1-2.無限のホルマル


 飯屋の主人の心を込めた料理に満足なされたホルマルは、店に入る前の気分も何処へやら、さっぱりし

たお顔で大変満足そうに出て行かれた。

 勿論代金など払っておられないのだが。店の主人の方も残り物を片付けてくれたものだから、逆にお礼

が言いたいくらいの気持で、ほんの僅かな申し訳なさを視線に込め、何も言わずに暖かく見送る。

 決して哀れみの目で見ていた訳ではない。

「今日も良い日和じゃあ」

「ハレイヨ、ホルマルさん」

「なんじゃと、このハレイヨめが。ああ、忘れるとこじゃったわい。そうじゃ、ハレイヨ、ハレイヨじゃ

い。そのハレイヨめを今日はこうしてあーしてどうこうしてやろうと思っとったんじゃ。さあこいハレイ

ヨ、このホルムンマルクス三世が、いざ尋常に相手してくれるぞや」

 機嫌のよろしそうなホルマルについつい挨拶してしまったのが運の尽き。

 哀れ通りがかりのコビット一名、激変したホルマルに杖で散々殴られてしまい、悲鳴を上げて逃げ出し

てしまった。

「ほうれ見よ、正義は必ず勝つのじゃ!」

 そしてホルマルは高らかに勝どきの声を上げられた。

 その姿、真に雄々しくご立派。これぞコビットの誉れ、コビットの勇姿。正に世に謳われる大ホルマル

のお姿であらせられる。

「さてさて、これだけで満足するわけにはいかぬわい。ハレイヨのそもそもの現況を叩かねばなるまいて。

そう、あの男、そしてあの女、そしてその他諸々の何某かめが。このわしの手で制裁を加えてくれようぞ。

コビットの神に成り代わり、このわしが自ら罰してくれるわ!」

 勝利の後は常に猛々しくなるもの。ホルマルは威勢良く杖を振り回されながら、意気揚々と宿敵の家へ

と進んで行かれた。

 コビットは本来洞窟に住むのが一般的であったのだが。月日を重ねる毎に他の集落との繋がりが深くな

り。人口の増加に合わせ、安定して大量の食料を得られる農作へと、その生活様式が変化していった事も

あって、徐々に生活地が平野へと移り。今ではこうして家を建築して住む事が主流になっている。

 それもこれも思えば全てホルマルの手柄であり、現在のコビットが安心して毎日を暮らせるのは、この

大ホルマルのおかげなのである。正にコビットの誉れ、コビットの中のコビット、全てのコビットの父で

あらせられる。

 だがそれもこれも今では昔話にされ、若い者達が役員による議会制というハイカラ物に毒されて以来、

彼の老いと呆けと共に急激にその評価は忘れられ。ホルマルは隠居場所として大きな屋敷を与えられたも

のの、現在は議会からは爪弾き、権力の中心からは完全に外されておられる。

 ああ、お労しやホルマル。英雄も過去にされればただのすちゃらかじじいなのであろうか。

「ハレイヨの悪魔、ハレイヨの魔女め」

 こもごもの不満をハレイヨにぶちまけながら、ホルマルは雄大なお姿で威風堂々と進まれて行く。

 長い年月の内に一つの町が複数の村に分かれ。またその村が町となり、大きくなって複数の村へ分かれ。

そんな事を繰り返しながら、順調にコビットは数を増やしている。

 その為、最も初期に生まれたこの村も、今は小さな村の一つでしかなく。端から端まで歩いて一時間も

かからない規模になっている。

 今のコビット世界の中心都市は、ここから大きく離れた場所にある。これもまた嘆かわしい事だ。

 だがそのおかげで、宿敵の居る議会場とやらに着くのも、時間の問題である。

 しかし何と言う事であろうか。先程の激戦のせいだろう、ホルマルは目的地まで後数分という距離を前

にして疲れ果て、道端の椅子として使われている平石の一つへと座り込んでしまわれた。

 吐く息は荒く、真に見るに忍びない光景であられる。

「わしとした事が不覚、不覚じゃあ。その昔は山岳も沼地すらものともせず、一日中走り回っても息一つ

乱した事は無いわしだというに。ああ、今のわしにあるのは、もうこの髭だけになってしまったわい」

 往年の彼を思い出せる物も年月と共に失われ、残るのはコビットの誉れたる髭しかなくなってしまわれ

ている。英雄も年老いて全てが変ってしまわれた。

 コビットの中で唯一人ふさふさと伸ばしておられる髭を除けば、最早コビットのコビットとしてのコビ

ットとは言い難くなってしまったのである。

 英雄の頃はまだお洒落とお世辞を言ってもらえていたその髭は、今では普通に気持悪がられる代物であ

る。それどころか子供が夜中に見れば泣き出すしまつ。ああ、嘆かわしい。

「ああ、もう駄目じゃあ・・・・」

 そうしてホルマルは平たく削られた石の上に体を伸ばし、静かに目を閉じてしまわれた。


 目を開けた時、すでに日はとっぷりと暮れ、ホルマルの目には美しい夜空が映っておられた。

「しもうた。うっかり寝すぎたわい。この寝過ぎ具合は、去る事二十五年と三ヶ月前、いざ出発と思うた

時に、うっかり弁当を忘れた事を気付いた事にも匹敵するわ。それより何より、腹が減って堪らん」

 議会場はもう閉まっているだろうし、ホルマルが空腹というこの世の一大事において、そんな事を言っ

ていられるわけがない。このままでは健康を損ねられてしまい、ますますお呆けになられてしまうではな

いか。

 これは由々しき一大事。ホルマルは飛び跳ねるように起き上がられ、ともかくも道を引き返す事で、朝

厄介になった飯屋を目指された。

 その速度は何と言わせていただくべきか、とても口では表しようのないくらいにばたばたと二本の足を

動かされ、しゃくとり虫もかくやと思わされる速度で。まるで大団子に短い手足が生えたかのようでもあ

り、それでいてなかなかに美味しそうな見事な団子具合でもあらせられた。

「ハレイヨを目前にしながら、何と情けない事か。そうじゃ、これもあの若造と小娘の呪縛だか魔法だが

呪いだか、その手のなにやら良く解らないが確実な悪意がうかがえる輩の力を借りたモノに違いあるまい

て。とすればハレイヨたらいう不愉快な言葉も、おそらくその手の邪神だか悪魔だかのもじゃもじゃして

べちょべちょだろう存在の差し金に違いない。ああ、こうしてはいられぬ。はよう飯を食べ、はよう寝て、

はよう明日にせねばなるまい」

 コビットの中心、即ち世界の中心であるホルマルであられるからには、彼が眠れば夜が終わり、彼が目

覚めれば朝が始まるのである。

 これはもう間違いない。間違い無き事実であり、実際ホルマルは寝てる間に朝を見た覚えは無いし、寝

る前に夜が明けるのを見た事は無い。これは確かな事実である。

「待てよ、とすれば何か、何じゃろうか。わしがはよう眠らねば、朝は来ない。逆に考えれば、わしが寝

ない限りは安心という事じゃろうか。いやいや待て待て、それでも時間は流れておろう。つまりは逆にわ

しがはよう寝れば、なにやら禍々しいか鬱陶しいか解らないへんてこが、そのへんてこの活動する時間が

なくなると言う事か」

 ホルマルは道端に立ち止まられ、静かに瞑想に耽られ始めた。

 しかしここでふと一つの大きな疑問にぶちあたる。

「おお、わしとした事が迂闊じゃあ、迂闊じゃった。わしはすでに眠ったではないか。とすれば今はもう

朝に違いない。じゃがこうして今は真っ暗闇。これはどういう事か。いやむしろもう朝というものは消え

てしまったのか。ああ、しもうた。わしがうっかり寝してしもうたばかりに、はや朝というものが失われ

てしまったわい。おおハレイヨ、禍々しきハレイヨめ。朝の仇はきっとこのホルマルがとってやるぞい」

 疑問は氷解した。しかしそれで何かが変わるわけではない。

 目の前に突き付けられた現実に、流石のホルマルもたいそう心を挫かれてしまわれ、その結果悔しさを

少しでも表現しようと、もずもずと大地を這い回っておられる。

 この苦悩、誰が理解してあげられるというのか。このホルマルが、偉大なる呆け老人ホルマルが、ここ

まで自らの失策を苦悩するなど、未だこの世にあっただろうか。これほどの苦悩が一体誰にあったという

のだろう。

 お腹が空かれていた事もすっかり忘れてしまわれ、頭の中は苦悩で溢れる事になっておられる。

「ああ、腹も泣いておるわい。ここまで腹が泣くのは今朝腹が減って以来じゃあ・・・・・、ん、おおそ

うだ腹ごしらえじゃ」

 なんたる偶然、コビット神のお導き、かくしてホルマルは空腹という状況を思い出され、一目散に飯屋

へと向われた。考えてみれば、今日は朝食しか摂っておられず、その朝食でさえほんとは摂ったかどうだ

か記憶に無い次第であられる。

 ここは何としても飯屋へ行かれなければ、こんな所で動けなくなる結果に陥るであろう。

 しかし流石のホルマルも疲労と暗闇には勝てず、ずっこけられた後、そのままぐっすりと眠りへと堕ち

てしまわれた。何と言う良く眠るお方であろう。さぞかし起きてる時には、常コビットの数倍のエナジー

だかエネルギーだか余計なカロリーだかを消費しておられるに違いない。




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