イソギンチャック


 俺はイソギンチャック、気合を込めてそう呼んでいただきたい。

 俺は今、生命をかけた挑戦をしている。何故か。そう、男を見せる為だ! 男子として一生を遂げる為

に、俺はつねに挑戦し続けてきた。こっそり海亀にへばりついてみたり、アワビにくっついてみたりした

事もあるし、主に失敗している。

 他にもイルカやサメにくっ付こうとした事がある。あの時はえらいめにあったが、それもまた男子の思

い出。ありがちなままに流され、一生を岩やヤドカリの世話になってたまるものか。

 俺は気合溢れる生き方がしたいのだ!

 何だと、イソギンチャックは動けないだろうだって! これは心外至極。俺達はむしろ活発に動き回っ

てるぞ。くねくねと海中を泳ぐことすら出来る。

 中にはクローンを作り、自分を増やす事で縄張りを作るイソギンチャックもいる。イソギンチャックは

アグレッシブどすこいな生き物なのだ。動けないなんて馬鹿にするんじゃあないよ!

 イソギンチャックも生存競争に立ち向かっている。それを忘れないで欲しい。

 けれども俺はそんな四六時中何かにすがりついているような、くっ付きグランプリにはもう飽きた。こ

れからはそんな子供っぽい事ではなく、イソギンチャックの生命の根源に迫るような、そんな良い感じの

挑戦をしていきたいと思っている。

 大人になった。そう断言しても良いと思う。

 そこで今、俺は海面すれすれの位置、波の具合によっては海上に出てしまう位置に張り付いている。

 結局は岩に張り付いてるじゃないかなどと言ってくれるな。まあまあ聞きたまえ、これには深い深い訳

がある。俺は嫌でもこうするしかなかったのだと、聞けば納得してくれるだろう。

 その前に当然のことなのだが、俺達イソギンチャックは水棲生物、もっと簡単に言えば海の中で生きて

いる、と言う事を理解してもらわなければならない。俺達は概ね海中でしか生きられない。

 しかし、しかしだ。何故海中に留まらなければならないのか。俺達も地上へ進出し、何だか気持悪い進

化をしてもいいじゃあないか。

 イソギンチャックだからといって地上にいてはいけない道理は無い。

 だけど地上に出てしまえば死んでしまうのもまた事実。どうあがいても、このまま地上に出たら干から

びて死んでしまう。ああ残酷なり、強大なる太陽と水なしの大地よ。

 生き残るためにはイソギンチャックは変化しなければならない。そう、先ほども言ったちょっと気持悪

い進化である。

 ではどうすれば変化が起こるのか。それは生きる為だろう。ならばこうして海面すれすれの位置にて、

むしろちょっぴり海上に出ていれば。そして気合を込めて何とか生き延びていれば、何千年、何万年か後

には、地上でもイソギンチャックが繁栄しているに違いない。

 確かに苦しい環境、生きる為にぎりぎりの緊張感が起こる環境だ。でも俺はきっとやり遂げてみせる。

きっと地上に出てみせる。

 波が引く度に身体が海上に出、揺ぎ無い太陽光線が俺を貫く。

 ああ憎らしきは身体すれすれを触れる波、何故俺は勢い余ってこんな上まできてしまったのだろう。い

やいや、こんな事で投げ出す訳にはいかない。俺にはイソギンチャックを進化させるという、イソギンチ

ャックの神秘に触れる崇高な使命があるのだ。

 しかし辛い。ああ、もう、もう、何かぐじゃっと出てしまいそうだ。何かちょっとした物も一緒に出て

しまいそうだ。

 苦しい・・・。この環境はやばすぎる・・・・。

 俺は一体何をやっているのだろう・・・・・。

 大体陸地より海の方が広いじゃあないか。しかも地上は人間とかいう生き物でぎゅうぎゅうに埋まって

しまっているらしい。何故今更イソギンチャックが出て行かないといけないんだ。ああ、俺は何を干から

び頑張っているのだろう・・・・。ちきしょう、ワカメのくせに笑うんじゃあない!

 何だ、何か迫ってくる。何だろうこの凄まじい音は。ああ、あれは、あれは噂に聞く悪魔の化身、人間

のがきんちょに違いない。どうして、どうして見付かってしまったんだ。あいつらは何故わざわざこんな

海ぎりぎりに居る俺を目指してくるんだろう。

 イソギンチャックなら他にも居るじゃあないか!?

 ああコラ、俺を枝で突くんじゃない。俺は今、崇高な使命を・・・・ああ、駄目だ、そんなに突いたら

ぐじゅっとつぶれてしまう。よし、あの影に移動しよう。

 ふはは、ざまをみろ人間どもめ。海でイソギンチャックに敵うと思うなよ!

 えーと、何だったか。何だかどういったご用件で・・・・ああ、そうそう。ただでさえ人間で溢れてい

るような場所に、今更イソギンチャックが出て行って、何かメリットがあるというのだろうか。

 鯨とかいう無意味にでかい生き物は、わざわざ地上から海へ戻ってきているそうじゃあないか。つまり

は地上は暮らしにくく、面倒と言う事だろう。わざわざ一回海から出て、また海へ帰るっていうのも間抜

けだけれど、それだけ地上が暮らしにくいという事じゃあないのか。

 だとすれば、俺は・・・俺は・・・・ああ、がきんちょどもめ、俺をほじくるのは止めろ、止めてくれ!

 お前らはなんてしつこいんだ。なんて無駄なエネルギーを使うんだ。もっと省エネ思考で生きろ、この

多細胞生物がッ!!

 ああ駄目だ。口からほじくるんじゃない。それは止めてくれ。ああ、やばい、やばいぞそれは。

 限界だ、限界が来る!! 何かが出そうだ。うにっとほじくり出されそうだ。ほじくりだされてしまう

のか、この俺が! うにっと出てしまうというのかッ!?

 もう駄目だ。そんなに突き刺されたら、流石のイソギンチャックでも耐えられない・・・。こりゃあい

かん、逃げよう、もうさっと逃げよう。イソギンチャックの進化? そんなものはどうでもいい。すたこ

らすたこら逃げなくては。

 いや逃げるのではない。危なかった、自分に負ける所だった。そう、これは戦略的撤退である。

 この俺がほじくり出されてでもみろ。イソギンチャックにとって大いなる損失ではないか。まずは俺の

命が大事。そうだ、命の尊厳だ!

 やあッ! 海を目指せ! イソギンチャックよ、海を目指せ! 生れ故郷に帰るのだ!!

 どうだ人間どもめ、海中までは追って来れまい。それが貴様らの限界なのだよ。

 何だと、飛び込んでまで俺を追いかけるのか! そこまでして俺をぐちょっと出してしまいたいのか!

 何故だ、何がお前らをそこまで駆り立てる? その奥にある熱情の正体は何なのだ。そこまでしてほじ

くりたいのか、それが人間なのか。ぐじょっとほじくりたいのが人間なのかッ!!?

 ああ、駄目だ。出てしまう。ああぐじょっと出てしまう・・・・。

 ああ、止めてくれ・・・・・、止め・・・ろ・・・ぉぉぅ・・・・、うにうに、ぐじょッ・・・。 


 イソギンチャック、その一生は気高く短い。

 彼らには謎が多い。人は未だ何も知らないのだ。

 イソギンチャックが意外に長寿である事も、知るものは少ない。七十年は生きていた実証がある事も、

何百年生きるという仮説がある事も、人はほとんど知らない。

 謎に満ちたまま、イソギンチャックは今日も懸命に生きている。

 人は謎をかかえたまま生きている。

 何故人はイソギンチャックをほじくるのだろうか。人生は謎である・・・。


                                                            了




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