丸く囲われた円形の檻(おり)。全ての柱が私を支点に等間隔に並び、円を描いている。 天井はなく、上にはどこまでも澄み切った空が広がっている。 まるで場違いな程に明るいその空は、私を後悔させる為にあるらしい。 人は誰一人としていない。 私という罪人はもう人ではない。だからここは無人の地とも言える。 食料と水は豊富にあり、危険な何かがある訳でもない。 束縛もされていない。四肢は自由に動かせる。 雨や雪は降らない設計になっているそうだ。空調も温度も管理され、健康面で気を配る必要は無い。 食べすぎ、飲みすぎに注意し、後は適度な運動をしていれば長生きできるだろう。 ただし、刑を終えるまでは誰も助けてくれない。ここで病気になったとしても、自分で何とかするか。無理なら死ぬ だけだ。 私に科せられた刑はこの場所で十年を過ごす事で、それは生死に関係なく、ただこの場所に十年居ればいいという事 である。 ここに私という肉体、または私だったはずの肉体が残っていればいい。それだけで刑は執行され続ける。 健康的な環境も私に虚しさを強く感じさせる為だけに存在しているのだろう。 あの空と同じ、全ては罰なのであって、決して救いにはならない。 過酷な環境においやって死なせた方が色々と楽でいいのに、わざわざ生存に適した空間を作るのは一見無駄に思える が。その無駄こそが罰なのである。 そういう人の悪意でできた場所。それがここなのだ。
入居して三日経つと、ここの暮らしにも少しは慣れてきた。 監視が居る訳ではないので、何をやっても咎(とが)められる事はない。一日中寝ていてもいいし、お望み通り空を 眺めていてもいい。 脱走しようと懸命に努力してさえいい。 檻から出るのも容易だ。檻の支柱を登ればいいだけの事。お世辞にも登りやすい柱とは言えないが、大人が頑張れば どうにでもできる。 例え何十mも上に続く高さがある柱でも、諦めなければいつかは辿り着き、越す事ができる。 その為の時間もいくらでもある。 幸か不幸か私は木登りが得意であったので、こつを掴むと大して時間もかけず登りきる事ができるようになった。 しかしそのおかげで全ての希望は脆(もろ)くも崩れ去った。 高い柱の上から見えた景色。それは一面の海であり、ここは小規模の密集林に囲まれただけの、小さな小さな島でし かなかったのだ。 道理で容易に檻から出られるはずだ。 この檻は儀礼的なものに過ぎない。 それは形としてのものであり、本当はこの島全体が一つの大きな檻なのだ。 海を泳いで渡ればいい。せっかく木々があるのだからイカダでも作ればいい。そんな事も初めは考えた。食料も水も あるのだから、出航さえすればいつかはどこかへ辿り着けるだろうと。 しかしそれも無意味な希望であった。 この島は恐ろしい程勢いのある海流に囲まれていて、イカダ程度の強度では数分ともたない。 渦巻いた潮が遠目からでも木々を粉砕する姿が見え、それが四方八方にある。目を凝らせば海中に無数の岩礁(がん しょう)も見えた。ここを抜けるのは立派な船と熟練の航海士が居ても無理そうだ。 運を天に任せてイカダで漕ぎ出してもいいが、おそらく死ぬだろう。とても命を預けられるような成功率ではない。 私はすぐに諦めた。 来る時に乗ってきたヘリにでも乗らなければ、とてもの事この場所を出る事は叶(かな)うまい。 しかしそのヘリがここに来るのは今から十年後。私が刑期を終えた時だけ。 私以外に囚人は居ないし、あの檻を見た所独り用であるから、十年後以外にここにヘリが来る事は無いだろう。 監視する必要性はどこにもなく、私はこの島に捨てられたまま生きるしかない。 いや、死んでもいいのだ。私が死んでも、誰も何も思わない。十年後ヘリと共に来た者が私の亡骸(なきがら)を海 にでも蹴飛ばして仕舞いである。 上手くできている。実に上手くできている。 この暴力的なまでの環境は、自然の圧倒的な力を私に見せ付ける。人間の無力さを味わわせる。 受け容れるしかないのだ。現実を。 そうして私はこの島に唯一残されていたはずの娯楽、脱出への希望も失った。 後に残されたのは、林と檻と海だけ。 やる事は無い。怠惰な日々を過ごし、己の無力を感じ続けるしかない。 果たして耐えられるのだろうか。 もう脱走なんてどうでもいい。この長き長き時間をどう過ごすかの方が問題だ。 何かできる事はないのか。 そんな事を思いながら、ぼんやりと柱を眺める。 そこかしこに傷が見えるのは、以前使用した誰かが日付でも入れていたのかもしれない。途中で切れているのは、日 数を数える行為自体に絶望したのか、それとも死を選んだのか。 希望など完全な絶望の前では害にしかならない。
当たり前だがずっと柱を眺めていても何も起こらなかった。 こんな事をしていても退屈が募るだけだ。ここは一度檻を出て、島を探検してみよう。 私は覚悟を決め、するすると柱を登った。二度目になると一度目の半分も時間がかからなかった。その無意味さが私 自身の事を示しているかのようで少し嫌になったのは、さすがに考えすぎだったのかもしれない。 役立つような物は無いとしても、何かはあるだろうとどうしても期待してしまうのだが。当然、そんな期待は害にし かならない。 木の種類は一つ。その形まで判を押したように一定だ。こういう部分には本当にいやらしいまでに力が注がれている。 一切の容赦はない。 一通り島を歩き回ると、木が切り倒された跡、その木から作ったおもちゃらしき物体、何か解らないが無茶苦茶に破 壊された物、などがちらほら見付かった。 多分ここでできる事はこれで全てなのだろう。先に来た人達が、全部やってしまったのだ。そう思うと今ここに居る 事すら無性に虚しくなった。 これらが掃除もされずほったらかしなのにも意味がある。全てが私に対する罰なのだ。 結局何一つ心は晴れず檻へ戻った。 後は飲み、食らう。 そして眠るしかない。 そんな暮らしを続けるしかなかった。
十年、何とか私は生き延びた。 私に残されたのは妄想を浮かべる事くらいで、そうした一人遊びのようなものは瞬く間に上達した。 今なら木々の枝一つだけで一つの物語が書ける。想像だけの話なので、また文章に著すには訓練が必要だろうが、多 少は面白いものが書けるのではないかと思う。 というよりも、書きたくて堪らない。 いつの頃からか、それだけの為に生きている自分を発見した。 ここで思い描いた全てのものを文章に描き、世に出す。評価される必要は無い。否定だけであっても構わない。 私の妄想を、私という何かを、文章という形にして世に出す事に意味がある。 それがどうなろうと、どうにもならなかろうと構わない。ただ出せればいい。どこへでもいい、この世の中のどこか へ流れ着けば満足だ。 意味、無意味を考える事にはとうに飽きた。 これはただの消費である。十年の間この島でたまりにたまったものを吐き出すだけの生理的欲求でしかない。 都合の良い事に、その全てを吐き出し切る頃には私の寿命は費えているだろう。 それが十年の罰の真相なのかもしれない。 人を一生縛りつけるには十年という時間で充分という訳だ。 消費するだけの私のこれからの生が満たされる事は決して無い。 全てを吐き出し、空っぽにして死んでいく。 刑は終わりではない。これから始まるのだ。 罰とは、きっとそういう事なのだ。 |