えびったい


 今日も小磯の仲間達が動き出す。小磯の名前通り、ここに居るのは皆小粋な仲間達なのだ。

「ねぇねぇ、聞いた聞いた」

「何よ、うるさいわね」

 二匹の海老が顔を出す。えびが元々は葡萄と葡萄色を表す言葉だった事は内緒だ。ためになる話は内緒

にしておかなければならない。

 一匹は葡萄色。もう一匹も葡萄色。背格好も同じ。多分歳も同じなのだろう。

「うるさいって何よ」

「うるさいからうるさいのよ」

「やだもう、しんじられない」

「うるさいわね。あんたが何を信じてたっていうのよ」

 ぎゃあぎゃあ喚きながらゆっくりと歩いていく海老二匹。実に美味しそうな光景だ。

「なにさ」

「なによ」

「いいわ、もう。いいわよ」

「いいって何がいいのよ」

「だからもういいって言ってるじゃない」

「あんたがよくても、あたしはよくないのよ」

「知らないわよ、そんな事」

「あんた! またあたしに内緒で楽しんだのね。あれだけ混ぜろって言ってるじゃない」

「知らないわよ! あんた一体何言ってんのよ」

「知らない知らないって、あんたが言ったんじゃない」

「なによ!」

「なにさ!」

 普段から磨きをかけている爪を振り回し、二匹は取っ組み合い、いやいや取っ挟(はさ)みあいの大喧

嘩。ますます美味しそうだ。

「もう、聞いてあげるって言ってんじゃない!」

「もういいって、言ってんじゃない!」

「なにさ!」

「なによ!」

 四振り二対のハサミはぶんぶん唸りながら飛んでいき、お互いの殻やらヒゲやらをびしばしと傷付ける。

でも痛くはないらしく、平然と叩き合っている。

 何故って、彼らは海老だから。

「もういいわ、いいわよ」

「いいって何よ」

「何よって、いいのよ」

「だからいいって何よ」

「なにさ!」

「なによ!」

 こうして今宵も当たり前のように過ぎていく。

 そして明宵。再び小粋な仲間達が動き出す。

 歩いてくるのは海老二匹。いつ見ても美味そうだ。

「ねぇ、聞いた」

「なによ、何を聞いたのよ」

 今宵は談笑しながら仲良く歩いている。昨夜までの喧嘩が嘘のようだ。多分すっかりこっかり忘れてし

まっているのだろう。

 何故って、彼らは海老だから。

「何ってあれよ、あれを聞いたのよ」

「だから言いなさいよ」

「解ったわよ、言うわ、言っちゃうわよ」

「だから言いなさいって」

「あれよあれ、鯛よ」

「鯛ってなによ、鯛の事」

「そうよ、鯛よ、鯛なのよ」

「だから鯛が何なのよ」

「なんでも海老で鯛を釣るって言葉があるんだって」

「知ってる、知ってるわ。あれって失礼な言葉よね」

「え、あんた知ってるの」

「知ってるわよ」

「なにさ、何で教えてくれなかったのよ」

「あんたが聞かなかったからじゃない」

「ええ、あたし聞かなかったわ」

「ええ、聞かなかったわよ、絶対に」

「絶対。絶対ってちょっとおかしくない」

「絶対って言ったら、絶対よ」

「なにさ、馬鹿ッ」

「馬鹿ってなによ」

「鯛よ、鯛の事よ」

「えッ、鯛なの、鯛なの、あたしが」

「違うわよ、鯛は鯛なのよ」

「えッ、鯛って鯛なの」

「そうよ、鯛なのよ」

 二匹は好い加減に騒ぎながら歩き続けている。いかにも美味そうだ。

「ねぇ、あれって海老ごときで鯛様を釣ったって話じゃない」

「そうね、そんな感じね」

「だから、それって失礼じゃない」

「え、なんで」

「なんでってあんた、あたしら馬鹿にされてんのよ」

「え、馬鹿にされてたの、あたしら」

「そうよ、そうなのよ、見下されてるの。だからあんたって馬鹿なのよ」

「馬鹿ってなによ、失礼ね」

「そうよ、その失礼の話をしてるのよ」

「あ、そうね、そうだったわ」

「だからあたしがね、新しい言葉を考えてきたわけ」

「え、あんたってそんな事できんの」

「できるわよ、できるのよ」

「凄いじゃない、あたし感動したわ」

「そうよ、鯛なんかに負けないわよ」

「わかる、わかるわー」

「でしょう、でね、その言葉ってのがね」

「うんうん、言って言って。是非言って」

「え、是非なの、そんなに聞きたいの」

「ええ、聞きたいわよ、是非よ、そんなの」

「・・・なんだか言いたくなくなってきちゃった」

「え、なんで、なんでよ、あんたって酷い、酷い女ね」

「違うわよ、酷いのは鯛よ」

「え、鯛なの。あんたじゃなくて」

「そうよ、鯛なのよ」

「じゃあ何、食べるの、鯛を」

「そうよ、ううん、違うわよ」

「どっちよ、どっちなのよ」

「知らないわよ、あんたが言い出した事でしょ」

「え、そんなの知らないわよ」

「言ったじゃない!」

「でも鯛って言ったの、あんたじゃない!」

「え、あたし」

「そうよ、あんたよ、あんたが鯛なのよ」

「え、じゃあ、あたしって凄いじゃん」

「そうよ、鯛様を釣るのよ」

「え、釣ったの、誰が」

「あんたよ、あんたなのよ」

「あら、知らなかったわ」

「知ってなさいよ、あんたの事でしょ」

「そうよ、あたしの事よ。でもあたしの事だからって、あたしじゃないのよ」

「え、誰よ、じゃあ誰の事よ」

「鯛よ、鯛なのよ」

「え、鯛なの」

「そうよ」

「じゃあ鯛って酷いじゃない」

「だからそう言ってんじゃない、あんたって馬鹿ね」

「馬鹿! 馬鹿ってなによ!」

「なにさ!」

 昨夜と同じく取っ挟み合いの喧嘩が始まる。とても美味そうだ。

 こうして今宵も小磯は騒がしく過ぎていく。この喧騒の中にこそ、小磯の平和があるのだろう。

 そしてふらりと立ち寄った大きな鯛が、取っ挟み合っていた二匹をぱくりと喰らっていく。

 確かに鯛は酷い。あんな美味そうな海老を独り占めにするなんて、確かに酷い話だ。

 そしてそれっぽい海老二匹を平らげた鯛は、口調と態度がそれらしくなったという。

 でも本当にそうなったのかは、誰も知らない。

 何故って、それは鯛の事なのだから。

 鯛の事は、鯛にしか解らない。

 それっぽい鯛がどれだけそれっぽいのか、それともまったくそれっぽくないのかも、鯛にしか解らない

事だ。




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