18-2.

 残念ながら白影というような存在は現れなかった。

 むしろそれは黒かった。影人ほどではなくても、明らかに周囲より黒い。いや、黒いというよりは暗いのか。何

となく光が足りていないような気がする。

 光を失う病気があったとすれば、おそらくその患者はこういう状態になるのだろう。

 それは独りで座っていた。

 ここは以前クワイエル達が通った場所だから、クワイエルが去った後で移動してきたのだろう。話をする為にわ

ざわざきてくれたのか。それとも影人達が近くまで来て、白地帯まで元に戻されてしまったから慌ててやってきた

のか。

 その意図は解らないが、薄暗い黒が何となくこちらを見ているのは解る。

 それには目も口もおよそ人にある器官というものが備わっていないのだが、こちらを見ている事は魔力によって

感じ取れる。

 形も人型ではない。不定形というのか、その辺りを薄黒だまりが漂っているような感じで、捉え所が無い。

 ただそこに存在しているのは解るし、何となく座っているような印象を受けるのも確かだ。それはクワイエル達

の魔力が上がっているからかもしれないし、単純にそういう読み取り方に慣れてきたという事なのかもしれない。

 クワイエル達は全てを魔力を通して感じ取るという感覚を完全に習得しつつある。

 その上、影人達が黒化術を施してくれた時、クワイエル達の魔力は上昇した。その理由は解らないが。もしかし

たら白化と黒化がぶつかって互いに打ち消し合ったのではなく、純粋な魔力に戻されたのかもしれない。そしてそ

れを彼らは吸収した。

 つまり栄養補給をしたと考えれば何となく理解できる。

 勿論、影人達の魔力と比較すれば、その魔力強化量は誤差のような微々たるものに過ぎないのだが。

「・・・・・・・・」

 薄黒とクワイエル達はしばらくの間無言で見つめ合っていたが、しばらくするとクワイエルの方から前へ出た。

「あのう、もうしもうし」

 その声に応じ、薄黒はゆらゆらと揺れながら、ゆっくりと立ち上がった、ような気がした。

「もしかしたら、我々に何かご用でもあるのではないでしょうか」

 クワイエルが続ける。

 しかし薄黒の方はそれ以上行動を起こすでもなく、その場にゆらゆらと存在しているだけで、まるで風のようだった。

 そのまま揺れて、揺れ続ける。

 そこでクワイエルははたと気が付いた。

 これが薄黒の会話の方法なのかもしれない。このゆらゆらで彼らは意思疎通をして、共に生活をしているのかも

しれない、と。

「・・・・・・・・・・」

 クワイエルは真似して静かにゆらゆらと揺れ始めた。どうゆれれば正解なのかは解らないから、とにかく薄黒の

ゆれを真似したつもりだが、もしかしたら酷い誤解を与えてしまったかもしれない。

 でも他に方法が無いので、とにかく相手を真似てゆれ続ける。

 ゆらゆら、揺れる。

「・・・・・・いや、それ違うぞ」

 そんな事を数分繰り返していると、突然薄黒の方から声が聞こえてきた。思念を直接飛ばしているのではなく、

クワイエルそっくりの声で伝えてきた。

 皆その事に対して驚いているが、クワイエルだけはいつもの表情でゆっくりと頷く。多分、自分の声だと解って

いないのだろう。自分の声は他人が聞くものと自分が聞くものとではかなり違って聞こえるものだ。

 そっちはそれで良いとして、わざわざ音声にして伝えてきてくれた事の方に驚いても良さそうなものだが、そう

そう都合良くいかないのがクワイエルという男である。

「それは失礼しました。私はクワイエル、そういう名を持っています」

 そのまま彼は自分達が何者で何の目的でここに来たのかということをざっと説明した。何度も何度もしてきた事

なので、するするとよどみなく伝える事ができる。この点だけは褒められても良いのかもしれない。

 いや、そういう油断が失敗を招くのか。

「そんな事はいい。まずはこちらの話を聞け」

 しかしそんな数少ない利点もあっさりと無視され、薄黒はするすると話し始めた。

「まずは白地帯を浄化してくれた事に感謝する。私は元々もっと南で仲間達と共に暮らしていたのだが、理由あっ

て分かれる事になり、北の方へ移住する事になった。しかし私はそんな事は嫌だった。北へ行くのだけは嫌だった。

だがあいつはそれを許さず、南へ戻る土地を白くして通れなくしてしまったのだよ。北へ行くのは嫌だが、白くな

るのはもっと嫌だから、これは効果がある。本当にあいつは嫌な奴なのだ。けれどお前達が浄化してくれたおかげ

でここまでくる事ができるようになった。深く礼を言う」

「では、あなたは南へ戻られるのですか」

「いや、お前達も南からきたのであれば、私の同族にあっているだろう。その者達と私の姿は違うはずだ。もう私

はあいつらとは違う。違ってしまった。こうなる事が解っていたから、私は北へ行くのは嫌だったのだが、こうな

ってはしかたがない。起ってしまったことはもう誰にも戻せぬ。私はここで暮らすしかないだろう」

「・・・・なるほど、それはご苦労されましたね」

 あの白地帯は薄黒となってしまった影人達をこちらへ閉じ込める為の結界、いや姿が変わるまでの時間稼ぎをす

る為の結界だったと言うことだろうか。

 何となく事情は解ってきたが、依然として疑問は多く、何も解決していない。

 もっと話を聞かせてもらう必要があるだろう。

「では、あなたはこれからどうされるのですか」

「私はここに居る。戻れないとしても北へ行くよりはましだ。私はもう北へは一歩も近付きたくない。嫌なのだ」

「北にはあなたの仲間がおられるのではないですか」

「あれが仲間なものか! あれこそ敵、私の永遠の敵だ! お前達もこの先に行くようなら気をつけるといい。い

や、もう遅いかもしれんがな」

「・・・・わかりました。ありがとうございます」

 それからもクワイエルは色んな話を聞こうと頑張ったのだが、薄黒が何を言っているのか半分も理解できなかっ

た。考え方の上で根本的な部分が違い、それがずれとなって理解を拒むのだろう。

 そういう事は今までにも数多く経験してきた。結局、本当の意味で解り合う事は無理なのだ。長い長い時間を要

したとしても、根本にあるずれを解消する手段は無いのかもしれない。

 だから今回も諦め、お礼を言って先へ進む事にした。これも今までと同じ、行ってみれば解るのだ。

 薄黒が言った、もう遅いのかもしれんがな、という言葉が気になるが。もう遅いのであれば、今更戻ってもしか

たない。むしろ開き直るのに都合良かった。

 クワイエル達は警戒を強めつつ、北上を再開したのだった。



 一度踏破した地点を越え、更に五日ほど歩いた頃、周囲の全てが薄暗くなっていくのがはっきりと感じ取れてきた。

 色の種類に違いはなく、影の具合も変わらないのに、少しずつ全てが暗くなる。まるでこの世界からその存在を薄

めていくかのように少しずつ暗くなっていく。

 それに伴(ともな)い、クワイエル達の体にも変化が起こり始めた、と思いきや、全く変わらなかった。だから

彼らの存在は周りから浮き出るかのように余計に目立ち、この場所に益々不似合いにな姿になっていった。

 何とかしたいが、どうにもならない。一度は薄くなーれ、薄くなーれと真剣に念じてもみたのだが、暗さの方は

全く取り合ってくれなかった。

 もしかしたら白化を解いた時に彼らの魔術全般に対する耐性のようなものが付いてしまい、そのせいでクワイエ

ル達だけが変わらないのかもしれない。

 そうだとしたら嬉しい誤算とも言えるが、それが良い方に転がっているかは微妙な所だ。

 ここに居る薄黒達がわざわざ自分達を暗くしているのだとすれば、そうならない事自体が悪と見なされる可能性

もあるし、何よりひどく目立って落ち着かない。

 クワイエル達は再び進むかどうか迷ったが、ここまできて立ち止まってもしかたない。とにかく限界まで進んで

みる事に決めた。

 一日、また一日と進む度、周囲との濃淡の差が目に見えて増していく。周囲はより薄く、クワイエル達はよりく

っきりと浮かび上がる。

 これは誰が見ても異様であり、気持ち悪く思えた。薄黒達に不快感をもたらしたとしても不思議ではない。

 このまま行く事は薄黒達にケンカを売って歩くのと同じなのではないだろうか。

 不安は大きくなっていく一方だが、せっかくここまできたのだし、そもそもその不安が当たっている理由も無い。

薄黒達から何の反応も無いのは、彼らを受け容れた証拠と受け取る事もできる。つまりいつも通りどうなっている

のか、どうなっていくのかさっぱり解らない。

 そんな時、クワイエルがどうするかは決まっている。

 前へ進むのだ。開き直って、遠慮する所かむしろ胸を張って進むのだ。俺達を見ろ、ほらここに居るぞ、さっさ

と出てきてくれ、というように。

 けれどそんな想いも虚しく、薄黒達は一人として出てきてくれなかった。

 彼らが元は影人だったとすればすぐにでも現れておかしくないのに、不自然なまでにその様子がない。これは薄

黒となった事で、彼らの考え方そのものまで変わってしまった事を意味しているのか。

 それとも他に大きな理由でもあるのだろうか。

 解らないが、こうなればどこまでも突き進むしかない。

 クワイエル達は堂々と進軍を続けた。



 もう周囲を区別するさえできなくなっている。全てはぼんやりと暗く、その暗さに違いもない。単純に彼らと彼

ら以外を分けられるだけで、世界から外された孤独感だけがわき上がってくる。

 クワイエル達の存在そのものが明かり代わりになるので自分達を見失う事はないが、方向や方角といったものが

何一つ読み取れないのは恐怖でしかない。

 絶望に空を仰いでも、そこにも何一つ読み取れるものは無い。全ての存在そのものが暗く、空気すら暗く、その

向こうを透かす事も捉える事もできないのである。

 それでも堂々と進んでいるのはさすがだが、その歩調にも隠せない迷いというものが浮き出ていた。

「このまま進むべきか、引き返すべきか」

 そんな言葉が定期的に頭の中でささやくが、それを口に出すことはない。

 意味が無いからだ。引き返した所で事態が好転する保証はなく、また進んだ所で何かを得られる保証も無い。ど

ちらも同じ。

 彼らは無言で歩き続ける。



 暗いだとかそういう次元を過ぎ去り、周囲を捉える事自体ができなくなってきている。

 クワイエル達はまるで暗闇に輝く太陽のようにこの世界で際立っていた。存在がまぶしすぎて、他の何ものもそ

の前ではかき消されてしまう。

 ただ進んでいるだけで存在そのものが強大化していくように思わされるのは、彼らの理解と想像を超えるものだ

った。正直、ついて行けない。

 他の全てのモノを見失うのは、自分自身の居場所を失う事と同じだった。

 これまでの旅の経験が無ければ、とうに自己を失い、存在の太陽として燃え尽きるまで輝き続ける羽目になって

いたかもしれない。

 こんな魔術を生み出す目的とは何なのだろう。自分達ごと認識される全てを薄め、何かから身を隠してでもいる

のだろうか。それほど他者を恐れ、或いは嫌っているのだろうか。

「それとも、自分を消したいのだろうか」

 クワイエルは考える。

 彼らの目的は何なのか。こんな結界を張る事にどんな意味があるのか。

 薄黒は北を目指したと言っていた。それはこの大陸で誕生した種としては珍しい事だ。今まで出会った種は自分

の領域を護る事だけを考え、それ以外には興味を持っていなかった。

 興味が薄いのではない。無かったのだ。外に目を向けるという発想自体をほとんど持っていなかった。

 中には少し違った考え方をする者達も居たが、薄黒のようにはっきりと北上しようと考え、それを実行するよう

な種はいなかった。自らの居場所を離れ、移動するような存在が居るとすれば、フィヨルスヴィスのような特別な

力を持つ者に限られていた。

 しかしクワイエル達の見る所、薄黒達はそこまでの力を持たない。勿論彼らよりは遙かに大きな力を持つが、次

元が違うというのか、周囲の他種族と比べて圧倒的力量の差を持っている訳ではない。

 そういう意味で、彼らは初めて自分達と同じ好奇心を持つ種に出会ったという事になる(鬼人はクワイエル達に

感化されて好奇心を持つに至ったのであって、単独で北へ行く気になったのではないから、外れる)。

 だが薄黒の話を思い返すと、そういう意志を持っていたのは少数の例外だったとも思える。

 彼は無理矢理連れて行かれたような事を言っていた。そして同じく北へ向かった同胞を永遠の敵とまで言った。

これはどういう事だろう。

 一体そこに何があったというのだろう。影人を薄黒に変えてしまった理由。このような結界をはった理由。それ

が解れば、その答えにたどり着けるような気もするが、そうでないような気もする。

 いつものように何も解らないままだが、今回は一つだけ理解できた事がある。

 それは恐怖だ。

 北へ向かうという恐怖。自分が変わっていくという恐怖。変わらざるを得ないという恐怖。それはクワイエル達

も抱いている恐怖だ。

 その恐怖が好奇心を上回った時、クワイエル達もまたあの薄黒と同じ道をたどる事になるのかもしれない。

 あれは一つの自分達の未来の姿なのかも。

 そう考えて行くと、この場所そのものが薄黒達の心を移し出しているとも思えてくる。

 自分だけが他の全てから離れていく恐怖。進めば進むほど自分に変化が加わり、今までの自分とかけ離れていく。

同じだったはずの仲間達とも違っていく。そして二度と元には戻れない。別の新種となって、正に生まれ変わって

生きていくしかない。

 進化への恐怖とでも言うべきか。

「我々が経てきた進化もまた、そういう類のものであったのかもしれない。誰が望んだ訳でもなく、そうせざるを

得なかった結果生まれた、それだけの不可避の変化。全てはより深くルーンに適合する為の、それだけの誰も知ら

ない何か」

 ルーンとはそういう変化そのものである。

 とすれば魔術とはただの罪深き・・・・・。

「悟ったか。いや、気付いたというべきか」

 突如心の中に自分以外の声が響いた。

「おそれる必要は無い。いや、おそれてなどおらぬか。お前は面白がっておるな。興味深いやつよ。恐怖すら好奇

心に変えるとは、正にこの大地に望まれた者。ようやくきてくれたか」

「誰だ」

「ふふ、私はお前が影人、薄黒と呼んでいる者達のなれの果てよ。もっと言えばお前の周りにある全てでもある」

 クワイエルはようやく理解した。彼と、いや彼らと随分前から出会い、自らの存在を賭けて会話していた事に。

「そうか。この暗さ、この暗さそのものがあなたなのか」

 心に響く声が、嬉しそうにゆれる。

「その通りよ。我々はしくじったのさ。お前が目指す、その遙か昔に」

「話を聞きたい」

「よかろう」

 薄黒だった者はするすると語り始めた。

 彼は影人の中で唯一好奇心という者を宿した存在だった。初めは孤独であったが、やがてその心は伝播していき、

一つの集団、仲間を生み出して、自然と北を目指すという目的を持つようになった。

 何故北だったのかは解らない。言うなれば、北へ導かれたとでも言うべきか。

 そして意気揚々(いきようよう)と北上を開始したのだが、その心が崩れるまでには長い時間を必要としなかった。

「我々には資格がなかったのだ。いや、私が弱かっただけなのかもしれん」

 彼が仲間に伝わったと信じていた好奇心は、北を目指した事によってもたらされた様々な変化の前にもろくもは

がれ、皆自分を失い、魔術で生み出したこの暗みへと逃げ込んでいった。

 多分、彼らは自分の変化を見たくなかったのだろう。変わってしまう自分、変わってしまった自分を認めるのが

嫌で、でも自分を消す事もできず、ただ暗闇の中へと隠れた。

 そしていつしか魔術で生み出した結界そのものに変わってしまったのだ。

 変わることを恐れた者の末路が魔術への完全なる変化だとは、何という皮肉だろうか。

 薄黒達が一つになったこの魔術の前には彼も抵抗できず、皆と同じように魔術そのものになってしまったが。最

後まで失わなかった好奇心のおかげか、意識だけは残った。それが彼であり、今となってはこの魔術を束ねるただ

一つの心である。

「つまりこの大陸の最奥を目指すには、借りものの心では荷が重いという事だ。自分の中に完全に芽生えた好奇心、

恐怖すら楽しむ心があって初めて可能となる。そう、お前のようにだ。私はお前がうらやましいよ。お前なら、お

前達ならば行けるかもしれん。私のように弱くはなく。また本当の繋がりを持ったお前達ならば。

 だが気をつけるがいい。この先は今までとは違うのだ。私のようなまがい物達の末路であふれている。そしてそ

れすら凌駕する、意味を失うほどの力を持つ者も、きっとお前の前に立ち塞がる事だろう。自らは決して手に入れ

る事のできぬものを手に入れる事のできるお前達をねたみ、憎しみを持って当たろうとする。これまでとは違う。

私などとも違う存在とお前達は出会うだろう。

 それでも進むのか? お前にその覚悟はあるのか?」

 クワイエルは何の迷いもなく頷いた。

「愚問だったな。その覚悟こそ美しい。大陸が待ち望んでいるのはおそらくその覚悟だろう。その心あれば、お前

達を助けようと心変える者達もいるかもしれん。レムーヴァの意志に身を委ねよ。そうすれば道は拓けるはずだ」

「解りました。我が意に沿う限り、その意志に身を任せよう」

「やはりお前は面白い存在だよ、クワイエルとやら」

 声は笑い、やがて少しずつ遠ざかって行った。

 再び心を覚ました時、クワイエル達は彼らが見慣れた森の中に居る事を知った。

 結界を抜けたのだ。




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