8-5.鬼ビット、来る


 鬼ビットとなられたホルマルは色んなものを咀嚼(そしゃく)されながら、むしゃむしゃがぶりと歩か

れておられたが、その内次第に途方にくれられ始められた。

 何しろ鬼ビットなどという現実味のない存在になられたので、何をされていいのかはっきりしないので

あらせられる。

 鬼なのだから悪さをすればいい、と考えるのは短絡的発送であって、それは誤配達と同じ意味になって

しまい、宅配会社としても受け取り主としても非常な痛手になってしまう。

 昔話の中には気の良い鬼もいて、案外仲良くやってたりもするので、簡単にこうとは決められないので

ある。ここは誤配達しないよう、しっかりと考えていかなければなられなかった。

 しかしその考えるという行為自体がホルマルにあられては致命的となられる。

 ホルマルが考える。何と虚しい言葉だろう。ホルマルが考えられる。それも鬼などというものの本質を

考えて答えを出される事ができられるくらいなら、全てのコビットは生まれながらにして全ての事象の真

理を悟っている事だろう。

 それがかの有名な全ビット仏ビット計画であり、ホルマルがその計画に関して重要な役割を負っておら

れるのだと言われても、誰にも理解できないのである。

 要するにこのままイカレテいかれておられても何にもなられない。ここは一つ方針を定める必要があら

れる。そもそもその為にこそホルマルは日々変化されておられるのだから、今回も機嫌よく定めなければ

ならないのであらせられる。

 もしそうされなければ、このままずるずるとぼんやりした内容のまま終わってしまう事になるだろう。

 それはできれば避けたい所だが、それはそれで良いような気もしてくるから困ったものだ。真にホルマ

ルとは始末の悪いビット、始末悪ットであらせられる。

「ふぅ、食った、食った。久方ぶりにやたらに喰うたわい。これはあの例のなんじゃ、ああ、満腹になる

と頭がよく働かんわい・・・」

 ホルマルはただでさえでっぷりとされたお腹を更に真四角にでっぷりとされ、上手い事満腹ビットへの

移行を果たされた、ように見受けられた。

 だが世の中そんなに甘くはない。確かに満腹ビットにはなられたものの、正確に言うなら満腹鬼ビット

なのであられる。そう、しつこく鬼がくっ付いておられる。コビットにとって鬼とはいつまでも付いてく

る厄介な、それでいて何となく必要な、必要悪とでもいえる観念なのかもしれないが、まったくもってし

つこい。このしつこさは油汚れ以上であった。

 とはいえ、流石はホルマル。満腹になったら誰もが機嫌がよくなるという法則に従い、鬼は鬼でも良い

鬼であるという方針が決定されたのである。

 つまりホルマルが満腹鬼であられる限り、この方針が変わられる事はあられない。

 こうなると満腹具合をどれだけ保てるかが重要になってくる。これ以後はホルマルの腹次第で全てが決

まると言ってもいいのである。

 これは確かに危険な事であった。しかし何も定まらずに行くよりはいい。目的も理由もなく動けば、そ

の行動にいつの間にか縛られ、迷走と混迷を繰り返す事になってしまうからだ。

「おっ、よほっ、うほぅ、しめじぃ」

 それを覚っておられる為か、ホルマルが突如として奇声を発せられ始められた。

 これは規制に対する憤りでも、気勢を挙げているのでも、ましてや帰省しようと閃かれた時の音でもあ

られない。ホルマルは満腹になられ、あまりにもそのお腹が真四角になられた為に、立ち上がられなくな

られたのであらせられる。

 それを無理に立ち上がられようとされるので、このような奇声を発して、踏ん張られなければなられな

くなられておられるのであらせられる。

「はひぃ、うふぃ、もひっとな」

 ホルマルはありとあらゆる奇声を試されたが、全く起き上がられる気配はあられない。

 起き上がられるには上半身がお腹より前に出て、重心を前に置く必要があられるのだが。お腹が出っ張

っておられるだけに、ひっかかって前に身体を曲げられないのであらせられる。

 こうなられては流石のホルマルもどうしょうもあられない。腹押し体操とでも名付けたいような運動を

され続けられながら、無意味に時間を浪費されるより外なかったのであられる。

 その手の運動を十日程続けられた頃だろうか、カロリーという恐るべき兵器を充分に消費されたホルマ

ルは見違える程すらりとされ、樽体形はそのままに、遂には細長樽体形に進化されてしまわれた。

 これはホルマル進化論に一石を投じる重大な発見になる筈であったが、誰もこの変化を見ていなかった

せいで、気付かれず闇に葬られる事となる。

 学者というものは往々にしてこのように肝心な時に肝心な事を見ていないものである。しかし嘆いては

いけない。何故なら、学者とは本来そういうものであり、そうであるからこそ存在できるようなろくでな

しどもだからだ。

 彼らに期待や信頼などは虚しい言葉であり、日々自分の愚かな間違いを発見しながら、それを誇るとい

う下らない芸を繰り返して生きている。

 このビットどもはそういう必要悪としてコビットのどうしようもない部分を司っている精霊のようなも

のであり、それをまともなビットと思う方が初めから間違っているのである。

 ともあれ、こうしてホルマルは新たな肉体を手に入れられた訳だが、これにより満腹という属性を失わ

れてしまわれ、細長樽鬼ビットという書くのも言うのも面倒くさい存在へと進化されてしまわれた。

 そして満腹を失われたという事は、機嫌がいいという属性を失われるという事でもあられるので、再び

定かではない存在へと変わられてしまわれたという事を意味される。

 しかし細長樽という時点ですでに奇妙であられるのだから、そこに鬼が加わるのはむしろ正当な表現で

あられ、ある意味すっきりした展開になったという言い方もできるかもしれない。

 つまりホルマルは、いつまでもこれからもホルマルなのであらせられる。



 細長樽鬼ホルマル、略して細丸は意外にすっきりされた気分であられたが、あの麗しい満腹感を失われ

た事に気付かれると、いたくご立腹になられた。

 とはいえ細長樽体形であられるからには腹を立てられる筈がなく、その想いも勘違いであられた事に気

付かれておられる。この場合は腹を立てるのではなく、腹を置くとする方が正しい表現であると主張する

べきだ。

 それに大体が腹とは減るものなのだろうか。腹は生まれてから死ぬまで一つなのだから、それが減ると

いう考え方そのものが間違っている。勿論増えるという考えも同様の理由で間違っている。

 この真理に気付かれた細丸は穢れたビット生から解脱され、とうとう仏ホルマル、仏丸へと進化された

のであられた。

 しかしこれに腹を立てたのがコビット神である。

 コビット神は神であるだけに物事を立てられるのが上手い。むしろその為に神であられるのだから、こ

れは当然のこじつけである。ここははっきりとさせておく必要があった。

 コビット神の主張はこうである。

 神と仏は似ているが違うもの。何より言い方が全く違う。これを一緒だというのは、明らかに言葉とし

て間違っている。神仏などという言葉は、明らかに間違っている。

 この怒りは正当なものであられ、憎悪の理由としてこの上なく相応しいものであられた。

 特にその相手がホルマルなのだから尚更である。コビット神はホルマルが御自分に近付かれたと考える

だけで、腹が煮えくり返って仕方がなかったのであられよう。

 だがここで一つの疑問が浮かぶ。神とはいえ、はたして腹が煮えくり返られるものだろうか。もしそん

な事ができられるなら、お腹で料理ができてしまう事になる。それは非常に便利な事だとしても、そうで

ないからこそ誰もが手で料理して、口で食べているのだ。これは間違いである。

 だから実際には煮えくり返られておられる訳がなく、コビット神はその内この事も忘れられた。

 煮えくり返られないのであられるから、それも仕方の無い事だ。全ては腹の責任である。腹がもう少し

融通のきくようにできてさえいれば、こんな事にはならなかったのだろうが。残念な事に、腹はそんな便

利なものではなく、やたら頑固でいつも困った時に痛むものなのだ。

 これでは流石のコビット神もどうしようもなられなかったし、仏丸にも勿論どうしようもあられない事

であられた。

 仏丸といっても多分に気分次第の事であられ、言ってみれば一昔前に流行った精神世界とかいうおかし

げな世界の産物であり。それがおかしげな産物である以上、おかしげなのは仕方がない。

 これをおかしげにするなといえば、後はもうそれしげとか、こなしげとか、そういうものに変えるしか

なくなるが。すでにあるものを変えるのは非常に面倒くさいし、単に二度手間になる無駄な事なので、や

る訳にはいかない。少なくともやりたくない。

 それがコビットの良心というものだといえば、コビット達は笑うだろうか。

 どちらにせよ、事実には誰も逆らえない。例え逆らっても無意味なのである。



 御自分の内から鬼を排除なされ、仏という解りやすい存在になられた仏丸。仏になられた以上、徳を見

せられなければならない。徳を積まれて後仏になるのだとすれば、これは確認の為にも必要な事であらせ

られた。

 しかし徳を見せるとはどういう事だろう。

 仏丸は考えられた。とにかく考えられた。まるでそれだけが仏丸であられるかのように。そして考え抜

かれた末、お眠りになられてしまわれたのであられる。

 そのお眠りになられた姿は平素の仏丸からは想像もできないくらいご立派であられ、流石は仏丸だと思

わせるに充分なものであられた。つまりこれが辿り着いた答えであらせられたのだろう。寝姿こそ徳であ

られると。お前は一生黙って寝ていれば良いのだと。

 しかし以前聖ビットとなられた時とは違い、今回はそのお姿を見るビットが居ない。つまりご立派損で

あられ、真に仏丸らしい。そしてご立派損という点がまた仏っぽいような気もして、仏丸は順調に功徳を

積まれておられる。



 仏丸は丸一月の間眠られ続けられた。

 それは仏というものがそれっぽいものであったからである。仏丸の考えでは仏とはいつも眠ったような

顔をしているものであり、簡単に言えばいつも眠っていなければならない。

 全ては想像の産物であるからには、それもまた間違いではあられない。仏丸の仏は仏丸次第という諺も

今創ったくらいだ。

 本来なら眠った時点で全てを忘れられてしまわれるのであられるが、仏力かそれともコビット神の気ま

ぐれか、仏丸はこの間の記憶を一切失っておられないようであられる。まさに丸々記憶放題であられ、そ

の色んな意味で類稀なる頭脳を最大限に活用されて、一つ一つの現象を緻密に記憶されてイカレタ。

 だがそうは言っても、所詮ホルマル類。この世の全ての現象を記憶されられるような事はあられず、た

だ一つの存在をなぞっておられるに過ぎられなかった。

 仏丸がこの一月の間何を追っておられたかと言えば、ご自身のよだれであらせられる。

 この締まりのない口から漏れ出す、一筋の液体。それを見れば誰もが嫌悪せざるを得ないという恐るべ

き液体。それがホルマルよだれであらせられる。

 ホルマルよだれの効能は多岐に及ばれるが、あまりにも多岐に及ばれるせいで一つ一つに対しての効果

は薄い。確かに万病の薬なのだが、その効果は極々薄いのであらせられる。差し引けばむしろ害の方が多

いくらいで、大抵のビットはこのよだれを恐れている。

 この恐るべきよだれを、ホルマルは一月の間具に記憶されておられた。

 そしてあろう事か、その記憶を頼りにされて、何度も何度も同じよだれの軌跡を細部まで完全に再現し

続けられておられる。

 何を考えてそうされておられるのかは解らないが、これも一つの功徳であり、行なのであらせられよう。

仏丸は例え仏になったとしても、それで修練を怠るような怠けビットではあられない。

 こうして何度も何度も再現され、繰り返されておられる内、よだれに不可思議な変化が生じた。

 何しろホルマル臭の発生源の一つであられ、その精髄とも噂されている液体である。ここまで積み重ね

られれば、何かしらの変化を遂げない筈はない。

 ホルマルよだれはゆったりと滴り下がる内に少しずつ形を留め始め、まるで鍾乳石のように、つららの

ように、しっかりと形を取って口元から垂れ下がった。

 それはやがて地面にまで達され、大地にしっかりくっ付いてしまったのである。

「む、何か鼻がむずむずするぞい」

 仏丸が気付かれた時にはすでに遅く、鼻下が全く動かれない状態にあられ、その上ホルマルよだれが徐

々に仏丸本体まで侵食し始め、仏丸全体を固めてしまおうという野望に燃えていた。

 ホルマルよだれは最早仏丸に従うものではなく、自己をもった一つの生命体に変わり、仏丸を乗っ取ろ

うとしたのである。

「そい! そいや!」

 しかし仏丸は無造作にそのよだれ固体を折られるやむんずと掴まれ、これまた無造作に放り捨てられた

のであられた。

 何しろ鼻下だけしか大地に繋がっておられなかったので、手や足は自由に動かす事ができ、固体化した

ホルマルよだれも非常に脆かったのだ。

 それがどれだけ脆いかは省略するが、とにかく脆かったと言わせていただきたい。

 こうして仏丸は第一の苦難を退けられた。流石は仏丸、伊達に仏が付いておられる訳ではない。仏はあ

くまでも仏であって、伊達さんではないのだ。そして伊達は伊達でも函館では無い以上、仏丸にもまだど

うしようもあるのであられる。

 これがほっこりさ加減で有名なほこ建てだとしたら、それはもうかなりの苦難を伴ったであられようが、

幸いにもそうではあられなかった事にせめて感謝の意を表したい。

「ふうむ」

 仏丸はどこか不満そうによだれ固体跡をぼりぼりとかかれると、その上で暇そうに長い溜息を吐かれた。

「さて、どうしたものか」

 そうなのである。仏丸として瞑想という名の睡眠も充分にとられたし、仏になられた以上、空腹も喉の

渇きも、そして多分疲れや苛立ちといったものさえ覚えられない。それら全てを解脱されたからこその仏

であられ、そうであられる限り、特に何もする事がなくなられるという事を意味する。

 仏丸は突然目標を見失ってしまったビットにありがちな虚脱状態に陥られ、その状態は確かに仏にある

意味近いけれども、精神的に非常に不健康であられるからには仏という名も最早無意味なものとなられ、

再び愚かな一ビット、一ホルマルへと戻られたのであらせられる。

 目的を叶えたが為に、その意欲と意味を失われる。確かにコビットらしい最後であられた。

 ホルマルはこれによってコビット達にコビット生の虚しさを伝えられたのであられる。その為ならば解

脱も捨てる。あくまでもビットはビットと共にあり、唯一至上なものなど糞喰らえなのである。これもま

た一つの悟りではあられないだろうか。

 そんな風に都合よく解釈し、ホルマルはまた一つ胡散臭い階段を上がられた。

 それがどこへ向かっているのか、どこへも向かっていないのか、それは誰にも解らない。



 ホルマルは完全に仏性を失われたかのように思われたが、実はほんの少しだけそれを保っておられた。

 つまり虚脱状態にあられ続けられる事で、ある意味仏であられる状態を保っておられたのであられる。

 それが甚だ不健康で始末の悪い状態だとしても、確かに脱するという事においては同様の意味がないよ

うな気もしないではないような気もしないではない。

 魂が抜けたとでも言うのか、そういう状態は一種の神が降りた状態でもあられ、ビットの日常から離れ

られた現象であられるからには、仏がビットと繋がりながらもビットとは一番離れた場所に在るのだと言

うのなら、これは確かに仏っぽさをかもし出しておられる。

 ここまでくればもうそう信じるしかない。

 流石はホルマル、全てのビットに忌避されながらも決してビットから離れられない、という御自分の運

命を実に上手く表しておられる。

 この一連の仏騒動もそれが為のものであられ、ホルマルの深いお心を示すものなのであらせられる。

「・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 そしてホルマルは何かを脱された状態のまま、長い時をお過ごしになられてイカレル。



 ホルマルの脱状態がどのくらいの時間であられたのかは定かではない。今もまだ目覚めておられず、今

後どうなられるかも解らない。ただとてつもなく長い時間を浪費される事だけは確かであられ、ホルマル

こそが世界の時間全体の有効利用と浪費のバランスを唯一保っておられる、と言われておられるのもその

為であられる。

 ホルマルがこのように一人必死に生き急がない、むしろ死に急いでおられるようで絶対に死なれないか

らこそ、この世は上手く回っていられる。不幸の裏には幸運が、幸運の裏には不幸があるように、それは

そうなのである。

 そう信じたい。

 もしホルマルがこの微妙なるバランスを上手く保っていられなくなられれば、世界は全ての均衡を失い、

崩壊してしまうだろう。

 何となくそんな気がするから、きっとそうなのだ。

 そしてだからこそホルマルという存在がこの世にいつまでも許され続けられている。これは確かに呪い

であり、ちょっと字を変えれば祝いになるのである。

 こうして我々はホルマル存在の理由という至上なる命題の解を得る事ができた。

 しかしだからといって、どうだというのだろう。

 結局ホルマルはこの世がある限り生存され続けられるしかなく。コビットは永遠にその呪縛から逃れら

れないという事実が解っただけではないか。

 ああ、真理とはかくも残酷なものか。

 だが希望はある。ホルマルが脱されたまま過ごされてイカレルという事は、その間ホルマルによる干渉

が無いという事を意味している。それがいつまでなのか、すぐに終わってしまうのかは解らないが、とに

かく台風の目のようにして、ホルマルという存在と一時だが関わらずに済むのである。

 この貴重かつ有益な時間をどう過ごすかはそれぞれの自由であり、時間を有益に使うも一興、時間を無

意味に浪費させ、ホルマルと同じ道を歩むのもまた一驚だろう。

 ただ一つだけ言っておきたい事がある。

 それは、ホルマルと同じ道を歩むという事は、つまりそれだけホルマルの役目を肩代わりするという事

になり、ホルマルの目覚めを早めてしまう結果になる、という事だ。

 同じ道を歩むつもりなら、それを覚悟して挑んで欲しい。

 例えすぐに飽きたとしても、その飽きるまでの間は、ホルマルに協力し、ホルマルという愚劣極まりな

い存在と共にあったという最高の汚辱を受ける事になるのである。

 こんな事は一ビットのコビットとして、とても耐えられない事だ。

 何事にも代償はある。確かに真理とはさても残酷なものである。



                                                               了?




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