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 豊かな森林と山水の湛えられた大地、その総称をアウスレシアと言う。

 この世界は椀に盛られた大海に大地が浮かべられたような姿をしており、理論的には視覚的に世界の果

てが見えるようになっている。その果てとなる物が一体何で構成されているのか、何をどうしてこのよう

な状態となっているのかは解らない。そしてこの世界の果ての向こう側の事も知られてはいない。

 それどころか、未だ人はその世界の果てさえ見た事が無かった。

 ただ大地が在り、大海が在り、そして頭上にはいつも天があるのみであった。

 そこに住む生命は、これを大いなる神の御技として定義するしか無く、今もそのように伝えられている。

その真の姿を知る事は、まだまだ先の時代になるようだ。だが不思議な事に、この世界が椀の上に盛られ

た大地である事だけは何故か知られており、その理論が当たり前に存在している。

 誰がそれを知らせたのかも解らない。気付いた時にはすでにそれが常識であったのだ。確認する技術は

未だ存在していないと言うのに、全ての民がその常識に妙な確信を持っている。

 現在では未だ航海技術がさほど発達しておらず、せいぜいいくつか浮かんでいる近しい大陸間を往来す

る程度が関の山であって、遠洋航海などは夢のまた夢。そしてその船も近海ですら当たり前のように良く

沈んだ。

 故に、未だ世界の果てと呼ばれる境界にすら達した者はおらず、その現実の姿は知られていない。

 人はその果てを夢想し、常識を信じつつも確認する術も無く、その常識にまつわる数多の説を生み出し

ている状態でしかなく。その果ては神の住まう地と呼ばれている。


 アウスレシアに存在する大陸の一つに、レムーヴァと呼ばれる大陸がある。

 最北に位置し、密林と不可思議な生物達の楽園であり、未だ人の手がほとんど介入されていない。所謂

未開の地であり、俗に暗黒大陸とも呼ばれていた。

 未開の地には常に危険と夢とが付き纏う。冒険者の類が引切り無しに訪れ、そして人知れず消え去って

いく、そんな場所でもある。

 今そんな場所へ向う船が1艘(そう)あった。しかも無謀とも思える程に朽ちた、小さな帆船である。

 馬鹿としか思えない。

 ただでさえ航海技術も造船技術も発達しておらず、最上の船でさえ息も絶え絶えにようやく近大陸まで

辿り着けるかどうかと言う具合なのだ。

 このような小船では、せいぜい浜辺から視界が届く範囲まで行ければ良いくらいなものであろう。そん

な船で未開の大陸へ向っている。もう馬鹿以外に言い様が無い。少なくとも正気とは思えない。

 現にこの小船に乗る者達は所謂常識人では無かった。

 まず船長からして海賊であり、船員は手下二人と言う有様。

 船客は一人、しかも一倍胡散臭い事に魔術師である。

 このアウスレシアには24の神々が住まい、その神聖なる名「ルーン」によって魔術と呼ばれる超自然

の力を生み出している。そしてその力に長けた者を一般に魔術師と呼ぶ。

 彼らは失われた25番目のルーン、究極と全てを司る神、を復活させる事を至上の目的とし、日々ルー

ンを研究している。この失われしルーンをブランクルーンと言った。

 その力は矛盾を正当に変え、あらゆる相反するモノを司り、運命や全ての可能性まで支配する力とされる。

 その例をあげれば、不老不死が最も解りやすいだろうか。

 本来生する者は必ず死を迎え、それが道理であるのだが。しかしこのブランクルーンはその絶対的なル

ールですら超越する事が出来る。即ち死を越えて、老いる事すら越えて、生も死も無く、神の如く在る存

在にすらなれる(と考えられている)。その為、才能ある魔術師を後援する者も古来後を経たなかった。

 しかしその事業はとても個人の力では及ばない、途方も無いものであり。その全ての研究は失敗に終っ

てきた。何しろ個人でやるには如何なる天才であっても、とても時間が足りない。

 ブランクルーンを甦らせる事は即ち究極を生み出す事、それは他の24のルーンを一つへと昇華させる

事であるのだが。そのルーン一つを解明するのですら、不世出の天才で数百年はかかると言われている事

からも、その困難さは解るだろうと思う。

 現在では24の神々を祭る無数の神殿の中から、最も正統(つまりは勢力が強い)な24の神殿が神々

毎に一つ選ばれ、各国の援助の下にルーンの研究を統括している。そう言う機関を作る事によって知識を

積み重ね、そしていずれは究極へ辿り着こうと言う人間の足掻きだと言えるだろう。

 更にはその神々を祭り、そのルーンの力を引き出す事は非常に有益であると言う事もあった。

 その為の組織として神殿を選んだのは、当時最も研究が進み、そして組織的な唯一の魔術師機関だった

からに他ならない。

 結果、今では神殿は宗教機関だけで無く魔術学校と言う意味合いも強くなっている。いや他に適当な機

関が無かったから、この24の神殿に魔術師育成までをついでに押し付けたと言った方が良いだろうか。

 勿論今の24神殿に落ち着くまでは紆余曲折あったであろうが、現在は何とか形にはなっている。

 この24神殿から認定された魔術師は神官と呼ばれる。つまりは神官が魔術師としては正統となり、魔

術の権威の証でもあった。

 だが当然神殿に属さない魔術師(偏屈者等の変わり者、単に神殿に入れる程の才は無かった者)も居る。

この者達はそのまま慣例通り魔術師と呼ばれるしか無く、その為今では魔術師と言う響きにはとても胡散

臭いモノが漂う事となってしまっていた。

 つまりはこの小船は何処からどうみても胡散臭く、何やら得体の知れない存在としか見えない。

 だが不思議な事に、この唯一人の乗船客である魔術師は、神殿から正式に派遣された者であったのである。



 海原は幸いに穏やかで、船体も悲鳴を上げ続けていたが、それにもすでに慣れていた。

「旦那、あんたも何か手伝って下さいよ」

 などとこの魔術師は船長に言われる事も無い。如何に海賊とは言え、魔術師の力の程は知っている。そ

れが例え神殿に入れないような下級魔術師だとしても、魔術を使えると言う事自体がすでに凡人を越えて

いるのだから。

 魔術と言うのは24ルーン、神の不解言語からその神の力を引き出し、そしてそれを人間の言葉である

解言語に置き換える事で発動する。魔術師の質の高さとは、即ちその神の力を操れる許容量の大きさを言

うのだが。どれほど下位の魔術師であれ、二つのルーンを操る事くらいは出来る。

 本来人間は誰でも一つのルーンを操る力あるのだが。しかし一つのルーンでは超常的な力とはならない。

何故ならば、一つのルーンとは自然そのままの力であるからだ。それは自然を越える事にはならず、その

力も弱い為に、この世界では魔術とは呼ばれない。

 その一つの自然の力に、もう一つの別の力を加える事で初めてそれは超常的な魔術へと変わる。

 例えば火のルーンであるケンに大地のルーンであるゲルを加えると、そこで初めて単なる自然の火でし

かなかったモノが、マグマのような火柱となって地中から噴出すと言う具合になる。

 これに更に力のルーンであるウルを加えればその火勢は激しくなり、氷のルーンであるイスの静止の力

を加えればその場に火柱が上がり続けるだろう。

 ルーンには複数の意味があり、その中の一つを上手く取り出して、尚且つ制御するのには専門的な知識

と長い修練が必要となる。

 更にはルーンの制御に失敗すると、行き場を失った神の力が爆発し、現世に氾濫してしまうと言うその

力相応のデメリットもあった。現にこれによって砂漠化したり、常に乱気流が吹き荒れると言った変常を

きたした場所もアウスレシアには数多く存在している。

 暴走したルーンを解放し、本来在る自然の姿に戻すには当然それ以上の力が必要であり、ルーンの力は

人間にとって脅威以外の何者でもない。何しろルーンとは神の力なのだから、それも当然と言えるだろう。

 こういう恐るべき力であるから、魔術を使いたいのであれば通常各地の神殿でその方法を長い年月をか

けて学ぶ。そしてその力を多用しようなどとは思わない。それなのにそんな危なっかしい力を独学のみで

使用しようとする魔術師を、正気の者が恐れぬはずは無い。

 そしてなるべくはそんな危険極まりない存在には関わりたくは無いだろう。

 だからこの魔術師が散々探して、ようやく海賊を無理矢理説き付けて出航にこぎ付けたのだとしても。

そしてその海賊が大人しく従っているのにも、誰も疑問を持たないと思われる。

 何故神殿がわざわざ魔術師などに頼んだのかも、軽々と魔術師に問う事も出来ない。

 まあ、おそらくは厄介な仕事だからその辺の魔術師をおだて上げ、金と女でもあてがって任務を押し付

けたのであろうくらいは想像出来るのだが。不思議な事に、この魔術師は物腰も丁寧で品もあり、神官の

制服でも着ていれば誰もそれを疑わない程に静かで大人しい。貴族の子弟と言っても差し支えない程なの

だ。まったくもって訳が解らない。

 それはこの魔術師があまりにも馬鹿丁寧で、もしかしたら海賊も知らないくらいに世間知らずなのでは

ないかとくらいに、この海賊の親分でもある船長ですらぼんやりとそう思った程であった。

 彼がこの魔術師を乗せて、こんな馬鹿げた航海をしようと決したのも。この魔術師が恐かったからより

も、むしろ自分が世話をしてやらないとどうしようもないと、そんな風に思ったからである。

「魔術師は変人ばかりだそうだが、まったくその通りだ・・・」

 船長の見る先で、その魔術師は飽く事も無くじっと一つ所に座り、ようやく見えてきたレムーヴァの影

を静かな眼差しで眺めている。

 船長の呟き通り、誰がどう見ても変人でしか無かった(しかもやたら気品のある)。

 船は揺れながら進むが、魔術師はまったく意に介した様子は無かった。




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