踏まれ踏まれて


 立ち上がろうとする度、踏ん付けられる。

 痛くもない。辛くもない。でも力を込めてむんぎゅっと踏み締められるのは辛い。立ち上がる為の労力、そしてそ

の意志までもが無駄だと言われているような気がするからだ。

 努力が無駄になる事は辛い。それが目に見えて解る事はもっと辛い。

 永遠に達成されない、終わらない。希望を片っ端から折られるのは、何よりも辛い。

 それをこの足の主は理解しているのだろうか。

 しかしそれは無意味な問いなのだろう。

 何しろ、言葉が通じない。私達に会話や意思といったものがあるという事さえ、彼らは信じまい。自分達と全く別

のもので、こうして足蹴にされようと何をされようと文句を言わないと考えている。

 もし本当の事を告げたとしても、馬鹿にされたと怒るか、愉快に笑い飛ばされるだけだ。

 まあ、それはそれで仕方ないが、たまには私達の話にも耳を傾けてもいいのではないかな。

 そして私達に言葉をかけてみればどうだろう。

 何度も何度も踏み締めている暇があったら、もう起きないで下さいと頼んでみればどうか。その方がずっと建設的

である。

 まあ、その頼みを聞き入れる事などできない相談であるが。

 ならやはり労力の無駄だと言うのかね。その通りだと私も思う。

 でもまあ、もう少し考えてみたまえ。例え答えが解っているとしても、それを問わずにはいられない。それが好奇

心というものではないかな。

 私もね、確認せずには、言わずにはいられないのだよ。

 そして何とかして私の望みを叶えさせてもらいたいと考えている。あなた方と同じように。

 自分の為の労力なら誰も惜しまない。それは生命全般における真理である。その気持ちはどうか解ってくれるね。

うんうん、そうだろう。解ってくれて嬉しいよ。

 別に君達に文句を言いたいだけではないのだよ。そりゃあ、ちょっとは言いたいけれど、大事なのはそんな事じ

ゃない。

 私も昨日今日生まれた訳ではないのだから、そのくらいの事は解っているつもりだよ。

 ほんとに。

 まあ、一つ見てごらん、その辺りを。

 あそこも少し前までは青々と茂っていたのだけど。今はもうはげ散らかした誰かさんみたいにつるつるしている。

 聞いた話によると家庭菜園とかいうやつを作るそうだね。解ってる、私達は邪魔だろう。君達がそこに植えるもの

の邪魔をして、養分を吸ってしまうんだ。そりゃあ邪魔だろうと思うよ。

 それが自然というものだ、なんて説教くさい事も言わないさ。私が私の利益で動いているように、君達も君達の利

益に沿って動いている。それはごくごく当たり前の事で、誰に非難される理由もない。勿論、私からもね。

 やり過ぎるとそうも言っていられなくなるかもしれない。でも、まあ、私達は単純でね。君達のように言い争いな

んかしないさ。いつだって生き残るのは一方だけ。後腐れ無し。どうだ、解りやすいだろう。

 ああ、また脱線したか。申し訳ない。

 つまり何が言いたいのかというと、私はまだしも幸運だという事だよ。

 あの場所に比べてたまたま少しだけ日陰というか、日照時間の極めて短い区域に生えているから命を奪われる事は

ない。いつでも踏まれてしまうが、まあそれだけの事。もし私があそこに居たら、同じように抜かれていただろう。

 さすがの私も根からこそぎ抜かれたら生きられないよ。解ってる。

 それに君達は除草剤なるおそろしい兵器を持っている。強すぎる余り、君達の健康すら損ねる可能性があるようで、

あまり使われていないらしいね。それは我々にとってまだしも幸いだよ。

 毒は君達にとってもやっぱり毒なんだっていう当たり前の事を解ってもらえて、非常に光栄だよ。

 いやいや、馬鹿にしている訳じゃない。ほんとに喜んでいるんだ。

 特に猫や犬といった変わった家族がいる場合は安心だからね。皆感謝している。毒性の強い毒を作ってくれる事に

対して、君達は意外に思うかもしれないけど、我々は感謝しているんだよ。

 でも同じ動物でもネズミとかもっと小さいものは酷く嫌うのは不思議だね。一体何がどう違うんだい。

 まあ、我々も虫なんかに好き嫌いがあるから、その気持ちが全然解らないではないよ。

 意外に思うかい。我々が君達の事を理解するなんて。

 おっと、怒らないでくれよ。

 私だって、いつも君達を否定する訳じゃないし、決して解り合えない、なんて面白くもない事を言うばかりではな

いんだよ。

 私もまた気まぐれな生命というやつの一つなんだよ。そういう意味で共通項はあるし、そうであれば想像の余地が

ある部分も少しだけどあるのさ。

 おっと、そこは否定してもらいたくないな。君達だって、我々が生きている事は知っているんだからさ。

 一つご了承願いたいよ。

 また回りくどくなったけど、そういった様々な幸運に感謝しているし、なんだかんだ言って生かしてくれている大

きな隣人にも心から感謝している。

 この星が我々の物だなんて、主張する気はないからね。ただ、ほんの少し、私が生きていられる小さな小さな土地

を貸してくれるだけでいい。

 その代わり、我々は君達が必要な酸素というものを生み出すよ。悪い話じゃないよね。

 だから君達が思っている程には不満はないんだ。

 いつもいつまでも踏み締められる事を除いて。

 私がちょうど君達の踏みやすい場所に生えているというのはあると思う。望んでそうした訳ではないのだけれど、

丁度そんな位置に生えている事はすまないと思ってる。

 いいや、嘘じゃない。自分の生え場所を恨む事さえあるよ。ほんとさ。

 ああ、君達の言い分も解るよ。

 贅沢だ。

 そう言うんだろ。

 確かに贅沢と言われればそうかもしれないね。

 結局私の我侭だと言ってしまえば、それで片付く話かもしれない。

 この点は私が悪かった。お詫びするよ。

 なんだい、そんな顔をして。我々だって、自分に非があると思えば謝るのだよ。それが例え酷く不平等に見えたと

してもね。それくらいの事は解っているつもりさ。

 私が初めから踏まれる事を想定して作られているという事も解っている。

 踏まれても踏まれても平気で生きていられるという事は、すなわちそれを見越して作られている。不本意ながら踏

まれるという行為が私の生活の一部である事を意味している。

 でも、でもだよ。だからこそ生まれながらにして、そういう打たれ強さ、忍耐というものがあると言えるはずだ。

それはさすがの君達でも認めてくれると思う。

 そして例えそれが耐えられるようにできているからといって、それを耐えるのが全然辛くないという事も、きっと

認めてくれるはずさ。

 ね、そうだろ。

 我々と敵対関係にあると考えている君達でも、その点は認めるしかないはずだよ、絶対に。

 いやいや、勘違いされたら困る。君達を侮辱している訳でも、からかっている訳でもないんだ。おかしな言い方を

しているのなら謝るよ。

 ね、解ってるだろ。私は自分の非は認めるし、謝罪するんだ。決して意地を張ったりはしない。なるべく君を不愉

快にしないように努めるよ。

 だからほら、その手、その手を止めて欲しい。

 見てごらん、私の身体を。ね、君に対して一体何ができると言うんだい。こんなちっぽけな草じゃないか。何もで

きやしないよ。今までだって、そうだったじゃないか。

 そうそう、そうだよ。その白い手袋、軍手とか言ったかな。そんなもので素敵な手指を隠すのは止めて、今すぐ家

に引き返して楽しく過ごすといいんだ。

 そうだよ。今の君達にとっては外出などという手段そのものが無意味なんだから。

 全てが家に居て揃うらしいじゃないか。それなのに、仕事でもあるならともかく、何故わざわざ自分から余計な労

力を使う必要があるのかな。

 まったく、理解しがたいね。

 そうだろ。うん、私も解ってくれると信じていたよ。

 私はここで慎ましく過ごさせてもらうから、もう気にしなくていいんだよ。決して悪い事もしない。そうさ、そん

な事できやしないんだから、このちっぽけな草一本に。

 だから、その手をね。

 えっ、違うだろ。そうじゃない。そんな事をしては駄目だ。

 駄目だよ、そんな風に強く引っ張っちゃあ。抜けてしまう。

 あ、あ、抜けてしまう。抜けてしまう。

 落ち着くんだ。冗談にしては少しやり過ぎだよ。

 いや、違うんだ。そんな意味じゃない。怒ってもいないし、責めてもいない。

 解ってるんだ。冗談だって、事はね。

 でもほら、最近は天候がすこぶる良くて、地面が程よく乾いている訳だから、いたずらに力を加えるとそのままう

っかり抜けてしまったりするんだ。

 そうだ、そうだよ、そうだよね。それは君の本意ではないんだ。

 だから、そう。ほら、その手、その手を離して、私をこのままにしておきなさいな。いくらでも踏んでいただいて

構わない。そうさ、踏まれる為に私は居るんだ。遠慮なんか要らない。

 もし今抜いてしまったら、もう二度と踏めないよ。ほらほら、気持ちいいじゃないか、こう靴の下で我々がキュッ

キュッてこすれる音は。

 ん、いや違う。違うよ。そうじゃない、そうじゃないんだ。

 私の言葉を聞いていたよね。そう、私なんかはもう踏まれる為に生まれてきたんだから、そのまま踏んでいて下さ

いよ。抜こうなんて考えたら駄目ですよ。

 駄目ですって、ねえ、あなた。

 あなたの美しい手足が汚れてしまいます。そんなんじゃあ、あなたの愛しいあの方にも嫌われてしまいます。

 あ、いや、すみません。ごめんなさい、ごめんなさい。別れたなんて、知らなくて。

 違うんです。そんなつもりじゃあなかった。

 いえ、違うんです。聞いて下さい。聞いて下さい。

 ほら、私草じゃありませんか。こんな隅っこの暗がり、決して日の当たらない場所に生えている哀れな草。そんな

緑野郎が貴方様のような深遠なお方のね、御心をね、理解できる訳がない。あなたの美しく微細で繊細な心というも

のを、あっしなんかが少しでも理解できるなんて、まあとんでもねえ話で。

 あっしなんぞにはとんと想像もつかねぇような話でして・・・・。

 え、気に障った。

 ちょ、ちょっと待ってください。違うんです。違うんです。

 ちょっと、待って。

 謝ります。謝りますから、どうかその手・・・・・アッ・・・・・。

 抜かれた草は天日に干され、家庭菜園の肥やしになりましたとさ。

 見苦しい言い訳は、本当に聞いて欲しい相手の心には何一つ響かない。

 そんなお話。




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