ふか


 何か解らないものが生まれようとしています。

 それは怖いものかもしれません。

 哀しいものかもしれません。

 でも嬉しいものかもしれない。

 喜びが詰まっているのかもしれない。

 一つこんな話があります。

 ある所に一匹の猫がおりました。

 その猫は大変可愛がられて、いつも自分の好きなように暮らしています。

 無いものは求めればよく。

 わがままもぶつければよく。

 いつも気持ちよく叶うとは言いませんけれど、大体は満足いく結果になります。

 求める事が、その猫の生き方なのです。

 いつも誰かに愛される事が、その猫の生なのです。

 代償はありましたし、自由も制限されますが、それでもその猫は与えられた範囲で満足できる生き方を

見付けられるのです。

 拒まれる事はありません。

 時には怒られる事はありますが。

 またしばらくして行けばかわいがってもらえます。

 怒った分、優しくしてもらえるのです。

 それはその猫が全くそれを疑っていないからなのでしょう。

 純粋に慕う心は、誰もそれを否定できません。

 受け容れるしかないのです。

 何故なら、誰もがそうし、そうされたいからです。

 誰もが見る夢なのでした。

 そう、いずれは覚める夢。

 見てすらいない夢。

 願望、希望。

 でもその猫にはそれがあったのです。

 だから愛されるのは当然だったのでしょう。

 その猫は決してそれを求める事を恐れはしませんでした。

 何があったとしても、いつまでも純粋に愛を求め、愛を振りまきます。

 どんなに悲しい時も。

 どんなに辛い時も。

 猫はいつも同じ。誰よりも純粋に生きたのです。自分に正直に。

 でもその猫をようく見ると、酷く怯えていた事に気が付きます。

 その猫はいつも誰かの顔色をうかがっています。

 ふてぶてしいまでに堂々と入って行けるのに、その事に大して自分で不安を覚えているかのようでした。

 自分が許されるのか、許されているのかを確認するように、じっと相手を見詰めます。

 そしてなでられるとほっとしたように目をつぶり、初めてくつろいだ姿勢になるのです。

 その時の猫はとても幸せそうでした。

 でもそうなる前の猫は、誰よりも不幸せでした。

 けれど猫は信じていたのでしょう。

 愛情を。自分にもたらされる愛情を。

 信じる相手の優しさを。そして自分の優しさを。

 だからいつも向かっていけたのです。どんなに怖くても、向かっていけました。

 そして誰かの膝に乗っては、愛らしい鳴き声で、嬉しそうに、時に不満そうに鳴くのです。

 例え迷惑をかけたとしても、それもまた愛だと信じるように。

 この猫のようには生きられないかもしれません。

 多分、そこまで確信は持てないはずです。

 悩み、不安、それに負けないで居られるほど、あなたのそれは弱くないでしょうから。

 でもそんな生き方もあるのです。

 ただ信じ、たまには怒られても、やっぱり素直に向かう。

 そういう生き方もあるのです。

 確かに、必ずしもそれが幸せだとは言えません。

 でもきっと、ただ悩むだけ、悩んで終わる生よりは、いくらか得られるものがあり、満足感があるのか

もしれません。

 解りませんが、そんな風に思うのです。

 そんなお話。




EXIT