17-11.

 ユルグは待つべき、という判断を下した。

 確かに今歌えばあの影を困らせる事ができる。歌う事で何が起きているのかは解らないが、ここから出られる

可能性もあるのかもしれない。

 でもそれだけだ。

 ゲルと互角以上に渡り合える相手に対し、ユルグができる事は何もない。彼女にできるのはこのドーム状の結

界を揺らす事だけだ。

 勿論、困らせられるだけでもやってみる価値はあるのではないか、という思いはある。

 決断の裏にはいつも迷いがある。誰も自分の答えに絶対的な自信がある訳ではない。

 だけど一つだけはっきりしている事がある。

 それは自分達の力がびっくりする程小さい事だ。

 偶然や運に頼れる力すら彼女達には無い。

 それともそう思う事で無理矢理自分を納得させようとしているのだろうか。

 本当は今すぐにでも行動に出たいのに、強引に自分を押さえつけているのか。

「そうかもしれない」

 ユルグは自分の中に焦りがある事を認める。

 そしてだからこそ自分の判断を信じる事にした。

 焦っていて尚動いては駄目だと思うのなら、それはよっぽど自分の中で確信があるのだろうと。

 消極的かもしれないが、それが弱者の生きる知恵というものである。

 諦めによる覚悟と言い換えてもいい。

 情けないが、これが彼女達がレムーヴァで選べる唯一の生き方なのだ。

 誇りは失わないが、自分達が何もできない事は知っている。そんなかっこ良いのか悪いのか解らない微妙な生

き方。それが魔術師流、いやクワイエル流。

「ふふッ」

 こんな状況なのに不思議と笑みがこぼれてきた。

 何も変わらないのだ。いついかなる時であっても、魔術師は魔術師、ユルグはユルグ。

 変わりはしない。

 彼女は目を閉じ、ゆっくりとした呼吸に入った。

 こうしていると何かが体に満ちてくるのを感じる。もしかししたらそれこそが魔力なのかもしれない。

 不確かな状況の中、それだけは強く感じていた。



「おい。・・・・・・・おい。・・・・・・・なんだよ、寝てるのか。・・・・・・・・おい」

「聞こえてる」

 目を開けるといつの間にかあの影の姿があった。影に区別は付けられないが、多分あの影だろう。

 以前と同じくドームを地面に押し付けるように乗っかっている。そうしていないと不安なのかもしれない。

「起きてたのか。まぎらわしいな」

 影は面倒くさそうにゆっくりと濃淡を繰り返す。

 その言葉から察すると、彼らは情報の多くを視覚に頼っているのだろうか。それともユルグの魔力が小さ過ぎ

て、視覚を使わなければ判別できないのか。

「まあ、いい。やっとお前のお仲間と話がついた。お前と話をさせてやると言ったら大人しくなってくれたよ。

俺にとっても好都合さ。まったく何が幸いするか解らんもんだな。そういえばさっきも・・・・・」

「早く」

「へ? ああ、そうか。そうだったな。そういう話だった」

 影はドームをすり抜けるようにしてユルグのすぐ側に降りてきた。

「いいか、変な気を起こすんじゃあないぜ。俺も余計な事はしたくない」

「解ってる」

「お前は話が早くて助かる。それでな。確かに話はさせてやるんだが、直接会わせる訳にはいかない。お前をこ

こから出す事も、ここに誰かを連れてくる事も許されないからだ。こればかりは俺にもどうにもならない。ここ

までは解ったか」

 ユルグは黙ってうなづく。勿論、寝転んだままで。

「お前らの魔術で会話させる訳にもいかない。俺たちにとって不都合になるかもしれないからな。念には念を入

れておかないと・・・・・・俺もまだ死にたくない。・・・・・・・ん、まあ、そんな訳で俺自ら会話を仲介し

てやる事にした。これなら見張りもできて一石二鳥って訳だ」

 そう言うと影は手らしきものをユルグの目の前に差し出した。その先には黒が灯っている。

「さあ、話せ。ただし小声でな。大きな音は立てるんじゃあない。それだけは守ってもらう」

 ユルグはどうしようか迷ったが、せっかくのご好意なのでとりあえず話してみる事にした。

「ゲル? ゲルか」

「ユルグ? ユルグなの? 良かった無事なのね」

 ゲルの言葉が音声としてはっきりと伝わってくる。この影が翻訳して伝えているのだろうか。

 幻術か何かでごまかされている可能性も否定できないが、とにかく話を続けてみよう。

「今どういう状況?」

「うん、あのね・・・・・」

 ゲルの話によると、ユルグ達は一人ずつこのドーム状の結界に閉じ込められ、全員をこの影が一人で見張って

いるらしい。

 彼女は今エルナと共に居て、その影を何とかしようと思ったけれど、影の力は強く、難しい。

 そこで交渉しようとしているのだけれど、ゲルはそういうの苦手だし、影には不明な点が多くて今一信用でき

ない。

 ユルグと話をさせてくれるというから大人しくしているが、いざとなったらもうやけくそでやってやる。とい

う決意を抱いているらしい。

 ゲルも少しクワイエルっぽくなってきているような気がする。

「ここまでだ」

 もう少し詳しい話を聞こうと思った所で、影が灯った黒を消してしまった。それ以降はいくら話しかけても返

事が来ない。

「約束は果たした。これで大人しくしていてくれるな」

「いやよ」

「えッ?」

 影は素早く濃淡を繰り返す。人間で言えば鼓動が速くなっている、動揺している、という感じだろうか。

「い、いや。俺は約束を果たしたんだ。ならそっちも・・・・」

「まず、と言ったはずよ。結局私達がどうなったのか解らないままだし。何でも教えてくれるって言った割には、

何も話してくれていない。これでは約束を果たした事にならない」

「う、うむむ・・・・」

 濃淡が更に速くなる。素直なのか、そういう振りをしているだけなのか。

「わ、解った。知りたい事があるなら答えてやる。どうせ俺も暇してたしな。お前らが大人しくしていてくれる

なら、安いもんだ。・・・・・・うん、まず他の奴らにもそう伝えよう。もう随分待たせてあるから、騒がれた

らたまらない。まったくお前らときたら辛抱が足りんのだからなあ」

 苦々しげにそう言うと、影はまたすうっとどこかへ消えてしまった。まるで付近の黒に溶け込むようにして消

えてしまう。

 黒地面は独特の魔力を放ち、そこに潜む影の魔力を感知できなくさせる効果があるようだ。

 それにしても。

「何だかおかしな影ね」

 押しに弱い他種族というのも珍しい。それともあの影だけが変わっているのだろうか。何だか不思議な親しみ

を感じている。

 それともこれが彼らの手なのか。

「解らない。でも今はこれでいい」

 とにかく話を聞いてみよう。

 ユルグは再びゆっくりと目を閉じた。



 影が戻ってくるまでには大分時間がかかったような気がする。体内時計だけでの判断だから、正確な時間は解

らないけれど、少なくとも数時間は経っていると思えた。

 仲間達に上手く説明するのに時間がかかったのか。あの調子で余計な事をぺらぺらと述べ立て、余計な時間を

使ったのかは解らないが。その間ゆっくり心身共に休ませる事ができた。

 影の前では気丈というか、平然と振舞っていたが、実際の所かなり疲れている。あの影がそばに居るだけでか

なりの魔力圧が体にかかるのだ。

 影自身にはそういう意識はないのだろうが、これだけの魔力差となるとそこに居るだけで脅威である。ユルグ

も強大な魔力にさらされる事には慣れているが、慣れたからと言って平気になるという訳ではない。

 辛いものは辛い。その事に変わりはない。

 だからこの数時間の休息は大いに助かった。海中から抜け出た時の一呼吸にも似た安堵感と心地よさがある。

「待たせたな。まったくお前らときたら、人の話なんか聞きはしないんだから」

 そんな事を思っていたら影がまたいつの間にか現れていて、こちらが聞いているのか聞いていないのかも関係

なくべらべらとしゃべり立てる。

 ユルグは一々相槌(あいづち)を打つのが面倒だったので影の言うに任せ、黙って聞いているような聞いてい

ないような感じでぼんやりと過ごす事にした。

「まあ、こんな訳でやっと用件が済んだって訳だ。で、俺に何を聞きたいんだ」

 やっと気が済んだのか、影の意識がこちらを向いたように感じられた。

 感覚としては視線を向けられるのに似ている。影に目のようなものは見えないが、それに近いか同じ器官が備

わっているのかもしれない。

「あなた達の目的は何。何故私達をこんな所へ捕らえる」

 それを聞くと影はドーム状の何かの上に乗っかったまま、一定のリズムで濃淡を繰り返した。

 何となく笑っているように見える。

「なるほど、なるほど。そこから解らないという訳か。そりゃあそうだろうな。お前達にしてみれば、何の前触

れもなく捕らえられ、こんなとこに入れられているんだから。でもな、それは違うんだぜ。お前達はきっと不当

な扱いを受けていると思っているんだろうが、俺たちの社会では当然の事なんだ。いや、お前達の社会でもそう

かもしれない。つまりこれはそれだけ単純な問題で・・・・・」

「つまり、何?」

「ん、あ、ああ・・・・・ええと、そうだ。簡単に言えば、お前達は俺達の縄張りに勝手に侵入し、いつまでも

出て行かない。それどころか、どんどん中へ入ってきやがる。これをお前達は何て言うのかな・・・・えーと、

あれがそれで、これが・・・・・」

「不法侵入」

「ああ、それだそれ。何かそういう感じのやつだ。俺も難しい事は解らないんだけどよ。人の縄張りに勝手に入

ってこられたら、何をされても文句は言えないよな」

「でも何の警告もなかった」

 それを聞いて影は不定のリズムで濃淡を繰り返す。

 不思議そうにこっちを見ている、という感じだろうか。

「警告って何だ」

「知らないの」

「ああ」

「つまりここは私達の縄張りだから出て行きなさい、って相手に伝える事。そうでないとその相手がここは入っ

てきていい場所なのか、そうでない場所なのかが解らないでしょう」

「・・・・・・そうなのか」

 影はそれを聞いても何となくはっきりしない風で、まるで生まれて初めてそんな事を聞いたとでも言うように、

ぼんやりと濃淡を繰り返した。

「それは・・・・それは・・・・うん、新しい発見だ。何というか、お前達の気持ちもよく解る。うん、まあ解

る。言われてみりゃあ、入るなって言われなければ入ってくるよな。お前達はここがどういう場所なのか知らな

いんだから。でもよ、それはそれとして、お前達が勝手に入ってきたのは事実なんだ。これをお前ら、どうする。

え、どうするんだよ」

「それは本当に申し訳なく思ってる」

「・・・・・・・・へ?」

 影の濃淡が止まった。

 唖然としている、とでも言うのだろうか。まるで影が固まってしまったかのように濃淡しない。

「み、認めちゃう・・・・のか?」

「ええ。私達が悪かった。謝罪させて欲しい」

「・・・・う、うん・・・・そうだ、な。悪い事をすれば謝ればいい。確か、そんな話をずっと前にどこかで聞い

たような気がする。そういうシステムがあるんだとかどうかとか、何か聞いたような気はするよ」

 影はしばらくそのままにしていたが、やがて気を取り直したように濃淡を取り戻す。

「でもよ。謝れば済むって話でもないよな。それはそれで確かに良い事だろうけどよ。それを聞いてこっちが許

すかってのはまた別の話だ。お前らにはちゃんと罰を受けてもらって、罪を償ってもらわないと」

「ええ、解ったわ」

「えっ!? い、いいのか」

「ええ、それはそうだから仕方ないわ。ごめんなさい」

 再び影の濃淡が止まる。

「え・・・えーと・・・・、俺はどうすればいい?」

「解らないなら、誰かに相談すればいい」

「そ、そうだな。そうしよう。うん、そうしよう」

 影はまたするっと消えてしまった。

「変な影」

 本当におかしな影だ。やっぱり悪い影ではないのかもしれない。不器用で自負心が強く、それでいてどこか抜

けている。少し誰かに似ているような気がした。

 もっとも、その誰かはあそこまで気持ちを表に出したりはしないけれど。

「ふふッ」

 少しおかしくなったので、声に出して笑う。

 あの影がそれを聞いて何か悪いように捉えてしまうかもしれない。でも例えそうなったとしても、普通に謝っ

て説明すれば許してくれるような気がした。

 少なくとも話の解らない相手ではなさそうだ。

 もしそういう振りをしていたのだとしても、それはそれで良いと思った。

 ほんの少しだけ、ユルグは影の事を好ましく思うようになっていたのかもしれない。



 影が居なくなってから、また数時間かそれ以上の時間が経った。

 いつの間にか眠ってしまっていたようだ。当面の不安が消えて、安心したのかもしれない。

 感じていた重苦しさも少しだが和らいだような気がする。不安が消えた為か、この場所に満ちる魔力に慣れて

きた為なのかは解らないが、悪くない兆候(ちょうこう)だ。

 身の危険が薄れてくれば、この環境もなかなか良い景色である。魔術師が求める未知そのものであり、ドーム

状のものだけでなく面白い魔術がそこらじゅうにかけてある。それらを注意深く観察するだけでも満ち足りた時

間を過ごす事ができた。

 旅に出る前の彼女なら、こんな悠長な気持ちではいられなかっただろうし、こんな時に不謹慎だと腹を立てて

さえいたかもしれない。

 よく言えば真面目、悪く言えば融通(ゆうずう)が利かない。そういう部分があったものだ。

 いや、今もきっとあるのだろう。

 それでも目の前にあるものを受け容れる事ができる。

「少しは成長しているのだろうか」

 一つ呟(つぶや)いてから起き上がり、周囲を見回してみる。影の姿は見えない。

 魔力を感じ取ろうとしたが、やはりよく解らない。慣れたといっても、それだけでは変わらない事はある。

 でも暇なので、練習してみる事にした。強大な魔力の中の細やかな違いを探る訓練。それはこれからの旅にも

きっと役立つ。この何もできない時間も訓練に使うと思えば有意義である。

 影は罰だと言っていた。おそらくここはクワイエル達に教わった所の牢というものと同じ場所なのだろう。鬼

人も掟(おきて)を破ったりすると一定の期間清浄な場所に入れられたりする。そうする事で心身ともに清め、

もう一度掟の意味を考えさせる機会を与える訳だが。それと似たようなものなのかもしれない。

 もしかしたら別の目的、意味があるのかもしれないが、解りようもない事を考えていても仕方ない。

 ユルグは答えを急ぐ事をせず、魔力を正確に感じ取る訓練を続ける事にした。

 魔力の構成を知る事は、その魔術を理解する事に繋がる。

 まずは知る事だ。いつもそうであるように、目の前の現象が起こっている理由、働いている力の意味と向きを

知る。遠回りではあるけれど、それこそが確実な道だとハーヴィもクワイエルも言っていた。ユルグもまたそう

思う。

 目を閉じて、そこにある魔力を感じ取る。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、その延長のような感覚で全てを等しいも

のとして感じ取っていく。

 難しい事ではない。誰もが生まれた時から当たり前にやってきた事だ。それをもう少し深く、意識して行うの

である。

 魔術の基礎。父から、大人達から、子供の頃教わった事を一つ一つ思い出し、正確になぞっていく。難しい事

は考えない。難しい事はしない。単純で解り易い事。それだけを続ける。

 いつもは当たり前の情報として流しているものを大事に大事に一つ一つ取り上げて、見、触り、分析する。

 初めは漠然(ばくぜん)とした黒があるのみだった。でもその内、それぞれが少しずつ違っている事に気付く。

そしてその先にある根源となる何かに。

 それはやはり黒だった。でも他のとは違う。もっと純粋な黒。この黒だけは濃淡がなく、鮮やかに黒い。ここ

にある全ての魔術はその黒から始まり、黒である事で始めて発動するようだ。

 逆に言えば、黒でなければ発動しない。

 では黒を黒でなくする方法はあるのか。

 ユルグの探求は続く。




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