3.闇生


 外出は夜に限る。

 それが自覚せず決めていたルール。

 街灯の明かり程度なら良いが、強い光に当たるとひどく不安定な気持ちになる。居る事ができない訳ではな

いが、できる限り光は避けたい。

 まるで虫にでもなったような気分だ。

 いや、違うか。虫なら光を乞うものだ。

 だから、闇虫、そう名付けよう。

 双一は人知れず定義した。

 そんなものは今日限りで忘れ、付けた事さえ憶えていないかもしれないが。

「まあ、いいさ。そういう遊びも必要だろ」

 久しぶりに見た人の世界は、ひどく不恰好で醜く見える。

 その中で女だけは誰もが美しい。

 闇に溶け出す白い肌がひどく恋しく、たまらない気持ちにさせる。

 外見は初老だが、中身は変わらない。

 それにもう随分とそういう事をしていない気がする。忘れていた時は何でも無かったのに、今思い返してみ

ると酷く疼(うず)く。

 歯の痛みのようにじくじくと。

「まあいい、とりあえず、酒だ。酒のある所に行けば、自然と情報も集まる」

 手持ちの資金を確認する。

 無いと言っていい。

「ちッ、そういやぁ、金なんていう面倒なもんが必要なんだった、・・・・・・さて、どうしたもんか」

 影に願えばすぐに出してくれる。

 だが、そういう作り物の金はすぐにばれてしまうだろう。

 奴らは贋金が出ないよう政府よりよほど気を配っている。彼らの了承無しに作られた金だと解れば、そこか

ら足がつくかもしれない。

 奴らはどこにでも存在する。たった一片の疑問から、自分の事を割り出しかねない。

 前のように絶対的な恐怖は感じていないが、侮っている訳ではない。あの女の事も気になるし、この街がや

けに日常的なのも気になる。

 双一はそのやり方を内側からずっと見てきたのだ。この状況は何もかもが不審過ぎる。

 作り物、まやかし、そう思える。

 それとも影によって物事の見かたそのものが、変わってしまっているのだろうか。

「まあいい、その辺に居る奴から少しずつスリ盗ろう。そうすりゃ、時間は稼げるだろうよ」

 スリの時間と場所を変え続ければ、特定し難いはずだ。



 全ては簡単に運んだ。

 影に紛れれば、双一を見付けられる者はいない。

 その中から財布にそっと手を伸ばしたとしても、認識できるものではない。

 念の為、酔っ払いだけを狙った。

 たまにその振りをしている者もいたが、そういう臭いをかぎ分ける事は今の彼にとって造作もない事。

 全ての事が鮮明に、そして作り物めいて見える。

 影を通して見る世界はひどく滑稽(こっけい)で、昔誰かが使っていた人形やおもちゃの家のように見え、

まったく現実味がない。

「だから気も楽なのかもな」

 スリや強盗まがいの事はいくらでも経験がある。

 しかしここまで余裕、絶対の自信を持ってできた事は無い。

 彼は奴らに睨まれてようやく最低のレベルでできるような人間だった。いざとなれば誰かが助けてくれる、

そう思うから初めてできるような、気の小さいただの人間だったのだ。

 その事に楽しみを見出す事もなかった。

 もし違う形で行っていたら、違っていたのかもしれないが。背後では常に何よりも怖いモノが見張っている。

楽しむどころか、ノルマをこなし、任務を忠実に遂行できる事だけを考えるので精一杯だった。

 慣れてくるとお粗末な覚悟くらいはできるようになったが、彼は元々そういう人間でしかない。

 だが、今は違う。

「何だか楽しくなってきたぜ。周りの人間が馬鹿に見えるってのは、こういう感覚なのかもしれん」

 全てが新鮮さに満ち、ひどく心地良い。

 いつどこに居ても頼り存在が居る。影だけは自分を害しない。その事が何よりも心を満たす。

「元々、こういう気分を味わいたくて、はみ出してたのに。そこから更にはみ出して、ようやく得られるなん

ざ、皮肉というよりは滑稽だ」

 過去の自分は小悪党にすらなれないゴミくずのような人間だったが、彼も初めからそうなろうとした訳でも、

そうなりたかった訳でもない。

 結果としてはそうなってしまったが、他の多くの似た連中と同じように、そう望んではいなかった。

 望んでいた自分とは、もっと別の・・・・

「あら、ステキナオジサマ。寄ってらっしゃらない。歓迎するわよ」

 化粧の濃い、闇夜の中でしか映えないような歳のいった女が双一を呼び止める。

 どこにでもあるつまらない光景。

 明日も、きっと十年先までも変わらないだろうこのやり取り。

 しかしそれを下らないと考えるには、今の彼は飢え過ぎていたようだ。

 入った店は割合健全な店だった。

 女が隣に座って話し相手になり、酌をし、事ある毎に褒め、注文をせがむ。どこの街でもある、一般に毛が

生えたような店。

 席も形ばかり区切られているが、周りの声がどんどん入ってくる。止めようともしない。

 それでも2、3人の女が代わる代わる付いてくれたので、情報を得るには適していた。考えてみれば一番良

い場所かもしれない。

 人が話す事は多くなく、自分の事か、どうでもいい噂話しかない。

 だから酒でも飲みながら、垂れ流されるそれを聞いていれば、大体の事は入ってくる。彼女達はその為にど

んな噂でも仕入れてくるからだ。

 彼女達はじつに気分良く話してくれた。

 話されるのに慣れているが、飽きてもいるからだろう。

 本当は自分の話をしたい。でもほとんどの客は聞きたくもない話ばかりしてくる。これでは折角仕入れたネ

タも無意味になる。

 聞くだけだから楽といえばそうだが、酔っ払いの話を気持ちよく聞いてやるのには骨が折れる。仕事でなけ

れば一分も相席していたくはないはずだ。

 だから話を引き出すのは難しくない。

 静かに飲み、黙って聞いてやればいい。個人的な事に突っ込まない限り、その態度だけで好意を持たれるに

充分な理由である。

 相手の女がさして好みではなかった事もまた、良い方に作用したのだろう。どうも彼女達は、欲しがってい

ない男にだけ、それらを与えるようだ。

 こうして双一は目的のものを全て手に入れる事になった。

 飢えも治まり、満足している。

 好みと飢えとは全く別の話。極端に言えば、渇いた喉を潤すに、泥水も高級酒も同じなのだ。

「人の金で飲む酒ってやつぁ、なんでこんなうめぇんだろな」

 本心がもれそうになり、慌てて口を押さえる。

 幸い聞かれなかったか、聞き流されたか、誰も気にしている様子はない。気にしすぎだろうか。これではか

えって不審なだけである。

 双一は苦笑しつつ手を離した。

「さぁて、戻るか。おかげで気ぃ済んだしな」

 仕入れた噂は想像した通り。

 一月前くらいは騒がしかったが、数日でいつもに戻り、今もそれが続いている。それを証明している。

 奴らは数日も動揺していた。そう思うと小気味良さも湧いてくる。

「俺ぁ、この街に決めたぜ」

 奴らは双一をはっきりと恐れた。

 なら逃げ出す必要は無い。

 この街は、良い街だ。



 近付いているのも解っていた。

 肉体が異物を拒むように、闇夜もまた異質な者を拒む。

 ここは彼の庭。荒らそうとする者には容赦しない。

「時間なんて、やらないぜ」

 影を解く。本当の顔が外気に触れ、女の肌で撫でられたかのような心地さを感じた。

 それほど飢えているのだろうか。この闇というものに。

 影ごしにではなく、直に触れる闇と風。その全てがいとおしい。

「さあ、やれよ。できるんだろ、お前なら。この望み、叶えてみろ」

「(・・・・・いいだろう・・・)」

 影が伸び、闇と同化する。

 自分全てが闇全てになったかのように感じ、自分という名の肉体が闇に溶けていく。

 赤黒く染まる身体を見ると、あの時の事を思い出す。

 懐かしくなって空を見上げると、何よりも美しい月がそっと雲間から顔を覗かせていた。

 行かなければならない。

 その為にこそ、全てを望む。

「あ・・・・ああ・・・あ・・・・」

 いくつもの声が無遠慮に聞こえてきた。折角楽しんでいたのに。

 見るといくつものしぼんだ皮が影の枝に釣り下がっている。

 全てを影に抜き取られ、彼らは影にさえなれない。

「ああ、なんていとおしい・・・・」

 双一はようやく気付いた。自分が一番恐れていたものになったという事に。

 奴らと同じ化け物に。

 異質と同化したのだ。

 もはや人間など、考慮するまでもない。



 全てが片付くと、双一は生れ落ちるように闇から抜け出された。

 潮が引くように、闇が引いていく。

 高揚感が失せ、理解した自分だけが残された。

 そして恐怖が襲ってくる。解ける疑問。

「あいつらも俺と同じって事か・・・・。そうか、そういう事か。だからだな、あの女が俺を泳がせたのは」

 彼女は今の自分になりたかったのだ。或いはその秘密を知りたかっただけか。

「全部が全部、影になっている訳じゃねえって事か。あいつらの中にもそうである奴と、そうでない奴がいる。

そしてあの女はそうじゃねぇ」

 そこに付け入る隙があるのかもしれない。

 だが、当面考えるべきはその事ではなく。その影達の中で、おそらく双一一人だけが孤立しているという事。

 そう、彼は同胞の中で、ただ一人だけの敵。

 孤立した敵にする事はただ一つ。

「浮かれてる場合じゃねぇ・・・・、こいつぁ・・・・とんでもねぇ事になった・・・・。どうすりゃあいい

んだ・・・いったい、どうすりゃあ・・・」

 人間相手ならどうにでもできる。

 だが影相手に同じ事ができるとは思えない。

 しかも双一はまだこの力の事を何も知らない。全ての面で不利を告げている。

 どちらが優位かは考えるまでもない。

「ちッ、結局、結局悪化してるだけじゃねぇか。あの女がただの人間だったから今はまだ助かってるが、もし

この事が奴らの耳に入ったら・・・・俺は・・・・」

 彼はようやく状況を理解する事ができた。

 そしてするべき事も。

「あの女だ。あの女は奴らを出し抜こうとしている。とすりゃあ、まだ誰にも教えてねぇはずだ。今なら、今

ならまだ間に合う。間に合う・・・はずだ」

 同種なら、自分もまたそのやり方に習うべきだろう。

 迷いはなかった。

 冷静に、確実に、消す。

 それだけが、全て。

 彼はもう、人ではないのだから、人の法に縛られる必要は無い。

 奴らの法にもだ。



 あの女を捜すのは簡単だ。

 例の店に行けばいい。

 どう言い繕っているのかは知らないが、あの女はまだ健在でこの街を支配している。

 なら変わっていない。まだ。

 店に行くのも簡単だ。

 夜になれば双一を暴けるモノは何一つ無い。人工の光など、飾りにもならない。

 影の力が馴染んできているのか、身体能力が増すと共に光への耐性といったようなモノも強くなっているよ

うな気がする。

 一月隠れていた間に力が増したのだろうか。

 そうかもしれない。何しろあそこでたっぷりと闇を吸ったのだ。影が力を取り戻すには充分である。

 岩だろうが金属だろうが、その気になれば簡単に粉砕できる。流石に分厚い物になると簡単にはいかないが、

ひしゃげさせるくらいは容易い事だ。

 でもそれならそれで不安も増す。

「時と共に力を得るって事ぁ、先にこうなっているらしい奴らはもっとずっと力を付けてるって事になるな。

それとも、ある程度高まるとそこで止まるのか。わからねぇが、あんまり良くねぇな・・・多分よ」

 このまま逃げ出すべきだろうか。

 あの女を殺したとしても、すぐに気付かれる。あれでも一応幹部クラスだ。影化していない所を見ると、そ

の中でも下の方だろうが、その辺の下っ端とは違う。

 少なくとも影の事を知るくらいには上に居る。手を出せば、奴らも黙ってはいないだろう。

「これで本当にケンカ売っちまう事になるな」

 双一の頭に一人の名が浮かぶ。

 顔も知らないし、声も知らないが、長く彼が従ってきた兄貴分。こいつが敵になる。そう思うと力を得た今

でさえ震えがくる。

 それは長い習慣というよりも、本能からくる震えだった。何も知らずともその怖さが解る。だからこそ奴ら

はずっと上に居て、今も居続け、そしてこれからも居続ける。

「だが、逃げるくらいなら、できるはずだ」

 双一は戦って勝とうとは初めから考えていなかった。

 逃げられればいい。遠く、どこか彼らの縄張りを越え、手の届かない場所にまで逃げられれば、後は安楽に

暮らせる。

 その場所が無いとは言わせない。奴らも神ではないはずだ。

「あの女を消し、感付かれる前に俺も消える。そうすりゃあ、きっと、きっと大丈夫だ。この影も願いを叶え

てくれるはずだしな」

 奴らは組織、一人ではとても対抗できない。でも一人だからこそ身軽に動ける。どんなに良い組織でも、こ

れほど大きくなると動きはどうしても重くなる。

 そこを突く事さえ、できれば。

「上手くいく。これまでのように」

 影に潜みながら店の裏へ回り、そのまま忍び入る。

 どんな細く小さい隙間でも、影をさえぎる事はできない。影は無形であり無限、あって無きモノ。双一にと

って障害となる物は何も無い。

 あの扉まであっさり辿り着く。

 何でできているか解らない不気味な扉。地獄門。

 しかし今の彼にとって、その先は楽園であるはずだった。

 だが・・・・・。

「遅かったじゃねぇか。この俺が先に済ませておいてやったんだぜ、感謝しろい」

 女ではなく小さな男が居た。

 体型に似合わず恐ろしく低い声をしている。まるで地鳴りのように聴こえるそれに双一は自分と同じモノを

感じた。

 そしてその手には。

「・・・・・・・・」

 汗が喉に粘り付く。声が出せない。

 手には首が一つ握られていて、その首の目が双一を真っ直ぐに睨んでいる。一瞬赤く光って見えたのは、彼

女の血。それが闇をまたたいて、赤黒く美しく輝いている。

 尋常じゃない魔気を感じる。

 そして実感した。これが恐れなのだと。

「まさか・・・・おめぇにやられるとはな・・・・。落ちたもんだぜ。結局、こいつはこの身体くれぇしか、

能が無かったってこったな」

 双一は動けない。完全に呑まれてしまっている。

 疑問も浮かばない。いちいち伝えられなければ解らないのは無能の証。全ての無駄、遅延は愚か者だけがす

る事。こいつらじゃない。

「まぁ、しかたねぇか。てめぇがそれを手に入れるとは思わなかったが、それならそれでいい。贄となるのは

誰でもいいんだ。ちょっと早かったようだが、おかげで楽できる。礼を言うぜ・・・・」

 小男の掌から影が伸び、人を包める程の大きさになって双一に迫る。

 避けられず、掴まれ、ねじられる。

「うぁぐぐ・・・ぁぁ・・・」

「さあて、ぎゅっと搾り出してやらねぇとな。お前知ってっか牛の乳搾り。俺ぁ、元は牧場生まれでよ。ガキ

の頃はようく搾ったもんさ。綺麗に搾るとよう、褒めてくれんだよな」

 小男は力を入れ、緩め、楽しそうに笑う。それはまさに搾るという行為で、肉体の全てをばらばらに砕き溶

かされ、ミルクのように搾り出されている自分を感じた。

 懸命に力を入れるが、常人の数倍も増している彼の力が、今は全く役に立たない。

 たかが片腕一本で握られているだけなのに、びくともしない。

 痛みと吐き気が交じり合った感覚は彼の知覚能力を超え、全て訳のわからない痺れとして認識されている。

 前進が痺れ、一秒一秒死んでいく。

「うぐぇ・・・・ぁあ・・・」

「ふうむ、まだ息があるのか。成り立てにしちゃあ、上出来だな。よほどつえぇ奴を影にしたらしい。こりゃ

あ、嬉しいぜ。さあ、その力、もらおうか」

「あ・・・・あぁぁ・・・」

 全ての感覚が消え、ただ一つの痺れとなって脳を満たす。

 しかしそんな中で、唯一つはっきりと聴こえる声がある。

「(・・・・・望め・・・・まだ・・・死なせる訳にはいかぬ・・・・望め、望むのだ・・・我を・・)」

 少しだけ頭が冴えてきた。

 力が、ほんの少しだけ、湧く。

 しかし、どうすればいい。

「(・・・・我に名を付けよ、相応しき名を・・・・・さすれば我が力、お前が物となろう・・・)」

「名前・・・・名前だと・・・・」

 双一は僅かに残る意識の中、必死に探し始める。

 本なんてろくに読んだ事も無い。名前なんて自分のくらいしか知らない。でも・・・・でも何かがあるはず

だ。でなければ、そもそもこの影は彼に憑かなかっただろう。

「ああ・・・あぁぁ・・・・」

 力が薄れていく。命が搾られていく。

 全てが白く、原初に溶けていく。

 どこだ、どこに答えが・・・・

「・・・・・・・・・」

 もう声も出ない。何が声だったのかさえ思い出せない。

 痺れだけが、そこには在る。

 しかしその痺れの中に、一つだけ浮かんだ名前がある。

 それは魔の君主にして神に仕えし者。神の名をもって人に仇なす、敵意の化身。

「・・・エステマ・・・・エステマだ・・・・それが、おめぇの名だ」

「(・・・・・受け容れよう、その名を・・・・宿命を・・・・・そしてお前自身を)」

 瞬間、双一を包んでいた闇腕は消し飛んだ。

 もっと濃い影に、その場所を奪われたのだ。存在そのものを喰らわれて。

 今では欠片すら残されていない。

「・・・・ば・・・馬鹿な。こ、こりゃあ・・・つえぇなんてもんじゃねぇ・・・・・。あ、あの方に、あの

方に匹敵する化け物じゃねぇか! そ、そんな・・・・こんな奴が・・・・こんな奴が・・・・、ちきしょお

おおおおおおおおおおおっ!!!」

「!!!!!!!!!!!」

 力を得、形を得た赤黒い血肉は双一を無視して誕生の喜びの声を挙げる。

 四肢と頭と胴という人間に酷似したそれはしかし頭に紅い目が一つ、胴に十字に避ける血色の口が一つしか

ない。明らかに模造品だった。人の模造品。悪魔がたわむれで創った、見よう見まねの紛い物。

「う・・うぁぁ・・・・や、やめてくれ。た、頼む、頼む、俺ぁ、もう関わらねぇ。い、いや、そうだ! 俺

があんたの部下になる。同等の力なら、あんたもそこに座る資格があるはずだ! な、なぁ、そうしようぜ。

今までさんざん目ぇかけてやってきたじゃねぇか・・・・。会うのは初めてだが、今まであんたの上に居たの

は俺だ。あんたを生かしてきたのも俺だ。俺はあんたの兄であり、家族だぜ。なあ、そうだろ。そうだと言え

よ!!」

 双一だった者は言葉すら味わうようにゆっくり聞き届けた後、無造作に小男を掴み取り、十字の口の中へ放

り入れた。

 複雑な動きで租借し、ぐちゃぐちゃに噛み千切る。今では小男の方が綺麗なミルクだ。搾りたての、濃厚な

ミルク。

「!!!!!!!!!!!!」

 再び満足した声を挙げ、眠りに付く。

 今はまだ、彼に預けておかなければならない。全ては、その時の為。ただそれだけの為に。今も現在もただ

一つの未来の為に。

 赤黒き糧は消え、かりそめの主に対し、必要なだけ残された。

 名付け親への礼だったのか、飼われている者への証だったのか、それは解らない。

 ただ女の紅い目だけが、物憂げにそれらを覗いていた。

 新たなる運命を持って。

 吐き出したくなる気持ちのまま。




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