平均化された世界


 この世界において、我々は一人一人が少しずつ世界からずれている。

 それはこの世界というものが人類という言葉によって平均化されているからである。

 国籍、人種、小さなくくりは数多けれど、その全てからも少しずつずれている。

 何故ならば、そのくくりに含まれ、確かにそういう要素を持っていてはいても、我々一人一人は全く別の人

間だからだ。

 例えば日本人。

 日本人はこうだ。

 日本人とはこういう人間だ。

 日本人はこうだから。

 そういう言葉を耳にする事は多く、またその一部分は我々の誰にでも当てはまる事は間違いない。

 しかし全く当てはまらない部分の方が多いし、普段そういう日本人らしくはない言動を取っている方が多か

ったりもする。

 確かに近いものではあるのかもしれないが、平均化されたものは結局、そこに含まれる誰一人として完全に

当てはまる事はない。

 それが平均化するという事だからだ。

 けれどもそこにより多くあてはまる人、より多くあてはまらない人、というのは存在する。

 より多く当てはまる人はそのくくりに安心感を持ち、居心地の良さを感じ。

 より多く当てはまらない人はそのくくりに不安を覚え、不満を抱くようになる。

 人は誰でも自分は人とは違う。少しずれている。世界からはみ出されている。というような気持ちを味わう

ものだが、その程度というのか、強さは人によって違ってくるという訳だ。

 多く当てはまる人はすぐに順応し、日々を穏便に過ごしていけるのだが。

 当てはまらない人は日々不満を強くし、次第に自分自身を孤立させていく事となる。

 社会の中での立場だけではなく、心もまたそうである。

 自分は違う、人とは違う。それは当たり前の事とはいえ、自分は普通の人よりもより多く違っているのだ、

という風に考えるようになってしまえば、心は平均化された世界から離れていく。

 居心地の悪さどころではない。まるで居場所がないかのように思えてしまう。

 多く当てはまらないとはいえ、そこに大きな違いがないはずだと言えば、それはそうである。

 しかし人はそんなささいな違いにこそ敏感になる生き物である。

 他の人と着ている服と少しばかり色が違う。そでの長さが違う。着こなし方が違う。そんなどうでも良いこ

とに心血を注ぐ生き物だ。

 だからそんなささいなどうでも良い違いから生じる違和感、孤立感というのは誰が思うよりも強いものであ

り、そんな小さな事だからこそ人の心は大きく動かされる。

 そんな事で、その程度の事で。

 その程度の、何でもない事がこわいのである。

 だから我々は、人というものはささいな事だからこそ気になるのであり、大きな差異ならば逆にほとんど気

にならなくなる、という事を覚えておくべきである。

 重箱の隅を突っつくように人は生きているのであり。

 誰もが必死に他人のあげ足をとりながら生きている。

 人は誰しも孤独であり、平均化した世界に完全には適応できず、どこかいつも不安定に生きている。

 しかしそれで良いのだ。

 人は皆独りであり、この世界から少しずつずれている。それで良いのだ。

 大切なのはそう理解した上で、そういう世界と自分とのんびりと付き合っていく事なのだろう。




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