神という神


 天の上か地の底か、人の考えも及びつかない場所にそこは在る。

 神々の住まう場所。天界とも冥界とも呼ばれる所だ。

 神は忙しいが暇でもある。

 何もしていないようで何かをしている。

 存在する事が仕事であるような、そうでないような不可思議な存在である。

 もうそういう現象と言ってしまった方が良いのかもしれない。

 在るとも無しとも関わり無く、神々は常に何事かを成している。

 そういうものだ。

 神々の中には人にとってあまりよろしくない神もいる。

 邪神、魔神、悪魔、魔王、破壊神などなど。人に味方する神がただ神と呼ばれる事が多いのに比して、彼

らは多くの名前を持つ。

 だが神とだけ呼ばれている者も合わせて、神々には何の違いもない。

 神は誰もが同じだけ神であり、善いも悪しきも関係なく神である。

 特にその勤勉さにおいて顕著であり、誰もが仕事ぶりは生真面目なくらいしっかりとこなす。

 戒律などの決まり事にもうるさく、反すれば一人一人厳格に処罰する。

 神々はどの神も等しく生命の全てを管轄し、冷静かつ公平に処理を行う。神々にとっては全ての生命はど

れもが全く同じ物であり、個々に愛着もなければ憎しみも無い。

 完全な意味での公平であり、残念ながらそこに人が考えるようなえこひいきは存在しない。

 だから善行好きな神であっても、悪行好きな神であっても、誰でも等分に評価し、処罰、或いは褒美を与

えている。

 生真面目に、厳格にだ。

 神々は誰もが個人営業で、複数の神々が一人の人間を同時に処理した場合は一方が褒美を与え、一方が処

罰を与え、結果として相殺されるという事もよくある。

 それどころかあべこべの結果が出る事も少なくない。

 時に善行が悪行に、悪行が善行になるような不可思議な現象もここに起因すると考えられるが。そうでは

なく神々の考えではそれが正しい判断であるという事もまた当然ありうる。

 つまりそれが本当に善か悪かは神々が判断する事であって、人が決める事ではないという事だ。

 その不条理を埋めるべく人は幸運と不運という便利な言葉を発明した。

 これは数学におけるぜろの発見以上の発明であると考えられる。

 神が決めた事には逆らえない。諦めるしかないという事である。

 誤解といえば神々の能力に対する誤解もまたよくある事だ。

 神々に人の思うような限界など存在しない。その力は人から見れば正に無限である。

 神々は誰もが人の考えられる限りの全ての情報を得ていて、更にその上に位置する情報までもを網羅して

いる。それはもう膨大な情報量であるが、一欠片も負担にはなっていない。

 例えば今の五百兆倍の情報量になったとしても、神々は何とも思わないだろう。神がたった一人で全人類

とその他の全ての生命を管轄しているなんて、なんて大変なんだろう。などと考えるのは人のおごりである。

 そしてまた自分一人くらいがちょっとした悪事を働いても神は気付かないだろう。と考えるのもまた同じ

理由で愚かな判断である。

 神も邪神も等しく人を見ていて、その一々に対して褒美と処罰を与えている。それは瞬間という時間さえ

途切れる事は無く、またその監視から逃れる事は無い。

 それはどの神にとっても全く負担にはならない。我々が空気を吸うよりも簡単にそれをなしている。

 どこに居ても、何をしても、どうあがいても、神々には全てを把握される。

 その力を天使や悪魔に例えて人は説明をしているようだが、神の力をあなどるなかれ、それくらいは自分

だけで充分、お安い御用なのだ。

 とはいえ、神々が天使や悪魔を使って手伝わせているからどこに居ても目も手も届く。という考え方は非

常に解りやすく。また結果的に見れば同じ事であるので便利な例えである。

 これもまた良い発明といえるだろう。

 もっと例えるなら、人は誰しも専用の監視衛星、しかも心まで透視が可能な、を用いて見張られていると

考えれば解りやすい。

 それを人が神の愛故にというのであれば、それは正しく愛であるし。

 異常な執着と呼ぶのであれば、それはまた正しくそうであるのだろう。

 こうなると、まったく神というのは暇な奴だぜ、と思う方も居るかもしれない。その考えは全く正しいし、

また同じくらい間違ってもいる。

 これまで述べたように、神の力の前では等しく全てがたやすい事なので、暇も何も無いのである。

 このおごりを神の擬人化と呼ぶ事にしよう。神を人と比べる時点で全ての間違いが生じる。気を付けた方

がいい。神は神、人は人なのだ。

 幸運と不運、全てをそれにおさめてしまうのが賢いやり方であるのかもしれない。

 諦める。それもまた神に対しては賢い方法である。

 人の考えの及ぶ相手ではない。

 つまりはそういう意味で神は存在するのであり、同時に存在していない。

 そういう事である。

 そんなおかしみ。




EXIT