がまんの種


 一人につき一つの種。それは生涯一緒に成長し、誰も代わりはおりません。

 人が何かをぐっと我慢すると種がその力を吸い取り、少しだけ成長するのです。

 人間が勝手に爆発してしまわないよう、少しでもその我慢を楽にさせるよう、種が吸い取ってくれるの

です。

 だからいつも我慢している人の種は大きく硬く、やがて鉄のように強靭な花が咲きます。

 あまり我慢しない人の種は小さく軟らかく、やがてうっすらと淡い花が咲きます。

 人がそれぞれ違うように、その種も花もそれぞれ違うのです。

 誰でもいつかは花開くのですが、気をつけないといけないのは、この種が芽吹き、花開かせた時、ぱく

りと人間を食べてしまおうとするのです。

 実はこの花には大きな口が付いておりまして、ついつい身近にあるものを口に入れてしまうのです。

 花にも多分悪気はないのですが、食べられる方はたまりません。

 まだ淡い花なら柔らかく、がぶりとされても痛くないのですが。強靭な方になると硬くて強くて堪りま

せん。一息にばりばりっと食べられてしまいます。

 我慢している人がふと死んでしまうのはその為です。もうすぐ花が咲くから怖くなって先に死んでしま

う人。咲いた花に無慈悲に食べられてしまう人。様々な人が居ますが、皆胸の奥に育つ種を知っていて、

怖くなるのです。

 硬くて強い花が開く時、人は何よりも怖くなるのです。いつかはそうなる事を知っていたのですから。

 誰の胸の中にも、必ず我慢の種は植えられております。誰も逃れる事はできません。

 それを育てている事は幸福にも感じるのですが、最後に待っているのはがぶりです。

 ここに一人の人間がおりました。

 その人は来る日も来る日も待っております。

 何が、それは解りません。ただし何かを待っているのははっきりしております。昔あった、でも今は居

ない、すでに離れてしまった何かを待っているのでした。

 毎日毎日我慢しております。

 毎日毎日我慢しております。

 いつまで経っても現れません。

 一度現れた事があったようですが、結局手の届かない場所で、その人を嘲笑うようにしてすぐに去って

しまったそうです。

 その事に悪気はなかったのかもしれません。でもその人はその仕打ちに酷く打ちのめされ、暫くは空元

気で頑張りましたが、日に日に弱弱しくなっていきました。

 酷い事に、弱っていた所へ、わざわざ止めを刺されたのです。

 それでもまだその人は我慢を続けてしまったので、種はみるみる大きくなり、遂には一瞬で大きく膨れ

上がったかと思うと、余りにも溜め込み過ぎていたのか種が弾け飛んでしまいました。

 弾けた中から生まれたのは、鋼のような花。

 とても悲しい色をした花でした。

 種が弾けた影響なのか、何だかぐったりしておりますが、それはもう誰も見た事がないような恐ろしい

花に成長しておりました。

 怖かったですが、その人は悲しみで動けません。それに逃げようにも逃げられないのです。自分の胸の

奥、誰も手が届かない場所にある花からは、誰も逃げる事はできないのですから。

 だからそれもまた我慢しました。

 待ち続ける悲しみと、それを知りながらどうにもならない恐怖。この二つを懸命に我慢したのです。こ

うなってはもうそうする事しかできませんでした。

 そしてじっと待ちます。

 花がぐったりしている間に、もし待ち侘びている何かが来てくれれば、何かが変わるかもしれないと思

い、来る保証も助かる保証もない二つを我慢して待ち続けたのです。

 それは二つで同じ希望と絶望。その人もまさか希望と絶望が同じものだとは思いませんでしたから、酷

く驚きましたけれど、それでも必死に我慢しました。

 そうして耐える事だけが、自分が示す事のできる、最後の何かだと思ったのです。

 頑張りました。

 とても頑張りました。

 多分誰もそんな事期待していなかったでしょう。もしかしたらとうに忘れられていたのかもしれません。

いつかのように嘲笑っていたのかもしれません。絶対に来ないものを待つ人を弄ぶのは、さぞ面白かった

事でしょう。

 そうしてもっともっと我慢していると、花はみるみるうちに快復し、大きく強く育って行きました。

 二倍の我慢になったので、成長も二倍になった訳です。

 今度は弾けるような事もないので、花は元気になるだけでした。

 そして大きくなればなる程、お腹もどんどん空いていきます。

 花は全く悪気はなかったのですけども。始めはただその人を助けようとしていたのですけども。いつの

間にか逆の立場になって、そこに立つ事になりました。

 昔は同じ所に居て、一緒に頑張ってきた大切な人だったのですが、花もう何とも思っていません。それ

どころか面倒で憎らしく、そして何より美味そうに思えたのでした。

 丁度その人が待っているのとそっくり同じなのでした。

 花は思います。ぐちゃぐちゃにして食べてやれば、どんなに美味しいのだろうと。

 強く硬く大きく育ってしまった花は、もう誰にも止められず、誰の話も聞きません。だから益々調子に

乗って、どんどん悪い考えを抱いていきます。

 そしてその考えに酔って、まるで自分がその人の支配者になったかのように思い込むのです。

 自分が居なければどうにもならない弱い人間。それを今花がどうしようと、今まで散々助けてやったの

だから、花の勝手だと思うのです。

 その人も昔はまだ頼りがいがあって、かわいくも思えたのですが、今ではどうしようもない弱いだけの

人間。そんな人に一時でも情を持っていた事にも、花は腹を立てるのでした。

「ごめんね」

 花は笑いながらそう言うと、美味しそうにぱくり、むしゃむしゃごくりと食べてしまいました。

 こうして一言謝れば何でも許してくれたのですから、楽なものです。今食べてしまった事も、きっと許

してくれるでしょう。

 全く反省していない言葉でも、その人は許すしかなかったのです。半分は脅迫みたいなものでした。

 そして今も許しております。何故なら、もう死んでしまったからです。

 死んでしまえば、もう許すも許さないもないのです。どこでもない別の所へ行ってしまったのですから、

もう誰とも関係ないのでした。

 ですから許してくれていると思えば許してくれているし。そうでないと思えばそうなのです。

「ヒヒヒ、ごめんね、ごめんね」

 花は全てを許される魔法の言葉をいつまでも呟きながら、後を追うように死んでしまいました。

 何故ならその人と花は一つだからです。どっちが消えても、どちらも生きられない。そういう関係でし

た。何しろ花は人の胸の奥に居るのですから、その人が死んでしまえば、いずれそこも無くなるのです。

 それにもうその人が我慢してくれませんから、栄養となるものもありません。生きていても、餓死する

だけです。

 花がその事を知るのは、花が死ぬ時。そしてその時はもう、何もかも終わった後なのです。

 こうして今日もまた一人、天に召されましたとさ。

 めでたし、めでたし。

 ごめんね、ごめんね。うふふふふ。




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