停止


 時間が欲しい。時間が足りない。もっと時間があれば。

 忙しない。余裕が無い。息が詰まる。

 こういう言葉はいつもどこからでも聴こえてくる。とすれば、これこそが現代人の、最も大きな悩みで

あり、苦悩であると言えるのかもしれない。

 しかし本当にそうなのだろうか。

 これに対する最も効果的な解決法は、無限の時間を与える、という事になる。

 どれも人間の時間が有限である事から来る弊害で、それ故に昨今は、効率的、効率的に、という言葉が

多く使われている。

 何をするにも効率的。何を思うにも効率的。

 いかに他者よりも上手く、そして速く、最も確実な手段で、全てを滞りなく終わらせていく。

 それは確かに素晴らしい事かもしれない。特に労働者にとって、得がたい才覚である。

 しかしそれは本当にそうなのか。

 そんな疑問が浮かぶ。

 とはいえ、かくいう私もつい今の今までは疑問になど思っていなかった。

 何故こうも時間が無いのだ。時間が足りないのだ。何故人はこうまで時間に追われるのか。

 もしかしたら、時間自体が年々減ってきているのではないか。少なくとも、幼少の折に、このような焦

燥を感じた記憶はない、と。

 その頃も確かに時間はあっと言う間にすぎ、たっぷりとは無かったが。今のように足りないとは思わな

かったように感じる。むしろ丁度良かった。気の済むまで遊び、また明日と友人と別れるには、丁度いい

時間だったように思う。

 ならば子供と大人の時間が違うのだろうか。

 そう考えていた時もあったが、それは違う。何故なら、昨今は子供でも大人と変わらず常に焦りを感じ

ているからである。

 大人だけが特別でも、子供だけが特別でもない。どちらも時間が足りない、忙しないと言っている。

 常に人は慌(あわ)ただしい。慌ただしくなっている。

 だから時間そのものが年々短くなっているのだ、と考えた方がどちらかといえば自然である。

 それを実証する術はないが、人間の感覚に従うと、そう言う事になる。

 時間が減っているのだ。

 私はこのような考えに行き着き、いつからか無限の時間を欲するようになっていった。

 いつまでもどこまでもある時間。決して終わり無く、無限に、死を欲すまで限りなく流れていく時間。

そんな時間が欲しかった。

 しかし人間と言うものは不思議なもので、欲した物を手に入れると、いつも不幸になってしまうのであ

る。これは何故だろうな。

 それは不意にやってきた。

 いや、やってきた、という表現はおかしい。その時点ですでにそうであって、またそういう表現を決め

る基準自体がそうなっていたのだから、これはもう言葉にしようがない。同じ体験をした人が過去に居た

のかもしれないが、その人がこれを表す言葉を伝えなかった、伝えられなかった。つまり、未知なる感覚、

世界である。

 いつものように起きた朝、そういう状況に私は在ったのだ。

 それはどういう状況か。信じられないだろうが、時が止まっていたのである。

 時が止まる。つまり減りも増えもしない。遡(さかのぼ)りも流れもしない。一定で動かない。

 私も全ての存在も、何も変化をもたらさず、常にその場にそのまま居るのであって、正しく無限の時間

の中に私は居た。

 何をやっても、どこへいっても、何も変わらない。そのままの景色が広がり、その中で私だけが生きて

いる。

 私だけが生きている。その意味は、私だけが何故か動ける、という事である。

 いやもしかしたら、他の動物もそれぞれに動いているのかもしれない。

 しかし私にはそれが感じられない。おそらくは彼らにも私を感じられないのだろう。

 無限の時間の中に生きる私は、他者から見ればそこに居ないのと同じなのかもしれない。

 それは私だけが平行世界に飛び込んだような。或いは私以外の全てが静止してしまったような。不可思

議な感覚だった。私が時を止めてしまったという事なのだろうか。

 残念ながら私にはそれを判断しようがなかったが、とにかく待望の無限の時間を手に入れたのである。

 その時はそれに対しての喜びで、何の疑問も悲観も浮ばなかった。

 私は、私だけは救われたのだ。

 まるで初めて玩具を手にした子供のように、私は独りはしゃぎ、どこまでも舞い上がっていたのである。

 私がまず初めにやった事は仕事だった。

 味気ない。そうかもしれない。しかしそれがその時の私にとって、最も性急に解決しなければならない

問題だったのだ。

 実はこれは今朝までに仕上げなければならない仕事だったのだが、誘惑に負けて昨日眠ってしまい、す

でに締め切りがきているというのに、まだ半分も仕上がっていない状態にある。

 もしかすれば、それに対する想いが、時間停止を招いたのかもしれない。

 少なくともその時一番心に気にかけていたのはその事だった。

 私は無限の時間を与えられた事に感謝し、せっせと仕事を片付け始めた。

 驚くほど仕事が速く進んでいく。それはそうだ。何しろ時間が止まっているのだから、そういう意味で

私は光速すら超えている。

 時間が停止すると云う事は、物を書く、物を動す、などという他への干渉すら防いでしまうのではない

のか、と今考えれば疑問が浮んでくるのだが。その時の私は疑問に思わず、実際に私が干渉する分にはな

んら問題なく、すらすらと文字を書く事が出来、ページをめくる事が出来ていた。疑問など浮かぶはずが

ない。

 もし他への干渉が出来なかったのなら、私はベッドから起き上がる事すら出来なかったろう。

 布団を動かせる訳がないからだ。

 だから仕事をするに何の問題もなかった。

 どういう理由なのか。それは解らない。どういう理由かは知らないが、とにかく呼吸もできれば、物を

動かす事もいつも通りに行えた。

 それは最高の気分だった。

 時計を何度見ても、余裕を見せてたまに室内を無駄に歩き、ペンをくるくると回してみても、やはり時

計はずっと同じ時間を指し、世界は静寂のままにひっそりと固まっている。

 仕事が仕上がるまでの間、今となっては当たり前の事だが、時計はじっと身動き一つしなかった。

 この世にこんな幸運があるのかと、私は自分の幸運を、一々噛み締めながら作業を続けた。

 あれだけ昨日悩み。眠ってすら悩んでいた問題が、こうしてあっさりと解けてしまったのだから、それ

も当然であったといえる。

 仕事を終えると、私は余裕を見せ、紅茶をいれる為にキッチンへと向かった。

 堂々たる歩調で、無意味に胸を突き出して歩き、正に幸福の絶頂で、何者をも恐れない態度である。

 それはそうだ。

 自分はもう時間に煩(わずら)わされる事がなくなった。もうこの世に敵はいない。私がどこで何をし

て、どんな失敗をしても、何度でもやり直せる。

 無限の時間があるという事は、無限の可能性があるという事だと、その時は考えていた。

 何であれ努力し続ける限り、いつかは完成する事が出来る。理屈からいえばそうである。つまり私は万

能になり、全ての苦悩を超越したのだと。

 電車の時間に悩む事も、着替えの時間、朝食の時間に追われることさえ無くなった。

 私は自由であり、他のどんな理由にも、決して煩わさせる事が無い。自らの理由で、自らの理由のみで、

好きなように行動し、好きなように生きる事ができる。

 それが許される存在になったのだ。

 朝一番に紅茶を飲み、ゆったりとした時間を過ごす。

 昔テレビか映画か本で見た光景で、いつかはそうなりたいと夢見ていたものだった。それがこんな風に

して簡単に叶(かな)うとは、何て素晴らしい。

 見ろ、小五月蝿いニュースキャスターは停止したまま間抜けな口を大きく開け、尚更間抜けな表情を強

調している。

 車のエンジン音で気が狂いそうだった外界は、今もひっそりと静かだ。

 これこそが理想の朝。私が待ち焦がれていた、理想の朝である。

 私はその時間を、たっぷり数十分は楽しんだ。時計の針は同じでも、私の感覚としては、それくらいは

楽しんだはずだった。

 そして充分満足し、家を出る。会社に行くには早すぎる時間だが、たまにはそれも良いだろう。

 いつだって、私にとっては同じ時間なのだから。

 駅へ着いても人はまばらだった。

 この時間はいわゆるラッシュアワーという時間帯ではなく、まだまだ人の出入りの少ない時間。快適に

過ごせる時間帯である。

 たかだか数十分早いだけで、駅はがらがらに空いている。

 いつもの時間より、十分、二十分早くしただけで、電車内は驚く程空いていた、などとよく聞く話だが、

実際そんなものらしい。皆時間に追われ、少しでも多く自分の為に使おうと必死になっているのだろう。

ほんの少し余裕を持てば楽になるのに、皆そのほんの少しの時間を惜しむ。

 確かに気が狂っていると思われても、仕方が無いのかもしれない。その時間を知らない人から見れば、

それは異常な光景だろう。

 まあ場所やその期間によっては、多少早く来た所で、やっぱり込んでしまうのかもしれない。だが少な

くとも今はがらりと静まっている。

 私は喜びを持って改札を抜け、乗車すべき電車を探した。

 私の望む方面へ行く電車はちょうど駅に着いている所で、扉が開いたまま、じっと居座っている。

 いつもの電車ではないが、確かに同じ方面へ向う電車である。

 私は何だか新鮮な気持ちでゆっくりと扉を抜け、がらがらのシートへ座り込んだ。

 こうしてゆっくり座れたのなんて、何時以来だろう。

 シートの感触なんて、ほとんど覚えていない。

 いつも窮屈で息苦しかった。

 こんなに楽で、気分のいいものだったとは。

 いつもの車内を想像すると、奇跡にも似た状況だ。

 通勤、通学ラッシュは本当に地獄である。よくもまあ、皆当たり前のようにあんな物に乗れるものだと

思う。電車会社に苦情を言ってもおかしくないくらい、込んでいる。

 まあ、今の私には関係の無い事だ。時間はいつまでも、いつまででも、たっぷりとある。決して減る事

は無い。全ては私だけの時間だ。この停止した一瞬の時間だけは、永遠に私の物だ。

 程無くして、私は当たり前の事に気付かされた。

 そう、いつまでも待っていても、この電車は動かないのである。

 時間が止まっているのだから、この電車には出発時間が訪れない。即ち、この電車は永遠に出発しない、

出来ないのだ。

 電車が発車しないという事は、当然目的地へ行けない。

 この頃から私の胸に、漠然とした不安が湧き上がってきていた。

 しかし私は強いてそれから思考を遠ざけるように、無意味に明るい事を考える。

 この時はたまには運動も良いだろうと納得させ、会社へ徒歩で向う事を決めたのだ。

 会社へは徒歩だと急いでも三十分はかかる。

 通えない距離ではないが、通いたいとは思わない。

 誰も汗をかかず、息一つ乱していない中を、私は一人だけ老いたかのように、ぜぇぜぇ言って歩き続け

ていた。

 肺が苦しい。空気が妙に薄く感じる。今まで何とも思っていなかったが、身体を動かすのを何かが邪魔

している。

 水中を歩くかのように、そこには確かな抵抗があった。

 今から考えると、それこそが空気であり、空間だったのだ。その場が、私がその場へ行くのを邪魔して

いる。私はそれを動かす事ができるが、抵抗は常に受けるのである。それは微弱なものだったが、疲労

すると、そしてその空間が広ければ広いほど、耐え難い重みとなって私を苦しめる。

 私はいつもの数倍は疲労しながら、やっとの事で会社へと辿り着いた。人や車、物の背後は抵抗が少な

い事に気付き、何とか行けたのである。それがなければ、途中で行き倒れていたかもしれない。

 疲れた身体を慰(なぐさ)めてくれるように、幸な事に入り口は開け放たれたままでいた。

 目線を合わす事も、挨拶さえしない警備員を横目に、私は息を切らせながら通り抜ける。

 空調は心地よく、たまっていた熱を奪い、少しだけ疲労を癒やす事が出来た。

 機械は動いていないが、これまでに働いた分がある。私がそれを消費しない限り、その効果は永遠に変

わらない。

 今世界で、いや全宇宙で私だけが、そこにある何かを変化させる事が出来る。

 時間を支配していると言って良いのかもしれない。

 それが良いとは、今となっては思えないのだが、その時はまだ有頂天(うちょうてん)だった。

 朝も早いと云う事で、同僚達はまだほとんど来ておらず、清掃員が仕事をしている姿を見かけた。

 彼らは毎日毎日朝早く来て、一番遅く帰る。

 朝晩の交代制らしいが、きつい仕事だと思う。

 こうして止まった時の中で見てみると、改めて気付く事が多い。

 それが仕事だと言えばそうなのだが、それでもその労に報いてやる事は、大事なのではないだろうか。

 いくら仕事でも、辛い事は辛い。誰もそれは変わらない。辛い物はどうしても辛い。

 もし彼らと私の立場が変わっていたら、彼らはこの止まった時の中で、いつまでもいつまでも掃除して

いたのだろうか。

 それともここぞとばかりに、別の事をするのだろうか。

 多分、ゆっくりと眠るに違いない。

 私は早速仕事に入った。

 電気を流す事は人一人では不可能に近い事だから、パソコンその他の電気製品は使えない。

 多分ガスや水道なども使えないのだろう。紅茶の時は電気ポットの湯を使ったので解らなかったが、考

えてみるとテレビも止まっていたのだから、流れてくる物も当然止まっている。

 仕方ないので、手でやれる仕事に終始した。

 紙にでも書いて、後でそれをワープロで清書するしかないだろう。

 とにかく時間はあるのだ。少し面倒でも、今仕事を終わらせておけば、後は何をやっても問題は無い。

この時はただただ頑張った。

 一通り出来る仕事を終えると、私は会社を出、遊びに出かける事にした。

 いつ動き出しても平気なように、遅刻しないで済む距離で遊んでいれば、いつでも会社に戻れるはずだ。

 そしてその時の私の心配はそこにあったのである。

 突然止まったのだから、突然動き出してもおかしくはない。

 だから例え時が止まっているといっても、人に恥じるような事は出来ないし、おかしな事もしない方が

良いだろう。

 なんとなく残念な気持ちも強いが、ありがちな覗きや悪戯などをする訳にはいかなかった。

 勿論、そうしたい思いは強い。気が大きくなると、いっそ何でもやってやろうかと思った事もある。

 しかし私には出来なかった。小心者というのか、昔から恐怖心が強く、危険を思うと、それだけで何も

出来なくなってしまう。

 恥ずべき事かもしれないが。犯罪者になるよりはずっとましだとも思う。

 綺麗な女性を見ると、悪戯心が湧き上がるのが辛い所だが。まあ、じっと見るだけなら、いくらでも見

る事ができるので、それだけで満足するしかない。

 色んな物や人を遠慮なく観察出来ると思えば、それはそれで得がたい経験だ。

 ただ、いつ動き出しても良いように、ある程度距離をとっておかなければならないのが少し面倒くさか

った。

 自分で作る制約に縛られる事は、止まっていても動いていても変わらないようだ。

 何だかおかしく思い、大声で笑ってみた。

 人の目を気にせず公衆の面前で大笑いできる事はなかなかに気分の良い事だ。

 歩いていると、様々な光景が見える。

 人と人が今にもぶつかりそうになっている姿。滑ってこけそうになっている所。人と人が話している姿。

気を抜いた間抜けな顔。

 こうして観察しているだけでも、やはり面白い。まるで絵の中に入ったようで、美しくもおかしな光景

が果てしなく続く。

 不思議な事に、誰一人同じ顔、同じ表情をしていない。

 似ている顔もあるが、どれも同じではない。

 ただそのほとんどが忙しなく、不快そうで、余裕のない目の色をしていた。

 そこが唯一の共通点といえば共通点で、彼らは全て時間に追われている事が解る。

 私も朝起きるまではそうだった。その時は彼らに同情したものだ。

 昨日寝る時ですら、今日起きた時の事、通勤した後の事、そしてその後の事までも、細かく細かく考え

ている。予定を考え、常に計算し、それを乗り越える事だけを思い、一秒一秒必死に生きている。

 しかし今日のように上手く進む事は無い。一度として予定通りにいった事は無かった。

 だから我々は焦っているのだろう。自分で予定を立て、その通りに出来ない自分が、自分が思っていた

よりも遥かに劣る自分が歯痒(はがゆ)いのだと思う。

 ショーウインドウに映る私の目だけが、奇妙に穏やかな色を浮かべていた。

 思う存分見て回ったが、時間が動き出す気配はない。

 一体実時間ではいくら経っているのだろう。解らない。腕時計を見ても、変らぬ時間を刻んでいる。

 一時間、二時間、それとも三時間以上か。気が付くと腹が減っていた。

 私はコンビニを探した。

 すぐにいくつかのコンビニを見付けたが、どのドアも閉まっており、四件目にしてやっと開いている店

を発見した。

 手で開けられると思うが、なるべく無理はしたくない。もし自動ドアが壊れでもしたら、例え誰も私が

壊した事を知らなくても、酷い罪悪感に苛まれてしまう。

 それに何故か自動ドアを手動で開けるという事に対し、不思議な抵抗感があった。してはいけない事を

しているような。

 私はそういう恐怖心が一番怖かったので、時間はかかっても開いているドアを探したのである。

 時間だけはたっぷりあるのだ。今動き出したとしても、簡単に会社へも戻れる。何の心配も無い。なら

面倒でも探した方が、気分は楽だ。

 店内はいつも通り物で溢れている。

 これだけの物が毎日売れていくのかと思うと、これまた不思議な感じがした。

 今は止まっているから減らないが、それでも何かは売れ続けている。消費されている。

 それでも変わらずそこにある。常に補充される。それは凄い事だが、それで良いのだろうかと言う気も

してきた。

 それが当たり前になると、このありがたさが解らなくなってしまうのではないか。その事が将来私達を

酷い目に遭わせるのではないか。そんな風に思ったのである。

 人の目を気にする必要が無く、誰も話しかけてこないので、いつもは考えない事を考え込む癖が付いて

しまったらしい。これで独り言でも言い出すようになれば、変人のできあがりだ。

 食糧を探す。

 インスタントの類はどうだろう。紅茶をいれられたのだから、多分できるのだろうが、しかし色々と手

間がかかる。出来ても多分面倒くさい。

 時間が止まるという事は変化が止まるという事だ。多分、お湯を沸かす事さえ難しい。

 私は簡単にパンで済ます事にし、口に合いそうな物を数個取って、レジへと向った。

 しかしここで気付く。

 どうやってこの品物を買えば良いのだろう。

 お金を置いておけば良いのだろうか。いや、レジで打たない限り、記録しない限り、買った事にはなら

ない。お金を置いていても、後できっと騒動になるだろう。

 よくある万引きと思われる可能性も高く、罪は免れない。

 故意も何も関係ない。それを犯せば罪である。気付かれようと、気付かれまいと、罪は罪。その時点で、

私は恥ずべき犯罪者になる。

 怖かった。とはいえ、これからも品物を得る為には同じ困難に出会う。これを乗り越えない限り、何か

を買うことは出来ず。餓死してしまうだろう。

 お金もそうだ。銀行に預けている金もあるが、それをどうして引き出せば良いのだろう。

 このままではこの財布にあるだけが、私の全財産になる。

 たかが数万のお金が、ひょっとしたら私が得る事のできる金額の全てになる。

 いや、何を言っているのだ、私は。時間はいずれ動く、動くはずだ。先の事は先に考えれば良い。今は

このパンを買う事だけを考えよう。

 苦肉の策として自分でレジを打ってみたが無駄だった。

 パネルは押せるが、何も出てこない。打ち込まれない。多分、この押した数は、動き出した際に勝手に

表示され、この店員を驚かせるのだろう。

 でもそれだけだ。動きはしない。

 悩んだ末、書置きとお金を残しておく事にした。

 一騒動起こる可能性もあるので、名前などは書かないようにしたが、これで良かったのかは解らない。

 とにかくパンを持ち、ついでに飲物を手にとって、コンビニを後にする。

 動き出した後、何事も起きませんようにと祈りながら。

 私は会社へ戻り、自分の机で食事を摂った。いい加減、そろそろ動き出すだろうと思ったからだ。

 満腹になると暇(ひま)と相まって眠くなり、少し考えたが、まあ遅刻さえしなければ良いだろうと思

って、そのまま机に突っ伏して眠る事にする。

 早めに出勤し、仕事を終えて寝ていたとしても、文句は言われないだろう。多分。

 目を開けた。光の加減は眠る前と変わらず、相変わらずの静寂の世界。

 ああ、止まっている。夢ではなかった。何も変わっていない。

 周囲を見回すが、やはり眠る前のまま、そのままそれはそこに在った。誰も動かず、そして何も動かさ

れない。動くのは私一人だけ。

 私は伸びをし、やたら大きな声で欠伸をした。勿論、誰も反応してくれない。

 少し寂しい気持ちを味わいながら、トイレに向った。

 当然のように水洗トイレなのだが、用を足してボタンを押しても水が流れない。

 それでも多分時間が動き出した時に流れるだろうと思い、そのままにしておいた。一々気にしていられ

ない。動かないものは放っておくしかないのだから。

 手洗いの水も出ない。私はここで初めて事態の恐ろしさに気が付いた。

 このまま、もし、このままいつまでも時間が止まっているとしたら・・・・・・・。

 私はトイレを後にし、途方に暮れた。

 一体いつまで時間は止まっているのだろう。

 もうやるべき事は終え、出来るだけの事をした。何も望みは無い。独りだけのこの世界で、私はこれ以

上立ち止まり続ける事に不安を覚えていた。

 このまま時間が動かなければ、私は発狂してしまうかもしれない。

 でも例え狂ったとしても誰も騒いでくれる人はいないのだと思うと、それすら虚しくなった。

 私は初めの爽快な気分を忘れ、何故このようになったのか自問自答を始めた。勿論、答など何も浮ばな

い。浮かぶはずもない。

 不貞腐れたように廊下に身体を横たえ、目を閉じて眠りの時を待つ。

 眠って起きれば止まっていたのだ。なら、もう一度眠って起きれば、また動き始める。多分、眠る時間

がまだ足りないだけなのだ。ゆっくり眠れば、きっと・・・・・・。明日の朝になりさえすれば・・・・・・・。

 目が覚めても、世界は止まっている。

 私の世界は私に何もしてくれようとはしない。

 止まったまま、私を無視し続けている。

 私は再び目を閉じた。

 そんなものはもう、見たくない。

 私は眠る事、食事、トイレ、それだけを繰り返し続けた。当てもなく繰り返した。

 気付くと髭(ひげ)は伸び、髪はぼさぼさで、服にも汚れが目立ち、会社員というよりは浮浪者といっ

た姿になっていたが、もう気にはならなかった。

 ただ動きさえすればいい、動きさえすればいい。例え皆に気持ち悪がられようと、そんなものはすぐに

消せる。説明するのは難しいだろうが、すぐに誰も気にしなくなるだろう。私はそれほど目立つ存在では

ない。

 それに例え、一生変な奴だと思われたとしても、その事で昇進出来ないとしても、誰から嫌われたとし

ても、そんなものはどうでも良くなっていた。

 動いて欲しい。動いて欲しい。私は一人ぼっちだ。独りで居る事にもう耐えられない。

 罵倒(ばとう)や蔑(さげす)みの言葉でさえ、その時の私にはありがたかった。

 寂しさと苦しさしか、考えられないようになっていたのだ。

 しかしそういう時期を過ぎると、吹っ切れたようになって、私はトイレの鏡に映った自分の姿を見、自

分を取り戻す事ができた。

 目はくぼみ、顔色は悪く、何よりも汚い。その見たくも無かった自分が、私を大きな恐怖から逸らして

くれたのかもしれない。

 私は会社を飛び出し、急いで自分の家に戻り、持っていた飲料水を使って髭を剃り、頭と顔、そして身

体を洗った。

 勿論水は足りない。そこで半裸のまま外に出、近くのコンビ二から必要な物を取り、財布を店員に投げ

つけて、急いで家へと戻った。

 無理矢理ドアを開けたので、ひょっとしたら壊れたかもしれないが、まあ、もうどうでもいい事だ。

 清潔になって一心地つけた私は、食べるだけ食べ、飲めるだけ飲んだ。

 持久戦だ。これは戦いなのだ。私と時間との、いつ終わるとも知れぬ戦いなのだ。

 そんな覚悟を、抱いた事もあった。

 落ち着いてくると、新たな不安が起こってくる。

 髪が伸びる、髭が伸びる、頬はくぼみ、目の下には大きな隈が。これはようするに、私の時間だけは変

わらず流れている、という事である。

 全てが止まっているのではなく、私だけが動いていたのだ。

 よくよく考えてみれば、だからこそお腹も減り、疲れも覚え、トイレにも行き、生きていられるのだろ

う。時間に取り残されたのは、私の方だった。

 私だけは永遠に老いていく。止まった時間の中で、私だけが老いていく。

 この時ほど愕然(がくぜん)とした事は無い。これは私に与えられた幸福ではなく、罰、牢獄だった。

 祝福などではない。これは呪いである。

 私は喉が張り裂けるほど大声を出し、全ての何かを呪ったが、勿論、それで何かが変わる事はなかった。

 喉だけが痛み、それがまた私を打ちのめした。

 どれだけの時間が流れたのだろう。私だけが汚れ、疲れ、そして老いていく。

 頭には白髪の方が目立つようになり、歯も無くなり、皮膚にはしわだけが残る。

 何年か、何十年か、いつまでも同じ時間の中で、私だけが死に向って進んでいる。

 そういえば、私は死ねるのだろうか。

 この止まった時のまま、私は死に、腐っていけるのだろうか。

 それとも老い続けながら、永遠の時を生きるのだろうか。

 生と死も時間であるなら、私は一体どうなるのだろう。

 もしかしたら、どうにもならないのかもしれない。私は今はそれが一番怖い。終わらない今、それは何

と言う恐ろしさなのか。

 誰も知らないまま、私も知らないまま、私だけの時間が流れていく。

 もしこの時が永遠に止まったままなら、他の人間はどうなるのだろう。ああ、そうか。どうにもならな

いのだ。彼らにとって、この止まった時間は、認識されない一瞬でしかないのだ。

 どれだけ止まっていようと、どれだけ私が老いようと、彼らは変わらずそのままそこに居る。生き続け

ている。

 そしていつか時が動き出せば、彼らはまるで今この時がなかったかのように、彼らの時間を当たり前に

過ごし始める。

 私がそうであったように。

 だが考えてみれば、時間が常に変わらず流れている、そう考える方がおかしいのではないか。

 自然は変化を繰り返し、時間は変化を産む。しかしその時間の流れ自体が不変であると、一体誰が言え

るだろう。証明できるのだろう。

 今までにも、私の知らない間に、誰かがこの牢獄に捕らわれ、人知れず朽ちてきたのかもしれない。

 誰にも知られないまま、誰にも知られる事無く、瞬時に消えるようにして、永遠の今の中で死んでいっ

た者達が、私の他にもいたのかもしれない。

 これこそが神隠しではないのか。神以外に一体誰がこんな事をできるというのだろう。

 私は抹殺されたのだ。神と時間に。

 永遠の時を得るという事は、永遠に独りで死に向かうという事だったのだ。

 一体私が何をしたというのだろう。私の生は、存在は、神と時間にとって罪だったのか。

 何度も叫んでみたが、未だに誰も答えてはくれない。

 後はまさに死ぬその時、私に対して新たな変化が生まれるかもしれないと、それだけを望んでいる。

 もしかしたら、永遠に死ねないのかもしれないが。

 それでもいい。存在などどうなってもいい。ただ、その理由を知りたい。

 私がこうなった理由を、誰か教えてくれ。

 何処かに誰かが居るのなら、答えてくれ、お願いだ。

 いよいよ私が潰えようとしている。死はすぐそこにある。

 幸いにも死ぬ事はできそうだ。今はそれをありがたく思う。

 終わりの前にこれを書いているのは、もしかしたら私と同じような体験をする人に、それを知らせる為

である。

 いや、違う。多分、私の何かを知らせたいのだろう。私が遭った事を誰かに知ってもらいたいのだ。

 これを読んで、私がどうなったかを知ったとして、次に同じ目に会う貴方には、何の助けにもならない。

 ただ絶望を与え、新たな疑問を呼び起こさせるのみかもしれない。

 でも覚えておいて欲しい。そうなったのは貴方だけではない。

 それは何の救いにもならないかもしれないが。

 あるいは私の死の瞬間に、何かが訪れるかもしれないと夢を見たが、それも無意味に終わりそうだ。

 消えた人間は、跡形(あとかた)無く消えていく。いつまでも見付からない。だからこそ神隠しと言わ

れる。

 多分、私が死しても、肉体が風化して全てが消えるまで、この罰は解けないのだろう。この世界から、

時間から、私という存在が完全に消えるまで、私は永遠に止まったままの時間を過ごす。

 神隠しの伝承はあっても、突如人間が死体に変わったという言い伝えは聞いた事が無い。

 目覚めた時は死んでいた、過労死という死に方を聞いた事があるが。その死体が不自然に老いていたと

いう報も、未だかつて聞いた事が無い。

 そう、多分、私は消えてしまうのだ。私が完全に消えるまで、これは終わりはしない。

 今ではそう確信している。

 それにもうどちらがどうでも無意味な事に気付いた。どちらにしろ、私は死ぬのだ。

 この文章が残るのか、それとも私と同じく消えてしまう、或いは消されてしまうかは解らないが。もし

これを読めた人が居たのなら、貴方は覚悟しておくといい。きっと、これを読めた事が、次は貴方である

という脅しなのだ。

 誰もそこからは逃れられない。次は貴方の番だ。

 きっとそうだ。きっと・・・・・・。

 でないと、でないと私は・・・・・・




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