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 ギルギスト港はさほど広く無い。

 しかしそれは一国の主要な都市を考えた場合の事であり、更にここの人口はその大きさに反比例して酷

く多い。つまりは活気と言うか人の群れで溢れ返る有様となっていて、そこから顔も名前もろくに知らな

いような相手を探そうなどとは、もうキチガイであると言うしか無かった。

 そして当然このクワイエルと言う魔術師は尋ね人が誰かと言う事を記憶してはいなかった(記憶される

程、詳しい話しを聞いていない)。

 そうなればともかく神殿と関わりがありそうな場所と人物を、文字通り虱潰しに当たっていくしか無い。

 幸いにも、この港にも小さいが神殿が一つだけあった。神殿の依頼に関して聞くとなれば、やはり神殿

以外には無いだろう。

 その一つだけある神殿とは、人(心とも言い換えられる)を現すルーン、マン、の神殿である。

 マンには神の加護を受けず、運命を自ら切り開くと言う教義があるから、この未開の大陸に住まうに相

応しいのかも知れない。

 そしてそれは神殿の冒険者達への協力などは夢にも思うな、と言う意思表示でもあった。この神殿が唯

一自主的にやってくれるとすれば、運良く生き延びた者を埋葬してやる事くらいであろう。

 だが勿論彼らとて頼られればまったく手を貸さないと言う訳では無い。この大陸はどの国の国土でも無

いから今は便宜的に神殿が管理する事になっており、その一切の手続きをやってくれていて、この神殿が

いるからこそ定期的に物資も運送されてくるのだ。

 他に開拓に協力してくれる者がいれば援助もしているし。何よりこの神殿が無ければ、この港町は無法

地帯となってしまう。特に商いをしている者から見れば、真にありがたい存在である。

 クワイエルの受けた依頼は正確に言えばこのマン神殿から受けたものでは無いのだが(勿論そう言う微

細な事はまったくクワイエルには知らされない)、一応全ての神殿は同盟のような関係を結び、諸事協力

すると言う事になっているから、おそらく何事か収穫はあるだろう。

 例えそこに目的の人物がいなかったとしても、協力はしてくれるに違いない。神殿は神官と言う特殊な

者達が寄り添うように運営している為、自然身内意識も強くなっている。

 勿論、盟主たる24の所謂大神殿はプライドと閥意識が高く別モノと言えるだろうが、この港にあるよ

うに出来たてで小規模な神殿は格式が低い代わりに親しみ易い。それでなくても他ならぬ神殿からの依頼

とあれば、協力は惜しまないだろう。

 マンルーンは自己や自我を象徴するが、自己反省や謙遜と言う意味もあり、その荒々しい教義に反して

実は物柔らかい。ようするに真に自分を大切にする者ほど、他者も大切にすると言う事なのだろう。それ

は或いは人類愛と言い代えても良いのかも知れない。

 ともかくもレムーヴァにはこのマン神殿が一つしかない。探すのにはさほど苦労しなかった。

 神殿の扉は昼間なら大抵は開け広げられており、万人誰彼構わず入る事が出来る。

「マン神殿へようこそ。貴方にルーンの導きがあらん事を」

 どの神殿でもこのような挨拶が一般に使われている。魔力の高い者が言えば、多少の加護もあった。

「さて、ご用は何でしょうかな」

 応対してくれたのは白髪混じりだが精悍な顔つきをした男で、おそらく老齢に近いのだろうが精神には

まるで老いは見えず、生き生きとした表情をしていた。対応も素早く、形式ばった神殿とは思えない軽快

さである。

 この歳で未開の大陸に行こうなどとはよほどの覚悟か使命感からであろうし、その仕事の多忙さからも

自然にこういう具合になっていったのかも知れない。新天地の開拓に求められるのは、何者も侵し難い情

熱と無駄を省く合理性であるだろう。

「ああ、あの依頼の件で来られましたか。貴方も物好きなお方のようですな・・・」

 しかしクワイエルが事情を説明すると、この神官は一転して酷く気の毒そうな顔を浮かべた。

 それを見て、どうやら自分は大変な事を受けてしまっているらしいと、馬鹿な話しだがクワイエルは他

人事のように始めてそう思った。今までよほど神経が麻痺していたのだろうか、それとも常日頃から間が

抜けているのだろうか。

「ともかく、そう言う事でしたら我々も協力を惜しみません。神殿が指定した人物にも心当たりがござい

ますから、早速お連れ致しましょう」

 よほど同情してくれたのか、自ら案内までしてくれるらしい。これは破格の待遇と言える。

 だがそれを受ける当の本人はと言えば。

「ははあ、どうやら会えと言われた人はこの人では無かったらしい」

 などと、またしても何処かずれた考えをぼーっと脳裏にめぐらせていたのだった。

 そうして詳しい説明も無いまま(神官の方は無言を了解と受け取ったらしい)、クワイエルは手を引か

れるようにして神殿を出たのである。



 案内された先は港に近いまだ自然の多く残された場所であった。

 この港の開拓も実は未だに計画の半分も進んでおらず、そこかしこに未開地のままの姿が見える。或い

は将来公園のような施設にしようと、わざと自然のままに残している区画もあるかも知れないが、明らか

に不自然な場所も多い。

 なのでこの近辺にまで猛獣が出現したと言う話しが出るのも、この港では少なく無かった。

 レムーヴァと言う大陸は、まだまだ拓けるのに途方も無い時間を必要とするのだろう。この港だけでも

後何年かかるのか解らない。防壁だけでも早めに造りたいものだが、なかなかそれも難しい。

 名利を求める冒険者だけでは、まだまだ人手が足らないのだ。それに資金繰りも思わしくない

 どの国家も神殿も、この大陸の開発に本腰を入れるような余力は無いに等しく、それもまたこの大陸を

未開とする原因である。この大陸からしてみれば、ありがたい事かも知れないが。

 ともかくクワイエルが連れて来られたのは、そのような町と森の境界の地に建てられた中規模の建物で

あった。中規模と言っても、この港を考えればよほど大きいと言える。何せ現在最も権力ある神殿でさえ、

他の神殿と比べればまるで犬小屋のような規模なのだから。

「豪商か、名立たるお方なのでしょうか?」

「うーん、そうですね。私もどう言ったら良いか・・・、ともかく会っていただければ解ると思います」

 気になって神官に聞いてみたが、どうも要領を得ない。

 こういう新開発の土地にはその手の分類し難い存在も多くなるから、この港にそう言う存在がいても、

何ら不自然では無いだろう。そしてそう言う人物と神殿が手を組むと言う事も、この大陸では自然である

とも言える。とにかく力ある存在が必要なのだ。

 神官は大手のドアの前に立ち、軽くそのドアをノックした。

 あの木独特の軽快なリズムが辺りに響く。この界隈はまだ静かな為に、尚更良く響いた。

「おや、神官長様ではありませんか。わざわざどういった御用でしょうか。ともかくお入り下さい」

 その住居から出てきた男は自身も驚きながら、他者が聞いても充分に驚くべき事を言った。

 神官長、つまりは神殿の代表者の事である。

 神官と言うのは神殿で学んだ正規の魔術師の称号だと言う事はすでに記した。そして神殿内で一番実力、

人望ともに秀でた者が神官長の位に就く。他には大神殿の長、つまりは全ての同ルーンを司る神官の長で

ある大神官と、神官には三つの位階しか無いから、その管轄土地内での権威は相当なものであると思って

もらって構わない。

 神官も他の組織と同じく、組織内の役職において神殿内での優劣が決まる訳だが。神官長は一人しかお

らず、当然その神殿で一番上位の役職を与えられる。つまりはこの神官長は現在レムーヴァにおいての最

高権力者であるとも言えた。

 そんな人間が一介の魔術師の案内人になるなどと、この港の現在を象徴しているとも言えるが、それで

も通常考えて在り得ない話しであろう。

「いえいえ、今日は私では無く、このお方の方に御用がおありになるのです。はい、そうです、例の件に

よって派遣された方でございます。ですから私からも、どうかくれぐれもよろしくお願い致します。それ

ではすみませんが、私はこれにて失礼を」

 神官長は何やら暫し男と話しこんだ後、クワイエルと男に別れを告げて、忙しなくその場を辞して行った。

多忙である神官長とすれば、ここまでが親切心の限界なのであろう。

「ささ、こちらへお入り下さい」

 相変わらず状況が掴みかねるクワイエルを察したのか、男は屋内へと迎え入れてくれた。クワイエルの

方も素直にそれに従う。

 室内には豪奢な調度品などは無かったが、それでも多少の観賞用の品々が置かれ、それだけでもこの男

の富豪ぶりが伺えた。そしてこの大陸で調度品などと言う、はっきり言ってそんな無駄な物をわざわざ買

い入れると言う行為を見れば、この男の豪胆ぶりも良く解る。

 そしてそれが出来ると言う事は、おそらく私的船団くらいは持っているのでは無かろうか。

 白髪の目立つ紳士的な風貌に上品な髭をたっぷりと蓄えたその姿は、さながら海軍将校か海洋貿易の冒

険商人と言った風体であった。

「さて、神殿からはどれほど聞かれておられますかな」

「貴方に会えとだけ、それだけ伝えられました」

「なんと、それだけでこんな所まで・・・なんとまあ・・」

 流石の老練の男もこれには驚かされたらしい。レムーヴァへ行け、その一言だけでこんな北の果てまで

来るとは、はっきり言って正気があるかすら疑わしい。

 しかしこの男の言い様はなんと清々しいのだろうか。こうさっぱりとこんな馬鹿らしい事が言えるのは、

それだけで尋常な人物でないとも言える。白髪男はクワイエルのその肝の太さに感服した。つまりは全て

良い方にとってくれたのである。

 だが当のクワイエルと言えば、別に何も考えてはいなかった。ただ事実をありのままに述べただけであ

る。それでも好意を持たれてしまうのは、彼の人徳と言うものなのだろうか。或いは先ほどの幸運の魔術

が、まだこのクワイエルに力を貸していてくれているのかも知れない。

 そう考えれば、神殿でも偶然神官長に出会い、それに案内された事も納得もいく。更に言えば、わざわ

ざ神官長が案内する程の人物だと言う先入観があったからこそ、この白髪の老紳士もクワイエルの言動を

良い方にとってくれたのだろう。

 このクワイエルと言う魔術師は、所謂運の良い男と言う奴なのかも知れない。幸運は時に全てを凌駕し、

超越する。   




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