1-1.陽気なコビット


 いつも陽気なこの村に、一人の老人が住んで居られる。人間が言うところの小人族の長老、ホルムンマ

ルクス三世である。

 いや、小人などとは真に失礼千万な呼び方。ここは一つ彼らの名誉の為に、コビットと呼ばせていただ

きたい。コビット、なかなか良い名前ではないだろうか。

 コビット長老の髭(ひげ)は真に長老に相応しく、この村一番見事で、またふさふさと生え繁っておら

れる。今日も長老はこの髭を丁寧に磨き上げ、コビットの長老として、何処へ出ても恥ずかしくない姿を

せねばならぬ。

 何故ならば、それがコビットの長老として、やらねばならぬ一つの使命だからである。コビットにとっ

て髭こそ命、髭の乱れは心の乱れ。衣服の乱れよりもより非礼に当る事なのだ。

 しかし髭を整える為の道具を未だ下男が持ってこず、ホルムンマルクス三世は少しご立腹であった。

 おや、ようやっと下男がやって来たようだ。遅い遅い。コビットは早寝早起きを心がけるべきであり、

朝日と共に起き、夕日と共に眠るのが良いに決まっているのに、何故毎日毎朝こうも遅くまでやってこな

いのだろう。

 いくらろくでなしの不器用で気の利かない下男だとはいえ、この男の持ってくる道具が無ければ、とて

もとても大事な髭を磨き上げる事適わぬ。

 このコビットの長老たるホルムンマルクスの、コビットの象徴たる髭を磨き上げるという大事な、正に

コビットの一日の始まりに相応しい祝すべき出来事を、遅らせるとは何事か。

「ひいひいふう、ハレイヨ、旦那様。お髭セットをお持ちいたしました」

「ちょっと待て」

「はあ、なんですかいの、旦那様」

 確かに髭の手入れは重要であるが、しかしコビットの大人として、長老として、一つだけ、いやむしろ

二つは言っておかねばならない。ホルムンマルクス、いや面倒だから以後ホルマルとしよう、は不適当な

言葉などは許せない性質なのである。

「うむ、そのハレイヨ、とは何ぞや」

「あれまあ、旦那様。先の会議で決まりましたではありますまいか、今季の挨拶はハレイヨにすると」

「何だと、この長老たるわしを無視し、いつぞそのような会議が開かれたと言うのだ」

「なんとまあ、何を仰るやら。旦那様は役員ではありますまいに。だいたい長老なんて役職は、この村に

はございませんよ。会議を開くのは村長のご役目ですよ」

「馬鹿者! 長老以上の役員がこの世にあるか。お前ももちっとその腑抜けた頭を使わんか!」

「へえへえ、私が悪うございましたよ。今出て行きますからね。阿呆者は大人しく仕事しておりましゃあ。

・・・・まったくおボけなすっておいたわしい。昔はご立派なお方だったものが、全て台無しじゃあ。は

ああ、歳はとるもんじゃないわい」

 後半の言葉はどうやらホルマルの耳には入らなかったようだ。とはいえ彼のお腹立ちに変りなく、機嫌

が直られる訳でもない。

 折角の髭の手入れも怒りで身が入らぬようで。

「あの下男もやはり気の利かぬ男じゃあ。何故手入れを手伝おうかと一言も言わんのだ。まったくろくで

なしばかりじゃあ」

 などとまるでそこにまだ下男が居るかのように、何度も何度もお叱りあそばされた。

「しかしこのわしを差し置いて会議を開くとは。さてはあそこの小倅(こせがれ)か隣のお転婆が何かし

たに違いないぞ。わしを妬み、わしを陥れる事しか考えておらぬ。小さな時分から随分世話してやったも

のを、恩を仇で返しおってからに」

 立派なコビット、金持ちコビットというのは、昔からとかく理由の無い非難をうけがちで、この長老も

平素からいたく気にされておられる。

 隣近所だけならまだしも、彼の子供達までもが今では彼を見ただけで逃げていく始末。

 嘆かわしい事に、今この老コビットを想うのは、先程の気の利かない下男一人と言う訳だ。これが皮肉

でなければ、何が皮肉であろう。

 この偉大なる唯一人のコビットとまで呼ばれたホルマルが居なければ、今この村はこれほど豊かでなか

ったというのに。まったくもって今の村の繁栄があるのは、彼一人のおかげなのだ。

 その辺の昔の武勇伝など細かい話は、面倒なのでまたの機会か、一生無い機会とするが。

 まったくコビットの世の中は寂しいもので、歳はとりたくないものである。

 さて、この老コビット。時間はかかりながらも、何とか支度を済まされたようで、元気よく立ち上がり、

いずこかへとおでかけするご様子。

 ではこの偉大なるコビットの一日を追ってみよう。


 

「ハレイヨ、ホルマルさん」

「ハレイヨ」

「ハレイヨ」

「ハレイヨ、ハレイヨとうるさいわい!! そんなにハレイヨしたければ、わしが貴様らをハレイヨしてやるわ!」

 出て早々、余りのハレイヨに長老はいたくご立腹され。手にしたステッキを辺り構わずぶんぶん振り回

されると、皆慣れてでもいるように俊敏に逃げ去ってしまった。

 彼らとしては単に挨拶しただけなのだろうが、この長老は何せハレイヨなどという自分を無視して決め

られたような挨拶が、今とてもとてもの上に大を付けても良いくらいに嫌いであられるのだ。つまりは、

とてもとても大嫌い、なのである。

 ホルマルは長老。ならば村民の方が敬意を払うべきなのに、何故こうもハレイヨハレイヨと言うのだろ

う。ホルマルはもうハという言葉を聴いただけでも、むかむかと苛立ちが募る心持ちであられる。

「まったく、この村ももうお終いじゃ。こんなにハレイヨが蔓延してるようでは、手の尽くしようがない。

これは去る事五十年前に起きた、あの考えるだに怖ろしいハレハレ事件の再来に違いない。ああ、難と言

う事だろうか。ハレイヨ、ハレイヨ、フン、それならば皆ハレイヨするがいいわい。そこまでしてハレと

言いたいのならば、言わせておけばよろしい。ハレハレでもハレイヨでも好きにするがいいわ」

 長老は顔を真っ赤にされ、まるで煙でも噴出してるかのような荒い鼻息で鼻の穴を大いに広げられ、ま

ったくもって人に見せられない表情で踏み荒らすかのように歩かれていく。

 その後を村人が恐る恐る伺っているが、最早誰も近付こうとしない。

 先ほどの村人が、気の毒な今日の犠牲者第一号と言うわけだった。いつ長老が怒るのか、それは長老に

しか解らない。いや、長老にすら解らない。

「ああ、おいたわしやホルマルさん。あんなにお呆けになられて、情けなや」

「おかわいそうに」

「ああ、おかわいそうだよ」

 そして口々に哀れみの言葉をもらしている。

 こうしていわれの無い同情を一身に受けながら、しかしホルマルはまったく気にされた様子もなく、威

風堂々と歩いておられた。真にご立派。その鼻息がもうドラゴンのはくという魔法の息にすら思えるくら

い、ご立派である。

「ふうむ、どうやら腹が減ったな」

 長老もコビットの子、そういえば今日は起きてからまだ何も食されていない。彼の如き立派な体格のコ

ビットであれば、これはもう腹も空いて当然というもの。

 そこで彼は一軒の飯屋に入られた。

 コビットというものは、大体が各々にしっかりと役割が定められており。例えば洗濯係ならば洗濯を、

食事係ならば食事を、という風に仕事も細々と決められている。

 一人のコビットが食事と洗濯を同時にしていたり、掃除と水汲みを一緒にしていたりとか、そういう曖

昧な事はないのである。

 そういう風にして、一つの村がまるで一人のコビットであるかのように、仲良く暮らしているのだ。

 ただ下男とか下女とか、召使とか僕とか言われる世話係や便利屋といった連中は別で、彼らは何でもや

る事を許されている。と言うよりは、ご主人の世話をする、という役割上の事を考えれば、解りやすい。

 何でも出来るという事ではなく。ご主人が命じる事は何でもしなければならないと、そういう事である。

 それは長老であろうと変わらず。腹が空けば飯屋に行くか、それとも下男に言いつけるかしなければ、

自ら料理をしたりする事は許されない。いやむしろ、面倒くさい。

 ホルマルは準備中と書かれた札を男らしく無視され(決して眼鏡を忘れて見えなかった訳ではない)、

堂々と飯屋へと入られた。

「亭主、飯をいただこう」

「え、まだ準備・・・・。ああッ、ホルマルさんか・・・・こりゃあ厄介な爺さんが来ちまったもんだよ。

まったく朝からついてねえなあ」

 なにやらぶつぶつ言うのが気になったが。そこはそれ、長老としての威厳を見せられ、ホルマルは毅然

とした態度を崩さず、小さな事は水に流された。流石はコビットの長。コビットの誉れ。

「亭主、早くしていただこう」

 長老にとって時間とは貴重なもの。思わず急かしてしまうのは、決してお腹が空いてるからではないの

である。

「はいはい、すぐお持ちしますよ。・・・・・あー、確か昨日の晩飯の残りがあったなあ。じゃああれに

するかい。どうせ暖かいも冷たいも、上手いも不味いも解らねえくらいお呆けなされてる事だし、まあて

きとーにてきとーに。・・・・はい、お待たせしました」

「おお、早いな亭主。そして美味い。正にコビットの誉れであるな」

「ありがとうございます」

 こうして長老は朝一番の食事を、冷たい残り物に舌鼓を打ちながら、とても有意義に過ごされたのであ

った。  

 気のせいか今日の髭はいつもより輝いておられるが。決して料理の汁を髭にぶちまけてしまった訳では

ない。そこの所は間違っても間違えてはいけないのである。




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