篝火


 燃え立つ匂いに惹かれ、この場所に来た。

 音も見えないこの闇の中では、この燃え立つ匂いだけが私を誘う。明るく燃え盛るその先が、私の居る

べき場所だ。

 光の先はいつも暗い。

 そこは私の要るべき場所ではない。

 闇を照らすこの篝火が、何故闇を深くするのか。

 光が届かぬその場所が、いかにも目を閉ざす。

 より暗く光るその場所に、私は自分というものを知った。

 この光と闇の狭間。交わりそれと為す場所。本当はいつまでもその場所に居たかった。

 そのせめぎ合いの中でこそ、人は進化を遂げられる。

 そこを過ぎてしまえば、後は闇にどっぷりと浸かり、或いは光に何もかもを照らされ、結局何も見えな

くなる。

 この光の中でさえ、見えるものは何も無い。

 それが解っていて尚、何故私はここに居るのか。

 ここに要るべきなのか。

 これは問いかけではない。絶望である。悟りながら何故ここに居るしかないのか。

 それ程に光が暖かいものだというのなら、何故私はこうも闇を焦がれるのだろう。

 何故光の中に居て、闇ばかりを見ているのだろう。

 どこでも見渡せる中に居て、見えない場所だけを見ている。光のせいで尚暗くなったその場所を、飽き

もせず眺めている。

 ふと見渡せば、誰もが同じだった。私と同じように闇ばかりを気にしている。

 そこにあるのは恐れか。誰も安堵していない。光の中に居て、人は皆恐怖している。人は光の中ではな

く、本当は闇の中に自分を隠したいのではないのだろうか。

 誰も自分を見せたくはない。

 だからこそ見たい。

 その為に光の中に出るが、その場所は自分自身さえ酷く照らす。だからその眩しさに耐え切れず、闇を

見る。あの奥深く、くぐもった先に居るように、誰も自分を見てくれるなと願って。

 それとも自分を見て欲しいのだろうか。この顔を、手を、誰もに見て欲しいのだろうか。

 なるほど。確かに誰も自分を見てくれない。人は闇ばかりを見ている。

 だからわざわざこんな目立つ場所に来て、自分を必死でさらけ出そうとしているのか。結局そんな事を

しても、人の内面までは見せられないというのに。

 いや、見えるのかもしれない。だからこそ、誰もそれを見たくないのかも。

 人の内側などという穢れたものを、誰が見たいと思うだろう。私のこの心の内側を、誰に見せたいとい

うのだろう。

 愛する人か。違う筈だ。愛する人には決して本当の自分など見せたくない。

 見せたいのは繕った自分、嘘の立派な自分だけだ。誰も本質を見せたくはない。見て欲しくない。それ

は全て穢れている。

 それなのに人は光を求め、だからこそ光を恐れている。そして光から目を逸らす。誰も太陽を見続けて

はいられない。光とは人を貫く、恐ろしい何かだ。

 闇は優しい。だれが闇を見て傷付く人が居るだろう。闇に触れて、安心しない人が居るだろうか。人は

光に属すものではない。光によって引き摺りだされた憐れな生き物なのである。

 闇は光ほど傲慢ではない。常に光に譲り、自分は下がる。そして光が消えれば、それを埋めるようにど

こからともなく出てくる。

 闇は存在しているのではない。全てが初めから闇なのだ。光などという無作法者に、一体何が解るとい

うのだろう。全てを貫く光に、この私の何が解るというのか。

 しかしそうと知っていて、私は尚動けない。この篝火の側、一番輝くこの場所に身を隠し、矛盾した想

いを抱えて闇を焦がれている。

 それを間違っていると言うのなら、私は一体何をしているのだろう。

 火の粉が飛び、髪を照らす。

 ふりかかる熱気が、頬を焦がす。

 近過ぎる、危険だと隣の人が言った。でも私は譲れない。意味があるのか、ないのか、解らないままで。



 篝火の向こうに、誰かが立っている。あれはあの人だ。愛しかったあの人だ。

 偶然に見付けたあの日の記憶は、私に何一つなく教えてくれる。それを望んでいるかのように。

 風が出てきた。あの人は闇の瀬戸際で、私を待っている。

 私は行かなくてはならない。そう思う。それは正直な気持ちだろう。

 それでも動かない体は、闇ばかりを求めながら、光に引き摺られている。この側を離れる事は、決して

誰にもできはしないのだと。

 それはきっとあなただけだ。あなただからこそ、そこに居れる。私はまだ、そこには逝けない。

 光と影が揺らぎ合うその場所を越えれば、私はあなたに逢えるのかもしれない。今はもう忘れかけてい

た気持ちに出逢えるのかもしれない。

 でもまさか、それが望みではないだろう。

 もしそれが望みなら、私がその場所に居た筈だ。

 あの光の果て、闇の向こう、今あの人が立つその場所に、居たのは私とあなた。それがあなたの望みな

ら、私はそうしてもいい。でもできない。本当はどっちなのか、自分でも解らないんだ。

 ただ恐い。

 どうしようもなく恐い。

 そこにあなたが居ると思えばこそ、決して踏み越えられない景色になる。記憶が邪魔をし、ここから立

てなくする。光はいつも、それを私に思い出させる。この強烈な輝きで私の頭を焼き裂いて。

 泣きそうになるその涙さえ炎が乾かす。私の目はすっかり果てて、涙の一滴も流れ落ちない。まるでも

う目ではなくなったようだ。これは多分、元は眼だった筈の何かの穴だ。

 そこの木に開いている、不恰好なその穴と同じように。何も見えず、何もかも暗い。そこだけは光を拒

む。だから私の目は、きっとあなたを拒んでいるのだ。

 そこに行く事を。ここに居る事を。

 どちらでもなく、どちらにも居られないとすれば、私はやはり存在するべき人間ではない。

 進むか退くか、どちらを選ぶのが良いのか解らないけれど。

 私はきっと、どちらにも行きたくない。

 もしあの狭間に居られる事が出来たなら、気持ちよく全うする事が出来るのだろうか。

 闇の果てで笑うあなたを見ながら、光から抜け出せない自分を想い、いつまでも闇に焦がれている。

 その時になって後悔した所で、何もかも、終わってしまった後だろう。

 闇の記憶も光の記憶も、その狭間の中では何の役にも立たない。同じような人間が、同じようにもがき

苦しみながら、いつまでも何かを求め続けている。

 しかしその何かは、どちらかに行き着くまでは、決して得られないものなのだ。

 それが解っていて抜け出せない私は、一体どうすれば良いのだろう。

 ここでこうして悩みながら、ただただそれを想う。

 そんな逃げ道を、必死で作り続けている。

 私は何も見えない。でもそれは。何も見たくないだけなのかもしれない。

 あなたよりも嘘吐きな私は、闇へ溶け込めない。

 哀しいが。

 光には、満足している。




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