でっぱり


 一部分がでっぱっている。

 さして大きくはないが、小さくもない。

 程好い大きさで、思いがけずでっぱっている。

 指で弾くとびよんと跳ねるが、千切れそうではないし、別に痛みも感じない。

 誰の迷惑にもならないはずだが、少し目立ってしまうかもしれない。

 目が大きい、鼻が大きい、口が大きい。

 ほくろが多い、ヒゲが一本だけ長く伸びている、肌がぶつぶつしている。

 そんな誤差ともいえるちょっとしたどうでもいい違いがやたら目立つのが人間だ。

 もしかしたらこのでっぱりを見て不快に思われる方もいるかもしれない。

 それなら取ってしまった方がいいのだろうか。

 悪い事は指摘されて初めて悪い事になるのではない。

 注意しようとしまいとあるだけで人を不快にさせてくれる。

 あってもなくてもいいのなら、ない方がいいのではないか。

 でもあってはいけないという訳でもないし。

 まだ人を不快にさせるときまった訳でもないし。

 迷う。

 そもそも何故こんな所がでっぱっているのだろう。

 意味があるのだろうか。

 意味があれば許されるのだろうか。

 私はこれを許すのだろうか。

 それほど大きくもなく不自然でもない。でも誰かが気付けば、きっと違和感をおぼえる。そんなでっぱり。

 ささいな違いに悩まされるのが人の常。

 私もまた例外ではない。

 しかし面倒くさい。

 こんな事を何故いちいち気にしなければならないのだろう。

 何故人はこんなものを気にかけるのか。

 何の関係もないのに。

 もしこのでっぱりに意味があったとしても、自分以外の誰とも関係はないというのに。

 でもそんな私自身、人のそういう所を探している。

 無意識に自分との差異を探し、大きなものを個性と呼び、小さなものを恥と呼んできた。

 これは何なのだろう。

 どういう気持ちなのだろう。

 必要な事なのだろうか。

 何故ささいな違いを恥ずかしく思うのか。

 私自身にさえ解らない。

 何故それを人は、私は笑うのか。

 ささいだから笑うのか。自分には人とこの程度の違いしかないのだと思い、そのあわれさを恥と思うのか。

 だとしたらその心こそあわれである。

 我ながらあわれだ。

 でもそれを人は止められない。

 誰もが嫌なはずなのに、他人のそれを見れば笑ってしまう。

 笑わない事を期待するのは不可能だ。

 強制するのはもっと不可能だ。

 ああ、どうしたものか。

 こんなでっぱりさえなければ悩まずに済んでいるのに。

 何故こんなものがあるのか。

 何故私はこんなものに振り回されているのか。

 小さ過ぎて嫌になる。

 なんて小さい悩み。

 ああ、小さい。自分自身の小ささを思い知らされる。

 ああ、恥ずかしい。まさにこのでっぱりこそが私ではないか。

 これば私の大きさ。

 小さい、小さい。

 あわれで恥ずかしい。

 小さなでっぱり。


                                                    




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