土達磨


 からからとくるがる。よみよよみよ、わがよみよ。ほととないて達磨さんが転がりなさる。

 達磨さんはからからとなかれて、誰よりも誰ともなしに、ほろほろと転がりなさる。

 その前には何もない。

 何も残らない。

 全ては巻き込まれて、達磨さんと共に転がりなさる。

 おっとおっとと踏み止まっても、達磨さんは転がりなさる。

 立ち止まる事などこの世で一度として誰も出来ない事なのだと、達磨さんは転がりなさる。

 からからとくるがり、くるくると転がり、はらはらとなきなさる。

 そんな達磨さんがいつもどんな顔をしておられるのか、誰として知りはしない。

 誰として、知りはしない。

 いつとなしに達磨さんはおっきなおっきくなっておられた。

 それがどれだけ大きいのか、誰も見当が付かないくらいに、達磨さんは大きくおわす。

 どしっと居座り、何もかも気にされない。そんな達磨さんはむすっとしたお顔をされておられるのか。

それとも我っておわすのか。

 しとれども、何かも何がなして、何をなすやと、いつも問うてなさる。

 誰に問うてなさるのかは、これまた誰も知らない。達磨さんに聞いたら答えて下さるのか、それも皆目

解らない。

 そのように大空を背に負うておられては、何事もできはされまいと、懸念する心を知られぬよう。

 誰が悩む事なしに、達磨さんは負うておられる。それが必要なのかも、知られないままに。

 この星が回ってごわすのなら、達磨さんは一体どこまで転がってゆかれるのか。それとも何一つ転がっ

ておらず。そうであられるからこそ、達磨さんでおわすのか。

 達磨さんが一度腰を浮かされると、するりと大地は滑り去ってしまう。

 大空をそのままにして、大地だけがずるりと逃げてしまう。

 だから達磨さんが背負ってどっしりしておわさないと、何もかも逃げてしまうのだが、達磨さんは気ま

ぐれでおわした。

 誰かの為に何かをなしておられる訳ではない。そんな事はそ知らぬ振り、達磨さんは達磨さんでおわす。

 達磨さんが震えなさる。ぐわぐわと揺られ、からからとなる音が、さらさら、がらがらと時に変わる。

 その全てが御自分であると、達磨さんはぐわっと飛び上がられ、まるこいまま転がり始めなさる。

 一体全体どこに転がっていかれるのかと、誰か聞きたいところだが、達磨さんは何も答えなさらん。

 達磨さんは達磨さんのまま、いつまでもいつまでもおわっしゃる。

 大空は達磨さんの背から降り、しんどそうに大地と繋がった。

 こんなに違うものを、一つに繋げておくなんて、なんてかわいそうな事をされるのだろう。

 そう思い、暫し肩代わりしてなさるのかもしれん。

 ぴーぴー泣く空を、おっきな背で、あやしてなさる。

 その姿は、とても清涼なもので。

 大空を背負って少しへしゃげた達磨さんは、ぐわしぐわりと回りなさる。

 そは完全なる円ではないとしても、さらにさらにそれが広がれば、確かな音も狂うてしまう。それを直

すのは大地の仕事。

 転がる内に少しずつなめ伸ばし、達磨さんをからからと回していく。

 こうなるともう達磨さんが転がっておわすのか、大地が転がしているのか解らない。

 大地の奴も、ほんとは大空を背負うのがしんどいのかもしれん。

 いっつも手の届かない場所で青々と、時にはざーざー黒雲を、振りかざす空は堪らんのだと、大地も怒

ってしかたなし。

 されどもされど、それが役目なれば、これもまた仕方なし。

 だから達磨さんに感謝して、一生懸命尽くしておるのか。誰もそ知らぬ風鈴よ。

 風が追う。達磨さんが流しておわす。吹き荒れる。転がり。また吹き荒れる。

 風が吹けば、竜巻を生じ、達磨さんがごろごろとなめして、丁度良く吹き荒ぶ。

 それは荒々しくとも優しい風。何かを告げる、始まりの風。

 全てを作る達磨さんは、いつまでも信じておわす。何も眠らないまま、静かにとっぷり暮れよ暮れよ暮

れてしまえと。

 日が落ちて、風に満たされ、夜が来る。

 達磨さんは休まない。いつまでも起きておられる。起きるとか、眠るとか、達磨さんには初めからない

のかもしれん。

 そのうちぐわぐわと揺られて、進路を変えなさる。

 大山にぶつかられたのか、大川に跳ね上げられたのか、理由は誰も知らん。

 達磨さんが何を目指され、何を求めておわすのか、誰も知らんように。

 同じくして同じものなら、きっとご加護あられるだろう。

 そう思い、泣きぬれた鳥達は、祝福の歌を唄う。

 動物達も難を避けて、喜びの声を挙げる。

 達磨さんはそれを聞くとゆらゆらとゆるえ、そしてひびわれて、かさぎも着ぬままに割れなさる。

 その時が終わりの時などと、ぐずってはならん。それはあくびのようなもの。達磨さんにとって、始ま

りも終わりもないのであれば、いつまでもそうしておられようよ。

 達磨さんの欠片は雨風によって粉々に砕け、大地に染み入るように溶かし込む。

 そしてむくむくと元気を取り戻した大地から、ほんの一握りの土が生まれる。

 その土はゆっくりと転がり始め、少しずつ形を整えていく。

 その道にある全てのものを自分のものとして、大きく、そしてまあるくなられる。

 やがて二つ折りにくっ付いたその丸は、誰にも知られず達磨となるのだ。

 達磨さんはそうして生まれ、そうして死に逝く。

 されどもされど、それは人に照らし合わせたもの、達磨さんには関係なさらん。

 それが達磨さんの一日なのだと、誰が打ち明けられよう。

 知らぬ存ぜぬ関の山、泡の藤森、過度の都、信じた賑わい所構わず。

 抜けた嵐は、損じて浮かず。どちんと調べば、計るに耐えず。特に重して、故に還らず。

 達磨さんは達磨さん。誰も何も言わないほどに。

 解くも明かすも愚かなり、そこそ人の愚かなりけり。

 達磨さんは教えて負わす。その身なり身のままで。




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