バケツさん


 青いバケツをいつも被っている。

 それがどうしてかは忘れてしまった。

 太陽がまぶしかったからかもしれないし、風が冷たかったからかもしれないし、単に狭い所が好きだっ

たからかもしれない。

 だからといってバケツはないだろう、と言われれば、確かにそうだと僕も思う。

 でも今更外せないし、もう引っ張っても抜けないような気がしている。

 中に入った自分の姿も忘れてしまった。今ではただのバケツと呼ばれる事が、当たり前で自然な事だと

感じている。

「バケツさん」

 皆からはそう呼ばれている。

 いつから誰が呼び始めたのかは憶えていないが、青色のバケツを見て、その子が、あ、バケツさんだ、

と言った事は覚えている。

 もう随分前の話になる。あの子はどうしているのだろう。

 あれからずっと見ないから、どこかへ引っ越してしまったのかもしれない。

 それとも僕が引っ越しているのかな。

 そういえばバケツを被ってから、何処かへ移動し続けていたような気がする。

 行く先は忘れてしまったが、今もその方向へ向かっている。そんな気がする。

 大きなバケツから足だけを出して、ちょこちょこと歩く。たまには転がる事もある。始めは子供のおも

ちゃにされていたが、一緒に遊んでいると助けてくれるようにもなった。

 子供は時に残酷で、思い切ったことをするものだけど、大人よりも随分優しい。

 少なくとも、大人に「あれは変な人なんだよ」と唆(そそのか)されるまでは、バケツに対する偏見は

少ない。

 彼らはただ見慣れないから騒ぎ立てるだけで、本当は馬鹿にしていなければ、嫌ってもいない。

 ただよく解らないから、その答えを知りたい。そしてその真面目くさった答えを面白がるだけなんだ。

 買い物を頼んだり、色々相談に乗ってもらったり、随分力になってもらった。

 大人ではこうはいかない。役に立たない。

 勿論、お礼に彼らを楽しませる事も忘れなかった。子供達の協力を得る為には、彼らに好かれていない

といけない。友達のままでいないといけない。

 でもそんな利害関係も、大人より随分優しいものだ。

 僕が本当はどんな姿をしていたとしても、子供達にはバケツさんで、他の誰でもない。中身なんてどう

でもいいんだ。

 頼めば彼らが僕を転がしてくれる。バケツを真っ直ぐ転がすのは難しいって言ってたけど、随分上手く

なった。何でも上達するのが速い。多分、一生懸命考えて遊ぶからだろう。

 あんまり転がると酔ってしまうので、程ほどにしないといけないけど。転がった時は随分先に進めたよ

うな気がした。

 子供達はいつも僕の周りに居る。もう付いてこれなくなっても、別の友達を紹介してくれた。また同じ

ように友達で居てくれるようにって。

 方向が解るだけで、目的地も忘れてしまったけど、子供達と一緒に進んでいくのは楽しかった。だから

こうして進む事だけは忘れられないんだと思う。

 どれだけ進んでも何も無いかもしれないし、誰も待っていないかもしれないけど、進んでいけるのは楽

しいし。最後にどんな答えが待っていたとしても、今何を忘れていたとしても、この時は確かに楽しくて

希望がある。

 だったらそれでいい。

 いつまでも誰にも解らないバケツさんのままで。

 このままでいい。今も。



EXIT