私が神様だったら、この世界をどうにかしたい。 自分の居る世界ながら、これはちょっと酷過ぎる。 もう少しどうにかなるんじゃないか。もう少し良くなるんじゃないか。 そんな風に思う。 神様にもう少し何とかできなかったのかって、勝手ながら思っている。
でも私が本当に神様だったら、私はきっと何もしないだろう。 余計な事をすれば、もっと悪くなるかもしれない。 人の欲は際限ないから、その全てを聞こうと思うと、きっとすぐどうにもならなくなってしまう。 全てを叶えられないのなら、初めから何もしない方がいい。 神様が願いを叶える人間を勝手に決めるくらいなら、人が決めている今の方がいい。 神様が人間を信頼してこの世界を託したんだと思える今がいい。 だから私が神様だったとしたら、例えどこで誰が苦しみ、嘆き、呪っていたとしても何もしない。人の手に 委ねる。 無責任だと言われても、どんなに失望されても何もしない。 ただ願い続ける。 全ての人の中に良心という形で在り続け、いつまでも祈るだろう。
私が神様だったら、きっと何もしない。 私が神様だったら、きっと黙って見ている。 人がどうしていくのか。どうなっていくのかを。 例えその先がどうしようもない未来で、人の手に負えなくなったとしても、私はずっと見守るだけ。 そして祈る。少しでも良い未来になるように。 祈りは人が行っているものじゃない。 神様が、人に行うものなんだ。 だから人は祈っていてはいけない。祈るのではなく、少しでも良くなるように自分から動く。 それが全ての生命に、いやほんの少しだけ人に余分に与えられた、最も大きな、そして唯一の神様からの贈 り物。
私が神様だったら、きっとそうするだろう。 それだけの、詰まらない神様に。 誰よりも。 |