源五郎ガエル


 夏も酣(たけなわ)、湿地帯には蛙が溢れる。ゲコゲコ、ゲコゲコと夏場の虫の音も凌駕する程に煩いぐ

らいに騒がしい。

 しかしその盛大な鳴き声にもイマイチ乗れない蛙が少ないが居た。いつもこう言う存在は無くならない。

どうにも損をするタイプと言うかツキが無いタイプと言うべきか。

「まいったな、このゲコゲコ感、まるでいつものわしと違うわいな」

 一匹の大きな蛙が蓮の葉の上で唸っている。先ほどからずっと鳴こう鳴こうとしてはすぐ止め、そして暫

く咳払いを繰り返して後、また鳴こうか止めようかと真に忙しい。

「おう、どうしたい。この良き日に何をみみっちいことをやっとるかいな」

 他の蛙が気付いたらしく、その大蛙にゲコゲコと話し掛けた。

「ん、それがどうも今日のゲコゲコが上手く出んのよ。わしとした事がもう歳かいな」

「おめえさん、でっけえ図体してからに、何を言っとんのかいな。それにその程度で歳などと言っていては、

このわしはどうなるかいの。わしがおめえさんくれえの頃は、こうゲコゲコ、ゲコゲコとそりゃあ女ドモが

放って置かぬ蛙ぶりじゃったわい」

 他蛙はゲコリと笑う。どうやらその小さい体躯は歳で縮んだようである。

「けッ、なんでえなんでえ自慢けえ。わしゃあ今こんなに苦労してるってえのに、自慢ならよそでやってく

れや。爺さんに付き合っている暇はねえぜ」

「ゲッゲッゲッ、まあそお言わずにたまには爺の戯言にも付き合えや。しかしそろそろ子作りせにゃあなら

めえ。ゲコゲコいつまでも言ってる時ではねえわいな」

「なにおう、わしゃあ源五郎ガエルじゃあ。そのわしがこんなゲコゲコ感でおちおち交尾も出来るけえ、嫁

も下駄はいて逃げ出すわい」

 源五郎ガエルはムキになって更にゲコゲコ、ゲコゲコと調子外れの音階で鳴き続ける。

 それを見て他蛙はおかしそうにゲッゲッと更に笑った。

「なんじゃあ、ぬしはわしを笑いに来たんかいの。それならさっさと帰ってくれや」

「まあマテや源五郎の、こう言うときゃあ煙草でも吸えば一発よ」

「おう、煙草かい。それを忘れておったわいな」

「ゲッゲッゲ、慌て者じゃのう源五郎の。アロエ煙草で一発じゃわいの」

「そうじゃそうじゃ」

 源五郎ガエルは先ほどまでの不機嫌をケロリと治し、手を叩いて喜んだ。水かきがパシャパシャと気の

抜けた音を奏でる。

「ええい、止めとくれ。わしはその音が嫌いなんじゃい」

「なんじゃあ、爺さん。こんな音が怖えのけぇ」

 今度は源五郎ガエルが笑う番であった。今までのお返しとばかりに盛大に笑う。相変わらず調子外れの音

程ではあったが。

「けッ、折角蛙が教えてやれば、この仕打ちかい。最近のやつぁ、爺を労わらねえ、おめぇらももうじき爺

だってえのによう」

 よほど腹に据えかねたのか、他蛙こと爺蛙はそそくさとその場を退散して行く。ただその後にはご丁寧に

アロエ煙草が置いてあった。よほど蛙の良い蛙らしい。

「おお、あの爺さんこんな置き土産残していきやがった。早速馳走になろうかいの」

 源五郎ガエルはすぱすぱと小気味良くその煙草を吸う。

「かぁー、たまんねえなあこのきつい臭いがよ。鼻筋がスウスウすらあな」

 アロエ以外にも何か混じっているのだろう、こう鼻の中にすうっと何かが通り抜ける心持でむず痒いよう

な、しょっぱいような妙な気持であった。だが慣れればそれも心地良さに変わる。

 吸っていると次第にすっきりした気分になってきた。

「おっ、今ならいけそうじゃあ。はあゲコゲコ、ゲコゲコとくらあ」

 試しに鳴いてみると、これがまた良い感じである。気分良くなった源五郎ガエルは更にゲコゲコと繰り返

す。まるで踊りださんばかりの勢いだ。

「ゲッゲッゲ、こりゃあ良いぜえ。これで嫁さんも喜ぶわいな、わしゃあ源五郎ガエルじゃけえの」

 最後に一声鳴いた源五郎ガエルは棲家に待つ嫁の下へと向かった。今か今かと待ちわびているに違い無い。

これからが源五郎ガエル一世一代の大仕事である。

 そして夏の日が賑やかに過ぎて行く。

 そんなお話。




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