8-4.鉄板、いやそういう意味じゃない


 鉄板ホルマルこと鉄丸は山奥へ向かって歩かれておられる。何故ならば、鉄というものは山に生えてい

るものだからだ。

 ホルマルが聞かれた話によると、何でも山には鉄の生える特別な場所があって、木のように明らかに生

えている。もし生えていなくとも、そこを掘れば必ず鉄の芽を発見する事ができ、鉄を手に入れる事がで

きるそうだ。

 そしてこの原鉄をコビット達が加工する事で、様々な鉄製品が生まれるという。

 しかし鉄丸はこの事に対して、酷く懐疑的であられた。どんなコビットであれ、鉄という硬い物を加工

するなんてとても出来ない話だ。鉄を加工できるビットが居るなんて、嘘としか思われない。

 これが水飴なら解る。あのへなへなねちょっとしてとても甘いあの水飴なら、コビットでも何とか加工

する事ができて、飴鎧や飴剣、飴ハチマキといった恐ろしい兵器を作る事も可能だろう。

 だが相手は鉄である。こんな硬くて重い物を、コビットがどうやって加工するというのか。例え村一番

の鍛冶師か力持ちであっても、そんな事はとても無理だろう。弾かれて終りである。

 だがそう確信されておられても、おかしな事に現実に鉄製品という物は存在する。鉄丸が身に纏われて

おられる鉄板もそうだし、他にもちらほら見かけたようなそんな記憶があるようなないような気がされる。

 そういう気がされるのだから、多分それはあったのだろう。そうに違いない。

 だからそこに大いなる疑問が生まれる。絶対に加工できない筈なのに、様々な鉄製品があり、コビット

の暮らしに役立っている。それは何故か。

 答えは一つしかない。つまり、鉄は色んな形をして生えてくるのだ。

 鉄板であったり、刃物の形をしていたり、四角だったり五角だったり六角だったり、七輪だったり、実

に色んな形の鉄が生えているに違いないのである。

 明晰なホルマル頭脳を駆使されれば、このような問題など瞬時に解決できる。ホルマルを騙す事など誰

にもできないのであらせられる。

「ふおっふおっふお。甘い、甘いぞい、鍛冶師ども。お前達がいかにも仕事しているようなふりをして、

実はそれに似たような鉄を探し出してきておる事は、とっくにお見通しなのじゃ。他のビットは騙せても、

このわしだけは騙せんわい。見よ、この鉄板を、陽光にぎらぎらと照り輝いておるわ。ん、何だか焦げ臭

いのう・・・・ッ!!??」

 日光を充分に吸い取った鉄板は突如高熱を発し、ホルマルを覆っていたボロキレを燃やして、危うくホ

ルマルご自身まですっかり焦げ付かせてしまう所であった。

 何とかそうなる前に鉄板を払いのけたから良いものを、ホルマルは全身を火傷され、頼みの鉄板も失わ

れてお仕舞いになられた。

 つまり鉄丸から、ただのホルマルへ戻られたのであらせられる。

「おお、何と言う事じゃ。何という事じゃ」

 鉄板の頑丈ぶりに憧れさえ抱かれておられたホルマルは落胆され、あまりの事に一歩も動けなくなられ

てしまわれた。そして涙ながらに嘆き、嘆きに嘆かれ尽くされ、その上で今度は鉄をも簡単に熱くする太

陽に対して、強くお惹かれになられたのだった。

「おお、全知全能なる太陽よ。我らが生命の父よ。貴方こそわしがお仕えすべきお方、コビットの神であ

らせられます。ああ、この暖かき光にて、このわしをお導き下され」

 ホルマルはその場で何度も何度も太陽に向かって礼拝らしきものをされ続けられた。そしてその礼拝ら

しきものは何がどうなっているのか誰にも理解出来ないまま、いつまでも続けられたのである。

 ここから生まれたのが、いわゆるホルマル式礼拝発電である事は、広く知られている事だ。



 ホルマルが太陽信仰にお目覚めになられた事は、瞬時にコビット神の耳っぽい何かに入った。何しろコ

ビット神はホルマルを具に眺めておられる。それを知る事は誰よりも容易いような気がしてくる。

 この事でコビット神は非常に腹を立てられた。いや、信仰自体は何でもいい。ホルマルが太陽信仰され

ようと魚の頭信仰をされようと、コビット神はお笑いになって眺められるのみであられる。だが太陽に対

し、コビット神の名を冠した事が気に食わない。

 名前とはその存在を示す何よりも大事な言葉である。むしろその言葉があるからこそ、その存在が初め

て存在できるとさえ言ってもいいような気が二分くらい前からしている程だ。

 そんな大事な名前を太陽に取られてしまうと、コビット神がコビット神でなくなるかもしれないし。元

祖とか本家とか言われるようになるかもしれない。それに同じ名前の神が二柱おられるという事は、非常

に紛らわしい。色々面倒にもなるし、何をするにもややこしくなる。

 まだ良い事で混同されるならいいが、悪い事をこちらのせいにされてはたまらない。ただでさえビット

気の無いコビット神であられるのに、そんな事になれば何か知らないけどえらい事になりそうな気がする。

 そしてそんな気がするという事は、いずれそうなる。コビット界にはそういう約束事がある。もしそう

でなければ辻褄が合わなくなるからだ。辻褄が合う為に存在している以上、何としても合わせなければな

らない。

 コビット神は初めて危機感を覚えられた。大体ホルマルがコビット神という存在を認知されておられた

事さえ不快なのである。その上で間違えて使われてしまったのだから、どうしても許しておけない。コビ

ット神の名前を勝手に使われたという事は、つまりコビット神がホルマルの下位に位置するという事にな

ってしまわれる。

 そんな事は決して許されない。

 だがしかし、コビット神には何の力もあられない。むしろコビット臣とでもしたいところで、もしかし

たら間違えて名前を付けられたのかと思われる程である。

 コビット神が気楽にしておられるのも、ホルマルというどうしようもない存在がおられるからで。つま

りは他のビット同様、コビット神もまたホルマルを慰みにする事で初めて存在する事ができられるのであ

らせられる。

 そうでなければとうの昔に自分に絶望されて、命を絶っておられただろう。腐っても神なのだから、髪

を切る事くらいは出来る。つまりコビット神はそういう意味で散髪屋なのだ。或いは散髪屋に非常に近し

い存在だと言ってしまってもいい。

 何故なら、何となくそんな風に思えてしまったからだ。

 コビット神がとても弱い力しか持っておられない以上、誰かがコビット神を散髪屋だと思えば、その想

像という力に引き摺られる事になられる。それに抵抗できるだけの力、自己がなければ、当然流されてし

まわれる。

 この時も当然コビット神は流された。そして散髪ハサミという強力な武器を手に入れる事ができ、ホル

マルへと憎しみを込めて遅いかかられたのである。

 そう、それはそう言ってしまっても良いほどに、とても遅いものであられた。

 それがどれだけ遅かったかは、ホスメディアンで表す事ができる。この時のコビット神の動きはおそら

く三十五ホスメディアン。あっても四十はいかなかっただろう。

 対するホルマルは十二ホスメディアン。流石にコビット神は散髪屋だけに素早い髪切りを行う事ができ

る。それが標準的なビットの散髪屋の三十六分の一の速度しかないとはいえ、コビット神として考えれば

立派なものだ。

 何しろ今までのコビット神は十五ホスメディアンもいければ良い方であられ、ホルマルを除けばとても

勝てるビットなんておられなかった。

 コビット神は見事にホルマルの髪や髭を散髪された。いやむしろ、ほぼ全てを刈ってしまわれた。羊の

毛を刈るように、雑草を刈るように、ずるりと刈ってしまわれたのである。

 全てを刈られたホルマルはたまらない。その暑苦しい髭や髪の毛のおかげで何とかコビットとして存在

できておられたのだ。その髪髭を刈られてしまえば、もうコビットという認識すら危うくなられる。

 ホルマルはホルマルという個がお強いおかげで、どうにか持ち堪えられたようであられるが、一事はと

ても危険な状態にまでなられたとかいう噂もある。

 しかしホルマルを抹殺するのが目的ではなかったので、ある程度刈った所でコビット神は満足され、ま

た以前のようにホルマルをにたにたと笑われながら観賞し始められた。

 打ち捨てられたホルマルは、そのまま禿散らかられるしかあられないように思われた。

 そう、コビット神の未熟な技術では、いかにもそれは禿散らかっているように見えたのである。

 それは確かに散々な刈り跡であらせられた。



 全てを刈られたホルマルに、最早何の望みもあられはしない。何しろ刈られてしまわれたのだ。当然髪

の毛や髭だけではなく、そこに伴う語感に応じて、色々なものも刈られた筈であられる。その全てを詳し

くいう事はできないが、とても望みなど持てない事は確かであられた。

 こうして夢は儚くも破れ、ただ残り髪にのみその残骸が見える。しかしそれは鏡を見なければ本ビット

からは見えない為に、どうにもならない事であられた。

 そう、ホルマルは御自分では御自分の頭をご覧になられない訳で、今御自分の頭が禿散らかっておられ

る事に気付いておられないのであらせられる。

 では何故絶望に伏しておられるのか。それは単純にそういう雰囲気だったからであらせられよう。コビ

ット神の放たれた、してやったり、の空気がホルマルの全てを圧してしまったのだ。

 だが禿散らかっているという事実をお知りになられないのだから、程無く我を取り戻され。

「おおう、何だか長い夢を見ておったような気がするわい」

 などと仰られながらむくりと起きられ、今までの事が無かったかのように活動を再開される。

「むう、何だか口元がスースーするのう。何だか昔これと似たスースー感を感じた覚えがあるが、今日の

はまた違ったスースー感じゃて」

 それでも流石に口元のスースー感にはお気付かれになられたらしい。しきりに手であごの辺りをこすら

れておられる。おそらく寒いのであらせられよう。

 ただあごのスースー感がお強いせいで、頭からくるスースー感にはお気付きになっておられないようだ。

 確かに頭の方が口元よりは毛が残っておられる。コビット神も口元には気を使われたのか、頭よりもい

い仕事をされ、そのおかげで髭の方は概ねさっぱりと刈られているようだ。多分ここで神経を使い過ぎた

せいで、頭の方がなおざりになってしまわれたのだろう。

 ここからコビット神の正確な力を推し量る事ができそうだが、面倒くさいのでやめておく。

 ホルマルはいつもの如く、我をお忘れになられておられた間にほとんどの記憶を失くしておられるよう

だが、それでもこの奥地へ何かを求めに来られた事だけは覚えておられるようだ。しきりにあごをこすら

れながらも、迷いなく進んでイカレル。

 勿論、当てなどどこにもあられない。ただ進んでいかれておられるだけであらせられる。

 それでも進んで行かれる内に、一つの小川に行き当たられた。

 それは取って付けたような小さな川で、いかにもな小川であったが、こんな小川でもこの辺りの自然を

養っている大事な命の素である事には違いない。ホルマルは敬意を持って膝を屈され、礼を示されようと

された。

「おお、丁度喉が渇いておったのじゃ。良い所で見付けたわい。これもコビット神のご加護に違いあるまいて」

 しかし丸太のようなごんぶとな体形をされておられるホルマルの事、よほど慎重にしなければ身を屈め

られるどころか、ちょっと身体を曲げられただけで転びそうになられる。

「!!」

 ハッと悟られた時はすでに遅く、ホルマルはざぶりと小川へ落ちられ、危うく溺れてしまわれる所であ

らせられた。その時運良く身体が半回転して仰向けになられなかったとしたら、そのままうつ伏せの姿勢

でおられたとしたら、まず間違いなく窒息しておられたか、その小川の水をすべて飲み干されておられた

事であられよう。

 そしてまた水風船ホルマルとなられて、同じような事を繰り返す破目になられていた筈だ。

 確かに今のままでも似たような事を延々書き続けている事と大差ないとしても、やっぱり同じような事

を同じように書くのは面倒くさい。例え省略的にそれを書いたとしても、面倒くさいものはどうしても面

倒くさいものである。

 だからこそ面倒くさいと言われ、実際に面倒くさいのであって、それはもうただただ面倒くさい。面倒

草雄である。

 この場合もそうだ。ホルマルが仰向けになられたという事実は、もうどうしようもない事であられた。

「おう、なんじゃい、このぷかぷか感は!」

 ホルマルはどうする事もできられず、そのまま下流へとゆっくりと流されていかれたのであられる。



 まだ水を飲まれる前であられたので、ホルマルは膨らんでおられない。しかし樽のような体形であられ

るからには、樽のように浮かばれるのであらせられる。

 何しろ中身という中身が無いのであらせられるのだから、それはそれは気持ちよく浮かれる。

 小川は少しずつ幅を広げ、一週間程流されられておられる間に、もう川と呼べる段階にまで達し、その

流れもまさに流れと呼ぶに相応しいものとなっていた。

 ホルマルは当然その流れに抵抗できられる筈があられず、為す術も無く流されていかれる。流されてイ

カレテからも何度か回転されたが、それは全て一回転であられ、いつも最後は仰向けの状態になっておら

れた。

 時折降る雨だけが今のホルマルの命の素であられる、かと思いきや、ホルマルはその肉体を使い、すで

に川から水分を吸い取っておられた。

 つまりホルマルは休眠状態へと入られたのだ。

 休眠状態に入られたホルマルは、あらゆる手段を尽くしてその生命を存続させられようとされる。それ

はもうありとあらゆる常識を無視し、自然法ではなくホルマル法とでも言うべきものに則って行われる。

 それはコビット神でさえ手が出せぬ力であり、元々コビット神には何の力もあられないのだから、ホル

マルが今までのうのうと生きてこられた事にも納得できるというものだ。この世にはホルマル力を凌駕(り

ょうが)できるような力はないのである。だからこそホルマルは常に生き延びられる。

 これはコビット全体を超えた、生命全体を脅かすような恐るべき真実であったが。確かにホルマルが生

きておられる事は、それだけで甚だ不快な事であるとしても。実はホルマルがどこで何をされようとも大

した害は発生しない。

 例外としてホルカによるホルマル漬け現象が挙げられるが。あれも止せば良いのに勝手にホルマルに近

付くから起きる弊害である。構わずに放っておきさえすれば、ホルマルも近所のどうしようもない老ビッ

トで終わった筈なのに、色んなビットがちょっかいを出すから非業に遭うし、何だか良く解らない展開に

なるのである。

 それは自業自得であって、例えホルマルが存在しなかったとしても、そういうビットは勝手に自分から

余計なものに手を出して、自滅するなり世間や身近な人に迷惑を振り撒き続けるに違いない。

 それはそういう存在なのだから、ホルマルが居ようが居るまいが関係の無い事である。だから触らぬホ

ルマルに祟りなし、と古人は立派な事を言われたのだ。それを守らない愚か者に、何を言う資格もないの

である。

 ホルマルは大した害がないからこそ生き続けられておられるのだ。ホルマル力に自然力が及ばないのも、

そうする必要がないからである。むしろ厄介者を集める点としての役割を与え、コビット全ての厄介をそ

の身に背負わせ、関わるビット全てを自滅させていく、という役目を与えられておられるのかもしれない。

 コビット神などとは違い、自然は偉大であり、恐るべき力を持っている。

 その中で生きていられるという事自体が、この説を実証するものである。



 ホルマルは依然流され続けられておられ、川もいつしか大川から海にまで進化を遂げていた。

 しかし海にまで行くのは余りにも行き過ぎで、村からも離れ過ぎるのではないかという事で、波と風に

よって再び大川から川へと戻され、結局村の側に漂着されたのであられた。

 そして漂着から一月、ホルマルは今休眠状態から目覚められた。

「ふわわわわ、よう寝たわい。わしは長い間夢を見ていたようじゃ。確かにあのせんべいは夢であった。

夢でなくてはああも小気味いいさくさく具合にはならなかった筈じゃて。世のせんべいの何と腑抜けてお

る事か。わしの夢を見習うがよいぞ。これから湿気の時期に入るというのに、今からしけているとは何事

じゃい」

 四方を見渡されるといずれも森、そこには緑以外に何も無く、緑以上の何も無い。つまりは緑であり、

その色だけが全てであった。

 この地には紅葉も黄葉も子供だましに過ぎない。葉の色が変わるなどという迷信は、ふざけた学者ども

だけが信奉していれば良いのであって、ホルマルには全く関係あられない事なのであられる。

「ううむ、良い緑じゃ。これは噂に聞くホッテムステップが好んで食したというホッテム草、ホッテム落

ち葉、ホッテム根ではないじゃろうか。ふうむふむ、興味深い事だて」

 ホルマルは腹が空かれておられたので適当な話をぶちまけて御自分を暗示にかけられつつ、その辺にあ

る葉をむしゃりむしゃりと咀嚼(そしゃく)され始められた。ホルマルが食せると思い込まれた物は、全

て食せるのであらせられる。

 そしてその咀嚼音が余りにも見事であられた為(夢で見たせんべい分が暗示に混ざってしまわれていた

のだろう)、小動物などが寄って来たようだが、ホルマルは気にせずそれらもむしゃりむしゃりがりごり

がりと食されたようであられる。

 ホルマルにとってそこにある全ては緑であられ、葉であられて、その他の物は存在さえしてはいけない

のであらせられる。

 そんなホルマルにとられては、全てを葉として食されるくらいは、朝飯中なのであられた。

 こうして口元は髭の変わりに血みどろに紅く染まられ、その容貌と相まられて、噂に聞く鬼ビットそっ

くりのお姿となられた。

 鬼ビットとは文字通り鬼のようなビットで、では鬼のようなビットってどんなビットかと問われても、

誰も鬼なんぞ見た事がないので解らない。

 だからこれもお得意の雰囲気だけの言葉なのだから、深く考えてはいけない。もしそれをどこまでも考

えようとしてしまうと、妄想という無限に続く思想の地獄へと足を踏み入れてしまう事になる。そうなっ

ても途中で目覚める事ができれば良いのだが、もし最後まで見てしまうような事になると、それはそれで

すきっとする事だろう。

 だがしかし最後まで見続けられるのは稀であって、そんな事に期待するのは愚かというものであった。

 そしてそれこそがまさにホルマルなのだ。

 そのどうしようもなさこそが、ホルマルを表していると言える。

 つまり全てはホルマルで表現する事ができるのだ。




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