意思の形


 人は日々色んな事を考える。

 そして自分というものを、つまり自分の考え、生き方というものを、生まれた証、意味をこの世に残したいと

願う。

 だがその考えというものは現実に形として存在するものではなく。自分の頭の中にさえ長くは留まらない厄介

なものだ。

 有益な考えも、無益な考えも、等しく儚く消えてしまう。

 それは思い、感情に関しても同じ。

 好意、嫉妬、善意、悪意、人の心には色んな感情があるが。

 どれだけ相手を想っていたとしても、どれだけ相手を憎んでいたとしても、そんな想いもまたいずれ儚く消え

てしまう。

 例え残っても、初めに宿したものとは全く別のものに変わってしまう。

 そして現実に形として残らないものであるからには、思っているだけでは何も残せない。

 誰にも伝わらないし、何も変わらない。自分の中にあるだけである。あると思っているだけである。

 だから人は長い年月をかけて、それを形にして伝える方法を編み出した。

 言葉、絵画、歌、文章、態度、心を様々な形にする事で初めてそれは人に伝わり、この世に残る。

 正確には伝わらないとしても、確かにそこにあったのだと認識してもらえる。

 形無き思考は他人にとって無いと同じ。

 他人の思考もまた、形無くしては自分にとって無いと同じ。

 全ては形にする事から始まる。

 それはつまり、自分の頭の中にあるものを現実の形に翻訳する術に外ならない。

 伝わらないものに力は無く。

 頭の中にあるだけでは何も起こせない。

 思っているだけでは何も変わらない。

 願っているだけでは何も始まらない。

 だからこそ人は行動してきた。

 これからもまたそうするであろう。

 何かを変えたいのであれば、その思考、祈りを形にするしかない。

 正確にそれを形にする事は難しいけれど。

 その方法は無数にある。

 それはきっと幸せな事だ。

 いくらでも人は伝えられる。

 人がそうしようとする限り、人の心は形として残るのだ。

 いつまでも、人が生きている限り。




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