輝ける日の下で


 ある夏の昼下がり、ふと見下げると、足下に黒い羽虫が死んでおりました。

 毎年毎年何処から現れるのか、人知れず我が家に立ち入り、人知れず死んでいく。潰れたように固まっ

た身体には生命の欠片も感じません。

 哀しげな風情がそこにはあるばかり、真に虚しい光景でありました。

 屋内が虫達にとって良い空間であるかは解りません。虫達が確固とした意志を持って入って来ているの

かも解りません。虫達からすれば、人の空間も、ただただ自然の延長線上にあるだけで、変わりない場所

なのかも知れません。

 例え自然界には無い。人工の建築材を使っていたとしても、虫達には関わり無い事なのでしょう。何が

あろうとそこで生きれれば良い。そうかも知れません。

 人間以上にごたごたと物を有する生命も居ないものですから、虫達からすれば無数の隠れ家があり、埃

や食べかす等が溜まる場所であれば、正に極楽のような空間なのかも知れません。

 わざわざ何処から入って来たのか不思議になるような場所に、虫達が毎年毎年現れるという事は、やは

り虫達にとって暮らし易い空間だと考えた方が良いのでしょう。

 まったく、人にとっては迷惑至極な話ではありますが。元々この場所を個人の所有物だと考えるのは、

人間の勝手でありまして、虫達固有のテリトリー証明法を人間達が一々やっている訳でもありませんので、

これは仕方が無いのかも知れません。

 私はいつも虫達だけでなく、動物にも自分の領域、つまりはテリトリーと呼ばれるモノがあるのに、何

故虫達は当たり前のように人の領域に入って来るのか不思議でしたが。上記のように考えるに至り、よう

やく少しだけ納得出来ました。

 ようするに、虫達はここを人間の領域だと認識していない、認識出来ないのだと。

 それどころか、毎年我が物顔で現れると言う事は、昔やって来た虫の一族の末裔達が、先祖代々ここは

自分達の領域だと、そのように思っておるのかも知れません。

 何でも帰巣本能と言うものがあるそうですから、例え勝手に押しかけ女房のように住まれてしまったと

は言え、虫達からすれば何世代も経っている訳ですし、言わば自分の住処だと認識される事も、納得出来

ない事では無いのでしょう。

 勿論、それを認めたい認めたくないとはまた別の感情ではあります。やはり私個人としましては、虫達

には入って来て欲しくは無いものです。

 しかし不思議なモノで、そのように考えてみますと。何やら毎年当たり前のように聴いてる虫達の声。

蝉や鈴虫の声を当たり前のように思っておりましたが。これも毎年現れると言うのは、思えば大した事で

して、真に不思議な事に思えます。

 考えてみると、虫達は秋を過ぎ冬になればほぼ全てがさっと居なくなってしまう訳でありまして。その

いなくなってしまう虫達が、また春先から一斉に現れると言うのは、なかなか興味深い事であります。

 人間は容易くやっておりますが、元々冬越えと言うのは徒方も無い事でありまして、小さな虫達ともな

ればそれは尚更でありましょう。それが毎年失敗する事も無く、当たり前のように越せてる訳です。

 勿論私ども人間にとってはある意味大変迷惑至極な話なのですが、そこにはおそるべき生命力を感じて

しまうのです。一寸の虫にも五分の魂、どころか、二十分三十分の魂を感じてしまう訳であります。

 そして脅威も感じてしまいます。何と言う恐るべき奴等でありましょうか、と。

 人が滅んでも虫は残ると言われているそうですが。それもなるほどと頷ける強靭な種族なのかも知れま

せん。一族を生き永らえさせる能力で言えば、人間などは足元にも及びますまい。

 儚い寿命の、固体としてみればさほど脅威を覚える種ではありませんが。全体として見ると、その数の

多さ、また生息域の広大さを考えると、唖然とさせられる思いであります。

 極寒の地、熱帯の地、虫達は変り無く毎年現れるのです。

 そして今日も私は虫除けや蚊取りのスイッチを入れる破目になるのであります。

 私の感知しない所で細々と生きてくれるのであれば、誰もこんな面倒な事はしないのですが。虫達は人

に寄って来る訳でして、こう言った物が夏場は特に欠かせなくなっております。

 しかしこうやって毎年毎年虫達が死して舞い落ちる姿を幾度も幾度も見かけたとしても、また次の日に

でもなれば、他の虫が元気に飛んでたりする訳でして、やはり恐るべき種だと思います。虫達が滅亡する

などと言う日が、果たしてこの星が在る限り来るかどうか。

 そのような事を考えると、人間と言うのはこのような小さな虫でさえ手に余る、真に小さき小さき種だ

と言えましょう。この星の主であるかのような顔をしておりますが、一体私共がどれだけこの星の事を知

っていると言うのでしょうか。

 私共もこの星の一個の自然に過ぎません。そしておそらくは自分達が思ってる以上に、とてもとても無

知な存在なのでしょう。私共は何も解っていないような気が致します。

 毎年虫を見、自らの身体と見比べる度、独活の大木と言う言葉が、ささやかな辛辣さを伴って、私の心

に微かな棘を刺すのです。

 それは或いは、小さき虫の小さき一体が、無残に死んでいる様を具に見た時に起こる、僅かな罪悪感な

のかも知れません。間接的にでも、確かに私がその虫を殺しているのだと言う、そんな少しの申し訳無さ

がそうしているのでしょうか。

 或いは、たかが虫一匹に一喜一憂する自らの愚かさに、我知らず涙しているのかも知れません。

 そんな話。

                                    了




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