18-1.

 ここは恐るべき明るさだった。

 いや、明るいのとは違う。

 白いのだ。

 全てが否応(いやおう)なく白く、白いが為に明るく見える。まるで光という現象を色で現すというのか、光そ

のものを明るさ以外で表現すればこうなるといえば良いのか。

 上手く表現する事ができないが、とにもかくにもここは白かった。

 白いだけだから明るくは見えてもまぶしくはない。それが何となく不似合いな気がして、少し居心地が悪く感じた。

 しかし心配していた白影化が起こるでもなく、木々や石なども当たり前のように存在している。他と違うのは白

いだけで、手で触れても木は木、石は石だった。

 影人達以外の存在にとってはほとんど効果が無いか、影響が薄いのかもしれない。

 クワイエル達が認識できない所で深い影響を与えている可能性はあるが。もうこの場所に着てしまっているのだ

から、今更どうしようもない。

「とりあえず視界は確保できてますね」

 レイプトがつぶやく。

 地形は平坦で、高低差はほとんどないし。木々もざっくばらんに生えていて視界が途切れるような事はない。白

い地形が当てもなく続いている。

 クワイエル達が普通の森と認識している場所をそのまま白く塗り潰したような感じだ。

 そこに彼らだけが白くならずそのままの色合いで居るので、ひどく不恰好に浮き上がって見え、逆に彼ら自身の

存在を不確かなものに見せている。現実味がなく、そこに居て居ないかのような。まるで自分が幽霊になったかの

ような。そんな気持ちにさせる。

「とりあえず、進んでみましょう」

 少し不安を覚えたが、ここで迷っていても答えは出ない。

 クワイエルはいつもの通りの提案をし、皆もいつも通りに承知した。

 そしてレイプトを先頭にしたいつもの陣形を組み、更に奥へと進んで行くのだった。



 一時間程進んでみたが、景色は変わらない。白く、それだけの姿が続いている。

 クワイエル達の体にも変化は見られず、白の中に浮いたまま存在している。

 こうなると、まるで白い海の中をふわふわ泳ぎ歩いているかのような不可思議な気分になってくる。

 どこかへ消え去ったという白影が現れないかと暇つぶしもかねて注意しつつ歩いているのだが、そういった姿も

見られない。

 まあ、例え居たとしても、白の中に白影が居た所で判別する事は不可能だろう。

 結局何事も無いまま、半日程で白地帯を抜ける事ができた。

 体や精神に何か影響があったようには感じられない。影人達の話では瞬時に白影にされてしまったような感じだ

ったので、半日も変化がなければ多分大丈夫なのだろう。

 クワイエル達に対する影響は少なかったという事か。

 つまり、白地帯は影人達を先へ行かせない為にある、という事なのか。

 でもそう考えると、今度は何故北にだけ白地帯があるのか、という疑問にぶつかる。

 西も東も良く、何故北だけが駄目なのか。

 クワイエル達が無意識に北を選ぶ事とそれは何か関係しているのだろうか。

 よく解らないが、謎は謎のまま放っておくしかなさそうだ。

 白地帯の先は普通の森が続いている。

 匂いも魔力も懐かしいようなそうでないような雰囲気が漂っていて、今自分がどこに居るのか、どこからどこま

でやってきたのかを忘れそうになる。

 白地帯の影響が本当に無いのかも気になるので、一先ずここで休憩を取り、心と体を休める事にした。

 休める時に休む。無理はしない。それがこの大陸を進む者が最も大事にしなければならない心得である。



 夜が更けて、空には星がまたたく。

 星々の輝きは他大陸と変わらない。魔術の影響がなければ、この大地のどこに居ても同じだけ輝き、同じ量の光

が降り注いでくるのだろう。

 何故そうなのかは解らない。

 星というものが何であるかを知る者も居ない。

 あの光はクワイエルが生まれる前からずっと同じようにまたたいている。一年中昼間以外は休みもしない。そう

考えるととても不思議だ。

 誰があの火を注いでいるのだろう。

 それとも魔術なのか。

 魔術であると考える方が色々と楽だが。誰かが必死に毎晩火に薪(まき)をくべていないとも言えない。

 想像だけでは何も解らない。ありえないと思う事の方が本当なのかもしれない。

 人はごく近くにあるものしか感じ取れない。

 もどかしい。

 だがそうだからこそ未知が生まれる。

 面白い。

 知らない事は、知れない事は面白い。

 あの星の一つでも大地そのものに塗り固める事ができたとしたら、白地帯のような場所になるのかもしれない。

 いつかそんな事が解る時が来るのだろうか。

 解らない。でも楽しみである。

 それに星の光はとても綺麗だ。



 日の光に頼る必要はなくなっているのだから、今更そんな事をしても大した意味はないのだが。せっかくゆっく

り休めるのだから一晩待ち、夜明けに出発しようという事になった。

 自ら光を創り出せるようになっても、人は日の光を懐かしく思う。

 生命に刻まれた営み、習慣というものか。

 慣れというのは無意識に行われるからおそろしくもある。

 誰もゆっくり白くされている事に気付かなかったのも、そのせいかもしれない。

 些細(ささい)な変化の積み重ねが人から警戒心を奪っていく。

 それに気付けたのは、白地帯を出てから十日という時間が経った後であった。

 夜、何気なく夜空を眺めていて気付いたのである。自分の手がはっきりと白くなっている事に。

 体調に違和感など無かった。むしろ白地帯を出てから元気になったように思えたくらいだ。だから休憩の時に星

の不思議を思い出し、それから何とはなしに毎晩星を眺めるようになっていなければ、気が付くのはずっと後にな

っていただろう。

 星の輝きはどこにいても変わらない。見えやすさは天候で変わっても、光の強さそのものは変わらない。

 その星光が自分の手が白くなっていた事実に気付かせてくれたのだ。

 ゆっくりとした変化も、変わらないものと比べれば変化が目立つ。

 初めははっきりとそうだとは断言できなかったのだが、何だかおかしいなと感じてから毎晩意識して星光と比べ

るようになり、それが一日二日と経つと自分の体に起きていた白化がはっきりとしてきた。

 もうその不安を否定する理由は無い。

 クワイエルはすぐさま皆を集め、注意を促(うなが)したが、勿論対処方法は無い。彼らの力ではどうにもなら

ない以前に、白化魔術の構成を読む力すらない。

 それが何をどうする事でそうなっているのか、どれとどのルーンを使っているのか。最低限それくらいは解らな

ければ魔術を解く事はできない。

 そこで一度白地帯に戻ってみる事にした。

 手がかりがあるとすれば、あそこだろう。



 一度踏破した場所という事もあり、戻るまでに半分の五日しかかからなかった。

 この間も白化は進行しており、少しずつではあるが白さが増している。これで離れれば離れる程白くなる可能性

は否定されたが、それは事態がより悪化した事を意味する。

 白地帯も以前来た時と変わりなく、同じように白くあるだけで、そこに何か手がかりとなるものがあるようには

見えない。

 もしあったとしても全部が白いから見分けが付かないだろうと思う。

 例え今ここに白人とでも言いたいような存在が居たとしても、クワイエル達には判別できないだろう。今まさに

目の前であかんべーかそれに類する行動をされていたとしても、ただ白く見えるだけである。

「白いですね」

「ああ、白いな」

 クワイエルの言葉にハーヴィが応えたが、二人にも何か考えがある訳ではない。確認しただけである。

「探すにしても、この白さではどうにもなりませんね」

「そうだな。この白さではな」

「では、黒くしてみるというのはどうでしょう」

「ほう、妙案だな。方法はあるかな」

「影人を頼ろうと思います」

「良い案だ。なら私が行くとしよう」

「お願いします」

 白くて解らないなら黒くすればいい。間の抜けた答えのように思えるが、我々はある意味黒と白の対比で物を見

分けているのだから、まったく意味の無い案だとは言えない、かもしれない。

 少なくとも可能性はある、ような気もする。

 そこで彼らをおそらく一番刺激しないで済むだろうハーヴィが直接会いに行き、話を聞いてみる事となった。

 ただしこの白地帯を南に抜ける所までは全員同行する。さすがにこの白地帯の中を単独行動するのは危険が大き

過ぎるからだ。

 とまあ、そんな感じでそういう事になった。



 ハーヴィは一人で行く事を選んだ。

 影人達が苦手意識を持っているのはクワイエル一人だけなので、別段刺激しないようにとの配慮だとも思えない。

もしかしたら白化の影響がそういう所に出ているのかもしれない。

 いつも通りのかもしれないで少々飽きてもくるが、そう言うしかない。

「しかしそれで片付けてしまって良いものかどうか」

 かもしれない、は便利な言葉であるが、だからこそ頼り過ぎれば己を見失う事にもなる。不確かな状態に慣れる

事はよくない影響を与えるとハーヴィは考える。

 誰もがしっかりと地に足をつけて、常に自分を確かめておくべきだと。

 影人にはすぐ会う事ができた。

 彼らはとても警戒する種であるらしく、例え面識があっても近付けば頼まなくても向こうの方から接触してくれ

る。あえてこわがる事で心を安定させるのかもしれない。でなければハーヴィ達のように力の無い存在にまで異常

なまでに警戒する理由が見当たらない。

 多少過剰なくらいが安定するのかもしれない。

 そんな風にハーヴィは考えてみた。

「黒化の手段を聞きたいのだが」

 単刀直入な言葉に影人達は驚いたが、話を聞くにつれて感心し始めたようだ。彼らは言われて初めて気付いたの

だ。白がこわいのであれば、黒くすればいいという事実に。

 一度思い付いたらやってみたくなるのは彼らも変わらないらしい。

 自分達が試してみようと協力まで申し出てくれた。

 ハーヴィも素直にこれを親切と受け取り、快諾の意を示しておいた。

 そして急ぎ白地帯へ引き返す。

 彼の体は明らかに白さを増していた。

 影人達が遠巻きにするくらいには。



 影人は多少白さが増したハーヴィ達ならまだしも、さすがに白地帯を前にすると怖気づいたような素振りを見せ

たが、中に踏み入れなければ影響がない事を知っているのか、境界付近まできてはくれた。

 まあ、お互いに、お前行けよ、いやいやお前から行けよ、みたいな事になっていた事は傍目でも良く解ったのだ

が、それでもきてくれた点は賞賛に値する。

 彼らは白くなりつつあるクワイエル達を改めてまじまじと見詰めた、ような気配を示したが、何も言わなかった。

多分、何かの確認をしたか、脅威ではないと判断したのだろう。

 その後は何やら相談している様子だったが、意を決した一人が何とも言えない仕草をしながらルーンを詠唱する

と、白地帯のごく一部がさっと黒く、はならなかったが、白化が消え、普通の森の姿が現れた。

 影人達が上手く調整した結果なのか、力の大きさに関係なく打ち消し合うのかは解らないが、これで白化への対

抗手段というか、解除手段が判明した事になる

 ただし以前白影になった影人が消えてしまったという点を考えると、ハーヴィ達が同じ方法で元に戻れるのかは

少々不安である。

 すでに白となっていると見なされれば打ち消し合ってしまうが、まだその過程と見なされれば白効果だけが上手

く消えてくれる可能性はある。

 この白地帯よりは白くないから大丈夫だとは思うが、やってみないと解らないというのはやはりこわい。

「とりあえず、私の片腕だけを黒くしていただけますか」

 クワイエルがそう言ったが、影人達は遠巻きに眺めるだけで何もしようとはしない。

 よほど懲(こ)りているのだろう。

「では、私に頼む」

 ハーヴィが助け舟を出すと、影人達はあっさりと了承し、こちらの心の準備がどうのこうの言う前に即座に魔術

をかけ、ハーヴィの右腕が一瞬黒くなった後、白化のとれた元通りの腕が現れた。

「どうやら、大丈夫なようだ」

 多少驚きはしたものの、ハーヴィはあまり感情を表に出さない性格なので大事には到らず、無事全員の白化を解

く事ができた。

 白化が彼らに与える害は解らないし、もしかしたら白くなるだけで何も変わらない可能性もあるのだが、見慣れ

ている姿に戻れるのは喜ばしい事である。

「では、この白地帯全体を元に戻していただけますか」

 クワイエルの無頓着な言葉にも、成功に気を良くしたのか、影人達は気にする様子もなく、淡々と作業をこなし、

終わった後は何も言わず去って行ってしまった。

 彼らには終わった時や別れ際に何かをする習慣は無いらしい。

 それを見て、ユルグはなんとなくほっとした気持ちになったのだが、その理由はよく解らなかった。

 こうして白地帯は普通の森に変わり、あるいは戻り、クワイエル達にも影人達にとっても安全な場所となった。

 だがそうなると新たな疑問が浮かび上がってくる。

 白地帯は影人達を北に行かせない為に創られた防波堤のようなものだと考えていたが。これほど簡単に解術する

事ができるのなら、まったくその役には立たないという事になる。

 影人達が白を黒くしようと思わなかったように、この結界を創り上げた何者かもそれに思い至らなかった、計算

外であったという可能性もあるが、やはり疑問が残る。

 何かある可能性があると思い、影人達が帰ってからも数時間ずっと待ってみたのだが、何も起こらない。元白地

帯はそのままだし、何者かが現れるというような事もなかった。

 ある影人の魔術の暴走で間逆の効果が生まれ、この場所が誰も意図せぬ白地帯になってしまった。そんな理由だ

と考えておけば良いのだろうか。

「ふうむ、どうも解らんな」

「ええ。でも今までだってそうでしたし、これからだってそうかもしれません」

「そうだな。確かに、その考えには不思議な説得力がある」

 ハーヴィは自分の体を確認するように一瞥(いちべつ)した。

「様々な可能性がある。そのどれが事実であってもおかしくなく、そうでない可能性もまた同じだけあるという事か」

 そうは言ったものの、何となく上手くまとめようとした事に失敗したのか、ハーヴィは何とも言えない表情を浮

かべた。

 クワイエルも何となく頷いたが。それは納得したものではなく、自分に言い聞かせているようにも見えた。

 そして彼らは改めて北へ足を踏み出し、いずれこの件が解明する事を、できれば白影という解りやすい存在が出

てきてくれる事を心から願ったのであった。




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