1-3.雄々しく示せ、その名はホルマル


 ホルマルが目覚められた時、目の前には一つのパンがあった。

 しかも彼が好物としておられる、噂のやわらかクルミパンである。

 周りには人だかりが出来ており、無責任な群集は、ついにここまで呆けられたか、ああ次は裸で踊りだ

すぞ、などと勝手に言い合っているようであったが、勿論ホルマルには関係の無い事。

 むくりと起き上がり。

「おお、神の恵みじゃあ」

 と人目を気にされず盛大に叫ばれ、むしゃりとクルミパンに噛み付かれた。

 この柔らかさ、この胡桃の香ばしくもカリカリとした食感、これは確かにやわらかクルミパン。ホルマ

ルは空腹も忘れられ(食べているから当然なのだが)、一心に神へと祈りを捧げになられた。

 親切な村人、過去のホルマルを慕う今となっては少ない一人、が涙ながらに恵んでくれたのだとは、勿

論気付きもされないし、思いもされない。流石は剛毅にして豪放なホルマルであらせられる。

「ふうむ、この騒ぎはなんじゃあ。これもハレイヨの仕業じゃろうか。ううむ、まあしかし気分もすっき

りしておるし、良い日和じゃし、気にする事はあるまい。最早ハレイヨなど恐れるに足らず、神の光に照

らされ、全てのハレイヨ民族は平伏す事になろう」

 昨夜あれほど悩み、嘆かれた事もなんのその。軽い運動の後、一晩ぐっすり眠られた事ですっかり気分

を回復され。そして今好物のやわらかクルミパンを食された事で、昨夜などという歴史の残骸すら目に触

れぬ遥か昔の事は、さっぱりと忘れられたらしい。

 正にホルマルは豪傑であった。

「しかし喉が渇いたのう」

 お腹も膨れ、しかもパンなどを食されたせいで、俄に喉が渇かれたらしい。

「それもこれもパンなどを食べさせるからじゃ。朝はスープと決まっておろう」

 英雄豪傑は良く食べ、良く飲んだもの。ホルマルくらいになれば、一日七食や八食は食べても不思議で

はない。それがまだパン一つである。これは喉も渇かれて当然と言うものだろう。

 ただでさえ喉が渇いていた最中、余計に水分を吸収してくれたやわからクルミパンへの怒りは、至極当

然である。

 そこでホルマルは近場にいた男の携帯水筒に目をお付けになられ、即座にその水筒をもぎ取り、一息に

飲み干された。

 その場に居た者は吃驚したようだったが、あまりに堂々とした飲みっぷりと、そしてまたホルマルの行

動に皆が慣れていた為、誰も何も言う事はなく、静かに自宅へと帰って行った。

 正義はいつも必ず勝つ。

「触らぬホルマルにも祟りあり。くわばらくわばら、はよ逃げよ」

「ああ、まったくとんでもねえじいさんだよ。もう勘弁してけれ」

「あの調子じゃあ後どれくらい生きるかねえ」

「これ以上呆けたらもうおら達面倒みきれねえよ」

 しかしホルマルは当然、敗北者達の戯言などには気にもしない。

「そうじゃ、あの小倅と小娘に神罰を食らわせてやる所じゃった!」

 突然思い出された昨夜の記憶に武者震いされ、尚且つハレイヨへの長年の恨みが湧き上がり。手近の小

枝をむんずと掴まれると、そのまま意気高々と進軍するが如く、武者振りも涼しげに、回れ右をして悪の

巣窟議会場へ向けて、再び歩き出された。

「この大木の一撃、いやさこの大木を振う我が姿を見て、彼奴等が恐怖せぬわけがあるまい。ここは一つ、

一喝だけで済ませてやるのが大ビットというものじゃろうか。相手は小僧ども、暴力よりも叱ってやるの

が一番じゃな。そうすれば、ハレイヨなどというふざけた言葉も無くなるじゃろうて。うむ、それが良い、

それが良かろう」

 幸い議会場近くで休まれていた為、目的地まで遠くない。

 日もまだ高く、議会場はしっかりと開かれていた。最早ホルマルの勝利に影を差す存在が居るなどとは、

とても考えられない。いやさ、ホルマルに刃向おうなどという愚か者が、この世に存在するはずがないの

である。

 そんな不埒な事は、創造主が許されまい。

 幼年から戦場を経験され、その全てにおいて語り草になる活躍をされてきたホルマル。あらゆる小動物

を薙ぎ倒し、昆虫を征伐されてきたその力量、真にご立派。ホルマルに敵無しとは、有名な言葉である。

「・・・・・・」

 すでに一連の騒ぎを聞き及んでいた門番は、じっと息を殺してホルマルを通した。

 厄介者を見るような目で見ていたと思うのは勘違いである。その目は恐怖に怯え、ホルマルという英雄

への畏怖心のみが支配し、跪いて降伏の意を示していた、ようにホルマルには思えた、に違いない。

 門番の職務を考えれば止めて当然だったのだが。推察するに、後で怒られるよりも、今ホルマルに関わ

る方が面倒になると察したのであろう。

 流石はホルマル。万人を畏怖させるその眼差し。寝起きのぼんやりとした眼差しですら、門番如きに何

を言わせる事も無い。そして無言で通した門番も、賢明な処置をしたと褒めてやるべきだろう。


 ホルマルが議会場内へと入ると、奥から涼しい風が流れてきた。 

 聞くところに寄ると、この議会場は暑くなってくると惜しげもなく大氷が置かれ、いつでもひんやり気

持ちよくなるようにされているらしい。

 建物自体にも、暑気寒気を妨げるように最先端の技術が使われており、現議員達の好みを表すかのよう

に、真にお金と見栄がかかっている。

 そんな所も我等がホルマルからすれば腹立たしいことこの上ない所業なのだ。

 何しろホルマルの家には氷など一片も置かれていない。誇りあるコビットとしては当然であり、例えお

金が無いのが正直なとこであっても、その心根には何ら障る事はない。

 あくまでもホルマルは自身の為、そして強きコビットの姿を子供達に見せてやる為、大ビットの大ビッ

トたる姿を見せてやる為に、率先して唯一人行なっているのである。

 今の首脳などは大体が軟弱でいけない。一人の大人として、いつも子供達にうるさく言っているような

事は、まず大人自身が実行しなければならない。そうであるからこそ、子供達も付いてくるのであり、大

人の言う事を聞こうという素直な気持を持たせるのである。

 そう、大人が楽をするような社会は、まともな社会ではないと、ホルマルは仰っておられるのだ。

「あの小僧や小娘のような輩が増えだしたのも、元はと言えば我々大ビットのせいじゃ。我等が軟弱にな

り、下らぬ利便さのみを求めてしもうたから、コビットは腐敗していった。例えわし一人となっても腐敗

を食い止め、責任を持って、本来の正しい道へ導き直さねばならん」

 ホルマルは決意を新たにされ、手にした小枝を縦横無尽に振いながら、いざ行かんとばかりに場内を疾

走された。勿論、他ならぬ諸悪の根源、大氷を砕く為である。

 疾走するホルマルを恐れ、誰も手を出そうともせず、くわばらくわばらと門番同様見送った。

 後で自宅に運ばせる為に、氷置き場である氷室の位置をしっかりと記憶しながら、ホルマルはとうとう

議会の真っ只中へと突入されてしまった。

 何者も恐れぬ姿勢、なんという勇ましきコビット。確かに彼こそが、彼だけが、今は失われた古きコビ

ット魂を宿すお方に違いない。この颯爽とするお姿を見れば、昔を知る者などは、色んな意味で、涙を流

すに違いない。

「ホルマルだ、ホルマルが来たぞッ!」

「いつか来ると思っていたが、やはり来おったか」

「いい加減、溝にでも捨ててしまいましょうよ」

「ええ、可哀相にも限度がありますわ」

 居並ぶ議員達は次々と罵詈雑言を投げかけ、ホルマルの意志を挫こうなどと無益な事を謀る。

 我等がホルマルがその程度の事に怯むはずはない。決して耳が遠くなってるからではなく、小ビットの

戯言などにはその溶けた鉄の心は動かされないのだ。

「やあ、いたな氷め。そこな氷め、動くなよ。このホルマルが成敗してくれようぞ。さあ、尋常に勝負じ

ゃあ、勝負じゃあ」

 ホルマルは一心に大氷へと向われ、怒涛の連撃を繰り出された。手にした小枝を何度も何度もぶつける

だけのその御技、武神も恐れるであろう。

 しかし氷も然る者。何しろ大である、つまり大きな氷。

 ホルマルの武勇をしても、小枝では歯が立つまい。何しろ小枝は小なのだ。小では大には勝てない。悔

しいが、これがこの世の、そしてコビットの道理であった。

 これがせめて中枝であったらと、悔まれてならない。

 ホルマルが大木と思っているその小枝すらも、大なる氷からすれば小さな枝に過ぎないのである。

「流石は悪魔の使者。噂に違わぬ涼しさじゃあ。流石のわしもこれだけ涼しいと何とも出来ぬ。我犬死に

は求めず。今は退いてやろう。・・・・しかしいずれその命はいただくぞい。ホルマルも老いには勝てぬ。

やれ、撤退じゃあ、撤退じゃあ!」

 ホルマルの真価、それは撤退時すら動ぜぬその心意気にあるだろう。

 ここまで一心に何も振り返る事無く撤退出来るコビットなど、古の英雄豪傑でも居たかどうか。コビッ

トの中のコビット、コビットの誉れ、撤退ですら麗しく威風乱るる事無し。

「やれやれ、今回は軽く済みましたね」

「ええ、やはり以前決めた通り、とにかく無視するのが一番ですな」

「ここが洗濯干し場でないのが救いでした。あやうく埃塗れになるところでしたわ」

「ほんとに。あの老いぼれは汚すだけ汚して、いつもほったらかしなのですから」

「まあまあ皆さん、爺様など放っておいて次の議題に移りましょう。気にするだけ損ですぞ」

「まったく、まったく」

 議員達も無事では済まされず、一連の騒ぎによって一張羅の服が汚れてしまっていた。

 例え一人とは言え、ホルマルのような真のコビット相手では、無事で済まされる筈が無いのである。




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