17-10.

 仲間達は全員起きたが、体への影響などを確かめる為に更に数日この場所で過ごす事にした。

 何となく今も心に圧迫感が残っているような気がする。特にエルナにその傾向が強い。それは魔力の低さと

いうより、彼女の精神的繊細(せんさい)さを物語る。

 強くしなやかな心ではあるが、クワイエルやハーヴィのようなしぶとさや頑強さは持っていない。メンバー

の中で最も弱さを抱えているのが彼女だろう。

 しかしそれがエルナの良い所でもある。

 弱さは決して悪いものではない。

 弱いからこそ感じ取れる事も多く、考える事柄もまた多くなる。弱さとは感受性の強さとも言い換える事が

できる。

 本人はそんな事を認めたくはなく、大丈夫だと何度も言っているのだが。クワイエルが珍しくその意見に強

硬に反対した。

 心配なのだろう。

 エルナもこの大陸で意地を張る事がどのような結果に結び付くかをようく解っている。最後にはしぶしぶ同

意したようだ。

 一日が経ち、二日が経った。

 特にやる事もないので、皆思い思いに周囲を探索したのだが、黒い地面以外に目立つ物は見当たらない。

 木々や雑草なども生えているようなのだが、どれも黒いので判別できないし、質感も全部同じ。ここまで変

化に乏しいとさすがに飽きてきてしまう(クワイエルは除く)。

 わざわざこんな妙な場所で休憩する必要は無いのだが、この先が安全という保証はないし、戻ろうにも来た

道が解らない。

 幸い、黒が再び攻めて来る気配は無いし、他に危険があるようでもない。ここに居るのがまだ安全だろうと

いう結論になったのである。

 それに変わらない風景というものにも不思議な安堵感はあった。

 思えば、危険というものも変化である。今ある景色が次の瞬間には全く別のものに変わるかもしれない。次

にどう変化するか解らない。だから恐怖を感じる。

 逆を言えば、変化の無い景色というのは危機感や恐怖心を薄れさせる事に繋がる。

 一度襲ってきて諦めたのだから、二度と襲ってはこないだろう。という何の説得力も無い安堵感もそれを助

長した。

 しかし異変は起こっていたのだ。

 それに初めて気が付いたのは、いつも早めに集まっているはずのエルナの姿が見えなかった時の事である。

 一緒に居る事の多いユルグも今日は彼女の姿を見ていないと言う。

 クワイエルとユルグ、ハーヴィとレイプトの二手に分かれて周囲を探ったが、手がかり一つ見付からない。

 夜になり、クワイエル達は野営をしている場所に戻ってきたが、今度はハーヴィ達がいつまで待っても戻っ

て来ない。

 誰に気付かれるのも構わず、大声を出す要領で周囲に思念を飛ばしてみたが、返答は無い。魔力の気配すら

感じ取れなかった。

「どうやら罠にはまったようですね」

 ユルグの目に不安の色が浮かぶ。いつもは気丈な彼女も、さすがにこの状況では心が揺れる。特に父のよう

に慕っているハーヴィが居ない事が大きい。

 だが二人もこのような状況に慣れていない訳ではない。すぐに自分を取り戻し、善後策を練った。

「待ちましょう」

 結果、クワイエルは開き直る事を選んだ。

 ユルグも慣れたのか、何も言わない。

 力無い存在というのは悲しいものだが、それ故に諦め、開き直る事ができる。弱いからこそ前へ進める。世

の中にはそういう不思議な事も割合多くある。



 慎重な性格なのか、それが現れたのは日が落ちてから随分経った後の事だった。

 時間にして四時間は後だろう。クワイエル達も少々手持ち無沙汰になり、黒い大地にごろりと横になって、

目をつむってしまっていた。

 クワイエルの方からは規則正しい呼吸音が聞こえてきていたから、寝てしまっていたのかもしれない。

 ユルグはそんな彼の姿に半ば感心、半ば呆れながら、少し心が落ち着いていくのを感じていた。

 彼女が思うにクワイエルの凄さはこういう所にある。彼は虚勢を張って眠た振りをしている訳ではない。普

段通りうっかり眠ってしまっているのである。

 勿論、すぐに起きられるように気は張ったままだと思う。でもそれを差し引いても、この図太さというか、

豪胆さは真似できないものだった。

 この点だけならハーヴィも及ばないかもしれない。

 彼が精神的な大黒柱としたら、クワイエルは一服の清涼剤。いつもいつもその力を見せる訳ではないが、必

要な時に適量使えば劇的な効果がある。

「ほんと、不思議な人」

 ハーヴィのような安心感はないが、兄のように頼れる気持ちはある。それでいて目が離せないというのか、

ほっとけない。本当にややこしい男だった。

「エルナが苦労するのも解る」

 同じ女としてもう少し解ってくれればと思うのだが、もしかしたら全てを充分に理解した上でやっている可

能性も捨てきれないのがクワイエルという男だ。

 下手をすれば噂に聞く女泣かせという奴になっていたのではないか。

「まあ、こんな妙な人と一緒に居られる女は少ないでしょうけど」

 ユルグはくすりと笑う。

 彼の魅力を解るには時間がかかる。それまでの時間を辛抱強く付き合ってくれる女なんて、エルナくらいな

ものだ。

 でも面白い人だとは思う。

 彼女は鬼人と初めて出会った人間がクワイエルであった事に感謝している。もし彼でなかったら、鬼人と人

間の間に友好が芽生える事は無かったか、できていたとしてももっと時間がかかっていただろう。

 まるで導かれるように彼という人間が現れた。

 そこに今は何者かの意思を感じる。

 何も証拠は無い。しかし出来過ぎているというだけで疑うには充分である。それは直感よりもより真理に近

い確信。

「一体誰の意思なのだろう」

 しかし残念ながらその問いに答えを出す事はできなかった。

 答えが見付からないのではなく、そこまで考える時間がなかったからだ。

 何の前触れも無く視界が暗転し、気付いた時にはユルグは全く見た事もない場所に居たのであった。



 過程は全て飛ばされた。まさに瞬間移動。初めからこの場所に居たような気さえする。以前居た場所が黒一

色という特徴的な場所でなければ、自分の記憶違いを疑ってしまっていただろう。

 ここには緑がある。

 ユルグを中心に森を円形に刈り取ったような姿で、むき出しの地面だけが焼け焦げた後のように黒い。その

黒さだけは移動する前の景色と共通している。

 仲間の姿を探したが、気配も魔力も感じ取れない。そばに居たはずのクワイエルの姿も規則正しい呼吸も今

はどこにも見当たらなかった。

 他にも不思議な事はある。いつも溢れる程に感じている大地からの魔力を感じない。木々や草花からさえ、

それを感じ取れない。

 試しに黒と森の境界辺りに手を伸ばしてみたが、どうしても外へ出す事ができなかった。

「フンッ!」

 意を決し、普段からは想像もできない男らしい声を発して殴ってみたが、何も起こらない。

 弾かれたのではない。何も起こらなかった。

 拳から放たれたはずの衝撃は無効化され、手応えを全く感じない。確かに当たっているはずなのに、その感

触は無く。それでいて確かに何かを殴ったような感覚はある。

 何かを殴ったという認識はあるのに、実際には何も殴れない。この不確かさにユルグは恐怖を覚えた。

 だが不可思議には慣れている。彼女も伊達にクワイエル達と一緒にここまで来たのではない。こういう場合

にどうするかはようく知っている。

「・・・・・・・・・・・・」

 寝転んで、何もしない。

 考えなく動くから余計に焦り、恐怖を感じてしまう。何もできないのなら、何もしない方がいい。

 変人の魔術師らしい行動をしていれば、相手が気味悪がって何かしてくるかもしれないという希望もある。

 相手に何か動きがあれば、対処法を考える事もできる。何も解らないまま動き回るよりもずっといい方法だ。

 いつものやり方を通せばいい。それで駄目ならどうしたって駄目だ。諦めよう。

 ユルグはすっきりした心で寝転んだ。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 真っ直ぐ上には空がある。この空だけはレムーヴァの影響を受けていない。他大陸と同じ空だ。

「・・・・♪・・・・♪・・♪♪・・・」

 暇なので昔父に教わった歌を口ずさむ。

 こういう時にゲルが居れば一緒に歌ってくれたのだろうが、彼女のペンダントはエルナが持っているはずだ。

 それでも一番にさらわれたという事は、相手がそれだけ強力な術者という事だろうか。それとも相性の悪い

相手なのか。或いは一瞬の事で間に合わなかったのか。

 さらわれた時の事を思うと、ゲルでも対処できなかった可能性はある。でもきっと彼女は今も自分達を助け

る為に必死に考えてくれている。他の音人達も協力してくれているかもしれない。

 希望はある。焦る必要は無い。ゆっくりいこう。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 聴こえないくらいのかすれるような声で歌い続ける。今はもう鼻歌に近いそれは、何だかいつもより響くよ

うな気がした。

 音としては小さいのに、存在としては強い。

 それを確かめるように、ユルグは辛抱強く歌い続けた。



 初めは気のせいだったのかもしれない。

 でもそれは次第にはっきりとユルグの居る空間を揺らすようになっていった。

 歌とその振動は繋がっているようで、歌声に合わせて揺れ動く。少し恐くなったが、ここは勇気を持って歌

い続けた。急ぎもゆるめもせず、辛抱強く、一定のリズムで。

 よく見ていると揺れているのは彼女が閉じ込められている空間だけという事が解った。

 振動は激しくないが、はっきりとした強さで空間を揺らし続ける。

 しかしそこまでだった。

 振動は何の前触れも無く止まり、それ以上は歌い続けてもびくともしなくなってしまったのだ。

 不思議に思って目を凝らすと、上の方に影が乗っているのが見える。

 影が空間を押さえ付け、揺れなくしているのか。

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

 それでもユルグは歌い続ける。

「・・・・・おい、やめろ」

 声が聞こえた。念話ではなく、空気を通して聴こえてくる。人間や鬼人とは似付かない声だが、言っている

事ははっきりと伝わる。

「いい加減にしろ。俺が叱られてしまう。やめるんだ」

 勿論止めたりはしない。手を出してこない所を見ると、この影はただの監視者であって、それ以上の権限は

無いのだろう。遠慮する必要は無かった。

「くそう、さっきの奴といい、こいつらは何て面倒なんだ」

 影が焦っているように見える。表情なんて無いし、声にも変化はないが、何となくそれが本能的に伝わってくる。

 こいつは弱みを見せている。

「わかった。わかった。お前の要求を飲もう。だから黙ってくれ、お願いだ」

 ユルグはようやく歌を止めた。

 話しぶりから考えると下っ端に過ぎないのだろうが、今の状況では貴重な情報源である。

「なら、ここから出して」

「それは駄目だ。そんな事をしたら、それこそ俺の命が無い」

「じゃあ、歌う」

「待ってくれ、それは止めてくれ。くそう、どうしたらいいんだ。・・・そうだ、何でも教えてやる。お前の

仲間達の事も。・・・気になるだろ。他の奴等がどうなっているのか。そして自分が今どうなっているのか」

「ええ、でもそんな事を聞いても出られないなら意味が無い」

「待て、待てって! ・・・・・・ああ、くそう。でもまあ一人くらいなら。いや、駄目だ、それは。でも・

・・・」

 影は濃淡を繰り返し、傍目にも迷っているのが解る。時には影を光が貫くくらいに薄くなる事もあった。あ

まり精神が強い方ではないのかもしれない。

「早く出して。また歌うわよ」

「ちょ、ちょっと待てって。解った。考えるから。何とかするから。それだけは止めてくれ。さっきもそれで

酷い目に遭いそうになったんだ。もうたくさんなんだよ」

「ゲルが何かしたのね」

「ああ、あの音の奴をそう呼んでるのか。そうだ、あいつに危うい所で逃げられそうになったんだ。まったく、

とんでもない奴だ」

「今、彼女はどうしてる」

「ああ、いや、うん、今のお前と一緒だ。少し待ってもらってる。ほんとは話の途中だったんだが、あれ以上

騒がれたらばれちまうんで、急いでやってきたんだ。・・・・はあ、何で俺が当番の時にこんな・・・・」

 口が軽いのか、ぺらぺらとよくしゃべる。こちらが質問しなくても勝手に話してくれるので楽だが、放って

おくと余計な事だけしゃべってごまかされそうだ。

「・・・・・・・・・・・・」

「ま、待て。解った、解ったから」

 歌おうとするとすぐに止めるよう言ってくる。案外したたかな影なのかもしれない。気を付けなければ。

「まず、ゲルと話できるようにさせて」

「う、ううむ。まあ、そのくらいなら良いだろう。・・・・ともかくまずは向こうと話を付けてくる。それま

で歌うのは止めてくれ。お前の話も後で必ず聞いてやるから、それまで待っててくれ。お願いだ」

「解った」

 影はあたふたと消えていった。これが演技なら大したものだが、どちらにせよ弱みは握れたようだ。後はゲ

ルと話ができれば突破口を開けるかもしれない。

 だがあの影の言う事を信用してもいいのだろうか。本当は今もゲルと戦っていてこちらに割く力がなく、し

かたなく道化を装ってユルグを大人しくさせた、という可能性もある。

「待つべきか、行動に出るべきか」

 これはとても大事な決断であるように思えた。




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