異空間遠望鏡


 タイムマシンという概念がある。

 ようするに時間旅行をしようという事なのだが。古今タイムトラベラーが発見されたというような文献、

伝承は無く。それによって未来でのタイムマシンの完成をさえ否定する意見がある。

 確かにそうとも考えられる。未来人がその時代の人間にすり変らない限り、その時代の人間として暮ら

さない限りは、多かれ少なかれそういう伝承や書物が残っていないはずはなく。

 言い伝えが残らないような今よりも遥か過去。原始時代、そこまでいかなくとも、例えば滅びた文明の

神、そういう存在に成り変らない限りは、未来からの痕跡を隠す事は難しい。

 だが、それを覆すような一つの考えがある。

 今はまだ理論とも言えない戯言の一つと思われているのだが。今より遥かな未来、遥かに科学技術が発

達した時代でならば、それを生み出す可能性が無いとは言えない。

 その考えを簡単に言うと。我々の住むこの世界、この空間とは違った空間、つまり異空間から我々の住

む世界を覗く、という事になる。

 そしてそれを実行する機械の名を、ここでは取り合えず異空間遠望鏡とでも呼ぼうか。

 当たり前の事だが、我々が別の空間を見る事は出来ない。勿論別の空間からもこちらを見る事は出来な

い。何故ならば、我々の空間と異空間とは繋がりが無いからである。それは過去を覗き、未来を覗くよう

な事であり、通常自然界の中には起こらない事だ。

 過去と未来が双方向にあるような事はまず考えられない。未来は常に過去の結果としてあり、そういう

意味では繋がっていると言えるのだが。五十年後の次が五十年前でないように、実際に未来と過去がくっ

付いているのでは無いのだ。

 時間は常に一方向であり、戻る事もその速度が速まる事も、おそらくは無い。

 そんな事が起これば、時間と言う概念が消失してしまい、想像も出来ないような恐るべき事になるだろ

う。だから自然はそれを許すまい。

 しかしもし異空間から我々の世界を覗けるような事が出来たとしたら、絶対に発見される事は無く、対

象に影響を与えずに、一方的に見る事が出来る。

 かの有名な相対性理論。例えば、こちらが見ていればその対象は見られている事になり、関わりあうモ

ノは常にお互いに干渉し、影響しあっている。というような理論を無視し、対象に影響を与えずに観察す

る事が可能になるのだ。

 これが出来たとしたなら、タイムトラベラーは安全に誰でも何処でも見る事が出来る。

 別に異空間からでなくとも、異次元でも何でも良い。とにかく絶対に見られない場所から見る事が出来

さえすれば、歴史に干渉せずに時間旅行を楽しむ事が出来るのだ。

 これはとても興味深い意見だと思う。これであれば、例えタイムマシンが出来たとして、タイムトラベ

ラーがすでに現在の時間にも居るとしても、誰も気付く事は無い。

 我々も過去の人々も、誰も何も変り無い日常を送り、歴史は変わらずに進む。勿論、すでに歴史が変わ

っていたとしても、変えた当人以外は、誰にもそれを認識する事は出来ないのだが。

 夢のような話なのだが、私はこれに対し危機感がある。

 誰にも悟られず、干渉せずに一方的に見れる。これは絶対安全な覗きをすると言う事で、プライバシー

も何も無くなる事を意味するのではないだろうか。

 例え過去や未来でしか使えない、タイムマシンの付属品でしたないとしても、過去の歴史上の人物を学

術的に見るとしても。こちらからは過去や未来の人であれ、その対象は確実にその時代を生きるなまの人

間なのである。これを勝手に覗き見て良いものだろうか。

 確かに見られてる相手はそれを知る事は無い。しかしその事が免罪符になるはずが無い。それは明らか

に犯罪である。目的が何であれ、理由がなんであれ、してはいけない事はやはりしてはならない。

 まだ学問で使われるなら救いがあるとしても。個人的な趣味として、純粋に犯罪として用いられた場合、

怖ろしい事になりはしないかと、そんな風に思うのだ。

 そういう風に使われる方が、遥かに多くの割合を占めるようになるとすら思う。

 勿論、現在の時間の中で異空間遠望鏡を使う者も居るだろう。そして付属品であったはずの異空間遠望

鏡単体に、むしろ価値を見出し、販売するような輩も出てくると思われる。

 もしそういう者が一人でも居れば、全てのセキュリティは無に帰し、古今東西の全ての人間が、裸でそ

の人物の前に居るような事になる。

 そうならない。悪用などされない、させない。或いは、そんな悪い事ばかり考えていては、科学は進歩

しない。そんな風に言う者がもしおられるのなら、貴方はノーベル賞が何故出来たかを知るべきだろう。

 そして核兵器を思い出して見る事だ。

 私には更に心配する事がある。

 それは実際に、すでに異空間遠望鏡のような物が使われているのではないか、と思うのだ。勿論、タイ

ムトラベラーが使っているのだろう。

 しかしその場合はまだ救いもある。何故ならば、理想のように完全に一方的に見る事は出来なかったの

ではないかと、そう推測出来るからだ。

 その根拠はいわゆる幽霊、そして御伽噺に出てくるような妖怪達。

 そういったモノは、異空間から零れでる観測者の姿、或いは影のようなモノではないのだろうか。だか

らこそ不可思議な形態で見えたり、体の一部分だけが見えたりする。

 零れでる過程でその姿が歪んでしまえば、巨人になったり、手や足や目が無数に付いてるように見える

可能性もあるだろう。例えれば歪んだ鏡を見るように、人も妖怪に見えない事はない。

 それに誰しも、他には誰もいないはずなのに、ふと何処かから視線を感じる事が無いだろうか。

 その時もしかしたら、貴方は実際に誰かに見られてるのかもしれない。別の空間から、じっと観測、或

いは覗き見られているのかもしれない。

 だとすればそれが科学の限界だったのだろう。もしくはすでに幽霊や妖怪の話は無数にあるから、今更

それが増えても、誰も何かに気付く事は無い。そんな風に思ったのだろうか、未来人は。

 荒唐無稽な話だと自分でも思う。しかしこれを否定しきれるだろうか。私は結局人間に起こる事は、全

てに人間だけが関わっていると考えている。だからこそこんな話を考え付いた。

 確かに戯言かもしれない。しかしタイムマシンが出来、そしてそんな物を作れるような未来でなら、ど

んな物が作られているか解らないではないか。

 科学の進歩、私はある意味悪魔の仕業ではないかと思う。科学が人を幸せにしたのだと言えば、確かに

そう言えるかもしれない。しかしそれ以上に人間を不幸にしたのではないか、とも思う。

 今更言っても詮無きことではあるが。色んな理論を聞く度に、歴史を知る度に、そして自分でこんな事

を考える度、ふと疑問に思う事があるのだ。

 もしかすれば、我々の未来は、我々が考える以上に怖ろしい場所なのかもしれない。

 高度な科学は、同時に怖ろしい犯罪や災厄ももたらしてきた。それが高度であれば、あるほどに、その

不幸は取り返しが付かない程に大きくなる。

 人である私自身がそんな風に考える。いや私だけでなく、人はだれしも、良く良く考えれば常に危機感

を覚えるのではないだろうか。皆最後には恐怖感と危機感を覚えているような気がする。

 その普遍的な危機感こそが、我々人類に、何事かを警告し続けているのかもしれない。




                                                           了




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