一つだけの金貨


 一人の子供が金貨を一枚だけ持っていました。

 彼はその一枚をずっと使わず取っておく事にしていて、まるでお守りのように大事にしています。そう

してその金貨を毎晩のように眺めながら。

「何があっても、この金貨があれば大丈夫」

 と呟いておりました。

 貧しいこの子が何故金貨を持っていたのか、何故その金貨を使って今の生活を変えようとしなかったの

かは解りません。ただその金貨がある事で、この子はとっても安らかに一日を過ごせたのでした。

 この子は非常に上手にその金貨を隠し、それを持っている事を誰にも知られないようにしていましたが、

彼のおじさんだけはそれを知っていました。

 何故知っているのか、何故金貨が一枚だけあるのか、それはやっぱり解りません。でもおじさんは彼が

金貨を一枚持っている事を、誰よりもよく知っていたのです。

 おじさんは欲深で、お金が欲しくて堪りません。金貨なんて言ったらもう火の中に落ちていても飛び付

くくらいです。そんな風ですから、子供が持っている金貨が欲しくて仕方がありません。

 でもこの子はとっても金貨を大事にしているので、簡単には奪えないのです。

 子供が金貨を肌身離さず持っている事はどうやら確かでした。おじさんが子供の居ない間に何度も部屋

を調べたのですが、どうしても見付けられません。部屋の中には隠していないようです。

 そこで眠っている間に盗ってしまおうと、夜中にこっそり忍び込んでみましたが、いつの間にかその子

は部屋から消えていました。

 とにかく警戒心が強い子で、その上利口なのですから、おじさんも困っていました。

 諦めればすっきりしたかもしれませんが、おじさんはどうしても金貨が欲しく、どうすれば奪えるのか、

一生懸命考えました。一生でこんなに頭を使った事はない、と云うくらいに考えたのですから、おかしく

立派なものです。

 おじさんは、金貨を奪う為にはまず家から出さなければならない、と考えました。出来れば旅でもさせ

るのが一番です。家に居る限りこの子は寝る場所食べる物をあまり心配しなくて済む、それでは毎日金貨

の心配だけしていれば良いので、そんな相手から奪う事はとても難しくなります。

 でも旅に出ればどうでしょう。毎日色々な心配をしなければなりません。寝る所、食べる物にも困りま

す。そんな風に他の事に気を取られていれば、金貨を盗める機会もきっとある筈です。

 そこでおじさんは、ある時この子にこう言ってみました。

「大変だ、お前の母さんが見付かったそうだ。でもちょっとした病気にかかっていてね。どうしても母さ

んの方からお前を迎えには来れないようだ。でも母さんの居場所は解ったのだから、もしお前さえ良けれ

ば、おじさんが連れて行ってあげるよ」

 しかし子供はどうしてもそれを承知しませんでした。

 この子もおじさんが金貨を狙っている事は解っていましたから、一緒に旅に出るなんて怖ろしい事は、

どうしてもしたくなかったのです。

 でもお母さんには会いたい。嘘かもしれないけど、もしかしたらお母さんから連絡があったのは本当か

もしれない。それにお母さんが見付かったのが嘘でも、旅を口実にしてこの家から、このおじさんから逃

げ出す良い機会になるのです。

 そこで子供はこう答えました。

「おじさんにこれ以上迷惑はかけられないよ。だから僕一人で行く。居場所さえ教えてくれれば、僕一人

で行くよ」

 おじさんは子供を説得しようとしましたが、どうしても子供は聞き入れず。結局お母さんの居場所とい

うのを教えてしまい、一人で行かせる事になってしまいました。

 おじさんはどうせ口だけだろうと思っていましたが、次の朝が来るとこの子は本当に旅立ってしまった

のです。

 仕方なく子供を見送りましたが、おじさんはこのまま金貨に逃げられてしまう事に我慢なりません。

 結局おじさんもこっそり子供の後を追う事にしました。

 変装して後を追い、何とか機会を作って金貨を奪ってやろうと考えたのです。おじさんはどうしても金

貨が欲しく、諦められないのです。

 おじさんは子供を追いながら様子をうかがいますが、子供はなかなか隙を見せません。

 そこで先回りして、一つ騙して見る事にしました。

 おじさんはぼろぼろの服を着て、乞食になりすまし、子供を待ちます。この子はおじさん以外の人には

とても優しいので、乞食相手なら上手くひっかかるだろうと思ったのです。

「どうしたの」

 思った通り、現れた子供はおじさんを見付けるなり心配そうな顔で駆け寄ってきました。

 おじさんはしめしめと思いながら。

「ああ、お腹がすいて、喉が渇いて、もう動けないんだよ」

 だみ声でそう答えると、子供はいつも持っていた小さな袋を渡し。

「さあ、これを食べて」

 おじさんの方へそれを差し出します。

 おじさんは心の中で笑いながら受け取り。

「ありがとう、ありがとう」

 と涙を流すふりをしながら、袋の中を調べます。

 でも金貨はありません。袋の中には、パンの切れ端と瓶に入った水が少しあるだけです。

 おじさんはがっかりしながらそれを少し食べ、少し飲み、子供に返しました。

 それからお礼を言って別れましたが、おじさんは悔しくてたまりませんでした。

「あの子供め、子供め、今に見てろ!」

 おじさんはまた先回りをし、今度は服とすら言えないただの布を全身にぐるぐると巻いて、がたがたと

震えるふりをしながら、子供を待ちました。

「どうしたの」

 子供はまたあっさりと引っかかります。

 おじさんはしめしめと思いながら、まただみ声で。

「ああ、寒くてたまらないんだ。こんな布を巻いた所で、どうしようもない。寒いんだ、寒いんだ」

 涙ながらに訴えます。

 すると子供はとっても哀しそうな顔で。

「じゃあこれを着て。少しはあったかい筈だから」

 着ていた服を脱いで、おじさんに着せました。

「おお、ありがとう、ありがとう」

 おじさんは何気なく服を探りましたが、そこにも金貨はありません。

「嬉しいが、今度はぼうやが寒いだろう。それはぼうやが着ているが良いよ。わしにはちょっと小さいし

ね。本当にありがとう」

 仕方が無いので服を返してやりました。おじさんは金貨が欲しいのであって、子供の小さな服なんか全

く欲しくないのです。

 子供は哀しそうな顔をしていましたが、おじさんがよく言い聞かせると、何度も何度も振り返りながら、

やっとの事で先へ行ってくれました。

「ちッ、一体何処に隠してんだ。あの子供め、子供め、俺を馬鹿にしやがって!」

 袋も駄目、服も駄目、おじさんが見当を付けていたどちらにも金貨はありませんでした。

 本当に一体どこに持っているのでしょう。どこに隠しているのでしょうか。

 子供が金貨を持っているのかも疑問に思えてきます。確かに持っている筈なのですが、何だか自信がな

くなってきました。もしかしたら金貨を持っているというのは、おじさんの勘違いだったのでしょうか。

「いや、きっと持ってる。絶対持ってる筈だ。持っていてもらわないと、俺が困るんだから」

 諦めきれないおじさんは、結局子供の後を追いました。

 そしてそれからも何度か似たような手を使って金貨を奪おうとしたのですが、どうしても金貨は見付か

りません。

 そうこうしている内に、とうとうお母さんが居る筈の街まで辿り着いてしまったのです。

 おじさんは焦りました。お母さんが見付かったというのは嘘ですが、あの子はそれが解っても、もう二

度とおじさんの家に帰ろうとはしないでしょう。

 おじさんも子供が逃げたがっている事は、とっくに知っていたのです。

 この街に居てもおじさんに見付かる可能性があるので、多分このまま何処かへ行ってしまうに違いあり

ません。

 そうして子供の行き先が解らなくなれば、もう追う事も先回りする事も出来ず、永遠に金貨を見失って

しまう事になります。

 おじさんは追い詰められました。金貨を奪う機会は、あと少ししかないのです。ここで奪えなければ、

一生逃げられてしまうでしょう。

 おじさんは考えます。無い知恵を絞って、もう一度懸命に考えました。

 でも名案を思い付けません。大体何処に持っているのかも解らないのだから、奪いようがなかったので

す。子供が持っている事は確かでも、それだけでは奪えません。隠し場所が解らなければ、盗みようがな

いではありませんか。

 あの利口で警戒心の強い子供の事です。並大抵の事では金貨を見せようともしないでしょう。

 こうなったら最後の手段を使うしかありません。

 そう、子供を捕まえて身包み剥がして調べ、それでも解らないようなら力ずくでも金貨のありかを白状

させるのです。

 こんな事をするのは流石のおじさんも良い気持ちはしませんでしたが、他に手が無いのですから仕方あ

りません。おじさんはどうしても金貨が欲しいのです。

 おじさんは覚悟して、人気の無い場所で子供をさらってしまう事にしました。

 街には警官が居るでしょうから、街へ入るまでにさらわなければなりません。おじさんは焦りましたが、

それでも慎重に慎重に機会をうかがいながら、子供の後をこっそりと追いました。

 しかし子供の方はとうに気付いていたのです。

 おじさんが乞食のふりをしていたのも、手を変え品を変え金貨を奪おうとしていたのも、初めから気付

いていたのです。

 それでも騙されたふりをしていたのは、おじさんに育てられた、生きる為に世話になってきたという事

への恩返しのつもりだったのです。

 そもそもこの子はお母さんが見付かったという話も信じていませんでした。子供が家を出たのは、おじ

さんから離れたかったからなのです。

 子供にとっても大事な金貨です。この金貨があるからこそ、この子は何があっても耐えられたのですか

ら、金貨を狙っているおじさんの側に何か居たい筈がないのです。

 おじさんがいくら何を言っても、何をしても、金貨を奪えない訳です。解っていれば、金貨を隠す事く

らい簡単です。

 でもこの子も焦っていました。騙されないようにするくらいは簡単ですが、おじさんがもし無理矢理奪

おうとしたら、きっと金貨は取られてしまうでしょう。

 利口でも子供は子供です。力では大人に勝ち目はありません。悔しいですけど、この子がどうあがいて

も、おじさんに捕まってしまったらどうにも出来ないのです。

 だからなるべく人の多い方を進み、急いで歩きましたが、どうしても限界があります。子供も疲れれば

休まないといけませんし、今までの旅で足腰が痛んでいます。何しろ初めての長旅ですから、考えていた

以上に子供の身体は疲れていたのでした。

 街にはもうすぐ着きますが、運の悪い事に人気が段々無くなってきています。子供が急ぐ余り、お金を

節約したい余り、一つ前の村で泊まらなかったからでしょう。子供はもう一つ先まで行けると考えたので

すが、多くの旅慣れた人達は暗がりを歩くような事はせず、慎重にその村に泊まったのでした。

 気付くと周りには誰も居なくなってました。子供と、その後ろから追うおじさんしか居ません。

 子供は震えました。日も落ち、薄暗くなった中で見るおじさんは、まるで黒い影、悪魔のように見えた

のです。いや子供にとって、今のおじさんは正に悪魔でした。黒い悪魔がずっと追ってきます。周りには

誰もいません。誰も助けてくれません。

 子供は震えながら急ぎましたが、子供の足では大人を振り切る事が出来ません。一生懸命走ろうとさえ

しましたが、疲れた体では満足に走れません。おじさんも何かを覚ったのか、速度を上げ、ぐいぐいと子

供に近付いてきます。

 このままではすぐに捕まってしまうでしょう。捕まってしまえばどうなるか解りません。おじさんは悪

魔のようです。子供は怖くて堪りませんでした。

 後ろからくる足音がみるみる大きくなってきます。すぐに追い付かれます。もうすぐそこにおじさんが

います。そしてその黒い影からするすると手が伸び、子供の髪を撫でるように触れました。何度も何度も

そんな事をされ、子供はおじさんが自分を掴もうとしている事を知ったのです。

 大きな影がすぐ後ろに居る。まるで後ろに目があるように、子供にはそれがはっきりと解ったのです。

「もう駄目だ。もう逃げられない。もう捕まる。もう駄目だ」

 でも、もう終わりだ、そう思った時、子供の中にぽっと浮んできた物があります。

 そうです、あの金貨です。何があっても大丈夫、何かあった時の為に大事に持っていた金貨。子供には

まだ金貨があったのです。今こそ金貨を使う時。

「えいッ!」

 子供は迷いませんでした。取り出した金貨をおじさんの前に掲げ、その後思いっきりおじさんの後ろへ

放り投げたのです。

「き、金貨だッ!!」

 闇夜に金が美しく光ります。月明かりを淡く反射した金貨は、いつにもまして綺麗に見え、はっきりと

おじさんの目に映ったのでした。

 おじさんは慌てて引き返します。慌て過ぎて何度か転びながらも、必死に金貨を追います。

 子供はその隙にぐんぐん速度を上げて、走りに走りました。不思議と身体が軽くなったように感じてい

ました。疲れていた筈なのに、まるで金貨と共に重りが取れたように、いくらでも走れたのです。

 でも子供はもう逃げなくても良かったのかもしれません。何故なら、おじさんはもう金貨の事しか頭に

なかったからです。金貨が子供から離れたのですから、これ以上子供を追う必要はないのです。

 子供は気付きました。初めから金貨なんか投げ捨てていれば、おじさんにあげてしまっていれば、こん

な事にはならなかった。お守りとして持っていた金貨こそ、全ての悪い原因になっていたのです。

 金貨があったからこそ、おじさんは子供を育ててくれたのでしょうから、全部が全部悪いとは言いませ

ん。ただ、とうに金貨が必要ではなくなっていたのです。おじさんから離れた時、金貨の役目は終わって

いたのです。

 役目が終わった物を持っていても、困るだけなのは当たり前でした。

 子供は街に着いて一息吐き、さっぱりした気持ちで笑いました。

 役目を終えた金貨をいつまでも持っていたから、子供は酷い目に遭ったのです。でも最後に確かに金貨

は子供を助けてくれました。だったらそれで良いではありませんか。

 そしてこの子は思いました。あの金貨は今度はおじさんを助けてくれるのだろうか。それとも子供がそ

うだったように、おじさんを困らせてしまうのだろうか、と。

 少し心配になりましたが、考えても仕方が無い事なので、もう考えない事にしました。あんな物で何が

変わるのか知りませんが、それでもおじさんは求めていた物を手に入れたのです。きっと幸せになるので

しょう。

「おじさんに良い事がありますように」

 子供は晴れ晴れとした気持ちで、おじさんに追われていた事も忘れて、心からそう願いました。

 そして始めて一人で歩き出したのです。今は金貨もおじさんも居ません。子供が一人で生きていかなけ

ればならないのです。でも恐くはありませんでした。子供はそれがとても嬉しかったのです。そう言う意

味では、もうこの子は子供ではなくなっていたのかもしれません。

 独り立つ子供の顔は、気持ちよく晴れていました。

 彼はこれから本当の意味で生きるのです。それはとても良い気分でした。何も無くなった今が、何故だ

か一番すっきりした気持ちだったのです。

 そして歩き出します。何も無いからこそ、何も気にしないでいい。もう子供には金貨もおじさんも必要

なかったのです。

 とても、良い気分でした。


 その後、この子供とおじさんがどうなったのかは、知られていません。

 きっと生きると云う事は、そう云う事なのです。




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