、私は生きていけない。

 つまり自分独りの場ではなく、誰かの居場所を譲り受けて、それで安心するような所があるのだと思う。

 だからこそ、彼に結果的に捨てられた女性達をも、何に遠慮する事無く受け容れられた。むしろそれを

受け容れる事を喜びとしていたのかもしれない。

 彼女達がすぐに去るのを知っていて、私はそれをむしろ自分から受け容れた。望んでいた。

 私は誰かに入り込む事に喜びを覚える。

 誰かの居場所に潜り込む事で、その場を共有する事で、私は初めて生を感じ、生きていける事が出来る

ようだ。

 しかしその手段に違いはあっても、自分の居場所を求めるという上で、彼と私は同一である。

 同じ物を求めていた。

 それでも違いが出来るのは、彼が自分の内にそれを求め、私は自分の外にそれを求めたからだろう。

 そういえば、考え方も彼と私とではまるっきり正反対だったように思う。

 彼は自らの内にこそ、心の中にこそ神との繋がりがり、神が居るのだと言い。

 私はこの広い世界の、そのまた何処かに、人が神と呼ぶ存在が在るのだとした。

 彼の神は良心であり。私の神は自然だった。そう言い換えても良い。

 彼は全てを自らの責任とし、私は全てはそれぞれの責任だとした。

 だからこそ彼は死に、私は生きていられるのかもしれない。

 ならば私は未完成だからこそ、自分独りで完結できないからこそ、生きていられるのか。

 そう考えるとしかし、私は彼の言った言葉を思い出す。

 彼は私の事をこう言った。

「君は完成された人間だ。だからこそ、誰の中でも君でいられる。だからこそ平気で他者の居場所に潜り

込める。でも僕は違う。僕は独りでしか居られない。そうでなければ、僕が壊れてしまう。僕は誰かを受

け止められるような、自己の完成している人間ではないんだ」

 やはり私の考えとは逆だ。人は不完全だからこそ、他者を求めるのではないのか。彼は完成していたか

らこそ、独りを求めたのではないのか。

 もしかすると、彼は独りで居たいのではなく。独りで居なければ彼自身が壊れてしまうのだ、とそう思

っていたのだろうか。

 独りで居なければ、彼は彼でいられなくなる。しかし独りで居られるほど強くもない。

 その狭間で彼は苦しんでいたのか。誰にも頼れぬ、自分の生存の問題だけに、彼は彼独りで不可能な難

題に取り組む事を強いられ、その結果死を与えられたのか。

 結果として死ぬしかなかったのか。

 今となっては解らない。しかし今私がこんな事を考えているのは、他ならぬ彼が私にさせている事かも

しれない。ならば、続けよう、この答え無き思考を。

 私には責任がある。



 私は求めていた。彼も求めていた。

 そしてそれは同じ物である。よく解らないが、多分同じ物だ。同じとしか考えられない。

 ただ違ったのは、彼はそれを内に求め、私は外に見出した事。だから私は彼は自分独りだけで完成され

た人間だと考えた。

 だが彼は違うと言う。内に求めるのは未完成だからであり、外に見出すのは自己が完成されているから

だ、と彼は言った。

 一体どちらが正しいのだろう。それともどちらも間違えているのか。そもそも間違いや正しいといった

考えが、この問題を解く事に相応しいのだろうか。

 考えれば考えるほど解らなくなる。しかし続けなければならない。それが残された者の仕事なのだから。

 私は彼を完結しなければならない。そうしてこそ、初めて彼はうかばれる。この世から去る事が出来る。

私が答えを見出さない限り、彼もまた、私と共にこの地に留まり続ける。

 その思考に引っ張られるようにして。

 もっと冷静に考えよう。

 私の中で私が完成されていると、彼は言った。ならば、私の中にその答えがあるはずだ。

 しかしどう考えても私にはそう思えない。私の中には何も無く。だからこそ彼の中に完成があると見て

いたのだ。その考えに疑問は浮かばない。

 今まで深く考えた事は無いが、多分私は彼こそが答えだと考えていたのだ。

 彼の中に、全ての答えを見出していた。

 いや、違う。私が見出していたのは答えではなく、単なる可能性なのだ。外に求める私と真逆な彼だか

らこそ、それを見る事でその答えが出せるかも知れないと、多分そう思い込んでいた。

 ようするに私は彼に押し付け、彼の中に入り込もうとした。

 共存していたのではない。私こそが侵略者だったのだ。

 女性ではなかった。私だ、私が全ての原因だ。私が一番彼と長く、一番近くに居たのだから、私がそう

だと考える方が自然である。

 私こそが彼の聖域を侵していたのだと。

 でもそれならば、何故あの時だったのだ。もし私が負担になっていたのなら、彼を侵食していたのなら、

彼が自分の家を離れる事で、私から離れる事で、解決したとは言わないが、改善されたはず。

 彼は彼女の家へ行き。そこに自分の居場所が無いことで死した。ならば、やっぱりその死因は彼が自分

の居場所を離れた事。という事は、彼の問題は精神的なものではあっても、存在とかそういう小難しい話

ではなく、潔癖症のようなものだったのだろうか。

 私が彼を彼の家から追い出したのが原因なら、私という存在が彼の死の原因ではなくなる。

 結局、彼が自分は誰とも一緒に居られないという答えを思い知らされ、それに絶望して生命を失った。

私が彼を殺したのは確かだが、その意味合いは違ってくる。

 答えをまた見失った。

 ああ、彼はどうしたのだ。何が彼をそうさせたのか。自分の居場所とは何だ。彼は何を求めていたのだ

ろう。

 私も彼と同じなのに、同じ物を求めているのに、何故解らない。

 その違いが、答えなのか。

 ならば考えよう。一体何が違うのか。

 私は何かに絶望したとしても、何かに依存する事が出来る。絶望さえ、誰かに押し付ける事が出来る。

でもだからこそ独りでは居られない。

 彼は自分の中に全てを閉じ込め、受け容れる事が出来る。でもだからこそ逃げ場が無い。自分の許容力

を超えれば……。

 そうか、もしかしたらそこか。逃げ場がそうだったのか。私にとっての他者が、彼にとっての家、自分

の居場所だったのかもしれない。

 逃げ出せる場所。押し付けられる何か。それがそうだったのだ。

 これならしっくりくる。彼は自分の内に逃げ場を探し、私は誰かの中に逃げ場を探した。

 その違いは、内に求める限り逃げ場所は自分一個にしかないが。外に求める場合、いくらでも見付けら

れるという点だ。

 独りで居る限り、限界がある。しかし外に求めれば限界は無い。

 だから私はほぼ永遠に生きていけるという事になる、そう言う意味においては。

 彼が死んだのは、その限界故か。

 殺したのは私だが、その理由はそこにあったのか。

 という事は、私達には何かを押しやる場所が必要なのか。

 何という事だ。

 それを自分に求める限り、自分一個しかないが。誰かに求める限り、無数に存在する。

 でも結局は同じ事なのだ。

 私個人としては彼の方が美しいと思う。潔いと思う。しかし生きているのは私の方。彼は一杯一杯に詰

め込んでしまい、何処にも逃げられず、どうしようもなくなって死んだ。

 私は何処にでも逃れられる。例え誰かのそれを受け取っても、押し付けられても、私はそれを右から左

へと受け流す事が出来る。だから限度が無い。何も溜まらない。溜まったふりをするだけだ。

 私という存在は空っぽで醜い。でもだからこそ生きていられる。

 そして私が押し付けた何かは、彼のように潔い存在の中に蓄積され、膨れ上がらせる。どんなに彼が苦

しんでも、私は止めはしない。いつまでも流し続ける。私が苦しまずにすむ代償として。

 全ての苦しみは、彼の死によって浄化される。

 それを見ながら、私のような人間は生き続ける。

 いや違う。それは死によって浄化されるようなものではない。死して尚、その人間に纏わりつき。その

人間を誰かが思う度に、彼の中へ蓄積され続けていく。死しても、彼が彼である限り、そこからは逃れら

れない。

 彼は多分、倉庫のようなものなのだ。それが行き着く先の、ただ一つだけ行き着ける場所にある悲しい

場所。彼は数少ないそれらの一つだった。

 だから死ぬ。彼の死も、来るべき限界が訪れただけに過ぎない。

 何と言う運命だろう。

 私のような穢(けが)れを生かす為に、彼のような高潔な人間が死ななければならないのか。

 それは不幸な運命だ。

 でも。

 でも。

 私にはそれが苦痛とは思えなかった。

 全てが溜まっていく。自分の中にありとあらゆるものがたまって満たされる。それは心地良い事だ。例

え苦しくても、文字通り全てを満たされる。

 それに引き換え、全ては私を通り抜けていく。決して溜まらない。なんという虚しさだろう。私の中に

は何も残らない。例えどれだけ生きても、何をしても、何も残らない。

 私は人間という完成された失敗作なのだ。

 穴の空いた入れ物として作られた、完成品。まるで用を為さない完成品。それは無意味で、何処までも

虚しい。変化の無い、変わらないだけの物。ただ生き続け、他者を苦しませるだけの存在。

 永遠に満たされない。

 確かに私は完成されていた。

 だがそれだけだ。それは私という役立たずが、私として永遠に残る、それだけでしかない。

 これが答えだったのか。

 私は理解した。確かに解けた。謎は解けた。

 ああ、私はなんという哀しい一つなのだ。

 ああ、彼はなんという偉大な一つなのだろう。



 答えは出た。彼はうかばれるだろう。

 私はうかばれない、永遠に。

 これを見ている見知らぬ貴方よ。貴方はうかばれるのか。それとも……




EXIT