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 魔術師らしい男が、一人道ならぬ道を歩いている。

 所謂獣道と言う奴だろうか。草木が折れ、細く長く森の通路のようになっている道である。一面の草木

は瑞々しく、雨が降った訳でも無いのに歩くたびに服が湿るようだった。

 しかしその男はまるで気にした風も無く、無言で進んで行く。

 足取りは確かで、目的地がよほどはっきりしているのだろうか。歩速は弛む事無く、また迷いも無い。

 だが突然立ち止まり、意外にもこんな事を言い出した。

「地図くらい買ってくれば良かったかな・・・。まるで解らない」

 そして何の前触れも無く、崩れるように地面にどっかと腰をおろし、今更腕組みをして考え込みだしたの

である。だがまったくその表情からは困っているようには思えない。

 根拠の無い自信なのか、それとも本当は何か他に当てがあるのだろうか。客観的に見ればどうだろう。お

そらく10人中8人は後者であると思うだろう。何故ならば悲観的な要素が微塵も見られないからだ。

 しかし本当に他に当てがあるなら、誰も初めから悩みはしない。

 つまりはまったく彼に当ては無かった。

「ケン・ダエグ・ラド・・・・灯火よ、暗闇を照らし、続けよ」

 不可思議な火球が出現し、男の周囲を旋回しながら森を照らす。今更ながら、この男は周囲が薄暗くなっ

てきている事に気が付いたのだろう。

「取り合えず、寝るかな」

 魔術を行使して疲れたのか、男はそのままその場に横になった。

 そして相変わらず深刻さは微塵も感じられない。

 この火球が獣避けにもなってくれるだろう。ただ寝る分には問題は無かった。夜に森を彷徨う危険を考え

れば、これも妥当な意見であるとは言えた。もっとも、著しく場違いな意見とも言えたのだが。


 一夜明け、男は再び歩いている。火球もそのままである。輪のルーン、ラド、の継続の力を用いている為

に自然に消える事はまず無い。

 まるで炎に包まれた蛍が周囲を飛び回っているようで、真に邪魔くさく見えるのだが、当の本人はまった

くそれが気にならないようだ。どうも常人とは何処か考え方の基本部分が違うらしい。これこそが正しく変

人の条件であると言えるだろう。

「しかし本当にどうすれば良いのだろうか。このレムーヴァを調査しろと、そんな大雑把に言われても困っ

てしまう」

 男が呟きながら懐を探り、紙片を取り出した。そして何事かを確かめるようにそれを開く。開いた紙片には。

「魔術師クワイエル、汝に未開大陸レムーヴァの調査を命じる」

 とだけ書かれており。末尾には神殿の正規書類の証である印が押されていた。

 これは通常考えれば単なる左遷であり、つまりは一生この未開大陸から出てくるなと、そう言う事になる。

だがこのクワイエルと言う魔術師はあくまで単なる魔術師であって、わざわざ呼び寄せて左遷するまでも無

いはずなのに。これは一体どう言う事だろうか。

 もしかすれば他に重大な任務でも言い付けられているのかも知れない。

「確か、ギルギスト港で誰々に会えとか何だとか言ってたような・・。仕事内容は全て書類に書いてもらわ

ないと困る」

 男は自分が覚えていない事を棚に上げ、神殿に対して憤慨していた。まあこの男の言う事も一理ある。神

殿はどうも責任を被らない為に、大雑把と言うか抽象的な表現をする事が多く。細かな内容は口頭で済ませ

る事を当然としている。

 いつからこういう風になったのかは知らないが、依頼された側はたまらなく。そして抽象的であるが為に、

移動手段などの手配にも疎漏である事が多い。困った物と言えば、真に困った物であるだろう。

 ギルギスト港とはこの未開の大陸に唯一作られた人の町で(知らないだけで他にも在る可能性も多分にあ

るが)、本来ならばクワイエルもそこに着くはずであった。

 しかしどういう行き違いか、このレムーヴァに来るはずの船が手配されておらず。ようやく付近の漁師(ほ

んとは海賊)を説き伏せてこの大陸までやってきたのだが。本来彼らには海を縦断する事も横断する事も出

来るはずはなく、何とか運良く陸地に来れたものの、何処に着いたのかも解らないような場所であった。

 であるから、彼が例え用意周到に地図やコンパスを用意して来ていたとしても、おそらくはまったく役に

立たなかったであろう。勿論、無いよりはマシであったとは思うが。

 ようするに彼は今必然の如く迷っている。結論とすれば運が悪かったとか言いようが無い。

「さてどうしたものだろうか」

 クワイエルの思考は彼を旋回する火球の如く、一つ所に決する事は永遠に無いように思えた。

「取り合えず、進もう」

 どちらにしてもこの何処へ続くか、或いは何処へも続いていない獣道を、ただ黙って進むしか無い。 


 どれだけ進んだのか。そう考える以前に疲れが身体を支配し始めた頃、クワイエルは小さな湖に辿り着い

た。小さいと言っても対岸までは50mはあり、並々と水が張っている。おそらく動物達が水飲み場として

使っているのだろう。足跡らしき物もそこかしこに見受けられた。

「さて、どうしようか・・」

 水源が確保出来たのは嬉しいと言えば嬉しいのだが。だからと言って何が解決した訳では無く、依然迷い

に迷っている事に違いは無い。

 身体を旋回する火球が虚しく音を立てている。

 クワイエルは取り合えず湖の水で喉を潤し、改めて道を探した。

 見れば道は無数にある。ここが動物達の生活の上で一つの重要な拠点となっているらしく、獣道らしいも

のは驚くほどたくさんあったのだ。幾筋も幾筋も。

 この中からギルギストへの道を運良く引き当てる可能性など、まったく零に等しい。何しろどの方角に目

的地があるかどうかすら解らない、正真正銘の迷子なのだ。もう本当にどうしようも無かった。

「知っている場所ならば、まだ魔術で探しようもあるのだが」

 本来神の力であるルーン魔術は万能だが。しかしそれは神が使ってこその事であり、人間が使うには当然

限界と制約が生まれる。更にルーン魔術自体を人間は未だ完全に理解してはいないのだ。

 魔術師、魔術師と言われていても、その力は実はルーンの初歩の初歩まででしかない。いずれは完全な力、

即ちブランクルーンまでもその手に出来るのかも知れないが、それには永劫の時を要すると思われる。

「マン・ウィン・ラグ・・・・我を・幸運へ・導け」

 心の中でギルギストへの道をイメージする。現実に知らなくても構わない。ただそれを心に念じれば、術

者の力相応の結果が生み出される。抽象的なイメージでは明確な結果を生み難いのだが、それでも生み出す

力が大きければ大きい程、また術者の精神が研ぎ澄まされれば研ぎ澄まされる程、良い結果が生まれる。魔

術はエネルギーそのものであり、エネルギーと言う無意識な存在は決して嘘は付かない。

 そして瞬時に現出した魔術の光が一点を差した。クワイエルの力がその願いを叶えるに足るモノであれば、

魔術はそれに応えてくれているだろう。

「あそこか。よし行ってみよう」

 クワイエルは水筒に湖の水を満たし、光が差した方角にある道へと再び進み始めた。

 その歩調は自信に満ち、澱みを知らないように思える。ただ何も考えていないだけと言う可能性も否定は

出来なかったのだが。


 ギルギスト港は風光明媚な地でも、活気溢れる場所でも無い。

 近年ようやく町らしき姿になったものの。それまでは小さな小屋が2、3件建ち並んでいるに過ぎない集

落でしかなかった。

 何しろこのレムーヴァの在る場所が場所であり、気候はうだるように暑く。更に密林のせいで視界も悪く、

また凶暴な動植物を目撃した例が後を絶たない。

 一攫千金を夢見る冒険者も後を絶たないのだが、その大半はいずこかで死体となるか、すでに猛獣の腹の

中かと言った所だろう。現にこの港から出て、無事帰って来る者は総数の五分の一にも満たないのだから、

その過酷さは解ると思う。

 レムーヴァと言う大陸は人の介入を望んでいないのだ。

 しかし人間と言うモノの好奇心はそのような大陸の気持ちなどは尊重しない。

 それどころか数年をかけて、開発拠点となるこの港を形だけでも完成させてしまった。偉大なる熱意と言

うよりは、最早狂気と言って良いだろう。

 俗に、好奇心猫を殺す、と言う諺(ことわざ)がある。つまりは余計な事に首を突っ込んでると、あんた

ろくな目には合わないよ、と言う事なのだが。それを実際に何度も目にしていても収まる事を知らず。それ

どころか益々奮うのが好奇心と言う厄介な魔物であるらしい。

 クワイエルはあれから散々歩き、ようやくこの港まで辿り着く事が出来た。そしてこれにより、彼の魔術

が相当なものであると言う事も判明した。

 まあ、行使した魔術通り、単に運が良いだけの男である可能性もあったのだが。しかし三つのルーンを当

たり前のように使える事だけでも、かなりの力量であると伺える。まあそれさえも、運が良いだけと言えば、

それで全てが補える問題でもある。

 最下級の魔術師でも、気が利いた者ならば何とか三つのルーンを同時に使えるのだ。

 ようするに未だ良く解らない魔術師であった。このクワイエルと言う男は。




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