百年の時


 ある所に一人の女が居ました。

 女はとても美しく聡明でしたが高慢で、沢山の男と知り合いましたが、一度も愛した事は無く、愛とい

う言葉すら知りませんでした。

 でもそんな女も、ある時一人の男と知り合うと、今までところっと変わり。自分よりも美しく、また自

分よりも聡明なその男に惹かれ、遂には自分の時間をほとんど全て渡してしまいました。

 女にとっての初めての愛でしたが、しかし男は時間だけを受け取ると、後に醜く老いさらばえた女を残

し、さっさと去って行ってしまったのです。

 そうです、男の狙いは初めから女の時間だったのです。初めから女の事など、欠片も愛していなかった

のです。

 聡明なはずの女なら、落ち着いて良く考えれば解ったはずなのに。他の男が女に目を眩ませていたよう

に、その女も男の全てに目が眩んでしまっていたのでした。

 女が自分よりも醜い男を相手にしなかったように、その男も自分より醜い女など、相手にするはずがな

かったのです。

 女は老女となって始めてそれに気付きましたが、今更泣き喚いても無駄でした。

 男を追おうにも足腰が言う事を聞きません。

 訴え出ようにも、歯の抜け落ちた口では、まともに言葉も話せません。

 今まで彼女の美しさに付き従っていた男達も、老女になった彼女には当然のように見向もしなくなり。

さっさと他の女を見つけて、その女の下へと去って行きました。

 聡明さは見る影もなく、美しさも失い、後に残ったのは高慢な心だけ。そんな彼女が、誰に愛されるは

ずもなかったのです。

 老女は嘆き、暫くはあらゆるものを恨み、罵り、穢れた言葉を好き放題吐いていましたが。その内醜い

心を全て吐き出してしまったのか、少しずつ悔い始め。その内、全ての事を心から悔いるようになり、赦

しを乞う、贖罪(しょくざい)の言葉のみを呟くようになりました。

 しかし男に与えてしまった時間は、もう二度と取り戻せません。

 誰でも人に好きなだけ自分の時間を与える事が出来るのですが、与えた時間は決して元に還る事は無い

のです。

 何故かは解りません。誰かが決めたのか、それとも単に人に時間を戻す力が無いだけなのか、それは誰

にも解りません。

 解るのは、老女はずっと老女のまま、という事です。例えその男が悔いて戻って来たとしても、永遠に

老女は老女のままなのです。

 自分から離れた時間は、もう二度と自分には戻らないのです。

 もう一度時間を得る為には、彼女も誰かから時間を貰わねばなりません。

 でもそれこそ無理な話。

 人々は多少老女に同情するようになりましたが、今までが今まででしたので、誰も助けてやろうとまで

思う人はいませんでした。

 一度人に嫌われた者は、そう簡単に好きになってもらえません。その人間が行なってきた事は、決して

消える事は無いのですから。

 しかしそんな女の許へ、一人の男が訪れました。

 それは老女の昔からの知り合い、子供の頃の遊び仲間、彼女が成長し美しくなるまで、彼女と共に育ち、

彼女を見てきた男です。

 彼だけは老女を助けようと思いました。

 彼は老女が美しく傲慢になるにつれ、そんな彼女に愛想を尽かし、うんざりして一番に去って行った男

だったのですが。不思議と彼女が老いてから、一番に駆け付け、老女に唯一優しさを与えたのも、この男

だったのです。

 老女は心から喜び、今までやってきた事を男に聞いてもらい、懺悔し、何度も何度も涙を流して詫びま

した。離れて行った者、嘲笑った者、そんな男達にまで謝罪の言葉を言い、せめてこれからは幸せであっ

て欲しいと、彼らの幸運を祈ったのです。

 唯一の男も、老女のあまりの変わり様に、初めは気が動転しているのだろうと思っていましたが。それ

が一月、二月と続くにつれ、同情を越えた愛情を抱くようになりました。

 勿論、いくらなんでもまだ若い男が、老女に対し女性として愛を抱く事は、無いとは言いませんが、ま

あありません。

 しかし男は人の持つ優しさから、例え酬いを受け、自業自得とはいえ、騙され憐れに捨てられた幼なじ

みの女に対し、普通の気持ちではいられなかったのでしょう。

 一人の人間として、彼は彼女を放っておけなかったのです。

 唯一老女の許に戻ったように、男はとても面倒見の良い、逆に云えば無用な責任感を持つ程、とても気

の良い男だったのでした。

 そして男は憐れみを越えた、人類愛とでもいうべき感情に突き動かされ、老女に自分の時間を与えてし

まったのです。

 それも老女が騙された男に与えた時間と、ぴったり同じだけの時間を。

 老女は若く美しい姿に戻り、代わりに老いさらばえた男に非常に感謝をして、永遠の愛を誓い、側を離

れない、一生かけて恩を返すと、涙ながらに喜びました。

 老男もそう言われれば満足し、自らの行いを誇りに思います。

 一人の人間を助け、しかも更正させた。自分はこの美しい女の魂を救ったのだ、と。

 そう思うと、老男にも心からの喜びが生まれ、動き難くなった身体にも、不思議と愛着が湧いてきたの

です。男にとってそれは、勲章となりました。

 しかし喜びはそこまででした。

 一日、二日、女が美しい元の生活に慣れていくにつれ、次第に老男に対する態度に変化が現れ。三日目

にしてとうとう新たに見初めた、美しく聡明な男と共に、老男の許をあっさりと去って行ったのです。

 老男は驚きの余り、言葉を失ってしまいました。

 たった三日、三日の時間で、彼女は元に戻ってしまったのです。

 でも女が老女になった時と同様、老男にはどうする事も出来ません。今更もう元へは戻せないのです。

 それから老男は三日三晩、丁度美しい女と一緒に過ごした時間を、彼女が少しずつ変貌していく姿をな

ぞるように思い出しながら、乾いた体から搾り出すようにして涙しました。

 でも男は女を恨みませんでした。代わりにこう思ったのです。

 これも自分が愚かだったからだ。人一人を救った気になり、人一人の魂を救えるなどと思い上がった彼

に対して、あの女が罰を与えられたように、当然の酬い、罰を与えられたのだと。

 女とは違い、老男には友達が多く。中には少しだけだが自分の時間を分けてあげようと申し出る人もい

ましたし。自分の半分の時間と共に自分と生きて欲しいと、老いた男に対し、涙が出るほど真摯に愛を伝

えてくれた女性も居たのですが。老男は全てを断って、彼もまた女との思い出の残る地を、静かに去って

行ったのです。

 その後の彼は、誰も知らぬ地で身を投げたのだとも、静かな地で罪を償う為に、余生を善意と共に暮し

たのだとも、伝えられています。

 彼は本当に気の良い男だったのです。

 残念ながら、去った女の方は、あの後どうなったのか、何も伝えられていません。

 ですがきっと何処かで、同じように酬いを受けたのだと思います。多分、永遠に、繰り返しながら。





                                                         了




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