1.理由


 二十歳になってすぐ事故に遭い、体が不自由になった。

 それまでの人生はそこで終わり、全てが変わる。

 義務の多くから開放されたが、俺には何も無くなった。

 何もしなくていい。体を大事にする。その程度の事をして生きていけばいい。

 誰もそれ以上は期待しない。自分でもそうだ。

 安楽な暮らしといえばそうだろう。

 だが半分は間違いだった。この体は生きるのに不自由過ぎる。

 色んな不安がある。一日がどうでもいいように過ぎていく。

 外出する気も失せた。

 恥ずかしいというよりは、腹具合の問題だ。

 麻痺しているという事は我慢できないという事。

 室内ならまだしも、外で腹痛を起こせばどうなるか。

 それなりの準備をしていたとしても、不快な事になるだろう。

 外で知り合いに会うのが気恥ずかしいという事もある。

 知り合いのおばさんおじさんならまだしも、お婆さんお爺さんにでも会えば、酷く同情してくれる。

 その気持ちは嬉しいが、その分今の境遇を思い知らされてしまう。惨めな、とまではいかなくても、哀

しい気持ちになるのは確かだ。

 だから外に出たいとは思わない。一番安全な家に居たい、そう思う。

 普段から家に居る方だったから一日中居ても平気だ。用が無ければ家に居る。昔からそういうタイプだ

った。

 どうしても外に行かなければならない用事は家族に任せた。

 申し訳ないので、たまに美味しい物でも買ってご機嫌を取っている。俺だってそれなりに申し訳なさは

感じるさ。半分は都合の良い自分への慰めでしかないとしても。

 そうして少しでも楽に、ストレスをためないよう、何も考えないように生きた。そうする以外にどんな

選択肢があったというのか。

 後悔はしていない。だが哀しくはある。

 そんな風にして俺は五年の歳月を過ごした。



 ここ数十年の間大きな戦争は起きていなかったのだが。笑える程の速さで政情が急激な変化を見せ、再

び世界が大規模な戦争に憑かれていく。

 何の前触れもなかった。

 たった一発のミサイルが引き金となって起こった戦争が世界中に飛び火し、同盟国との関係からこの国

にも強い影響を与える事になった。

 日常は突然攻めてきた軍隊にぶち壊され、余りにも平和呆けしていたこの国は未曾有(みぞう)の混乱

に陥(おちい)る。

 俺の住む場所は交通の便が悪い田舎の町。戦場からは遠いが、それでも戦争の影響からは逃れられない。

 今も混乱している。何も解っていないのかもしれない。

 毎日のように戦争に関するニュースが取り扱われ、金だけは使ったが実戦経験の少ない国軍と、同盟国

からの援軍によって一進一退の攻防が繰り返されている。

 この国は大きな島が集まってできている。四方を海に囲まれている分、守り難い。だが敵も無限の戦力

がある訳ではないし、同盟国が敵対しているからこの国も狙われているだけなので、全体から見ると小規

模な戦いでしかない。

 制空権さえ奪われなければ、被害はそれほど出ないだろう。

 そこは敵軍も考えている。民間人に被害を与えれば、世界的な悪になる。彼らもこれ以上敵を増やした

くはないだろう。

 敵軍は首都占領だけを狙っているらしい。戦力もそこに集中され、俺の住む田舎まで戦火が及ぶ事はま

ずない。

 この辺には軍事関係の施設も無いし、発電所がある訳でもない。安全といえば安全だろう。

 避難してくる人も多く、都会に出て行った同級生も多くが戻ってきているそうだ。外出する事がなくな

ったから見る事は少ないが、そういう情報は家族から自然と入ってくる。

 中には軍に志願した奴もいるらしい。戦争なんてもう何十年もやっていないし、軍といっても見せかけ

のようなものなので、実際に戦争になると軍を辞める人が続出した。

 受理されなければ逃げる人も居たし、この国には兵士が不足している。政府は慌てて給金を増やし、戦

果を挙げた兵には様々な特典を与えるようにした。それからは志願する人が少し増えてきている。

 最近は不景気で大学出の若者でも何十社も回って一つ受かれば良い方。失業者も増え、生活に困ってい

る人達も大勢居る。あまりにも酷い待遇で、働いても働いても暮らしが楽にならない人も少なくない。

 そんな中、俺は何も出来ずお荷物として生き続けている。

 良心の呵責(かしゃく)から保険金の半分を寄付したりもしたが、申し訳なさは消えない。

 結局俺自身は何もしていないからだ。

 そしてある日俺は衝撃的な一言を聞く。

 仲の良い女の子の一人が、軍に志願したというのだ。

 その子は取り立てて運動神経が良い訳でも、成績が良かった訳でもない。ただ芯が強く、正義感と責任

感があって、まぶしいくらいの魅力があった。

 容姿も多分良い方だと思う。

 活動的でさばさばしていて女の子からも人気があったし、いつも周りには人が居た。

 俺はその中の一人ではなかったが、何となく気があって仲良くなり、中学から高校まで一緒だった事も

あってか、気心の知れる仲になった。

 実はずっと憧れていたのだが、彼女にはその気はないようだったから、ずっと黙って良い友達で満足し

てきた。

 相談を受けた時、俺はいつも真剣に聞いていたものだ。内心はぐらぐらと揺れて、帰ってから部屋で一

人後悔した事もあるが、それはそれで良かったと思う。

 そう言い聞かせていた。彼女の為になれればと。

 大学は別になり、それからはほとんど交流がなくなったが。俺がこんなになってからも彼女の態度は変

わらず、帰省した時は必ず遊びにきてくれた。そして何を言うでもなく普通に過ごしてくれる。仲良かっ

たあの日のままで。

 何も言わず、変わらず、ただ側に居てくれる。それがどれだけ俺を助けてくれたか解らない。彼女が居

る限り、俺は人間で居られた。

 そんな彼女が軍人になる。

 現実的な死に自ら近付く。

 俺はこの時程自分の体を恨んだ事はない。その場で人の目も関係なく暴れ、叫び出したかった。

 こういう時、彼女の側で一緒に戦えないのなら、俺は何の為に生きているのか。

 一通り嘆いた後、俺の心は決まっていた。

 何もせずに嘆くだけは、もう飽き飽きだ。



 彼女には何も相談していない。家族にも、友達にもだ。

 俺は動きやすい服を着込み、もしもの時の為に準備して、一人車で外へ出た。

 通帳とはんこ、免許と保険証、簡単な着替え。持ち物はその程度だ。必要な物は買う事にした。物価も

上がっているが、そこそこの金はある。どこで新しい生活を始めるにしても、仕事があるならやっていけ

る筈だった。

 勿論この体では戦闘員としては役に立たない。だが戦争も最前線に立って戦うだけが仕事ではない。デ

スクワークも多い筈。だから人手不足の今なら、俺にも使い道はあると思った。

 こんな俺でも戦争してます。兵士です。なんてポスターでも作れば宣伝になる。そんな風に説得しても

いい。何でも利用してやる。とにかく彼女の役に立ちたかった。軍に入って、彼女を助けるのだ。

 この想いは恋といえばそうなのかもしれない。

 単に何もしていないという罪悪感に耐えられなくなっただけかもしれない。

 何でもいい。

 とにかくそのままでは居られなかった。どうしても動かなければならない。そう思う時が俺にも来たん

だろう。順番が回ってきたという事なんだ。

 家族へは随分走ってからメールで知らせた。それから携帯電話を破棄した。勿体無いと思ったが、自分

を引き返せない所まで早く追い込みたかった。

 早くしないと臆病な俺の心が全てを台無しにしてしまう。逃げてしまう。この高揚が消える前に、全て

をやり終えていなければならない。

 軍への入隊は困難だったが、粘りに粘って(俺が必死になる事が、その場にいた軍志願者達を感動させ、

後押ししてくれたのだ。勿論それも計算の内)、何とか認めさせている。

 軍には腕や足が奪われたり、俺のようになった人達も少なくない。そんな人達に対して与えられる事務

仕事に俺も回された。

 そこに居た人からは。

「なんでわざわざ・・・・。ずっと黙っていれば関わらずに済んだのに。あんた、自分の不幸はこういう

時の為にあるんだよ」

 なんて言われたりもしたが、俺の話を聞くとどこか納得してくれたようにも見えた。

 解るのだろう。生きているだけで感じてしまう申し訳なさ、罪悪感を。ここに居る人達の仲間達は今も

戦場で命をさらして戦っている。そんな中、自分だけが安全な場所で安全な仕事をしている事は、俺が想

像するよりもずっと辛い筈だ。

 俺にはまだ理解できないが、察する事はできる。

 そんな気持ちが良い方向に働いてくれたのか、ここに居る人達とすぐに仲良くなる事ができた。

 色んな情報を知りたいから、若干良い人を演じた事もある。俺はもう手段なんか選ぼうとは思わない。

できる事があればやりたい。その為なら何でもやる。

 一番必要なのは情報を得る事だった。できれば彼女の部隊の事を(アドレスを知っていたので、軍から

支給された携帯から連絡は取っている。初めは驚き、怒ってさえいたが、今更何を言っても仕方ないと思

ったのか、最後には応援し、俺の覚悟を賞賛してくれている。俺がそうさせるように話したからだ。ただ

し肝心な事は何も教えていない)、そして全体的な戦況をどう利用すべきか。

 先輩の中には内情に不思議と詳しい人も居たし、色んな話を聞く事ができた。まだ何をすれば良いかは

解らないが。とにかく情報を集め、有用そうなものは全て彼女へ知らせる。

 ただ最低限の事は守った。この電話やメールがどこで調べられているか解らないし、もし何かあれば彼

女に迷惑がかかる。俺は慎重である事を常に心がけた。

 そんな風にして半年の間懸命に働き続けた。

 その間言いたくないような事もたくさんあったが、同僚の協力とめげない心で何とか頑張っている。

 彼女が知らせて説得してくれたのか、家族から励ましのメールや電話が来る事もある。多少煩(わずら)

わしく思ったが、嬉しかった。気遣ってくれる人が居る事は嬉しい。素直に嬉しい。

 それは今も変わらない。

 人の素朴な優しさだけが、俺を生かしてくれる。

 人に必要なのは人だ。だから俺もそういう人間になりたかった。

 その為に、何を犠牲にしたとしても・・・・。



 戦況は膠着(こうちゃく)状態にある。敵戦力は多くない。それを一転に集中されているとしても、何

とかぎりぎりで防ぎ止められる。

 敵軍には本気でここを落とそうという意識が薄いようだ。この地にこの国の軍隊と同盟国の軍隊をある

程度引きつけておければ良く、それ以上の事は必要としていない。

 だからこちらも下手に手を出さず、防衛に専念している。

 何も考えない国民の中には、そんな軍部の姿勢に対して批判する声もあるが。どうでも良い事だ。いつ

何をやっていたって、批判する奴は居る。批判したい為に、ストレスの捌け口に、もしくは自分も何かを

やっているのだと思い込みたい為に、それだけの為に批判する。一々付き合っていられない。

 それに俺にとっては彼女さえ無事でいてくれればいい。政府とも国民とも関係ない。俺は俺の為の理由

でここに居る。

 そんな下らない言い争いよりも、彼女の事だ。

 彼女の所属する部隊は優秀らしく、常に前線に配備されている。

 第二軍第一師団第三大隊属、第十三防衛小隊、通称木崎(キザキ)隊。それが部隊の名だ。

 科学技術が発展するに従って、数よりも質が物を言うようになった。特に火力こそ最も重要視されるも

ので、どれだけ数があろうと絶大な火力の前には無力である。

 コンピュータの高性能化によって操縦する人員も少なくて済むようになり、兵器の値段がうなぎ上りに

なっている事もあって、昔ほど多くの兵士を必要としない。

 今では軍の下に、師団、大隊、小隊という三つの括りがあるだけで、昔に比べれば兵数は半減どころか、

十分の一以下になっているそうだ。

 もう万単位の歩兵が肉体で殺し合うような時代は終わったのだ。

 歩兵は廃れ、進歩した戦車は人の足を必要とはしなくなった。

 その分専門的な知識と訓練が必要になるので、多くの兵士を育てられないという事情もあるのだろう。

 今は人と人というよりも、兵器対兵器の戦争だ。人はそれに乗っかっているに過ぎない。

 勿論戦略、戦術、部隊指揮などで軍人としての才能の差は見えてくるが。それでさえ今は半ばコンピュ

ータに頼っている。最終的判断力としての人以上の価値はなくなっていると考えても いい。

 このまま行けば無人兵器が開発され、完全に兵器同士の戦闘になっていくだろう。人はそれを見ている

だけ。まあ、それはそれで結構な事だ。少なくとも殺される人数は減るだろうから。

 ただそれでも今も兵士に求められているものがある。

 それは戦意だ。戦う意志。相手を殺そうという殺意。それだけは代用がきかない。

 だから旺盛な戦意を持つ木崎隊が誰よりも活躍しているのは当然なのかもしれない。

 戦功を積めば新兵器や物資を優先的に回されるようになるし、その分生還率が増す。

 活躍すればする程最前線に回される事はもう考えない事にした。

 彼女が決めた道。ならそれに向かって突き進めばいい。それでこそ彼女だからだ。

 それに名が知れた方が木崎隊の動向を掴みやすく、俺にとってもありがたい。



 その木崎隊が敵側の新兵器の前に半壊させられたという情報が入ってきた。

 幸いにも彼女は無事らしい。何でも木崎隊長に救われたのだとか。しかし木崎隊の半数は殉死し、再編

の為に一事後方に下げられる事になる。

 つまり、俺の隊の方にだ。

 そこであらゆる伝手を頼り、俺はその再編の実務要員に組み込まれる事になった。

 彼女の顔を見られるかもしれない。その期待は俺をいつになく高揚させた。



 久しぶりにあった彼女は少しやつれ、目に不思議な暗さを感じさせたが、変わっていないようにも見え

た。少なくとも俺の前では以前の彼女のままであろうとし、それを俺にも望んでいるように思えた。

 だから戦争なんか知らない時のまま俺達は話し合った。

 他の隊員には話せない事も俺には気楽に話せる。今までの影ながらの協力もあって、彼女は俺を友達以

上の信頼できる支援者と考えているらしい。

 もしかしたら俺の気持ちに感付いているのかもしれないが、それはそれで良かった。こんな体になった

俺には過ぎた望みだと解っている。ただそれを気遣ってくれているのなら、それが少しだけ辛かった。

 彼女も先の戦闘で無事では済まなかったが、幸い軽症で、再編が終了次第、前線に送られる事になる。

 俺もそれを祝福し、彼女と祝杯をあげた。珍しく酔ってしまった事を憶えている。

 そして帰り、一人になった時、俺は共に行けない自分の体を恨んだ。前線に行かずに済む事に、どこか

ほっとしている自分がいる事に気付いたからだ。

 健常な肉体のままだったら気付かないふりをし続けられていたのかもしれないが、今の俺には目をそら

すだけの力が無い。

 背骨と共に心も折れたという事だろう。

 それでも生きている。より汚くなったといえば、そうなのかもしれない。

 全てを認めよう。自分の弱さを盾にして。

 だがそれだけではない。

 前線に行く彼女を見送るしかない自分。それに対して腹立たしい気持ちがある事もまた事実。

 準備が整い、かげった笑顔を見せながら行く彼女に対し、俺が出来る事は何もない。

 その事を改めて思い知らされる事は辛かった。



 いつもの部署に戻った俺は、何か方法がないかと探し始めていた。

 そんな中で俺は一つの耳寄りな噂、いや一つの事実を耳にする。

 それは、国が内密に半生体兵器を作ろうとしている、という噂だ。

 簡単に言えば機械の体に人の頭脳を移植する。そうする事で人の判断力と機械の体を併せ持った究極の

兵器が生まれる、という寸法だ。

 一昔前なら一笑にふされていただろう話だが、現在では夢物語ではない。

 人工臓器も、目が飛び出るような金額さえ払えば、ほぼ全てを取り揃える事ができる。それを応用し、

強靭な機械の肉体を作ったとしても、不思議は無い。

 だが一つだけ、人間の脳だけが作れない。だから人の脳を使う事で補完させる。当然行き着くべき考え

というものだろう。

 勿論、人道的に褒められた話ではない。外道の考えである。

 しかし俺にとっては希望だった。

 今の俺に足りない物。それは自由に動かせる肉体だ。それが強靭で、戦闘的であれば尚良い。

 その望むべき肉体がここにある。

 兵器の研究者も脳の調達にはてこずっている。死体の脳を利用しようという手段も試したそうだが、失

敗に終わったそうだ。死んだ脳には価値が無い。彼らには生きた脳が必要なのだ。

 だが当然それを差し出そうという人間はいない。

 機械の体を持った頭脳。それはもう人間ではなく、ただの兵器。

 人を殺戮するだけの、ただの殺人機械。最も忌むべき道具。

 きっと誰にも愛されない。そんなものになりたがる人間はまずいない。

 だが、今の俺にとって、それはただ一つの希望だった。

 どうせ叶わぬ想いなのだ。このまま居ても、人間のまま居ても、できる事は知れている。ならここで彼

女を応援する事しかできない自分、そんなものにこだわる必要があるのだろうか。

 それまでの人生を失ってから、ずっと考えていた。それに代わる何かを探していた。怖い。このまま時

が過ぎて、誰とも交われずにただ老いていくのが。皆から置いていかれるのが。

 いつかは簡単に治療が受けられるようになるかもしれない。後十年、二十年かからず、簡単に治療でき

るようになるのかもしれない。

 でも違う。俺が必要としているのは今だ。今この時、俺は彼女を助けたい。

 例えそれが叶わぬ想いだとしても、だからこそ助けたい。

 それで全てを失うとしても、十年後彼女に対して取り戻せない後悔をするよりはましだ。

 それにいつか人間に戻れる、という可能性もある。俺の人間としての肉体を保存しておいてもらう程度

なら、交換条件として呑んでくれるだろう。

 話は決まった。

 いや、初めから決めていたのだ。

 こうしてつらつらと考えを並べたのも、自分を鼓舞する為でしかない。

 勇気を出そう。

 俺にできる事を、俺だけの為に。




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