一期一会の心得


 もし過去に戻る事ができるとしたら、あなたは何をするだろう。

 後悔している事をやり直すだろうか。それとももう一度同じ事を楽しむだろうか。

 今の知識と記憶を保ったまま過去に行けるとすれば、それは素晴らしい事で、自分の人生をよりよい方向へ導い

ていけるような気がする。

 過去に戻って未来を変えるという事は、今自分が味わっている様々な現実を変える事に繋がる。

 今という時間に満足できる人間は少ない。変えられるものなら、やり直せるものならそうしたいと考えるのが人

間だ。

 しかし過去に戻れたとして、本当に自分の行動を変える事などできるのだろうか。

 人間は誰でも、自分が行ってきた事は自分の意思によって選び取ったものであり、だからこそ自分の力で変えら

れると考える。信じている。

 そしてそう信じるからこそ過去に後悔し、失望し、執着するのだろう。

 しかし本当にそうなのだろうか。自分の過去は、自分一人の力で変えられる程、簡単なものなのだろうか。

 自分だけの都合で選び取ってきたものなのだろうか。

 人の人生は、誰でも他者の人生と綿密に関わりあい成り立っている。それが人の世で生きるという事で、そうす

るからこそ当たり前のように生きていられる。

 本来は厳しいはずの自然界で、ぬるま湯につかるようにだらだらと生きる事ができているのは、何十億という人

間がそれぞれ、程度の差はあれ、協力しあって生きているからだ。

 そうして社会というものを築く事で、人は当たり前に生きられる場所を作った。

 そのせいで窮屈な事や面倒な事が増えたとしても。当たり前に生きていける事以上に価値のあるものは無く。人

は面倒や苦労をも楽しむ事ができる動物だと考えれば、決して間違った選択ではなかったと思う。

 しかしだからこそ軽々しく一人で決める事はできなくなっている。社会という公的な世界の中では、個という私

的なものは殺さなければならないからだ。

 つまり、我々の選択は決して一人で決めたものではない。社会という世界で生きる中で、時には受け容れて、時

には嫌々でも強引に、他人と共に決めてきたものだ。

 例え過去に戻れたとしても、社会に生きる人間なら、自分一人が過去に戻って簡単に変えられるような選択はし

ていない。

 それにもし容易く未来が、つまり今の自分の境遇を過去から変えられるのだとしても、果たしてそれは自分なの

だろうか、という疑問も浮かぶ。

 自分の出した答えに後悔できるような年齢ともなれば、おそらく十数年は生きているはずだ。

 十数年という時間は決して短くない。成熟するには足らなくとも、自分というものを作るには充分な時間である。

 その中で自分なりに懸命に考えて出した答えを、例え後悔しているとしても、簡単に変えられるだろうか。

 過去の自分の尊厳を、意志を、無視できるのだろうか。

 私は難しいと思う。

 そのようにぱっと行ってぱっと変えられるような答えなら、初めから後悔などしないだろうし、心にも残りはし

ない。

 人が同じ過ちを繰り返すのも、過去から学ばないのではなく、解っていても止められないからではないか。

 自分でもどうしようもできないからこその後悔であり。そうだからこそ人は一生悔やんで生きていく。

 日々簡単に出しているような答えも、実際には自分の置かれた状況を考え、綿密に考えた上で出された結論である。

 気分で選んだような事でも、必ずそこには今までの経験と記憶から出された裏打ちがある。

 重大な決断ともなれば尚更だ。その重大な決断を変えるという事は自分の全てを否定するも同じ。自分の魂を殺

すにも等しい行いだ。

 その上でもう一度問おう。

 過去に戻れたとして、本当に過去の選択を変えられるのだろうか。

 それが本当に自分の幸せなのだろうか。

 損得勘定よりも、自分らしく、自分である事の方が大事なのではないか。

 過去を変えるという事は今の自分の否定でしかない。

 過去から繋がる現在への、そして未来をも含めた、全ての自分の否定だ。

 それは後悔よりも痛みを持つと思う。

 だが悲しむ必要は無い。

 自信を持てばいい。

 確かに望んだ状況ではないのかもしれない。今よりもっと良い人生があったのかもしれない。いや、あったのだ

ろう。

 それでも今の自分は簡単な気持ちで選んだ自分ではなかったはずだ。後から考えれば自分でもばかばかしい考え

をしていたとしても、その時の自分には何よりも大事で、それこそが幸せになれる道と信じていた。

 その想いまで全てを否定し、消してしまってまで、本当に過去を変えられるか。変えたいと思うか。

 後悔し続けても良いではないか。

 悔やんで、悔しくて、でもだからこそ前向きになれて、もう一歩進む力となる。

 後悔は楽しい。悔しいと思える人生は素晴らしい。それだけしっかりと生きてきたのだと思える。

 幸せを望むから後悔するのなら、後悔のない人生は幸せを望まない人生の事だ。

 心にも身体にも痛みの無い人生なんて、何が楽しいのだろう。

 苦痛があるからこそ、人は生きていける。負けるものかと奮い立つ事ができる。

 自分の過去を否定する必要は無い。

 過去のあなただって今のあなたのように頑張って、自分なりに必死に、一生懸命に生きてきた。

 私はそんなあなたを素晴らしいと思う。

 そして私自身も誰かにそう思って欲しいと願っている。

 だから私は今日も自分らしい選択をする。

 後悔するかもしれないが、それでいい。それが私なのだから。

 他人から見れば馬鹿としか思えなくとも、私にとっては大事な事。

 あなたにとってもそうなのではないのか。

 人は誰しもそうなのではないか。

 それが生きるという苦しみと喜びなのではないだろうか。

 そんなお話。




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