蚊取線香


 一筋に上り詰めた煙が、ある一点でふと揺らぐと、そこから急激にうねり、広がる。まるで竜巻でも見

ているようだ。煙も思った以上に広範囲に広がって行く。

 もしそうなるように作られているのだとすれば、見事としか言えない。

 一筋の煙も、良く見れば帯のように広がったり、線のようにまとまったり、その瞬間瞬間に実に様々な

変化を生み出している。それもまた煙を広げる効果があるのだろう。

 薄く伸びた煙の両端はいつも濃く、それが煙と空の境界を示し、決して見失う事も無い。

 煙、それは見ていて飽きない。例え人が生み出した物でも、生み出した後はまったく自然界に属する。

だからこそ千差万別の動きが生まれ、とても面白い。

 手をかざせばほのかに熱を感じるのも、そこに生命があるが為と思えたりもする。

 煙だけでなく、それを生み出す線香自体もなかなかに面白い。燃料となる色を消費すれば、後は灰とな

って落ちるのみだが。その落ちる灰の長さが少しずつ差はあれど、何となく同じに見える。

 そこにもそうなるだけの理由があり、そうであるからこそ、その長さで落ちるのだ。

 時には灰の上に灰が落ちる事もあり、どうやってそこに落ちたのかと思える場所にあったりもし、灰の

向きも実に様々。真下に落ちるだけかと思いきや、実に面白い変化を見せてくれる。

 おそらくはまだ燃えている部分とすでに燃え尽きた灰の部分、その二つの接合部分の微妙なる具合によ

って、それが変わるのだろう。

 川の字に並んでいる灰もあれば、固まっている灰もあり、かと思えば天涯孤独に落ちている灰もある。

中には運が良いのか悪いのか、酷く短い灰も落ちている。同じ所から生まれた、同じ灰とはいえ、それぞ

れに個性があるのだ。

 灰の形状もまた面白い。線香の形が全く崩れておらず、本当にただ色だけが抜けたように見える。その

形には明らかに硬さが残っている。しっかりした形を持つ者だけが持つ、あの硬さがそこにはある。

 しかし触れば当然のように脆く崩れ去る。何の抵抗も感じない。ただ崩れ、割れる。へこむのではなく、

割れる。あれだけ柔らかいのに、やはり硬さがあるのだ。でなければ、割れると云う事はまず無い。

 これは興味深い。もしかしたら、線香を形作っていた自分を、決して失いたくないのかもしれない。線

香もまた、死して後も自分を保ちたいのか。

 滑稽な憐れさだが、それは人に通ずるものがある。

 燃え尽き、すでに何も生み出しえないのに、元であった自分を保とうと不可解な事をする。その可愛げ

な憐れさがまた、見る者の心をくすぐる。

 蚊取線香はゆっくりと火を灯しながら、ぐるりと何度も回転し、そうして最後には灰を残して消える。

 それはとても趣き深い。

 線香の形も独特だ。

 線香と言えば一般にあの墓前に供える真っ直ぐな物を思い出すが、同じ名を冠していながら、用途も形

状も全く違う。何かを祓うという点では、同じなのかもしれないが、やはり根本的に違う物だという気持

ちがある。

 彼らは自分をそれぞれに主張している。そして人もまた、それを認めている。

 何にしても面白い。

 おそらく少しでも長く火を灯し続け、その上で出来るだけ小さくまとめられるよう、あの丸い形状をし

ているのだろうが。よく考えられたものだと思う。

 実に合理的だ。

 そして線香が二つ組み合わさっている状態を見ると、私はどうしてもあの印を思い浮かべてしまう。あ

の陰陽を表すあの印を。

 勾玉を二つくっ付けたあの印。見て比べれば全く違うのだが、何故かそれが頭に浮ぶ。

 まあこれは個人的な想像であるから、多分私以外には関係ない事だろう。

 どちらにせよ蚊取線香なるものは面白い。

 煙で掃う。良い考えでは無いか。誰が考えたのか知らないが、その匂いと煙で掃うというのは、非常に

良い手段だと思う。

 匂い、それは誰も妨げる事無く、むら無く一定の空間に広がりながら、しかも強い。

 昔から香りというものが人に強い印象を与えてきたように、匂いというものはこの現世でも最も強く作

用するものの一つ。まるで空間を圧するように、ただ香りを立てるだけでその場の雰囲気を一変させる程

の力がある。

 煙もそうだ。面白いくらい周囲に広がる。そして上に昇るだけでなく、下がってきたりもする。

 虫も飛ぶからには風の影響を免れまい。虫より軽い煙も、当然風の影響を強く受ける。影響が強い分、

より敏感で速い。煙は虫を追い詰め、決して逃さない。

 漂う煙は情緒もある。特に一筋の煙が立ち昇る様は、絵になる。

 勿論、煙たい、火の危険、準備と片づけが面倒、など色々難点もある。しかしそれを見ても、やはり香

取線香は面白く、実用的である。

 全てが燃え尽きた後の、あの何ともいえぬ侘しさは、線香花火の後にも似た、人の心をくすぐる情感を

生み出してくれる。

 今日も何処かであの煙を吐きながら、ゆっくりとその生を終えて行くのだろう。

 たまにはその姿を具に眺め見てみるのも、一興ではないだろうか。

 匂いと煙に包まれながら、ゆったりと時間を過ごすのも、悪くはない。




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