手討ち


「俺おめぇを手討ちにする事に決めたから」

 一人の男がながぁい刀を抱え、ぶるんと一度回し、切っ先を突き付ける。その刀身は鋭く光り、いかに

も斬れそうです。

「ちょ、ちょっと待って下さいよ。いったい、なんの話で」

 困ったのは突き付けられた方の男だ。

 この男、今日この町に出てきたばかり、知った人間もいない。勿論刀男もそうだ。この男とは初対面も

初対面、今さっき顔を会わせたばかり。名前も知らなければ、何の繋がりもありません。

 それなのに何故。疑問だけが頭に浮かびます。

「どうしたもこうしたもあるかい。漢が一度こうと決めたからには、やらねばなんねえ。それが漢っても

んだろ、ええ」

「ちょいと待って下さいよ。ですから、いったいナンの話で」

「難もナンもあるけえ。ともかく手討ちにするって寸法よ」

「やあやあ、こりゃあ困ったぞ」

 男は突然の事に驚きすぎて逆に頭が冴えてきましたが、といって何をどうすれば良いのかは解りません。

 不安そうに周りを見回すも、誰も彼も係わり合いになるのが嫌なのか、目を背けております。

「義理も人情もあったもんじゃねえな」

 と思いましたが。まあ、自分が逆の立場でも、多分同じようにしたでしょう。白昼堂々刀を振り回すよ

うな輩と、係わり合いになりたがる人間はまず居りません。

「さあ、その首ぬいっと出せや。すぐさま斬り落としてくれよう」

 刀男はぶんぶん刀を振り回し、その拍子に壁やら畳やらを傷付けますが、あまりにも見事に斬れるもの

だから、ひっかかりもしなければ、つまずく事もありません。

「確かに立派な首とは言いませんが。これでも生まれてこのかたしっかりくっ付いてくれたもんです。そ

う易々と離しはしませんよ」

「しゃらくせえ、男がぐだぐだ言うな」

 剣舞でも舞うように刀を振り回し、どんどん芝居がかった仕草になっていく刀男。ようく見るとその顔

は真っ赤に燃え、目の焦点も合ってません。これは確かに酔っ払っているようです。

「どんだけ飲めばこうなるのやら。難儀な事になったわい」

 男は少しずつ距離を離して逃げようとしましたが、その度に上手い具合に回り込み、逃がさないように

と睨み付けてきます。こういう所だけはしっかりしているから性質が悪いのですが、酔っ払いとはそうい

うものなのかもしれません。

 剣の腕はどうか知りませんが、この刀男ケンカ慣れはしている様子。

 とても逃げられそうにありません。

「やあやあどうしたものか。これはどうしたものか」

 悩んでも嘆いても答えは出ません。そもそも何の目的でこんな事をするのかも解りませんし、目的自体

があるかどうかも怪しいもので。

 いやもう正気すらないのかもしれない。

 それでも刀の切っ先はぴたりと男を追ってきます。右に行けば右に、左に行けば左。目でも付いている

のではないかと思うくらいです。

「こうなれば男は度胸。がつんとやるしかないわい」

 男は腹をくくりました。どうせ逃げられないのなら、一か八か体当たり。相手は酔っているのです。ち

ょっと突けばころりと倒れてしまうでしょう。

「ええい、ままよ」

 男は刃の切っ先をかいくぐるように前に出ました。そうすると先へ先へと伸ばしていただけに、内側に

入られるとどうしようもありません。

「おう、おう、おうよ」

 刀男は虚を突かれ、目標を失ってふらふらしていた所、そこに男が体ごとどんとぶつかってきまして、

呆気なく倒されてしまいました。その拍子に持っていた刀もぽうんと飛んで、腕一本分くらい先に落ちて

刺さります。

 もつれ合い倒れ込んだ二人はそのままごろごろと転がり、壁にまで行ってどすんとぶつかり、その衝撃

で上の棚が落ち、そこに乗っていた皿だの徳利だのががしゃがしゃと落ちてきて、二人に遠慮なく降り注

ぎ、まともに頭に当たった刀男はぐったりと伸びてしまいました。

「ふう、ふう、酷い目に遭ったわい」

 男はようやっと刀男を振りほどくと、大きく息を吐いてどすんと尻餅を突きました。もう立っていられ

ない程疲れていたのです。男はこんな荒事とは無縁でしたので、もう息が乱れて仕方ありません。

 そうして一息つき、顔中に色んな破片を乗せて伸びている刀男を見て、もしあれが自分の頭の上に落ち

ていたらと思うとぞっとしました。

「これもお天道様のおかげか。毎朝毎朝拝んでいたかいがあるってもんだ、ふぃーっ」

 あぐらをかいてその辺に落ちていた酒瓶をとって、ごくりと飲み干します。中身は水でしたが、かえっ

て今はそれがありがたい。

「しかしほんとにひでえ目に遭ったなあ。この人はいったいなんだってんだ」

 落とした刀以外に身分を証明できるような物はなさそうです。仕方なく男は刀とその鞘を拾い、迷惑料

としていただいておく事にしました。

 これくらいはもらわなければ割に合いません。

 刀男には気の毒ですが。まあ、そもそも自分が悪いのですから、諦めもつくでしょう。

 男はしばらく休もうと思ったのですが、もう目の前は黒山の人だかり。このまま居ても厄介になるだけ

です。

 代金を放り投げ、急いで荷物と刀を持って逃げました。

 後の事は知りません。

 破片の下の刀男の顔が、見事に潰されていた事にも。



 男は息の続く限り走り続け、街道沿いに山の方まで逃げてきました。

「ふう、ふう、ここまでくれば平気だろう」

 大騒ぎになりましたが、ケンカ程度で町を離れてまで目明しが追ってくるとは思いません。見物人が事

情を上手く説明してくれれば、それで済むかもしれません。

 とにかくこちらは災難に巻き込まれただけですので、さっさと逃げるに限ります。

 しかしここで問題があります。それは手に持っている刀の事です。

 さっさと質に入れてしまおうと考えていたのですが、慌てて逃げてきたのでそれもできませんでした。

男の身分では刀を差す事はできませんし、勝手に持つだけでもお咎めを受けてしまいます。このまま持っ

ているとまた厄介事になるでしょう。

 役人に見付かっても、袖の下を渡せば見逃してもらえるでしょうが、そんな金はありませんし、今更町

に戻る訳にもいきません。一度逃げたのなら最後まで逃げるしかないのです。

「こりゃあ、参ったな」

 いっそ捨ててしまえば良いのですが、ただ捨てるのはなんとも惜しい。何しろこの刀は良く斬れます。

高く売れるに違いありません。

 欲張ればかえって損をするとは先祖代々の家訓ですが、それをそうできないからこそずっと語り継がれ

てきているのです。当たり前に守れていたなら、今の今まで伝わってはいないでしょう。

 とはいえ、持っているのは危険です。

 そんなこんなで捨てようか、いや勿体無い、を繰り返している内にどんどんと日が暮れて。このままだ

と山賊夜盗の格好の餌。ともかく今は宿でもとって、落ち着いてから先の事を考えよう。

 そう決めた男は刀に荷物を結び付け、荷物持ちの棒のように見せかけて、担いで歩く事にしました。

 今は目立たないように、そっと行動するべきでしょう。

「迷惑者は居なくなった後まで迷惑かけてくれるわい」

 男が刀を盗ったのが悪いのですが、そんな事は考えられません。ともかくこの世の全ての悪い事はあの

刀男のせいという事にして、えっちらおっちら歩き続けました。

 次の宿場町へはまだ距離がありますが、その合間に小さな村があり、ぼろい宿が一軒だけあったのを憶

えています。あそこに泊まれば一日くらいやり過ごせるでしょう。



 何とか暗くなる前に辿り着き、宿に入る事ができました。宿はがらがらで家主の他には誰も居そうにあ

りません。かえって外より不気味な気がしましたが、形だけでも壁と屋根があるだけましでしょう。

 室内もぼろぼろで原型を留めている物は一つとしてなさそうですが、まあ布団はあります。

 しかしこういう安宿で気をつけないとならないのが、盗難です。客だけでなく、家主に盗まれたり、寝

ている内に殺されてしまった、という話も度々聞きます。

 この辺はまだ町が近いから大丈夫だと思うのですが、近いからこそ立ち寄る旅人が少なく、かえって危

ないような気もします。

 いつもなら盗られるような物はありませんが、今はあの刀があります。気付かれていないとは思います

が、確証も持てません。もし値打ちのありそうな刀を持っていると知られれば、家主が何を考える事か。

 悩んだ末、男は寝ずの番をする事にしました。

 刀を抱きかかえ、一晩中起きているのです。安宿ですから飯の用意などされてませんし、一度篭れば誰

も来る事はありません。そのままほったらかされて朝を待つだけです。

 男がここで何をしていようと、誰に知られる事もありません。

 こうして男は独りでずっと起きておりました。

 一夜明け。男は眠い目をこすりこすり立ち上がりました。頭がぼんやりしておりますが、おかげで盗ま

れずに済みました。

 まあ、結局誰も来なかったのですから、そのまま寝てしまっていても何も盗られなかったでしょうけど、

それはそれで構いません。男は満足していました。

「森で少し寝ればいい。さあ早くここを出よう」

 人が居る所はとにかく落ち着きません。男は置いたままにしていた荷物を担ぐと、さっさと宿を出て、

街道沿いにしばらく走り、手頃な森を見付けてそちらへ入りました。

 野宿は怖いものですが、それは暗い暗い夜であればの話。昼間に木の上で寝ていても、まあ襲われる心

配はないでしょう。もし何かが来ても、物音がすれば解るはずです。

 男は念の為に枯れ枝を木の下にばらまいて置いて、音が立ちやすいようにしておきました。

 刀を手に入れて以来、とにかくこの刀の事が心配で、気になって気になって仕方がありません。誰も追

ってこないのに常に逃げていなければ気が済みませんし、まったくおかしな事になっておりましたが、男

は自分の変化にまだ気付いていないようです。

 そして男は昼の間は木の上で眠り、夜になると安宿なりを探して一晩中起きているようになりました。

 いつも緊張し、誰か来ればびくっと身構えます。男には世の中の人間全てが強盗にしか見えなくなって

おりました。

 いつもぴりぴりしていますので、自然と酒量も増えていきます。以前はたしなみ程度に飲んでいたので

すが、今では木の上で泥酔するような事も珍しくありません。そうでもしないと気が張って眠れないので

しょう。

 そして物音に怯えては、刀を独りで振り回すような事も増えてまいりました。

 とにかく落ち着けません。

 森の中や安宿の中ならそれでも良かったのですが、日中酒を買いに行く時などは大変です。どんな場所

でも、やはり日中はちらほら人の姿が見えます。当然ですが店にはいつも誰かが居ます。

 人一人の気配にすら耐えられなくなっていた男は、とうとう酒屋に夜忍び入って盗むようになってしま

いました。

 初めこそ代わりにお金を置いていたようですが、段々財布の中身が心許なくなってきますと遠慮なんか

なくなり。ぎょろぎょろと目を光らせて刀片手に忍び入るその姿は、まさに強盗。誰が見ても言い逃れす

る事はできないでしょう。

 それでも捕まらないのは不思議ですが、それだけ人の目に敏感になっていたという事なのでしょう。

 こうして少しずつ進み、何とか家のある町にまで帰ってきたのですが、結局刀は持ったまま。今では刀

を手にしていないと落ち着かなくなってしまっているのでしょう。

 この刀があるからびくびくしているというのに、びくびくするから刀を手放せない。まったくおかしな

事になりました。

 しかしともかく帰ってきたのです。家に帰れば安心でしょう。

 夜中まで待ち、町が静まるのを待って入りました。抜き足差し足、静かにひたひたと歩き、人目のない

方へない方へ向かいます。傍目から見ると完全に夜盗の類ですが、そんな事はお構いなし。とにかく必死

で家に帰ろうとしました。

 雲の多い空である事も幸いしたのか、順調に帰路を進みます。

 しかしもう少しで家だと言うその時。

「おう、おめえ、どこのもんだ。こんな夜更けに出歩いて、襲われても知らねえぞ」

 後ろから話しかけられました。慌てて振り向くと目明しです。それも運の悪い事に刀持ちです。闇夜に

も影でそれと解りました。

「へ、へえ、今やっと帰ってきたとこで。ほら、すぐそこの家でさ」

「ほーう、すぐそこねえ」

 目明しがゆっくりと近付いてきます。その仕草におかしな事はないのですが、どうした事でしょう、近

付いた分だけ目明しの影が大きくなっていきます。

 何度も目をこすり、まばたきしても、それは変わりません。どんどんどんどん大きくなります。

「これも何かの縁だ。一緒に行ってやろう」

「い、いいえ、めっそうもございません」

 なんだか得体の知れない化け物のように思えてきて、男は慌てて後退りました。

「おう、なんでえ、そうじゃけんにする事もあんめえ」

 すると益々怪しんだのか、目明しもまたすすっと近付いてきます。もう先ほどまでのようにゆっくりし

た動作ではありません。その動きは速く、影も一気に倍の倍の倍まで大きく成長し、覆い被さってまいり

ます。

「く、くるな。くるなっ!」

 ただでさえ人に過敏になっているのです。男にはもう耐えられませんでした。手にした刀を抜いて、一

刀両断に襲い掛かります。

「てめえ、やっぱ、盗人か! ふてえ野郎だ。俺がたたっ斬ってやらあ!」

 男は刀を振り回しましたが、刀を使った経験などありません。素人が上手く扱える訳もなく、またたく

間に目明しに追い詰められてしまいました。後ろは壁、逃げ場はありません。

「ひ、ひーっ!」

 しかしそこでがむしゃらに突き出した刀が、見事に目明しの心の臓を貫きました。

 血が噴出し、恐怖した男はめちゃくちゃに刀を振り回します。その度に目明しの体は切り刻まれ、男の

体は返り血で真っ赤に染まりました。

「ひーっ、ひーっ!」

 叫びながら大暴れすれば町の人が気付かない訳がありません。たちまち人の群れができ、皆その姿を見

て口々に叫びました。

「鬼だ。鬼が出たぞ!」

 血に染まる男はもう人の姿をしておりませんでした。人を成していた色んな物を体中にまとわり付けた

その姿は、まさに鬼。そうでなければ一体なんだというのでしょう。

 町人達は恐れおののきましたが、中には腕っ節の強い者、野に伏しながらも功名の機会を狙っていた者、

なども沢山おります。

 そんな者達がこれを放って置く訳がありません。鬼に対して容赦(ようしゃ)などあるはずもなく、結

局男は彼らに散々に切り刻まれ、目明しと同じようにずたずたに切り裂かれてしまいました。

 あわれ男は肉塊に。後には赤く染まる怪しい刀だけが残ります。

 皆不気味がって近付きませんでしたが、一人の男が鬼の刀を面白がって取り上げました。

「こりゃあいい。鬼の刀となりゃあ、箔も付く。血染めも刀にとっちゃあ、名誉ってもんよ」

 こうして刀は新しい主人の手に渡りました。

 夜闇に消えたこの男が、その後どうなったかを知る者はおりません。

 何でも戦に出て、より多くの血を流したそうですが、詳しい事は誰も知りません。

 ただどこで何をしようと同じです。

 刀に魅入られた人間の、行き着く先はいつも同じなのですから。

 より多く血を吸える場所へと、刀が主人を導くのでございます。

 武器とはその為にあるのです。

 だから触れてはならぬと言われるのでしょう。

 おお、こわいこわい。

 そんなお話。




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