引き絞る羽音


 ぶぅうううんと嫌な音がする。

 奴らはいつもそうだ。不快な音を立てて我々を苦しめる。自己主張し、それを強いる。

 手を振り回し、張り潰してやろうとしても、気付いた時はもうどこにも居ない。あそこに居たかと思うとこ

ちらへ、こちらに居たかと思うとあちらへ、姿を消して移動している。

 ずっと見ていてもすぐに視界から消え、後には不快な羽音が残る。

 どこかに居るはずなのに、どこにも見えない。

 まるで自分の中から聴こえてくるかのように。

 諦めて目をふさいでも、いつやってくるか、いつ仕掛けてくるか、という不安で眠れやしない。

 いや、思えばいつもこのようであるのか。

 些細な事に怯え、取るに足らない事に頭を悩ませる。丁度この羽音のように深刻でない何かに対し、いつも

無駄に注意を払い、苛立ち、疲労していく。

 解決策は叩き潰す事。或いは忘れる事。

 解っている。だがそれが難しい。まるで手が届かない。振り払えない。

 耳を塞げば聴こえなくなるが、それだけで全く意味が無い。

 何も考えず、刺されたらそれまでと寝れればどんなにいいか。虫の一匹で死ぬ事はまずないのだから。

 しかしそうできたらと思っても、結局この様だ。

 私はどうやらこのような些細事からは逃れられないらしい。そして重要な事に対しては素直に向き合えない

ようだ。

 いや、そもそも重要とか些細といった基準は、誰がどう決めているのだ。

 今これほどに私の心を悩ませている現象に対し、些細という答えで済むのだろうか。

 それが例え命に別状のない事であっても、無視してよいものだろうか。

 ぶぅうううん、ぶぅうううんと威圧するように聴こえるこの声を、無視して良いというのか。

 それは羽虫に降伏する、という事ではないのか。

 ならば虫にさえ勝てない私が、人間の世界で生き延びる道理は無い。

 このように惨めな生を送っているのも当然と言えよう。

 この虫さえ叩き潰す事ができれば、私は健やかに眠れ、健やかな生を過ごす事ができるのだろうが。

 羽虫の姿は、どこにも見えない。




EXIT