ふわふわ卵


 掌から放り投げると、ふうわふわと浮かんで、ゆっくりゆっくり落ちてくる。そこから何が産まれるの

か、何も産まれないのか、そんな事は知らない。掴みやすかったから投げている、それだけ。

 さっきから卵を狙っているのか、木の上からじっと鳥が見ている。卵を放り投げる度に上に下へと首が

動いているから、多分そうだ。

 何だかちょっとからかってみたくなって、投げる振りして後ろに隠してみる。

 鳥はしばらくぼうっとしていたが、やがてびっくりしたように激しく首を振りながら、目をくるくると

回す。その姿が何だかかわいかったので、もう一度卵を投げてやる。

 するとまた首を上下に揺らしながら、卵の行く先を目で追っている。ちょっと楽しそうだ。

「でもお前にはやんないよ」

 僕が怖いのか卵を取りに来る様子はない。もしかしたら卵を譲ってくれるのを期待しているのかもしれ

ない。

 でもやらない。別に大切な何かって訳ではないし、特別な思い入れがある訳でもないけど、何となく投

げている内に気に入ってしまった。だからやらない。

 軽く手を振って鳥にさよならしながら、どんどん歩いて行く。

 当ては無いけどとにかく進む。出発したのはもう随分昔、あの時のきもちはよく憶えていないけど、進

むべき道がある事は解ってる。だったらそれでいいと思ってる。

 この卵もいつからこうしているのか憶えていないけど、別に何でもいい。ただ面白がって放り投げて、

落ちてきたのを掴んで、また放り上げる。そんな事をずっと繰り返してきてる。  楽しいから、良いんだ。

 卵は何も答えてくれないし、何もしてくれないけど、ふうわり浮かんで落ちてくるのを見ているだけで

楽しい。あの鳥が興味を持ったのも仕方ない。僕だって面白いんだから、鳥だって面白い。

 そう思って歩いていると、物陰からこっそりこちらをうかがってる獣が見えた。

 あの鳥と同じように、卵を追いかけて首振りしてる。そんな事をしていると首がおかしくなってしまう

そうだからちょっと怖くなったけど、まだまだ全然平気そう。

「お前にもやんないよ」

 鳥にもやらないし、獣にもやらない。この卵は僕の物。

 少しおかしな僕の卵。

 ちょっと力を入れると弾けてしまいそうだけど、どんなに力を入れてもびくともしない。とても軽いけ

れどとても硬い。そんな不思議な卵。

 ふわふわ軽いくせにとても丈夫。中身が気になるけど、見る方法は解らない。もう諦めてるけど、本当

はちゃんと見たい。そう思ってる。 鳥や獣まで気にするくらいだから、きっといい物が入ってるんだろう。

 でも鳥や獣は中身を知ってて気にしてたのかな。

 解らないけど、まあいいや。

 どんどん歩いて行くと、海に着いた。水でいっぱい埋まってる。どこまでも続いていそうで、泳いでい

くのは大変そうだ。

 しばらく考えてから試しに卵を置いてみると、海にちゃんと浮かぶ。卵につかまっても沈まない。僕と

一緒に浮かんでる。

 不思議だったけど、これで安心して海を越えられるね。

 卵を浮き輪代わりにして、どんどん進む。

 魚達が通り過ぎる卵を見て目を真ん丸くしているのが解る。何が面白いのかは知らないけど、とにかく

興味があるらしい。そこまで注目してくれるとちょっと嬉しくなる。

 魚達はずっと付いてきていたけれど、何をするでもなく離れた所でじっとこの卵を見てるだけ。やがて

飽きたのか揃ってどこかへ行ってしまった。巣に帰るのかもしれない。

 何だか残念に思っていると大きな魚影が近付いてきた。今まで見てきた魚の何十倍もあるかという大き

さで、口を開くとぱっくり丸呑みされそう。

 怖くなったけど、襲うつもりはないみたいだ。魚達と同じように付いてきて、気付いた時にはどこかへ

行ってしまってた。

 だから僕も気にせず進む。

 そんな事があった事すら忘れた頃、やっと対岸にたどり着いた。別に急ぎはしてないけど、何となく嬉

しくなる。

 うきうきした気持ちで卵を放り上げながら進んで行く。卵が代わりにゆっくりしてくれているから、僕

は手早くささっとやろうと思うんだ。

 特に意味はないけど、ちょっとやってみたい。そんな気持ちで。

 とにかく何かをやりたかったのかもしれない。

 どんどん歩いて行くと、ぱっくり地面が裂けて暗い暗い暗闇が広がっている場所に出た。うっかり落

っこちてしまうと命が無いかもしれない。

 どうしようかと思ったけど、もしかしたらと思って卵を掴んだまま飛び降りてみる。

 するとゆっくりゆっくりと落ちるようになって、何だか空に浮かんでいるような気持ちになった。

 どこまでも暗く、誰一人いない。卵だけがその中で浮かんでる。どこまでも滑るように落ちながら。

 このままどこまで行くんだろう。底まで行くんだろうか。それとも底なんかなくてずっとこのままなん

だろうか。

 不安になってきたけど、何があってもずっと変わらない卵を見ていると、何だか元気が湧いてきた。ず

っとこのままでも、この卵と一緒なら平気な気がする。

 どこまで落ちても、きっと大丈夫。

「平気さ、どこまで落ちたって」

 怖くなくなって、いつまでもいつまでも落ちた。

 だtp時間の感覚を忘れて落ちているのが当たり前になってきた頃、ようやく一番下まで辿り着いた。そこは

ちゃんと地面があって、まだずっと暗いけど、一人で歩く事ができる。

 ふかふかしてて、何だか柔らかい地面だったけど、歩く事はできる。

 先には何も見えない。僕と卵と暗闇だけがそこに在る。けど寂しさも怖さも感じない。いつでもどこで

も卵が付いててくれるから。

「お前さえいれば、きっと大丈夫さ」

 そんな風に話しかけていたら、急に卵にヒビが入って、何かがその奥からもぞもぞと這い出てくるよう

にゆらゆらと細かく揺れ始める。

 そして速く強く一瞬だけ大きく揺れたかと思うと、殻がむけるようにばらばらになってしまった。

 驚いていると、卵の中身がふわふわと宙に浮かんだ後、今まで一緒に居てくれたのが嘘のようにあっさ

りとどこかへ飛び去ってしまった。

 それはとても速くて無造作で、気付いた時には何も無い掌を宙に掲げて、ぼんやりと僕は見ていた。ど

んなに見ても、そこには何も無い。側には誰も居ない。大事に大事に持ってきたのに。ずっと一緒に居た

のに。そんな事は関係ないって言うみたいに、どこかへ消えた。

 そして僕は独りぼっち、暗闇の中に居る。

 何も見えない。どこへ行けば良いのかも解らない。

 ただずっとそこに居る。今も。

 きっと卵を自分勝手に考えてたから、罰が当たったんだ。

 きっと、きっとそう。

 そう思っていないと、本当に僕に対して何の興味もなかったなんて思うと、涙が出てきてしまう。

 それだけはもう嫌だ。

 嫌だ。




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