いつも触れる手


 小さな頃からいつもその手があった。

 辛い時、哀しい時、気付けばその手が僕の腕に触れて、優しく慰めてくれた。

 手首までしかない片手だけど、不思議と怖くはなかった。懐かしいような、それでいて初めて出会った

ような、他にはどこにもない安らかな気持ち。

 圧迫するものは何も無く、優しくそっと触れてくれる。

 あたたかさはないけれど、心にぬくもりを感じた。

 どこかで味わった事があるような、一度も味わった事がないような。

 大事な宝物を友達に隠された時も。

 ケンカして泣かされた時も。

 大好きな子に振られてしまった時も。

 大きな怪我をした時も。

 いつだってこの手が静かにそっと触れてくれた。そうすると誰の言葉も聞きたくない時であっても、心

が和み、誰かが本当に見守ってくれているような気がした。

 一番辛い時、その時にだけ現れて、いつの間にか消えている。誰にも話した事はない。誰に言っても理

解してくれないだろう不思議な手。でも確かにその手が僕を慰めてくれる。

 でも成長して大人になり、結婚し、子供ができた頃だろうか。その手を見る事がなくなってしまった。

 自分の家族ができて、いつも妻が側に居て、それほど深刻に悩まなくなったというのもあるし。相応に

年を経て、大抵の事に我慢できるようになってきた、というのもあるのかもしれない。

 見えなくなる以前から、手が触れてくれる機会は減っていた。だから安心してどこかへ行ってしまった

のだろうか。何となく感じていたぬくもりもどこかへ行ってしまったような気がする。

 だけどこの世から消えてしまった訳ではない。確かに僕から離れてしまったけれど、まだ近くに居てく

れるような気がする。解らないが、そんな気がする。

 だから気にしない事にした。

 その手はいつもどこかで見守ってくれている。そしていつでも力を貸してくれている。僕の大切なもの

を護る為に、いつだって、これからも。そんな気がしたから。

 不安はなかった。むしろ安心した。

 それは僕にも護るものができたという証し。もう独りで悩まなくていい。だからあの手は僕から離れた。

もう大丈夫だよ、と言って。

 それは悲しい別れじゃない。きっと、そうじゃない。

 でも離れてしまうと薄情なもので、子育てや新しい暮らしに追われた事もあってか、手の事を思い出す

事はなくなってしまった。遊ばなくなったおもちゃを忘れてきたように、子供の頃感じた新鮮な感動を生

活に慣れて失ってしまうかのように、手の事もいつしか忘れてしまっていた。

 そうして時間は瞬く間に流れ、子供が小学校に入った頃。子供が部屋の隅で独り言をする姿を見かける

事が度々あるようになった。

 わが子ながら変わった奴だと思っていたが、初めはあまり気にしなかった。子供はそんな不思議な所が

あるものだと知っていたからだ。

 でも何度か見かけるようになり、気にかけるようになってくると、どうも何かがおかしい事に気付いた。

これは子供によくあるような事とは、また少し違う。はっきりと何がどうとは言えないが、確かに何かが

違っていた。

 それは独り言ではなく、明らかに誰かに向かって発せられた言葉だったのだ。

 少し怖くなったが、親が怖がっていてはいけないと思い直し、勇気を持って聞いてみると、何でもいつ

も誰かが側に居て優しく撫でてくれるのだそうだ。

 顔や形ははっきりと見えないし、他の誰もそれを見る事すらできないようだけれど、確かに側に居て見

守ってくれている。

 話もしてくれないし、ただ手をそっと頭に乗せてくれるだけなのだが、それだけで元気が出てきて、嫌

な事をみんな忘れてしまえるらしい。

 その時になって僕はあの手の事を思い出し、思い出すままに子供へ話して聞かせた。

 話している内にどんどん記憶がよみがえってきて、もうずっと昔の話なのに、まるで昨日あった事であ

るかのように話す事ができた。

 子供の頃の記憶なんてほとんど思い出せないのに、何故だか手に関わる事だけははっきりと思い出す。

 そして数々の思い出を語り、気付けば何時間も延々と話し込んでいた。

 こんなに長く話した事は生まれてから一度もない。自分でも不思議だったが、全く疲れないし、子供に

もそういった様子は見えなかった。

 まるで今は居ない家族の話でも聞くように、嬉しそうに、どこか夢のように、子供は黙って熱心に聞い

てくれている。

 そして僕が喋り終えると、今度は子供が熱心にその人の事を話してくれた。

 あの手と同じように、辛い時、悲しい時には必ず側に居て、そっと慰めてくれる。そうすると心にじっ

とぬくもりが広がって、どうしようもならなかった気持ちが、すうっと溶けていく。

 辛い事なんか初めから無かったかのように晴れ晴れとした気持ちになって、また楽しく笑う事ができる

ようになるそうだ。

 子供が元気を取り戻すとその人はまたふうっと見えなくなるけれど、でもいつも側に居る事は解るのだ

という。

 僕と子供はその人の事をずっと話し合った。僕の見た手も子供の見たその人も同じ人だと感じたからだ。

何も証拠は無いのに、それと解る。その時僕らは互いが親子だという事を、強く認識した。

 互いにある血の繋がりを。

 そして悟った。

 あの手はやっぱり今も僕を護ってくれているのだと。

 僕から離れ、この子に宿ったのは、僕にとってこの子が、僕自身以上に、この世の誰よりも何よりも大

切だからだ。だからあの手はこの子に宿った。

 子供の方が僕よりずっとはっきり見えてしまうのは、多分僕よりも感受性が強いからだろう。ものを感

じ取る力が、僕よりも強いから、よりはっきりと見えたのだ。

 安心した。

 この子はその時が来るまで、ずっとあの手が護ってくれる。それとなく導いてくれる。僕がそうであっ

たように、いつも見守ってくれる。

 だからこの子は寂しい思いをする事も、誰も自分の側に居ないなどと考える事もないだろう。家族以上

の家族がいつも付いていてくれる。

 その手が一体何者なのか。そんな事はどうでも良かった。ただただ嬉しかった。子供が護られている事

を、そして僕が忘れられていなかった事を、はっきりと理解できたから。

 今は見えないその手が、とてもいとおしく想える。




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