17-12.

 どれくらい探求を続けただろう。

 何となく掴みかけているような気もするが。それが勘違いであるような気もする。

 ユルグは幼き頃に聞いた話をもう一度思い出してみた。

 大人達はそれを理解したと思う所から全ての間違いが始まると言った。理解したと勘違いする事が大きな

間違いを引き起こす原因になるのだと。

 もう一度冷静に見詰め直す必要がある。

「この魔術は単純であるような気もするし、そうでないような気もする」

 迷いがある。

 ユルグはこういう時クワイエルならどうするだろうかと考えてみた。

 そして笑う。

 彼なら多分、染料か何かをぶちまけるか、魔術で別の色を上塗りしようとするだろう。

「本当にそれで解決するような気がするから、不思議」

 ユルグはもう一度声に出して笑った。

 大きく確かな声で。

「おいおい、大人しくしてくれって言っただろ」

 そこに声が聞こえる。

 目の前にいつの間にか影が居た。激しく濃淡を繰り返し、動かない。

「遅かったわね」

「・・・・・・・?」

 影の濃淡が止まった。驚いているのかもしれない。

「そうか」

 もしかしたら時間の感覚が彼女達とは違うのかもしれない。待つとかそういう概念自体を持っていないか

希薄(きはく)である可能性もある。

 よくよく考えてみれば、ユルグ達と時間の感覚が同じである方がおかしいのではないか。ここまで色んな

事が違うのに、時間の感覚だけが同じだなんて、そんな事があるだろうか。

「それで?」

 あまり影を悩ますのもどうかと思えたので、話を促す。この辺がどこかのクワイエルとは違う所だ。彼な

らこの点も遠慮なく追求しただろうし、うんざりする程しつこかっただろう。あらゆる点において確認する

事は最も大事な要素であるとでも言いながら。

 逆にそういう所で押し切れる方が魔術師には向いているのかな、とユルグは考えたが。見習うのは止めて

おいた。

 クワイエルはクワイエル一人で充分足りている。これ以上増やさない方がいい。

「ん、ああ。えーと、なんだっけ。ああ、そうそう。取り合えず相談・・・・だっけ、それをしたんだが。

何だかお前を連れて来いって言われたんだよ。こんな事言われたのは初めてだからどうして良いのか悩んで、

ずっと悩んで、まあこうしようという事になった」

 突然、ユルグを囲んでいたドームが消えた。

「ここをあっちにずっと進んだら待ってるから、そいつと話してくれ。じゃあな」

 影は何となく一方向を指差したような真似をした後、ドームと同じようにふっと消えてしまった。

 他の仲間達の所へ同じ事を伝えに行ったのかもしれない。

 それともユルグ一人だけが許され、あの影は仲間達を見張りに戻っただけなのか。

 解らない。まあ、行ってみれば解るだろう。

 それにしても。

「危険は無いと判断したのかな」

 案内も見張りもせず、待っている相手の場所に勝手に行ってくれなんて、初めて聞いた。

 もし今ユルグが逃げ出したらどうするつもりなのだろう。

「まあ、逃げられない、か」

 そこまで考えて、初めから逃げようもない事を思い出す。彼女達が敵を安心させる程に弱い事に。

 今回も自分の弱さに救われた。やはり鍵は彼女達の弱さにあるのだ。

 ユルグも何故自分達がレムーヴァの奥地にまで来れたのか、その理由を自問する事は多い。

 そして出る答えはいつも同じ。

 弱いからだ。

 弱いから見逃され。

 弱いから無視される。

 それが自分達の命をずっと救ってきた。いつもその場所を進む最低限の力しか無いから、彼女達は進んで

こられたのである。

 ユルグは今では自分達の弱さに感謝していた。

「・・・・行こう」

 仲間達が来るかどうかは解らない。

 自分が鬼人と人間の代表として影の代表と話さなければならないような事態になるのかもしれない。

 自信は無いし、こわいとも思う。

 でも逃げはしない。

 自分の弱さは初めから知っている。その強みも理解している。弱い事を恐れる必要は無い。ただ進めばいい。

「・・・・うん」

 ユルグは教えられた方角に向けてゆっくりと足を踏み出した。



 緑が続いている。

 ここは黒くない。地面は植物に覆われ、その隙間から黒っぽい地面が見えるものの、ぽいだけで黒くはな

かった。

 これだけを見ているとあの影と話した事も嘘であるような気がしてくる。

 それくらいこの場所は当たり前に存在していた。

「ここはそのままかな」

 魔術で変えられていない大陸本来の地形。今では馴染みのある場所。

「・・・・・・・・・・・」

 行く先を見ても目立つような物は見えない。本当にこの先に誰か待っているのだろうか。

 もしかしたら道を間違えたのではないか。影の言った方角はこちらで合っているのだろうか。

 解らない。でも進むしかない。

 彼女達に選択肢は無い。

 弱いから生きられるが、弱いから何も選べない。

 いつもそうだった。これからも多分そうなのだろう。

「方角が間違っていないといいけど・・・」

 幸い、植物は視界を隠す程生い茂っていない。目印になるようなものはないが、真っ直ぐ進むだけなら何

とかなる。

 選択肢が無いのなら、開き直って進めばいい。悩んでも悩まなくても結局進むしかないのなら、黙って進

めばいい。

「・・・・・・うん」

 そう思うと少しだけ自信が湧いてきた。

 ような気もした。



 そこは今までと変わりない場所だった。

 森であり、それだけという場所。

 そこに影が居る。

 何となく前に話した影よりも濃いような気がする。色がというよりは存在そのものが濃い。

 魔力量の差なのか。そういう違いが影達にあるのか。

 解らないが、個体差はあるようだ。

「よくきた。待っていたぞ」

 ここが特別な場所でないのなら影の方からきてくれた方が早かったのに、と思ったが勿論口には出さない。

きっと彼らにはそういう考え方自体が無いのだ。そう思う事にする。

「それで、謝りたいそうだが。それでいいのか」

「ええ、ごめんなさい」

 ユルグは素直にうなづき、謝った。

「!?」

 すると濃影は前の影と同じく激しく濃淡を繰り返し、弱くなったり、強くなったりした。驚いているのだ

ろう。

「お、お前、何て事をするんだ。あやうく消えてしまう所だったじゃないか」

 濃影が続ける。

「確かにあいつの言ったようにおかしな奴らのようだ。・・・・・しかしまあ、確かに私も謝れば許される

というシステムをどこかで聞いたような気がしている。忘れたが、そういう事がいつかはあったような気が

する。うん、そう思うのだからきっとあったのだろう。だからまあ許すとしよう。うん、そうしよう」

 理由は解らないが納得しているようだったので、ユルグもそれ以上口を挟む事を控えさせてもらった。そ

してクワイエルがいなくて良かったと思った。

「もういいの?」

「ん、ああ、もういいぞ。どこへなりとも行くがいい。そうするといい。うん、そうしよう」

「仲間達は?」

「えっ? あ、ああ、そうだったな。そこはどうなるんだっけ・・・・・。あー、まあいい。もう面倒だか

ら皆帰ってくれ。それが一番いい。今はそんな気がしている」

「ここで待ってもいい?」

「ん? えっ、そ、そういうシステムだっけ・・・。おっ、ど、どうしよう、どうしよう・・・・・、んー、

まあいいや。いいような気がするから、待っているといいよ」

「ありがとう」

「えッ!?」

 濃影はまた激しく濃淡を繰り返したが、ユルグはもうそこに触れないでおく事にした。

 これ以上話すと、多分彼の何かがもたなくなる。

 それにユルグは笑うのをこらえるので必死だった。

 それは拷問に近い苦行であったのだ。



 その後しばらくしてメンバー全員がそろい、それぞれ濃影を驚かせ、色んな意味で大変な事になってしま

ったが、その辺の細かい事は置いておく。

 それからクワイエル達は互いに無事を祝し、離れていた間にあった事を話し合って情報交換した。

 クワイエルだけはその間もしばしば濃影に話しかけ、彼を困惑以上のものに陥(おちい)らせていたが。

それを気の毒に思ったハーヴィがその都度(つど)助けてあげていた。

 そしてもろもろの結果、この付近は立ち入り禁止地帯として手書きの地図に大きくバツ印を書き込む事で

落ち着いたのである。

 影達に敵意はなく、むしろユルグ達に興味を覚え、ハーヴィの紳士的態度によって敬意さえ持ち始めてい

たのだが。クワイエルという存在に対する恐怖はそれにも増して大きく。こちらからドクターストップ的な

意味合いで遠慮させていただいたのだ。

 興味は尽きないが、何にでも相性というものがある。

「では、行こうか」

 珍しくハーヴィが出発を急がせたのも、そういう理由による。

「・・・・・・・・・・・」

 ユルグは出発前に一度だけ振り返り、周囲を確認してみたが、あの影の姿は見えなかった。

 誰かを見送るという風習自体が無いのかもしれないし、さよならという気持ち自体が存在していないとい

う可能性もある。

「もう少し、知りたかったな」

 何となく離れがたいような気持ちもあったが、それはそんなに強いものではなかった。

「さよなら」

 その声が届いたかどうか。

 それすら解らないまま、クワイエル達はこの場を後にしたのである。



 今回も何となく生き延びる事ができた。

 彼らが今生きている事自体が奇跡である。 

「少し情報を整理しよう」

 ハーヴィの提案により、半日ほど北へ進んだ所で休憩がてら話し合う事になった。

 影から得られた情報は少ないが、皆無ではない。クワイエルを抑えながらもハーヴィ、エルナという言わ

ば穏健派の二人ができるだけ刺激を与えないようにして話を聞いた。

 影達は秘密にする気もないのか、知っている事は答えてくれた。もしかしたらクワイエルの存在を恐れて

教えてくれたという可能性もある。

 ただしその情報は多くない。

 彼らはあまり他人に関心を持たないというのか、好奇心はあるものの、自分から何かを知ろうとするよう

な気持ちは薄く、この周辺の事にすら注意を払っていないような所がある。

 ともあれ、情報を整理してみよう。

 まず影達が最も危険だと述べたのが北ルート。そこは黒を完全に消すほど明るく、影にとってクワイエル

以上に脅威である。一度うっかり入り込んでしまった影がいたそうだが、その影は白影にされてしまい、そ

のまま消え去ってしまったのだそうだ。

 意味はよく解らないが、異常な事態という事は解る。光がクワイエル達にとっても有害であるかどうかは

知らないが、侵入者を排除したという時点で大変危険な場所である事ははっきりしている。

 次は東ルート。こちらは森が続くそうだ。影が知っている範囲では森ばかりで安全も危険もなく。進むな

ら一番無難なルートとなる。

 最後に西ルート。こちらも森が続くが、ある程度進むと不意に歪んでしまうらしい。何がというか全てが

歪んでしまう。そういう場所があるようだ。

 影達は自分の言いたい事を相手に伝えるのが下手というのか、よくしゃべるくせに中身が無いというのか、

すぐに話がそれてしまうので、正直な所どこまで聞き取れているか自信が無い。

 もしかしたらまったく聞き違えていて、行って見たら聞いていたのと全く違う場所だった、という事もあ

りえる。

 結局の所、行って見なければ解らない。

「では、どうするか」

 しかしそう言ったハーヴィも仲間達の誰もどこへ向かう事になるのかを解っていた。

 クワイエルがどのルートを選び、誰もそれに反対しないだろう事を、彼ら自身が解っていたのである。

「北へ」



 休憩を終え、クワイエル達は北へ進路を向けた。

 見る限りでは何があるようでもない。静かに森が広がっているのみだ。

 光が関係しているだろう事は解っているので、一応それに関してできる限りの魔術を用意しておいた。

 魔術とは創造であり、想像を具現化する事。魔力さえあるならおよそこの世で起こる全ての現象を起こす

事ができる。

 ルーンは万能であり、この世の全てはルーンである。

 だが万能足る為には文字通り神に等しい力が要る。クワイエル達にできるのは自然現象を少しだけ自分達

の使いやすいように曲げるというのか、変える事だけだ。できる事は知れている。

 それでも何もしないよりはましであるし、知っていれば心構えもできる。そしてその心構え、気の持ちよ

うが魔術への抵抗力に関して大きな影響を及ぼす。

 確かにクワイエル達はほぼ運で生き延びてきた。しかしそれも彼らが最善を尽くした結果であり、もし準

備や心構えを怠っていたら、ここまでは来られなかっただろう。

 結果としては運でも、それに到る過程は彼らが勝ち得たものだ。

 努力はどれほど過小であっても、無にはならない。

 そういう意味でも影から情報を得られた事は大きい。

「さあ、行きましょう」

 クワイエルの言葉に皆うなづく。

 例え明日死ぬ命でも、だからこそ今日見られるものは見ておきたい。

 覚悟はできている。だが何一つ諦めはしない。

 死を受け容れるとは、そういう事である。

 自分達が大陸の最奥を目指す意味は解らないが、目指していける理由は見えてきた。

 だからきっとこれからも進んで行ける。

 確かに何の保証も無い。しかしそれを望まれているのだとすれば、きっとそれはそういう事なのだ。

 そして今日も一歩ずつ前へ進む。




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