幻視(発現)


 うきひひひひひひひっ。

 また笑い声が聴こえる。これで何度目だろう。もう数える気もおきないくらい聴いているように思う。

 そしてこの声が聴こえてから、おかしな事が私の身に降りかかった。そう確かに聴こえてからだ。もし

かしたら、この声が私に見せているのだろうか、この奇怪な風景を。

 何事もない普通の風景、いわゆる何の変哲もない何処にでもある風景。

 しかし私には見える。数多に揺らめいている人影が。明らかに人ではいられない場所に居る者もいる。

例えば自販機の隙間、車の上、車内の天井の隅、車道の真ん中、買い物籠の中、自転車の荷台に座る者、

木の陰、草の陰、空に浮んでこちらを見ている者までいる。だが居られるはずのない場所に居る彼らは、

全て紛れもない人の姿。

 そう、どうやら私には幽霊が見えているらしい。

 勿論初めは幻覚だと思った。幻聴だと思った。医者にも行った。大きな病院にまで行き、詳細に調べて

ももらった。でも何も解らないと言われる。原因不明だと、そして医師達は皆私を悲しげな表情で見る。

或いは憤った表情で見る。

 頭がおかしくなった憐れな人、嘘を付いて医師たる自分を馬鹿にしている人、気が狂った厄介者、彼ら

はいずれかの視線で私を見た。冷たくも痛めつけられる視線で。

 だから私の身体がおかしくなった訳ではないと思う。医師達も普通の患者であれば、あのような目を向

けはしない。

 でもまだ見えるだけならいい。それならいずれ慣れるかもしれない。でも彼らは何故か執拗に私に関わ

ってこようとする。

 私は怖い。本当に気が狂ってしまいそうだ。

 現代医学で解らないのなら、それは私の責任ではないじゃないか。こんな私に彼らは一体どうしろと言

うのだろう。

 まだ生きてる人間ならいい、話が通じれば何かやりようもあるし、悩みなんか生きていればどうにかな

る。けれど死んだ彼らが私に救いを求めて来るのだ。

 そして私からすれば怖ろしい顔を近付け。

「あんた、見えるんだろ?」

 決まって彼らはそう言う。そして、助けてくれ、或いは、見えるくせに見捨てるのか、なんて事を当た

り前のように言う。見えるのなら助けてくれと。

 だけど私は一体どうすればいいのか。何が出来る。ただ見える、聞こえるだけの私に。私は霊能力なん

かない、ないはずなんだ。何も出来やしない、出来るもんか。

 きひひひひひひひひっ。

 そんな私を嘲笑うかのように、いつも困った時には必ずこの声が届く。

 ああ、一体いつからおかしくなってしまったのだろう。いつも通りに生活していただけなのに。朝起き

て夜眠り、昼間は仕事で真面目に働いた。宝くじが当ってとか、素敵な出会いをとかは望んだけれど、決

してこんなものを見たいなんて、今まで一度たりとも願った事はない。それなのに何で私なんだ、突然私

なんだ。

「本当におかしくなってしまったのか。ああ、白い車が通る・・怖い、何で夜なのに白なんだ」

 夜に見る白、なんて怖ろしいのだろう。なぜ夜なのにあんなに白いのだろう。何故白だけあれほど白く

浮かび上がるのだろうか。怖ろしい。暗いのに何故黒くならないのだろう。

 でも夜に白い物を見るのが怖いから、だから幽霊が見えるなんて、理由としてもおかしいじゃないか。

ちょっと変な感性だと言われても、幽霊が見える理由になんてならないはずだ。

 ああ、駄目だおかしくなっている。白い車がどうした。今はそんなものに関わってちゃあいけない。

 もっと現実的に・・・。

「現実、現実的、科学的・・・・か?」

 そうだ良く考えてみよう。

 人はそこに在る物を直接見るのではなく、目が取り込んだモノを、頭が処理し映像に直したものを見る

という。

 と言う事は、ひょっとすると今見える霊達は当たり前にそこに居て、それを普段は見えなくしているだ

けじゃあないのだろうか。別に見る必要はないし、見たら怖がるだろうから。

 霊視が出来る人は、霊を見せない機関が少し狂ってしまったのか、訓練して本当は見えている物を見え

るようにしたと言う事ではないだろうか。

 だとすると、今が自然なのだろうか。なら私は自然だ。変じゃない。おかしくないんだ。

 でもだったらどうだというのだろう。何も解決にならない。理屈がついても、それでどうなると言うの

か。ほら今も隣に付いて来ている。またいつものように言うのだろうか。

「あんた、見えてるんだろ?」

 って。

 ああ、どうしよう。見ない振りをしているのに、何故か見えてしまう。見たくないから見えてしまうの

か。でも、見たくてもやっぱり見えてしまう。どうしようもない。

「行ってくれ、頼む気付かないで行ってくれ」

 良かった、行ってくれた。私にほんとは何の力も無い事を解ってくれたのかもしれない。よかった。

 毎日毎時間、毎分毎秒こんな事ばかり考えている。気が狂っても不思議じゃないだろ? そうだろう、

むしろ気が狂った方が楽かもしれない。

 ああ、もし僕にほんとに力があれば、そうならどうにか出来るのに。ん、力?

 そうだ、力だ。本当に力ある人に頼めば、この悩みを解決してくれるかもしれない。解決出来なくても

相談にならのってくれるはず。誰でも良い、誰か話だけでも真面目に聞いて欲しかった。


「ほう、あなたは死霊が見えなさると・・・・、そう言うのですね」

 住職は興味深そうに私を見た。

 やはり神主の方が良かっただろうか。それとも山伏? あまり詳しく無いので、良く解らない。結局近

所のお寺に来たけれど、大丈夫だったろうか。

「世の中には見たい見たいと仰っておられる方もおりますのに、どういうわけかあなたのように見たくも

ない方ばかりが見てしまわれるようで・・・・、ははあこれも仏のお導きでしょうかな。それとも怖さが

生み出す幻覚でしょうかな」

 住職は感心したように一人でそんな事を呟く。

 でも仏様が導くとして、こんな幻覚見せて、どこへどう私を導きたいのだろう。仏様の方が気が狂って

るんじゃあないだろうか。

 悩みから救ってくれるのが仏様ではなかったのだろうか。ひょっとするとほんとは人を悩ませるものな

のだろうか。そういえばキリスト教では神の試練とか良く使われるし、同じ神様なら考え方の似ている神

様が居てもおかしくないかもしれない。

 でもやっぱりこの試練の意味が解らない。霊が見える事でどうしろと言うのだろう。救えと言うのだろ

うか、自分さえ救えないこの私に。

「残念ながら、私にはそういったものは見えないのです。修行が足りないのでしょう。ですからどうも力

にはなれないようですな。私に出来るのは一心に教を読む事でしょうか。もしかしたら少しは利くかもし

れません、お試しになられますかな」

「あ、いえ、多分とりつかれてはいないと思いますので」

「作用でございますか。でしたら、とにかくあまり悩まない事ですな。何も考えずただ己を見、ありのま

まに眺めてやれば、なにやら見えてくる事もありましょう。あなたに仏の慈悲がございますように」

「ありがとうございます」

 結局住職のありがたいお言葉を聞くだけに終わってしまった。

 行き当たりばったりにお寺に行っても、そう都合よく人は救われる訳ではないようだ。困ったときの神

頼み。その神は神道の神様だったのか。あ、触らぬ神に祟り無しと言う言葉もあったな。一体どっちが本

当だろう。

 きひひひひひひっ。

 また笑ってる。どこかで私を見ているのだろうか。元は人間なのだろうから、ストーカーまがいの霊が

いても、それはそれでありえない話ではない。霊事情は知らないけれど、色んな霊がいるだろうさ。

 でも何故だろう。ずっと付いてきてるのなら、私になら見えるはずなのにそれらしい霊は見えない。見

たくない霊なら、いくらでも見えるのに。

 付いて来てるのなら、絶対に見えるはずなんだ。それとも隠れて私を脅かしているのだろうか。

 どうしたら良いのだろう。怪我をすれば病院、眠ければ家に、腹が減れば飲食店に行けばいい。でも霊

が見えてしまった時はどうすればいいのだろう。そんな事誰も教えてくれなかった。

 お寺も駄目なら何処へ? 神社? でも神社も同じじゃないだろうか、本当に力ある人がそんなに何処

にでもいるはずがないよ。

 なら誰に相談したらいいのか。友人、恩師、両親、・・・・多分言っても狂ったと思われるだけだろう。

誰がこんな事を信じられる?

「こうなったらそれらしい所に、虱潰しに当ってみるしかない」

 神社、お寺、日本には腐るほどそういった場所がある。良さそうな所を当っていけば、いつかは頼りに

なる人に出くわすかもしれない。

 と言うよりも、何でも良いから何かしていないと頭がおかしくなってしまう。何も考えたくない。


 仕事も休暇をとり、あれから何日も家に篭りっきりで調べた結果、私は一人の人に行き当たる事が出来

た。詳しい事は知らないけれど、なにやら由緒ある神主の家系で、不思議な力を持つ方らしい。

 一般には知られてはいないけれど、その道ではとても有名な方で、恐れられもし、敬われてもいるとの

事。少し怖い方と言われて悩んだけれど、藁をもすがる思いで、その方に賭けてみる事にした。

 どのみちもう自分ではどうしようもなく。このままでは仕事も何も手に付かないので、少しでも可能性

があるなら試してみたい。それにその人の名前が新聞やテレビでまったく聞いた事が無い事が、何だか信

頼出来そうに思えた。

 それだけ有名なのに、一般には誰も知られていない。それこそその人が本物である証ではないか。素人

考えだけれど、そういうものじゃないだろうか。 

 多分紹介してくれた人も、私が本当に困ってるのを見て、気の毒に思って教えてくれたのだと思うし。

 ともかくヒントでもなんでも良かった。何かが欲しい、手助けになる何かがほんの少しでも欲しかった。

嘘でも本当でも、何でも良いから効く薬が欲しかったのだ。

 そうして私はさる場所へと向っている。見えるようになって以来、怖くて車の運転も出来ないので、徒

歩と交通機関を利用している。少し時間はかかるけれど、どうにか夕暮れまでには着けそうだ。

 うひひひひひひっ。

 そんな私を嘲笑うかのように、また一つ声が聴こえた。

 見ているだけなら、そりゃ楽しいだろうさ。




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