オカーメチェンコラニウラスの三日記


 我々がオカーメチェンコという災厄に襲われてから、一体どれ程の時が過ぎたのだろう。全てはもう忘

却の彼方へと過ぎ去り、余りにも多くの凄惨(せいさん)な出来事が起こった為、そういう記憶はそれら

の内に埋没(まいぼつ)してしまったかのように思える。

 短期間の内に余りにも多くの事を経験した人間は、その体験した時間でさえも通常より遥かに多く過ご

したように感じるものなのか。

 我々に残された命は少ない。未来はもう絶望的である。

 だが我々はまだ生きている。諦めてはならない。諦め、真に絶望する事こそが本当の意味での終りなの

だから。


一日目

 外界の全ては緑に覆われている。オカーメチェンコに襲われて以来、我々人類は要塞のように堅固に作

った住居に篭(こも)り、外出する事はほとんどない。他の住居へ行く時も面に地下通路を利用し、外の

世界、つまりオカーメチェンコを、恐れている。

 下水道、トンネル、我々の住まう大地の下にはあらゆる地下空間が、遥か以前より作られ続けられてい

た。まるで地上から追われるかのように、オカーメチェンコ以前から我々人類は地下に目を向けていたの

である。

 その事が幸いにも今非常に役立ってくれている。この地下道群が無ければ、我々はそれぞれの住居で虚

しくその生の終りを待つしかなかったであろう。人が人との繋がり無しには生きていけない以上、これこ

そ生命線と言える。

 そして我々人類が外に出なくなった事で、緑は一気に増えた。

 緑というものは我々人類が居なくとも、いや居ない方が遥かに繁栄するらしく、オカーメチェンコ以来、

皮肉にも大地は緑を取り戻しつつある。人が手を加える以前の平穏を取り戻しつつあるのだ。

 それがオカーメチェンコの狙いだったとは思えないが、結果として我々人類もある意味生き長らえる事

が出来るようになったと言えるのかもしれない。あのまま行けば緑は消え、緑に頼らざるを得ない我々人

類も、遠からず自滅してだろうから。

 だがそうと言ってもオカーメチェンコを容認する事には繋がらない。緑にとって結果的にどうであった

としても、オカーメチェンコ自身が何かをやった訳ではない。オカーメチェンコが行った事といえば、人

類に敵意を向ける事、その毒牙を大きく食い込ませる事、それだけである。

 ようするに人類の天敵なのだ、オカーメチェンコというものは。

「離陸一等、ただ今戻りました」

「うむ、状況はどうかね」

「はい、落ち着きは取り戻しているようですが、皆不安がっているようでした。地下通路の整備も順調で

すが、出来ればもっと早くした方が良いかもしれません」

「そうか、ならばそう伝えておこう」

「ありがとうございます」

 我々は基本的に数人一組となって任務を行っている。私の場合はこの離陸一等書記見習いと二人組で、

偵察や出動任務などは上官の離陸一等がその一切を行っている。私はこの住居にて外界を観察し、それを

詳細にまとめるのが趣味である。

 仕事としてはこうして日誌を付ける事と上層部へ報告する事であるが、だからといってどうという事も

ない。組織的に見て大した仕事ではないのだ。建前上は重要な仕事である、とされているが。それも、つ

まらない仕事をつまらない仕事だと押し付けられても誰もやる気を出さない、為でしかない。

 大体上層部なんかが一体何をするというのか。結局はその現場現場でやるしかなく、今となってはこれ

も建前として存在しているに過ぎないのである。

 だから私はこうして安心して趣味に専念し、思索に耽(ふけ)る事が出来る。

 オカーメチェンコとは一体どういうものなのか、目的は、仕組みは、そしてその存在は。

 一切が謎に包まれているオカーメチェンコ、思索するには申し分ない題材だ。

「留守中変わった事はありませんでしたか」

「特にないな。あるとすれば緑がやたら育っている事くらいか。ここ数日でまた増えたよ」

「なるほど、確かに自然の天敵たる人間は、もう外には居ませんからね」

「うむ、まったく皮肉な事だ。これで自然の寿命が延び、我々人類の寿命も延びるという訳だ」

「怪我の功名ってやつですか」

「それは少し違うな」

「では不幸中の幸い」

「さて、心情的には納得したくはないが」

 我々はそんな取り留めない話をしながら、一日を過ごす。離陸一等が居る時は大抵そうだ。任務だの組

織だの言っていても、今の人類は組織立った行動を取る事も、大きく一つにまとまる事も難しい。現存し

ている数少ない通信機器を介して、国家だの軍だのの真似事をやるのがせいぜいだろう。

 無意味な事だとは思うが、そんなものだからこそ逆に大事に残しておきたくなるのかもしれない。その

証拠に人々の中に、地位は絶対、部下は上官に決して逆らえない等々、鉄の掟とでもいうものが再び尊重

され始めている。

 おかしなものだ。そういう上下の区別が強いられていた頃は、そんな法など皆馬鹿にし、大笑いするよ

うな時代になっていたというのに。いざそれが失われるとなれば、必死に人は護ろうとする。全くおかし

な話である。

 人は要らないモノ程大事に思うのかもしれない。自分が大事にしてやらなければ、そのモノの価値が完

全に無くなってしまうが故に。

 不細工のナルシストに共通する真理だろうか。

「本日も異常無し。そろそろ日が落ちるな」

「ええ、となるとまた来ますかね」

「いや、それは無いだろう。悪いものは夜に来るなんてのは迷信さ」

「そうでしょうか」

「ああ、そんなものだ。私の少ない経験から言えば、確実にそうさ」

「なるほど」

 あらゆる施設が機能していない今、電力は最も節約しなければならないものの一つである。非常時以外

は電灯も付けられず、夜は書類仕事が出来なくなる。どうしてもという時は火を焚くのだが、薪なども簡

単に得られる物ではない。夜が来れば黙って休む。それが一番良い事だ。決して時間外労働をしたくない

からではないし、給金に不満がある訳でもない。資源は須(すべか)らく節約しなければならない。

「ではそろそろ休もう」

「ええ、そうしましょう」

 私と離陸一等は寝袋に包まり、それぞれに眠ろうとした。だがその時である。突如地震が起こったかと

思うと、それきり辺りは静まり返った。

 ようするに地震だったのである。


二日目

 この日も良く晴れた一日だった。この所呆れる程に良く晴れる。まるで離陸一等の頭のようにぴかぴか

と、いや、その話は止そう。遺伝子に定められた宿命なのだ、彼だけの責任ではない。

 昨日の地震の影響も特には見えなかった。窓から見える景色には、いつものように緑溢れた風景が広が

っている。我々もいつかまたこの光の下で暮らせるようになれば良いのだが。

 起きた所だが眠気は無い。昼過ぎまでたっぷり眠ったものだから、逆に体の節々が痛いくらいである。

 離陸一等はすでに出かけたらしく、その姿は無かった。これだけ外出が多いと、もうここに帰ってこな

い方が楽なのではと思うが、軍の規定でそれは出来ない事になっている。任務が終わり次第、必ず報告に

戻る事、それが義務付けられているのだ。

 出世などするものではない。

 とはいえ、この住居に一人で居るのも退屈だ。もう慣れはしたが、慣れたからといって退屈に思わなく

なる訳ではない。食欲や睡眠欲なら晴らすのは難しくないが、この退屈さだけは厄介である。

 将棋、碁、オセロ、バックギャモン、麻雀、手品、様々なものを試してきたが、結局一人では面白くな

いという結論に辿り着く。正直離陸一等が居ない方が嬉しいのだが、退屈を紛らわす為なら我慢しても良

いとさえ思う。

 その点離陸一等は良い役目を負っている。毎日移動し続けるのも疲れるが、退屈は紛れる筈だ。やはり

出世はするものか。

 まあ無いものねだりをしていても仕方がない。素直に趣味を続けるとしよう。

 暫く観察を続けていると、小さな揺れが二回程あった。そういえば最近この手の揺れが多くなってきて

いる気がする。昨晩のようにはっきり地震と解る程大きな揺れは少ないが。少し揺れたな、揺れたか、と

思うようなのは頻繁(ひんぱん)にある。

 もっともそのほとんどは離陸一等の貧乏ゆすりに原因があると思われるが、揺れが多いのも確かだ。

 大地の下で何かが起こっているのだろうか。それともこれが正常な状態なのか。確かな事は解らないが、

何かが変わってきている。

「た、大変です」

 物思いに耽っていると、予定よりも早く離陸一等が戻ってきた。腹立たしいが戻ってきたものは仕方な

い。何やら慌てているようで、あわあわと叫び続けている。何を言いたいのかは解らないが、慌てると口

から泡が吹き出すというのは本当らしい。おそらく慌てて余りにも口を速く動かすが為に、口内へ入り込

む空気の量も多くなり、それが唾と混じり合う事で泡が多くなるのだろう。

 これは学術的に見ても妥当(だとう)な・・・。

「大変なんですよ、実に大変なんです」

 離陸一等は大変なんですという言葉しか発しない。暗号かとも思ったが、そういう暗号があるのだと聞

いた事はない。つまりそれが暗号であったとしても私には解らない。だから彼の言いたい事もさっぱり解

らない。要するに知らない暗号など無意味である。

 そこで私は暫く様子を見る事にして、水を飲みながらじっくりと離陸一等を観察し始めた。

 離陸一等。頭髪はほぼ無く、百m先からも禿(hage)ている事が解る。姿は中肉中背と言ったところで

程好く肥えている。これが小肉中背であればすらっとしているのだが、まるでそういう所は無い。よく貧

乏ゆすりをするが、その足は短くあまりにも不恰好である。

 口調は丁寧だが、何となく生理的に苛立たせられる。いやむしろ口調が丁寧なだけに余計に腹が立つ。

 一等書記見習いという事で随分地位は低いが、それでも私よりは上である。しかしこれが将来の書記官

かといえばそうではない。彼はおそらく一生見習いだろう。何故なら、彼が見習いでなくなると他に見習

いになれる器の人材が居なくなるからだ。

 見習いに適した優れていない人物を探すのもなかなかに厄介で、その為に彼は一生見習いだと考えられ

る。これもまた論理的な考え方というものであり、まことに妥当な・・・。

「ですから、オカーメチェンコが現れたのですよ」

「何だって! 何故それを早く言わない!?」

 私は心が弾けるのを抑えられなかった。思わず立ち上がり、見たくもない離陸一等の顔をまじまじと見

る。こんな事はおそらく生涯でも数度あれば最悪という状況だろう。

 何しろ全く腹立たしい面をしているのだ。出来ればもう二度と見たくはない。これに比べれば、オカー

メチェンコなど・・・・。

「貴君への出動命令を受けて参りました。共に来て下さい」

「出動命令だと!」

 この命令をどれだけ待った事か。しかし出来ればこんな状況には遭いたくはなかった。しかしこうなれ

ば仕方がない。この運命を受け入れ、むしろ楽しもうではないか。

「よかろう、私自ら出向こう」

「ありがとうございます」

 こうして我らは二人揃ってその場所へと向かった。

 地下道は薄暗く、蝋燭(ろうそく)など手持ちの明かりだけが頼りだ。電灯も一応用意してはいるが、

電池も重要な資源である為、よほどの事がない限りは使えない。

 私は蝋燭の明かりを照り返す離陸一等の禿頭(HAGE head)から目を離さず、彼から離れないよう注意し

て進んだ。

 一応地下道の地図は頭に入れてあったが、ほとんど利用した事がない為に何処がどこやら解らない。こ

んな調子ではすぐに迷ってしまうだろう。

 それに比べ離陸一等は我が庭のように迷いなく進む。彼が毎日毎日どれだけの時間をこの地下道で過ご

しているかが解ろうというものである。それもまた腹立たしいが、今はありがたい。

「もうすぐ着きます、戦闘準備を」

「解っている」

 私は腰に下げている銃を確かめた。

 忘れてはいない。今まで数える程も使っていないが、手入れだけは何となくやっている。多分前には飛

ぶだろう。暴発もしないに違いない。

 次に懐を探り、小刀があるのを確認する。

 これは実に便利な道具で、料理から爪切りまで細々とした事によく働いてくれた。これだけは欠かせな

い。これを失えば任務遂行に多大な障害が出てしまう。離陸の禿(hagge)なんぞよりも遥かに重要だ。

 しかしこの二つの武器がオカーメチェンコにどれだけの効果があるのかは解らない。無いよりはましだ

ろうが、効果的とは言えないだろう。

「着きました。出ますよ」

 ため息を吐く時間も無く、我々は光差す出入り口を抜けた。

 そこは我々が居た住居と似たような建物で、明らかに軍が建てたものであった。同じ組織が作れば大体

似てくるものだ。材料も基本方針も同じなのだから、当然というべきか。

 しかしこれでは外出した気がしない。せめて家具の配置だけでも変えておいて欲しかった。

「誰も居ないぞ」

 室内は空で、同士の姿は見えない。しかしたった今まで人が居たらしき痕跡はあり、その事が私に恐怖

をもたらす。もしかしたら彼らは・・・もう・・・。

「ここに居た人達は先に行っている筈です。もしかしたら現在交戦中かもしれません」

「何という事だ。オカーメチェンコとまともに戦えるというのか」

「いえ、まともに戦えば勝ち目はないでしょう。でも何となく戦っているふりだけでもしておかないと」

「確かにな。そうしないと役立たずである事が明らかになってしまう」

「その通りです。ですから、行きますよッ」

 勢い良く戸を開けて外へと飛び出す離陸一等。

 私はそれを確認し、離陸が視界から消えた後で静かに戸を閉め、鍵をかけた。

 離陸一等は気付かないまま、一人で野外を疾走して行ったのだ。彼は足だけは無駄に速い。

 私はようやく満足の吐息をもらす事が出来た。

 これでいい。これで任務は終わったのである。

 そして私は椅子に腰掛け、この住居を新しい住処とした。

 新しい生活が始まる。


三日目

 離陸一等達は帰ってこなかった。夜中に何かうるさい音が聴こえたような気がし、それは例えば戸を叩

くような振動音であったような気がしたが、おそらく地震だったのだろう。後は静かに更けていき、朝を

迎えた。そして私は一人でここに居る。

 前の住居に帰ろうかとも考えたが、私一人で地下道を迷わず進む自信は無い。離陸一等の後任が来るま

で、私はここに居なければならなくなってしまった。

 本部にはすでに連絡を入れている。オカーメチェンコと交戦、私を除き全員死亡と。

 悔やまれる結果だが、オカーメチェンコ相手では無理からぬ事。本部も納得し、私が生きていただけで

も幸いだと祝福してくれさえした。

 しかしそれを私に命じたのは彼らなのだ。オカーメチェンコと戦わせるという絶望を強いておいて、そ

の死を悼(いた)む。理解出来ない感情である。

 とはいえ、良い事もあった。この新しき住居は前のよりも快適で、物資も豊富にあったのだ。どうやら

最近補給を受けた所だったらしい。我々が受けたのが半年前である事を思えば、その差は歴然である。食

糧から衣服まで九割方残っていた。

 しかも二人分あるのだから、これを独り占め出来るのは嬉しい。任務をこなしたかいもあったというも

のである。これだから任務は止められない。例えそれが誰に命じられた訳でもなく、何となく本部の空気

を読んだと見せかけている任務であったとしても。

 離陸一等、恨むなら本部を恨んでくれ。これは私が君を個人的に嫌いだった事とは何ら関わり無い事な

のだから。

 しかしこうして二人分の物資を一人で眺めていると少しだけ寂しくもなる。

 一人でいるのは気楽だが、退屈なものだ。無理矢理でも目的を見付けられている内は良いが、いずれそ

の事自体にさえ虚しさを覚えてくる。そんな事をして一体何の意味があるのか、どうせ同じではないか、

最後には全てに飽いて虚無感だけが襲ってくる。

「誰だッ!?」

 おかしな気配がしたので、私は銃を構え、戸に近付く。

 二度、三度、外から戸を叩く音が聴こえ、何かしらの声が聞こえてくる。もしこの戸が無駄に防音でな

ければ、この住居がやたら防音だけに気を使って作られていなければ、その声を解する事が出来たかもし

れないが、そういう仮定は無駄な事であった。

 撃つべきだろうか。こういう場合は問答無用に撃つべきだろうか。

 今来る者が居るとすれば、オカーメチェンコ以外には考えられない。離陸一等達だけでは飽き足らず、

私にまでその牙を剥こうというのだ。

 しかしそうだとしても撃つのは怖い。何となくしか手入れしてこなかったこの銃、この銃が暴発しない

という可能性は一体どれくらいあるのか。もし暴発してしまえば、まさに犬死。何の意味もない生であっ

たと言わざるを得ない。

 私はそれを恐れた。

 オカーメチェンコが怖いのではない。軍属として犬死を恐れたのである。

 そこで私はまず銃の手入れをするべきだという結論に達し、振動音を無視して銃を分解し始めたのであ

る。こういう時の集中力は群を抜く。むしろこの集中力の為に軍に入れられたとさえ言える。

 だから後はもう何も気にならなかった。

 拙い手で思い出し思い出し手入れをし、全ての作業が終わる頃にはとっぷりと日は暮れていた。振動音

も聴こえず、外は静まり返っている。

 あの来訪者が一体何だったのか、永遠の謎となってしまった。

 だがそれで良かったのかもしれない。危うい事には関わるな、昔から言われている教え。私も心からそ

う思うのである。

 しかしそうして安堵している所に、甲高い音が響く。

 無線が入ったのだ。珍しい事である。よほどの緊急事態が生じたのだろう。

「はい、こちら・・・」

「離陸一等です。離陸一等です。聴こえますか」

「おお、離陸一等、私だ。生きていたのか」

「はい、何とか無事です。先発した二名も無事でしたよ」

「それは良かった。しかし一体どうして無線など」

「いえ、そちらへ一度戻ったのですが、戸に鍵が閉まっていて。叩いたりこじ開けようとしたりしたので

すが、どうにもならず。もう占領されてしまったのかもしれないと思い、何とか外の通信施設まで逃げて

きたのです」

「鍵だって!? 一体どういう事だ」

「解りません。もしかしたらオカーメチェンコが・・・。貴方は何も知らないのですか」

「ああ、君と逸れた後攻撃に遭い。善戦はしたのだが弾薬が尽きてね。それで仕方なく戻ってきたと言う

訳だ。おそらくその後に鍵をされたのだろうが、防音仕様の為か気付かなかった」

「そうだったのですか。こちらの方は特に何もなく合流する事が出来ました。どうやらオカーメチェンコ

だと思ったのは、勘違いであったようですね。では我々もそちらへ戻ります」

「いや、待ってくれ」

「どうされました」

「うむ、どうやら鍵を閉められたのではなく、完全に戸や窓を塞いだらしい。鍵を外したが、全く動かな

い。これではもうこの住居は使えないな」

「そんなッ!?」

「仕方がない。こちらへ戻るのは諦めてくれ」

「・・・・解りました。別の道を探します。塞がれたという事はオカーメチェンコは勘違いではなかった

のか・・・。貴方も気をつけて下さい。一人だという事を忘れないように」

「解っている。へまはせんよ。とにかく君達の無事を祈っている」

「はい、では」

「うむ」

 離陸一等達は無事だったらしい。私が戸と窓に鍵さえしなければ、彼らを収容する事が出来たのだが、

まあ仕方がない。戦闘時には良くある事。せめて彼らの無事を祈ろう。

 しかし何故彼らは無事なのだろう。全ては予定通りに進んでいると思ったが、ままならないものだ。

 とにかく防衛策を練らなければ。

 オカーメチェンコは次にどういう手を打ってくるのか。

 私の心には拭えぬ不安があった。

 オカーメチェンコ、嗚呼、オカーメチェンコ。


三日+一日目

 悩んでいても仕方がない。私は銃を取って外を調べてみる事にした。

 オカーメチェンコが一度ここに来たのであれば、おそらく今は別の場所へと移動している筈。戸や窓を

全て溶接した事で無力化したと油断しているに違いない。

 だが愚かなオカーメチェンコは窓を一つ溶接し忘れていた。鍵を開けると窓は容易く開く。こちらとし

ては嬉しい誤算だが、敵ながら愚かなオカーメチェンコだと思う。全ての作業の後には、確認をしなけれ

ばならない。

 私は窓から首だけを出し、辺りの様子を窺う。

 幸い何の気配もしない。つまらない草木だけが広がり、小動物の姿さえ見えない。もしかしたらオカー

メチェンコに捕食されてしまったのかもしれない。

 考えてみれば、オカーメチェンコが人間だけを狩るとは限らないのである。

 オカーメチェンコには謎が多い。予断は禁物である。全てを冷静に考え直さなければならないかもしれ

ない。

 安全を確認した後、窓から出ようとしてもがいていると、また通信が入った。おそらく離陸一等だろう。

人が苦労しているというのに、まったくもって空気の読めない奴だ。

 私は慌てて身体を戻し、通信機の前に座る。

「離陸一等か」

「はい。どうやらお互い無事だったようですね」

「うむ。それで、何かあったのかね」

「いえ、別の道を探そうと考えていたのですが、一度そちらへ戻ろうかと思いまして」

「む、それは何故だね」

「まだそちらにオカーメチェンコが残っているかもしれませんし。実は合流した中に工作兵がおりまして、

手持ちの道具だけでも何とかなりそうだと言うんです」

「この塞がれた戸と窓を開けられると言うんだね」

「ええ、ですから一度そちらへ行こうと思います。それでは」

「お、おい、待ちたまえっ・・・・・くそッ」

 無線は一方的に切られてしまった。これだから奴はあれなんだ。

 不味い事になった。折角オカーメチェンコが塞いでくれ、それによってあの忌々しい離陸とも離れられ

たものを、今になって何故合流しなければならないのか。

 何故オカーメチェンコは離陸をきっちり始末してくれなかったのだろう。一度やり始めたら最後までや

り遂げるのが男じゃないか。

「そうか、ここに来たオカーメチェンコは女だったに違いない」

 それはありそうな事だ。そしてそれならば仕方がない。

 私は他力本願な考えを捨て、自らの手でそれを成し遂げる事を決めた。そうだ、初めからそうするべき

だったのだ。

 懐から節分で豆を買った時におまけとして付いていた鬼の面を取り出し、噛み締めるようにしてゆっく

りと装着する。上手く付けなければ前が見えないし、耳に留めるゴムの具合も難しい。

 そうだ。重要な事は全て自ら慎重に行わなければならない。

 離陸一等と他二名が間抜けな顔で近付いてくる。オカーメチェンコの罠だとも知らず、多数に安心しき

った顔だ。

 愚かなものである。もしオカーメチェンコが四人以上だったらどうするつもりなのか。考えないという

事はそれだけで罪である。

 罪人ならば粛清されなければならない。

「どうだい、開くかい」

「はい、離陸一等。どうやら塞がれてはいないようです」

「どういう意味だね」

「鍵はされていますが。他に手を加えた様子はありません。これならすぐに開けられます」

「何だって!?」

 離陸の口ぶりからするに、他の二人は離陸よりも地位が高いのだろう。その働きぶりから考えると、も

しかしたら将官階級であるかもしれない。私や離陸なんぞからすれば、雲の上の人だ。流石に前線に配さ

れるだけの事はある。

「開きました。離陸一等、踏み込みますか」

「待て。確かに全て塞がれたと言っていた。それなのに何一つ塞がれていない。これはオカーメチェンコ

の罠であるかもしれん」

「なるほど。では中には・・・」

「そうだ、オカーメチェンコが居る可能性が高い。おそらく彼はもう・・・・」

 悲嘆にくれる三名。しかし本当に泣くのはこれからだ。

 私は慎重に離陸へと狙いを付け、その時を待つ。

「君は窓、君はこの戸から一斉に踏み込むんだ。良いね」

「了解しました。離陸一等はどうされますか」

「私は外を見張る。一番楽な仕事だ」

「良い選択です」

 他二名は手馴れた仕草で突入準備をし始める。

 配置に付き、突入の瞬間を見極め、そして同時に踏み込む。この間一分とかかっていないし、その行動

には乱れも迷いもない。

 だがその有能さにこそ、逆に利用価値が生まれる場合がある。

「・・・・・・・ッ、ああ、あああッ」

 他二名が内部へ侵入した瞬間、私の銃が火を噴く。そして離陸一等は頭部から血を噴出し、間抜けな声

を上げてその場に崩れ落ちた。

 まったく容易いものだ。

「何だ、今の音は」

「馬鹿ッ。そういう事を言うな。あれは離陸一等のあれだよ」

「ああ、あれが噂の爆音屁か」

「お前は空気の読めない奴だな。そういう事言ったらまた昇進させられるぞ」

「そうか、そうだな。聞こえてなければいいが」

 幸い他二名は気付いていないようだ。

 だが例え気付いたとしても同じ事。私の鬼の面を見れば、泣いて逃げ出すに違いない。何しろこの鬼の

面には大人二人が裸足で逃げ出す程の効果がある。もし離陸一等が生きていれば効かなかったかもしれな

いが、二人となった今なら大丈夫だ。

 しかしオカーメチェンコは恐ろしい。そこまで計算して離陸だけを殺したのだとすれば、その状況判断

能力は特筆に価する。

 他二名はその後暫く住居内を調べていたが、程なく離陸一等に気付き、驚き慌てて遺体を担ぎ上げて走

り去ろうとする。

 私はすかさず離陸を担いで動きの鈍くなった二人を撃ち、全ての任務を完了させた。

 容易い仕事だった。オカーメチェンコ恐るべし。軍人三名に一人で立ち向かい、容易く処理する。

「誰も信用出来ん。一人で引き篭もっているのが一番だ」

 私はそう確信し、住居へと戻った。

 一人で篭っている限り、オカーメチェンコに襲われる事は無いだろう。


三日+二日目

 昨日三名が戦死した。軍人としてありうるべき最後だが、死を思えば悲しくはなる。それにも慣れると

いう人も居るが、それは自分の死を身近に感じた事が無い者の言い訳だろう。人は死にだけは慣れる事は

出来ない。それが自分にも降りかかるような場所でなら尚更だ。

 だが同時に私がオカーメチェンコ三名を射殺するという手柄を上げている。差し引き零と言えば嫌な言

い方になるが、戦果は戦果として喜ぶべきである。

 それにこれで私一人この住居に護られたまま暫く暮らせる。ありがたい事だ。

 その内新しい上官が送られてくるだろうが、それもまた好都合。上官が来てこそ新たなる道が拓けると

いうものである。次の住居も快適であれば良いのだが。

 こんな事を繰り返していかなければならないとは、全く嫌な世の中だ。これもまた戦時中には良くある

事。嘆かわしいが、驚くには値しないのである。

 このようにして私は今日も生き延びている。

 この生がいつまで続くのかは解らないが、オカーメチェンコの恐怖がある限り、終わる事はなさそうだ。

 皮肉な事に、全てはオカーメチェンコが握っている。認めたくはないが、事実である。

 恐るべきはオカーメチェンコ。その謎が解ける時、私もまた終わるのだろう。

 それとも、オカーメチェンコとは・・・・初めから・・・。

 私の懐で、鬼の面が微笑んでいる。

 同時に三人以上を相手取らない限り、オカーメチェンコに敗北は無い。

 何も恐れる必要はないのだ。

 オカーメチェンコある限り、我らもまた生き続ける。

 皮肉な事に、我々もまたオカーメチェンコに生かされているのである。




EXIT