浮遊


 褒められる。褒められる。絶賛される。

 来る人、見る人、全てが私を褒め、お決まりの言葉で称えてくれる。

 嬉しいが、しかし度を越えたそれは、私にとって恐怖でしかない。本心では止めてくれ、と叫びたくな

っている。

 人が私を無秩序に褒め称える事で、大きく膨らんだ私の虚像が、何処とも知らぬ場所へと引き上げられ

ていく。

 大きな私が空に浮び、どんどんと私から離れて行く。

 私であった私が、何処か知らない場所で喘いでいる。

 怖ろしい。

 誰か止めてくれ。

 私はそんな事を望んでいない。私を私の知らない場所へ連れて行くのは止めてくれ。

 それは虚像だ。私ではない。

 人はその虚像を私だと思い、私だと言う。真実は他所に、皆がそう望み、そう言う度に、私の虚像が本

物に塗り替えられていく。

 私はそれではない、違う、私ではない。

 叫んでも、叫んでも、誰も見向きもしてくれない。本当の私、この小さな等身大の、一人の人間である

私の声はかき消され、誰にも届かない。

 私の声は、私の虚像、皆の願望に消されてしまう。私自身すら、消されてしまいそうだ。

 怖い。私はどうされてしまうのだろう。私ではない私が、私の知らない所で、一体どのような物に変え

られているのだろう。

 私は一体どんな風に人の目に映っているのか。

 私でない私は、今この時、何処に居て何をさせられているのだろう。

 怖ろしい。心から恐怖する。

 私の虚像は瞬く間に世界へ広がって行った。世界中が私の虚像を称え、何も見えぬ目で、何も聞えぬ耳

で、私に拍手を送り続けている。

 がらんどうの誰かが、がらんどうの私に、怖ろしいほどの賛辞を捧げ続けている。

 今は情報の伝わる速度が速いから尚更だ。何でも一瞬にして世界に広がり、そして一瞬にして冷める。

その後に残るのは、行き場を失くした得体の知れないモノ。それが虚像という依り代を失い、私という本

体へ返ってくる。

 要らないモノが、私の望まぬものが、望まぬ形で返ってくる。

 それは私への賛辞、私への想いではないのに。

 私にはそんなモノは受け取れない。受け取りたくない。気持ち悪く変質されたその想いは、私の全てを

蝕むだろう。

 私は虚像程大きくない。大流を小さな壷に注ぎ込むように、私の身体は簡単に破裂し、後には誰にも価

値を見出されぬ破片が残るだけ。

 私と云う何かも失われ、私の生み出す物にも、いずれ価値が無くなる。

 まるで天高く引き上げられた挙句、地の底へと放り捨てられるかのようだ。

 これが天罰だといえば、そうなのかもしれない。

 私は怖い。それがいつかは知らないが、必ずその時がやってくる。そしてそれから私は逃げられない。

 今も尚肥大した賛辞が、いずれ落胆と罵りの声に変わって、私を叩きのめすだろう。無慈悲に、無意味

に、何の容赦も無く。

 何故だ。何故そんな場所へ連れて行こうとする。私はそんな事は望んでいない。

 何故そんな事をする。私を破滅へ導く事が、何故そんなに嬉しいのだろう。その笑顔で、賛辞で、彼ら

は私を地獄へ突き落とそうとするのか。望まぬ私を、何故寄って集って滅ぼそうとするのだ。

 私には解らない。

 好きだと言ってくれたじゃないか。評価してくれたじゃないか。喜びこそすれ、憎まれる覚えなんてな

い。私は悪い事など、一つとしてやっていない筈だ。

 人に褒められ、喜ばれる事が、悪だと言うのだろうか。

 それが私の罪だと言うのか。

 だとすれば、私のやってきた事はなんだったのだろう。近い未来に叩き潰される為に、私はいままで生

きて来たのだろうか。懸命に励んできたのか。

 別に褒めて欲しくてやってきた訳じゃない。褒められれば、認められれば嬉しいが、私は好きだからや

ってきた。それが望みではなかった。

 それがある日突然評価が変わり、私は望まぬ賛辞の代償を払おうとしている。

 褒める事、喜んでくれる事は確かに嬉しい。いくらかはその為に頑張ってきた事も認める。でも私はそ

んな代償を支払いたくて、今までやってきたのではないんだ。

 止めてくれ、その場所へ引き上げるのは。

 虚像を祭るのは止めてくれ。

 私はやりたかった事を好きにやっていただけだ。それだけが、それだけの事なんだ。許してくれ、何の

意味も無い。私を貶める事に、何の意味も無いだろう。

 なら許してくれ。何故無意味に私はそうさせられるのだ。

 評価される前までは、私は普通の人間だったのに、いつの間にか得体の知れないモノに呑み込まれ、

消化されようとしている。

 この評価も虚像の崩壊と共に無かった事になり、ただそこに宿った想いだけが私を苛む。

 こんな無慈悲な事は無い。

 ああ、嫌だ。私をそこへ連れて行かないでくれ。

 私をずっと人として生かせてくれ。もうそれ以外は望まないから。

 全てを捨ててもいい。こんな結末は嫌だ。

 だがもう止められない。

 解っている。もう遅いんだ。大多数の人間に目を付けられれば、誰もそれから逃れられない。

 諦めなければならない事も解っている。

 でも何かは言いたい。何もせずに受け容れる事は出来ない。

 だからせめて、言いたいだけは残しておきたかった。

 例え誰の目に触れなくとも、言いたいだけは残して置きたい。

 それに何一つ意味が無いとしても。

 何も、変わらないとしても。

 嗚呼、私の虚像が、堕ちてくる。




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