扉語り


 不思議な扉のお話。

 昔お祖父さんが住んでいた、今は焼け落ちてしまった古い家、ひいお祖父さん達から決して行ってはい

けないと言われていた地下深くに、その扉はあったそうです。

 行くなと言われる程行ってみたくなるもので、ひいお祖父さんとひいお祖母さんが二人でお出かけした

際に、お祖父さんはこっそり地下へ向ったのです。

 そこは薄暗くて、何だか夕焼けの後、夜になるほんの少し前のあの暗さに良く似ていました。

 お祖父さんは怖くなって引き返そうかと思いましたが、でも何だかそれは男らしくない気持ちがして、

本当は泣きそうだったのですが、我慢して進んだそうです。

 地下は本当に自分の家の中なのかと思うくらい広くて、進めば進む程ますます暗くなっていきます。

 もう足下すら何も見えないくらいで、お祖父さんは恐々と手探りで進んで行きました。

 幸い、幅はそんなに広くなく、一本道でしたので、お祖父さんは片手をずっと壁に付けて、迷わないよ

うに進めました。

 そうしてどれだけ進んだのか、もう何も見えなくて時間の感覚も無くなってしまった頃、不思議な淡い

光が前に灯って、暗い部屋から明るい部屋に移ったように、突然ぴかっと辺りが明るくなったのです。

 お祖父さんは吃驚して辺りを見回しましたが、不思議な事にどこが光っているのか、どこから光が来て

いるのか解りません。まるで晴れた日の太陽の下に居るように明るいのに、それがどうしてそんなに明る

いのかがさっぱり解らないのです。

 まるでこの場所そのものが光り輝いているようで、お祖父さんはまたちょっと泣きそうになりました。

 でもお祖父さんは負けず嫌いだったので、何とか涙を堪えて、そのまま先へ進んだのです。

 怖かったので、片手をずっと壁に付けておきます。もしまた突然暗くなったとしても、帰り道を見失わ

ずにすむように。

 そうしてまたどんどん進んで行きますと、今度は薄暗い扉が見えてきました。それも沢山あります。二

十か三十はあるでしょう。もっとあるかもしれません。とにかくずっと奥まで扉が続いているのです。ま

るで終わりが無いみたいに。

 不思議な事にはその扉達だけが暗いのでした。後は同じように光っているのですが、扉だけがうっすら

暗くて、見ているとまた怖くなってきます。

 お祖父さんは無視して進もうとしましたが、でもそれはやっぱり男らしくない気がしたので、思い切っ

て一番目の扉を開けてみました。

 扉は音も無く開き、奥は真っ暗で何も見えません。

 開いたままずっと見ていると、何だか暗闇が扉からはみ出てきているような気がしました。

 お祖父さんは慌てて扉を閉めます。

 するとやっぱりその扉は前より暗くて、その側に居る時だけ、まるで夜に居るような気がしたのです。

 お祖父さんは泣きそうになりましたが、覚悟を決めてもう一度その扉を開け、その中へ入って行きまし

た。何だか自分でも引っ込みが付かなくなっていたそうです。

 その中はとても暗くて、手をそこら中に伸ばしてみましたけれど、何も触れる物はありません。

 仕方ないのでお祖父さんはそのまま真っ直ぐ進む事にしました。

 もう後ろを向いても真っ暗なので、引き返す事も難しいのです。

 だから覚悟して前に進みました。

 そうして進んで行くと、今度は光る扉が見えてきました。暗い扉と同じように、ずうっと何処までも並

んでいます。

 お祖父さんはやっと出れると嬉しくなってすぐに扉を開け、現れた光の中へと飛び込みました。

 するとどうでしょう。そこも前と同じ、ずらっと扉が並ぶ、あの場所だったのです。

 しかし前と違うのは、今度は扉の方が光っていて、周りの方が薄暗くなっています。

 そうです、丁度前の時とそっくり反対なのでした。

 お祖父さんは何だか解らないまま、上に戻る事を決めました。もうただただ怖くて、さっさと帰りたく

なったのです。負けず嫌いも何もなくなっていました。


 お祖父さんは速く速くと走ります。

 するとまた不思議な事がありました。 

 その道も来た時とは逆で、明るかった所は暗くなり、暗かった所は明るくなっていたのです。

 でも一本道なのは同じでしたので、お祖父さんは来た時とは逆の手を壁に付けて、真っ直ぐ走りました。

もう息を切らせてぐんぐん走りました。

 地上への階段に着いてもそれは止まらず、お祖父さんは一目散に駆け上がったのです。

 後はひいお祖父さんとひいお祖母さんが帰って来る前にと、急いで部屋に入って眠ってしまいました。

 お祖父さんは酷く疲れていましたし、もう何だか全部が嫌になってしまっていたのです。

 後は布団に包まって、誰も気にせずゆっくり眠りたかったのです。


 お祖父さんは戸を叩く音で起こされました。

 ひいお祖母さんが呼んでいます。どうやら晩御飯の時間のようです。

 ご飯だと思うとはらぺこになっていたお腹に気付き、お祖父さんは地下の事は夢のように思って、目を

こすりこすり部屋を出て食卓へと向いました。

 ひいお祖母さん達にもばれていないようですから、ほっとしましたし。今思ってみると、自分は大変な

冒険をしたのだと思って、得意にも思えてきます。

 明日友達にどうやって自慢してやろう。そんな事を考えながら食卓に行きましたが、何だかいつもと様

子が違います。

 ずっと暗いのです。明かりから暗闇が出ているように、何だか全てが暗いのです。

 不思議な事に、日が落ちた筈の外の方が明るく光っているように見えたのです。何だか変です。

 ひいお祖父さんとひいお祖母さんの姿も違います。影のように暗いのです。

 出された食事も酷く冷たくて、食べると体が震えそうになりました。

 でもお祖父さんは怖くて何も言えず、急いで食べると後片付けをし、すぐに部屋へ戻って布団へ潜り込

んだそうです。

 まだ夢の続きを見ているのだろうと思ったのです。


 お祖父さんが目を覚ますと、外は暗いままでした。

 まだ夜かと時計を見ると、時間は確かに朝です。良く解りませんでしたが、朝だとしたらお祖父さんは

学校へ行かないといけません。

 不思議に思いながら着替えをして、昨日と同じく冷たい食事を暗い両親と食べて、お祖父さんは外へ出

ました。

 外の景色もいつもと違います。在る物は同じなのに、全部暗いのです。

 木も花も友達も、皆暗くて影のようでした。

 学校もそうです。授業も何だかいつもと違います。やっている事は同じなのですが、やはりどこかが違

うのです。

 教室には闇が差し込んできます。太陽でさえ暗いのです。いや、太陽こそが暗いのでした。

 お祖父さんは全てを不思議に思いながら、それでもいつもと同じように過ごしました。いつもと同じよ

うにしていれば、いつもと同じに戻ってくれると、そう考えたからです。

 しかしいつまで経っても元に戻りません。

 とうとう帰る時刻になりましたが、何も変りませんでした。相変わらず全ては暗いのです。

 仕方なくお祖父さんは影の友達と遊ぶ事にしました。本当は気味が悪かったのですが、お祖父さんはい

つも友達と遊んでいたので、今日も遊ぶ事にしたのです。

 でも遊びもいつも違い、変でした。

 いつもはワーワー言って遊ぶのに、皆じっとだんまりです。まるで声の無い影が動いているように、影

絵映画のように、暗い友達だけが音も無く動いて、音も無く駆けて、音も無く騒ぐのです。

 お祖父さんは我慢していましたが、とうとう我慢できなくなって、何だかもぐもぐと言い訳して帰って

しまいました。

 お祖父さんは少しでも早くそこから出たくて、一生懸命走ります。家に向って息を切らせて走ったので

す。後から誰かが追いかけてくるような、そんな気持ちもしていました。

 何度後ろを振り返っても、誰も追ってはきません。それでもお祖父さんは何度も振り返りました。

 走っていると段々日が落ちてきて、段々辺りが明るくなってきます。

 まるで昼と夜が逆転しているかのようでしたが、確かに暗い人達の営みは、いつもと同じく夜に移ろう

とするそれで、確かにいつもの光景なのです。

 ただ全てが暗いだけで、それはいつもと変わらない景色でした。

 お祖父さんはますます怖くなって、もっと一生懸命に走りました。

 そのまま家へ駆け込んで、部屋に入るとすぐに戸を閉めます。そして布団を被ってぶるぶると震えまし

た。風邪をひいた時のように、何だか酷く寒かったそうです。

 心配したのかひいお祖母さんがやってきましたが、お祖父さんは布団の中でしんどいから寝ると言って

追い返しました。いつもは酷く心配するひいお祖母さんなのですが、その時はすぐに出て行ったそうです。

 でもその時のお祖父さんはそんな事には気付かず、そのまま酷く震えていました。

 そしてその内に眠ってしまったのです。


 目が覚めておそるおそる布団を捲ると、眩しい光が目に入ってきました。

 お祖父さんは目を瞑り、二、三度瞬きをして、ゆっくりと目を開きます。

 太陽も沈み、真っ黒な星と月が出ているのに、何故だが外は酷く明るく、空一面が光っているかのよう

に、お祖父さんの目に降り注いできます。

 それはとても綺麗な景色でしたが、やはりとても不気味でした。

 お祖父さんは怖くなってもう一度布団を被ろうとしましたが、どう考えてもおかしいと思って、もう眠

りに逃げるのは止めたそうです。

 そんな事をしていても、いつまで経っても元に還らない事が、お祖父さんはやっと解ったのです。

 そして布団の上でゆっくりと考えました。

 こんな事になったのは、あの地下の扉から出てきてからです。確かあの扉をくぐってから、おかしくな

ってしまったのです。

 あの時から、明るいものが暗く、暗いものが明るくなってしまったのでした。

 時計を見ると今は真夜中で、どちらかといえば明け方に近い時刻です。両親もぐっすり眠っているでし

ょうから、今ならこっそり地下に行けるでしょう。

 お祖父さんは立ち上がり、音を立てないように静かに部屋を出ました。


 地下は前来た時と一緒でしたが、酷く明るく、不気味なくらい輝いています。そして進めば進む程明る

く、眩しく輝き始めました。

 お祖父さんはまるで光に邪魔されているような気がしましたが、目を細めながら我慢して進みます。

 何処までも何処まで進んで行きますと、不意に暗い景色が浮び、無数の光る扉が並んでいるのが見えて

きました。

 前は一番目の扉に入った事を思い出し、一番目の扉を開きます。すると光に貫かれるのを感じました。

まるで全てを光で暴かれるようで、お祖父さんは酷く怖い思いをしたそうです。

 でもここを進まないと元に戻りません。必死に怖いのを我慢して、その光の中へ飛び込みました。

 そこはどこもかしこも光り輝いていて、光で焼かれているように感じる程、輝きが強く。目を閉じてい

ても眩しくて堪りませんでした。

 前来た時よりも光がずっと強くなっているように思いましたが、進むしかありません。

 お祖父さんは目を瞑ったまま夢中になって走り、どこまでも走ると、やがて光が薄れていくのを感じ、

恐る恐る目を開くと、そこには真っ暗な扉達が並んでいました。

 確かに前に見たのと同じ扉です。まるでそこだけ黒く塗り潰したように、真っ暗です。

 前に来た時は怖ろしかったその闇も、光に焼かれ続けた今のお祖父さんにとってはとても暖かく感じら

れ、夢中でその扉を潜ったそうです。


 気が付くと、明るい場所にお祖父さんはいました。

 振り返ると無数の暗い扉が並んでいます。

 一番初めに訪れた時と、まったく同じ光景でした。

 お祖父さんは喜びましたが、またすぐにこの場所が怖くなり、泣きそうになりながら地上への道を走り

ました。

 暗くても明るくても、やっぱりこの場所は酷く怖いのです。

 お祖父さんはとても疲れていましたが、それでも力を振り絞って走りました。真っ暗になった道を真っ

直ぐに走りました。

 そしてようやく階段を見付け、駆け上がり、そのまま自分の部屋に入って、もう一度布団を被って丸く

なったそうです。

 それから恐る恐る布団から顔を出して、外が真っ暗で、星と月が優しく輝いているのを見、安心して眠

りに落ちたそうです。


 お祖父さんは誰かに揺らされ、起こされました。

 いつの間にか朝になっていたようです。

 起こしてくれたのはいつもの明るいひいお祖母さんで、寝坊したお祖父さんを怒っていたのですが、何

だかとても懐かしくて、お祖父さんは涙が出そうになりました。

 ひいお祖母さんはそんなお祖父さんを変に思ったのか、首をかしげて出て行きましたが、お祖父さんは

湧き上がる喜びを感じていました。

 明るさの逆転した世界から、無事に戻って来られたのです。

 お祖父さんはそれからもう二度と地下へは行きませんでした。その階段に近寄る事もしなくなったそう

です。あんな体験をするのは、もう二度と御免だったのでしょう。

 そして人が行くなという場所には、何があっても行かなくなりました。お祖父さんは行くなというのに

は、やっぱりそれだけの理由がある事が、やっと理解出来たのです。


 これがお祖父さんから聞いた一つ目のお話。

 あれから誰も地下室へ入らなかったそうで、その存在自体も知る人は少なかったようです。不思議な事

には、焼け落ちた家跡を見ても、地下室があったという痕跡は一つも発見されませんでした。

 あの地下室は今は何処にあるのか、そしてあの家の何処にあったのか、誰も知る人は居ません。

 お祖父さんも、あれは夢を見ていたのだと、そう思う事にしたそうです。


 誰も知らない不思議な地下室。ひょっとしたらいつの間にか貴方の家にも出来ているかもしれません。

 いつから在ったのか、そして中には何が在るのか、誰も知らないままに。

 ひっそりと。


                                                               了




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