星屑の人


 火星。地球から約八千万km離れ、太陽からは地球より更に八千万km離れる星。

 平均気温−55℃という地球から見れば極寒の惑星。その半径は地球の約半分、体積は8分の1という規模

である。一日の長さは24時間37分、これはさほど地球と変わらない。

 赤い砂と岩に覆われ、地表は赤く染まって見える。火星、文字通りの色彩を持つ。

 極寒のこの星では大気に大量に含まれる二酸化炭素自体が凍ってしまい、大気が凍るという地球人から

見れば思いもよらない現象も起きる。大気がドライアイスになるのだ。

 そんな星にも住民は居る。

 しかし地球で見るような、四足歩行で血の通う生命体ではない。砂の人である。

 何故砂に生命が宿ったのか、それは解らない。比較的太陽に近い星であるから、地球と同じように太陽

光が大きく作用していると考えられるのだが、それも想像である。

 地球と同じく、偶然そうなっただけの事で、特に意味を知る必要は無い。調べたとしても、結局は偶然

にそうなったという、当たり前の結論に達するだけだ。

 自然に生まれたからには、そこに何者かの意図があるはずもなく。砂が生まれ、大気が生まれたように、

ただの自然現象の一つに過ぎない。その日その時その場所で、たまたま起こっただけの偶然である。

 必然とも言えなくはないが、言葉を変えたからどうなるというのか。そこに意味などは無い。

 砂に生命が宿った。それだけの事だ。

 彼らは風に流されるまま生き、大気中の二酸化炭素を取り込みながら生活している。と言って、二酸化

炭素を栄養にしている訳ではない。

 彼らはいわば砂の一粒一粒が地球人で言うところの細胞であり、それを集め固める事で形を保っている。

 ようするに取り込んだ二酸化炭素を凍らせて、それで体を形作っているのだ。二酸化炭素を接着剤にし

ている、そう考えればいい。

 別段体がばらばらになっても、それで死ぬ訳では無く。その砂自体が侵食され、或いは破壊されて、完

全に朽果てない限りは生き続けるのだが、何故か彼らは形作ろうとする。

 もしかしたら、それが彼らのファッションなのかもしれない。

 意味があるとは思えないが、彼らにとっては重要な事である可能性もある。

 危険が迫る場合には、形を解き、砂に混じって擬態するようだが。それ以外の時は何かしらの形を保っ

ているようだ。

 どのような生活を営んでいるのか、それは解らない。

 食事は必要なのだろうか。今知る限りの範囲で考えれば、おそらく要らないのだろうと思える。

 治癒能力も高く。例え体が欠けても、砂さえあれば修復する事が可能らしい。

 それ程砂に近く、もう砂そのものと言っていいくらいに同じで。彼らと砂とを区別する事は困難である。

彼ら以外には、どこからどこまでが一個体なのか、それすらも解らないだろう。

 謎は多いが、この星に相応しい生物かもしれない。

 進化というのはそういうものだろう。全てが全て地球と同じ生命の誕生の仕方をすると考える事は、地

球人の傲慢さというものだ。他者を考えると言う事は、自分を当て嵌めると言う事ではない。真っ白な状

態で考える事を言う。

 地球では、たまたま、ああいう生命が産まれただけなのだ。

 地球も宇宙の法則で動いている事には変わらないが、他の惑星が全て地球と同じではないように、それ

ぞれの星毎に、その星自体の法則に従って動いている。

 一つの星の法則が、全ての星に当て嵌まる事は無い。

 そしてその生命の考え方も、星毎にまったく違うようだ。

 砂の人はあまり自己、自分で動く、というモノを重視しない。風の吹くままに砂と共に流され、ダスト

ストームと呼ばれる、火星全体を覆う大規模な砂嵐に乗って旅行する。

 他者の干渉は好まない。あるがままに生きる事が、彼らの基本哲学だと言え。それに則って考えれば、

誰かしらの思惑に沿う、或いは沿わされる事を好まないのは当然である。

 自分という存在も無視し、ただそこに在る事だけが、彼らにとって幸せなのかもしれない。

 だからたまに地球人が探査艇を出したとしても、彼らは巧みに砂の中へ自らを隠す。

 彼らの見た目も成分も砂と変らないから、例え微細に渡って調査したとしても、他星人がその存在を知

る事は困難である。

 そして彼らは、また面倒な奴が来た、などと思っては砂に紛れて移動する。

 彼らの安息は地球人によって乱されているのだが、彼らはそれすらもどうかしようとは思わないようだ。

あるがままに、それが彼らの考えであるから、敢えて干渉しようとはしない。

 何故ならば、探査艇が現れた事も、彼らにとっては風が吹くのと同じく、気まぐれな自然現象の一つで

ある。だから放っておく、干渉はしない。そして干渉されないように隠れて逃げる。

 このようにして彼らは今日も気ままに過ごしている。

 寿命がどれほどあるのか、どうやって子孫を残しているのか。不明な点は多く、興味は尽きない。

 何億年という時間を生きられるのかもしれないし。そうであるからには子孫は必要なく、自然に誕生す

るしか新たに産む手段は無いのかもしれない。それもまた、あるがままに。

 とはいえ個体数は少なくはなく。正確には解らないが、1000や2000では済まないようだ。

 大きさも様々で、ひょっとしたら火星の砂全てが彼らである可能性も否定出来ない。

 火星全てを包む一大個体が居て、そこから分身か我々で言う機械のような便利な物として、砂の人を誕

生させている。という仮説も、立てられない事はないだろう。

 砂が崩れれば、新たな砂を探してそれに宿る、言わば転生のような事をする可能性もある。

 非常に興味深いが、そのほとんどが謎である。

 かくいう私もその存在を証明出来ないし、しようとも思わない。あるがままに生きる彼ら、あるがまま

に放って置けばいいと考える。

 それに満更火星だけの問題ではない。

 もしかしたら地球の大地にも、似たような生命が居るのではないだろうか。

 勿論、これはただの想像である。しかし案外そういうありもしないと思われる事が、実際に起こったり

するものだ。

 砂や土を踏む時は、何か居ないか注意深く確かめてみるのをお勧めする。無闇に踏んでしまっては、申

し訳がない。

 例え居たとして、踏まれて屈辱や痛みを感じるのか、それさえも解らないが。


                                                      了




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