2.転生


 実験は失敗の連続だった。

 後は脳さえあればいい、なんて考えがいかに甘かったか。苦痛の連続。機械と同化するという事がどう

いう事なのかを全く解っていなかった。

 脳だけになった俺は、それでも当たり前のようにある意識の中、自分を保つので精一杯。薬品漬けの毎

日に、安らぎの瞬間なんか一度としてなかった。

 俺の事を心配するような人間もいない。

 ただの被検体。初めから人格を残そうという考えはなかったのかもしれない。

 彼らにとって大事なのは機械の方。俺は単にそれを動かす為の部品に過ぎない。それも一番価値がなく、

取るに足らない部品だ。

 まだ人間の体に居た時は優しさを感じられた。でも脳だけになった今の俺を見る目は、もう人に対する

それではない。

 ホルマリン漬けの臓器でも見るように、親しみなどなく、無表情に俺を見る。

 それでも耐えた。

 ここで自分を失ったら、それこそ全てが無意味になる。

 この無骨な機械の体。この第二の体を得る為に、それだけの為に俺は全ての犠牲を払ったのだ。

 今更退く事なんかできやしない。

 この頃の事は正直あまり憶えていない。

 機械を通して見る事や聞く事もできたが、多くはなく。大抵は閉じられた世界で自分の意識だけを感じ

ていた。

 時折走る痛みだけが、まだ生きている事を知らせてくれる。

 こうして地獄そのものの日々が、知らぬ間に過ぎた。



 実験に成功した時。開始から一年という年月が経っていた。

 情勢は変化し続け、一年前とは別世界になっている。

 俺がまず心配したのは、間に合わなかったのではないか、という事。だが状況を知るにつれ、不幸にも

戦争は続いている事が解った。

 台風の目のような休戦状態はいくつかあったらしいが、治まる目処は立っていない。

 この国も被害者を多数出し、最早巻き込まれたという形ではなくなっている。戦場も拡大し、ずるずる

と引きずり込まれていく。

 防衛線を保ちながら一進一退の攻防を続けているようだが、徐々に対応しきれなくなっているようだ。

 まだ国民は当たり前のように生活できているらしいが、それもいつまでの事だろう。

 俺の体には膨大な情報が送信されている。

 情報を自動的に受信し、常に最新のものに書き変え、見ようと思えば好きな時に閲覧できる。

 見ると言ったのは、俺の頭脳に直結している機能ではないからだ。

 機械の身体には俺の脳とは別に各種コンピューターが内臓されていて、大抵の事はそいつらがやってく

れる。俺の役割はそれらに命じる事と、集められた情報から状況を判断し、行動する事。

 隅々にまで搭載された無数の機能は個々に独立して動かす事ができ、多少壊されようと不自由しない。

 情報は視界にウィンドウで表示され、脳からの指令で瞬時に動かす事ができる。命じておけば、必要な

情報を解りやすくまとめてもくれる。

 至れり尽くせりという訳だ。

 視界は前方だけではなく、360度全てに広がっている。

 足の裏まで見えるのには少し笑ったが。地雷などを探知したり、足場の状態を確認する重要な機能だ。

 拡大や縮小もお手の物で、指の先から爪先までどこまでも視界を広げる事ができるし、状況把握も容易。

 ただ360度の視界に慣れるまでには、結構な時間を必要とした。

 前も後ろも同時に見える。そんな体験をするのは初めてだったからだ。

 他の機能もそう。一つ一つ説明を受ける度、未知なる感覚が襲い、制御しきれない情報に、時折痛みを

感じる。

 研究者にすればそれも慣れの問題らしいが、本当かどうか。ただの実験材料として使い捨てにするつも

りだから、気楽に言うのだろう。

 腹が立つが、今更言っても仕方ない。

 新しい体に順応するしかなかった。

 訓練に一ヶ月使った後、ようやく実戦に投入される事が決まった。

 馴染んでみると、この体の操作性は前の体とほとんど変わらない。

 視界の範囲など様々な違いはあるが、指の動かし方、目や口の使い方も同じ、皮膚の感覚まである。

 足腰の使い方を思い出すまでに少し時間がかかったが、それも慣れの問題だった。

 自分がどうやって立っていたのかを忘れるなんて間抜けな話だが、赤ん坊が立つまでには結構な時間が

かかる。それは筋力などの関係もあるのだろうが。立って歩くという事がいかに困難な事であるかを示し

ているのだと思う。

 皆が当たり前のようにできるからといって、簡単な機能という訳ではない。

 俺は今更そんな事を思わされた。

 しかしそんな事をつらつら考えている時間は無い。

 思った以上に時間がかかっていて、上からもこの計画を疑問視する声が出ているようだ。早く結果を出

さなければ、資金を打ち切られるかもしれない。

 それは俺にとっても深刻な問題だ。

 この体は常に細やかな整備を必要とする。金の切れ目が命の切れ目。この研究に注ぎ込まれる金が減れば、

それだけ俺は力と寿命を失う。

 そして俺は自分がただの兵器になった事を思い出すのだ。



 森林も高低差も飾りのようなもの。

 走るというよりは空を翔ける俺の前に、障害となるものは何もなかった。

 目的地を定めておけば、後は自動で体の方が向かってくれる。まるで航空機にでも乗ったように、俺は

快適な旅を楽しんでいる。

 しかしそんな気分も銃弾の声にすぐかき消されてしまった。

「・・・・・・・」

 静止して分析を始める。

 状況は我が軍に不利。初めから無謀な作戦だったのだから当たり前だ。

 危険視する声は大きかったのだが、一人の楽天家がそれを進め、実行させた。

 そのおかげで数百単位の人間が死ぬというのに、そいつは今も反省どころか、思い出す事さえしない。

忘れ去られるべき過去にしようとしている。

 今も戦っている人間がいるというのに。

 確かに戦争に犠牲は付き物だ。むしろ犠牲を生む為に戦争をしていると言っていい。でもはっきりと無

駄な死というのは存在する。

 反省など無意味な言葉なのだろう。

 無謀な計画ばかりで嫌になる。

 まずどの作戦も勝利の為の前提条件が多過ぎる。

 こうしてこうしてこうしていけば勝てる。

 その一つでも叶えるのに一体どれくらいの努力と労力が必要なのか、理解しているのだろうか。

 愚かしい事にどの国の作戦もそうだ。

 だからいつも戦争が長引き、いつまでも終わらない。

 こんな筈ではなかった。そんな下らない言葉ばかりが増えていく。

 どうして簡単に勝てると思うのだろう。

 そんな戦争はこの世に一度だって無かったというのに。

 何も解っていないから戦争を始められるのだとしても、それは正しく不幸という奴だ。

「・・・・・・・」

 下らない事を考えすぎた。

 駆動音が一切しない中、視覚、聴覚、嗅覚から得た情報がまとめられ、自動的に分析されていく。

 戦車が多い。敵が三十ニ、味方が十か。どう防ぐつもりだったんだろう。素人の俺でも解る計算だが、

味方の士気で三倍の力が出せるとでも思っていたのか。

 強化チタン製の厚い防壁も設置されているが、それももう何日と持たないだろう。だましだまし戦う事

で何とか生き延びてきたようだが、そろそろ敵が痺れを切らす頃合だ。

 敵も馬鹿ではない。我が軍の延命策に乗っているようにみせかけて、弾薬や増援の手配をし、勝った勢

いに乗ってそのまま奥深くまで侵攻する態勢を整えつつあるようだ。

 だからこそ生きていられたのだ。皮肉な事に。

 ここは迅速な判断と、神速の行動を必要とする。

 全身が駆動していくのを感じ、俺の体が目覚めていく。

 現在目の前に起こっている全ての事象を分析、必要なものを抜き出し、その全てを未来予測する。そし

てそれに対する手段がいくつか表示され、俺が選択する。

 後は体に任せておけばいい。

 瞬時の判断はできなくなるが、体に任せる方が速く動ける。楽な敵であれば、こっちの方がいい。

 俺の初陣だ。強さを印象付ける為にも、速さと力を見せ付ける必要がある。

 そうする事で俺という存在は、戦況を一変する戦略兵器に変わる。

 一台、二台と戦車を粉砕し、砲弾を見付けては一々叩き潰した。全てはとてもゆっくりと進行しており、

俺だけがその中で加速し続ける。

 脳が焼き切れるまで。

 ある程度加速した所で感覚を切った。脳に入る情報を減らして負担を減らさないととても持たない。

 体の方はその間も自動的に任務を忠実に遂行していく。

 夢を見るような景色の中、変わりゆく戦況が次々と表示され続けていた。



 戦果は上々。全ての戦車を戦闘不能にするまでに一時間とかかっていない。もっと速くできたかもしれ

ないが、あまり激しく動かすのは危険だ。

 小型核融合炉を搭載したこの兵器には無尽蔵のエネルギーを生む力がある。だがそれも様々な面で試験

段階にあり、安定させるのが難しく、一度止まれば再起動に時間がかかる厄介なものだ。

 予備エネルギーもあるが、著しく性能が落ちる。

 負荷を与え過ぎると炉自体が崩壊する恐れもあり、下手すると俺自身が爆弾になりかねない。もしかし

たらそれも想定されたものかもしれないが。

 単騎侵入、自らを爆弾にして全てを消し飛ばす。後には証拠も何も残らない。神風の最終形か。ぞっと

する話だが、そんなおぞましい事を平気で考え、実行する人間は後を断たない。

 それは狂気ではなく、当たり前の発想なのだろうか。

 結果だけを追い求めれば、自然にそうなるのかもしれない。

 それを追い求めた結果。その他のあらゆるものを無視し、結局は俺のようにおぞましい存在を生み出す。

 任務を終えた俺はすぐに帰還した。

 その力を知らせる必要はあるが、それ以上の事を知られてはならない。



 こうして五体を動かせる新たな体を手に入れた訳だが、高揚感は長続きしない。

 整備する度に痛みが増え、より機械化されていくのを感じる。

 名前も付いた。CA-01。戦闘用アンドロイド試作一号機。CA1、一号機などと呼ばれる事が多い。

 人間の頭脳が搭載されている事は最高軍事機密。政府の中にも知る者は少ない。

 もしかしたら研究者以外誰も知らないという可能性もある。

 外見は簡単に言えばロボット忍者か。映画にでも出てくる甲冑を着込んだ忍者に似ていない事もない。

 何故この姿なのか。超人といえば忍者だったのか、製作者の好みだったのかは解らないし、どうでも良

い事。今の俺は人間ではない。外見を気にする必要などないのだ。

 しかしアンドロイドのコスプレと思えば、おかしくなる。

 初めはまっさらな凹凸のない人型、マネキンのような体だったのだが。調整の度に変えられ、今の姿に

至る。甲冑部分は追加装甲らしく、取替えがきくし、簡単に外す事ができるようだ。

 限りなく人に近い形状に作られている為、既存の人間用の兵器を使う事もできるし、追加装甲を換える

事で武装も変えられる。

 汎用的な兵器になるよう追求されたらしく、将来的には地海空、戦場を選ぶ事無く戦えるようになるそ

うだ。それまで開発が続けば、の話だが。

「CA1、気分はどうだい。しかしCAなんていうと、綺麗なお姉さんを思い出すなあ。いやいや、君の姿も

嫌いじゃないよ」

 研究員の一人が話しかけてくる。

 名前は真田栄一郎(サナダエイイチロウ)。そういう情報も自動的に表示される。

 学者の間ではそれなりに名の知れた存在らしく、色んな論文を発表しているが、俺にはその価値は解ら

ない。

 こいつは最近着たばかりで、何かあるとすぐに話しかけてくる。返事をする度に感心されるので、多分

俺を人工知能だと考えているのだ。

 この研究施設は人の入れ替わりが激しい。最高責任者はそのままだが、それ以外はころころ替わってい

る。今では俺が人間だった事を知っている人は、ほとんどいない。

 きな臭さを感じるが。まあ、そうではない事を祈ろうか。

「多分適当に付けられたんだろうけどね」

 真田は俺が見る限り、人に嫌われるようではない。彼が居ると施設内の雰囲気が若干良くなるような気

がするし、そういう意味でも選ばれたのかもしれない。

 人が次々に変わるせいか、様々に噂されている。その事への対処だろうか。

 まあ、施設内がどうだろうと知った事ではないが、俺も機械扱いされる方が楽といえば楽だ。下手に人

間だと思っているから虚しくなる。今は機械でいい。初めから機械と思ってくれていた方が、疎遠に感じ

ずにすむ。

 元人間だと知っている人間に、機械扱いされる方が辛い。

 人員が増え、装備も充実し、計画は順調に進んでいる。その内前線に投入される事になるだろう。

 そうすれば彼女に会える機会があるかもしれない。

 確認する為、情報を閲覧する。

 俺が休息状態に入ったと思ったのだろう(彼らはこれを俺が眠ったと言っている)、真田も仕事に戻っ

た。暇ができるような楽な仕事ではない。俺に話しかけるのも気分転換のようなものなのだろう。

 外界を閉ざし、彼女の部隊を探した。

 木崎隊はとんとん拍子に出世を続け、木崎隊長は今では少佐に任命され、新たに組織された独立防衛隊

の隊長になっている。

 大隊扱いだが、どの軍団からも独立して作戦を遂行できるそうだ。

 彼女も木崎少佐に引っ張られるように昇進し、今では少尉となって一部隊を任されている。

 木崎隊は復帰してからも激戦に次ぐ激戦を続け、死傷者が多い。そんな中で生きてきた彼女はいつ

しか勝利の女神と呼ばれるようになり、広報に利用される事も多くなった。

 隊員募集のポスターなどにも彼女の姿が多く見られる。同じような兵士は男女問わず何名かいるが、彼

女の人気が一番高く、時にはテレビ出演もしている。



 実戦に投与され初めてから一月。CA-01の存在は広く知られるようになった。

 それが何かは解らないが、ともかくとてつもない兵器を開発したのだと大騒ぎしている。

 政府は沈黙を続けているが、黙認する格好だ。

 今までは単純な任務が多かったが、潜入工作など少しずつ複雑なものが与えられるようになっている。

 成功する度に真田達は喜んでいたが、その意味を理解していないから喜べるのだろう。

 それはつまり、俺がより優れた兵器、人殺しになっていくという事なのに、彼らは子供のように喜んで

いる。

 核兵器を成功させた技術者、学者達も、このようであったのだろうか。

 多分そうなのだろう。都市を半壊させ、多くの死傷者を出し、その後も多くの犠牲者を出し続けてきた

忌むべき兵器とその実験にも、彼らは狂喜していたに違いない。

 彼らにとってはおもちゃなのだ。その成果のみに一喜一憂し、それ以外の事には興味ない。何も知らず、

何十万という人を殺していく。

 彼らは一度でも考えた事があるのだろうか。

 それを思うと、やはり好きにはなれなかった。

 嫌悪感が押し寄せてくる。吐きそうだ。

 あれだけの犠牲を受けて、わが国はまだこんな事をやっている。今度は自分が撃つ方に回りたいのか。

自分が撃たれたのだから、次はこちらが撃っても良いだろうと。

 愚かだ。

 誰よりも頭が良いが、それだけに誰よりも愚かだ。

 頭が良いが故に、他の事に目が行かない。病気なのだろう。

 しかしそれを俺に言われる筋合いは無い。兵器に人殺しと罵られるなんて馬鹿な事だ。

 自嘲するしかない。

 もう何も言えないのだ。

 この体では。



「残念だよ、君と離れるのは。でも、またすぐに会えるさ」

 真田達は俺を友達だとでも思っているようだが、俺は違う。

 友達と思ったことは一度も無く。これからも無いだろう。

 それに彼らが愛着を持っているのは自分の作った兵器に対してだ。よく出来た道具だから、彼らは喜ん

でいるが。俺が人間だったと知れば、どういう反応をするだろう。

 悪魔の兵器と罵るか。それとも、まさに人類の英知。人が肉体を脱する第一歩だ、とでも愚かな考えを

抱くのだろうか。

 確かに、いずれは脳みそも機械で代用できるようになるのだろう。

 その時、人間という定義はどうなっているのか。社会はどうなっているのか。興味はあるが、そんな未

来は見たくない。

 まあ、心配しなくとも、それまでには死ねるだろう。

 それともいつまでも生かされ続けるのだろうか。有用な実験材料として。

 残念ながら、それも無い話ではない。

 今ではもう人間に戻れるかもしれないなどという希望は捨てている。

 俺の脳はこの機械に最適化されてしまった。切り離されれば俺は死ぬ。

 俺には何よりも優れたコンピューターが付いている。この相棒は残酷な事に全てを教えてくれた。

 研究者は知らないだろうが、俺もただの部品として生きてきた訳ではない。ずっとこいつと共にあって、

色んな事を学んだ。

 それは俺に暗い事実を教えてくれたが、後悔はしていない。




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