毛むくじゃらの右手


 僕の右手は毛むくじゃら。生まれた時から毛むくじゃら。

 生まれてすぐに生えていて、今ではもう毛むくじゃら。

 あんまりもこもこしてるから、あったかいけど邪魔になる。

 細かい事は何も出来ない、毛むくじゃらで何も出来ない。

 いつも困る。けど僕は左利き、案外平気さ。

 不器用だけど、強くて硬い、毛むくじゃらなのさ。


 毛むくじゃらのヨハンが旅に出ます。行く当ての無い旅。ただ旅する為だけの旅。

 お父さんお母さんは心配してますが、でもヨハンは平気です。だって、この毛むくじゃらの右手が護っ

てくれるから。

 毛むくじゃらの右手は何でも跳ね返します。鉄の剣でも、真っ赤な火箸でも関係ない。何でもえいやっ

と跳ね返します。

 この毛は特別な、とっても硬くて強い毛なのです。ハリネズミなんて、相手になりません。蜂の針でも

平気です。

 その代り器用に動かないのですけど、ヨハンは全然平気です。


 毛むくじゃらのヨハンはとっても勇気のある子。生まれた時からとても勇敢でした。

 猟師のお父さんと一緒に毎日山へ行って鳥を撃つ。食べる分だけ撃ち獲って、意気揚々(いきようよう)

と帰ります。

 ヨハンは立派な猟師でした。お父さんが獲れない日でも、ヨハンは必ず獲れるのです。

 その内一人で山に行くようになりました。山には色んな動物が居ます。怖い動物も居ます。

 でもヨハンはへっちゃらです。熊の爪も、狼の牙も毛むくじゃらの右手には敵いません。

 ヨハンは恐れる者など、何も無かったのです。


 ヨハンは風のように走ります。毎日山で鍛えてたので、誰よりも早く長く走れるのです。

 ヨハンはかけっこでも一番でした。兎も鹿も勝てません。跳んでも跳ねても一番なのです。

 風のようにごうっと走りながら旅してますと、ひょっこり小さな女の子に出会いました。

 いつもなら通り過ぎるのですが、女の子は泣いています。ヨハンは心配になって声をかけてみました。

「一体、どうしたの」

 すると女の子は答えます。

「暗いのが怖いの」

 今夜はお父さんお母さんの帰りが遅くて、女の子は一人ぼっち。一人ぼっちの夜には悪魔が出ると言い

ます。女の子はそういうのがとても怖かったのです。

「じゃあ、僕が付いててあげる」

 ヨハンはもし悪魔が出てきても、退治するのも面白いと思いました。


 夜になると全てが暗くなります。とっても暗くて、もう全てが黒くなって、黒色しか見えません。

 女の子もヨハンも影になってしまって、何処が何処だか、何が何だか解りません。

 それでも段々眠気が増して、ヨハンはうとうとし始めます。

 そんな時にふうっと嫌な風がしました。

「きゃあッ」

 声に気付いて振り向くと、女の子が居なくなっています。ずっと側にくっ付いていたはずなのに、もう

何処にも居ないのです。

 ヨハンは黒い中を一生懸命探しました。今は毛むくじゃらの右手も、速く走れる足も役に立ちません。

ヨハンは生まれて初めて怖くなりました。何も出来ない事、解らない事が、とても怖かったのです。

 そこにまたふうっと嫌な風がきます。

「がはははははははッ」

 ヨハンは何かに掴まれました、それは暗闇よりも黒くてしっかりしたものです。暴れても暴れても、し

っかり掴まれているので離れません。

 黒はびゅうっと飛んで、ひゅうっとヨハンを落しました。

 ヨハンは立ち上がろうとしましたが、身体が言う事を聞いてくれません。ショックでぐらぐらとする頭

を抱えながら、とうとうすとんと気絶してしまったのです。


「う、うーん」

 目が覚めても、そこは暗いままでした。どこを見ても黒々と塗り潰されて、その中で例の、がはははは

はッ、っていう笑い声がしています。

 そこには一番黒い者が居ました。多分、ヨハンを攫(さら)った黒です。

 ヨハンは今まで怖かったのですが、黒を見ると勇気が湧いてきました。何か良く解らない時は怖くても、

もう見えるようになったら平気なのです。

 周りからは子供達の泣き声がしてきます。多分、同じように攫われた子供なのでしょう。その中には

あの女の子も居るはずです。

「助けないと」

 ヨハンの心に強い想いが生まれてきました。

 生まれて初めて、自分がやらないといけない、自分しかいないと、そう言う風に思ったのです。

 すると、毛むくじゃらの右手がむくむくと膨らみ始めました。強い想いに応えてくれたのです。

 ヨハンはえいやっと毛を伸ばしました。硬くて強い毛を、トゲトゲに伸ばしたのです。

「やあッ」

 そうして黒い何かに思いっきり突き立てました。毛むくじゃらは何処までも伸びて、黒を突き刺し、そ

のままむくむくと膨らんで、黒を毛で包み込んでしまいます。

「なんだ、グゲーーーッ!!」

 黒は暴れましたが、毛むくじゃらは離しません。熊の爪も鉄の剣も敵わない毛むくじゃら、黒も流石に

逆らえなかったようです。

 そのまま毛にむくむくと包まれて、やがてぐうっと小さく丸くされてしまいました。

 黒もそうなると力を失ってしまうのか、やがて元の暗闇へと溶けてしまいました。

 すると辺りの暗闇も消えるように晴れて、そこから綺麗な森が現れたのです。

 周りには沢山の子供達が居ました。勿論あの女の子も居ます。太陽の光を一杯に浴びて、皆眩しいくら

いに笑っていました。

「ようし、帰ろう」

 ヨハンは一人一人お家へ送り届け、最後にあの女の子を送った後、また旅に出ました。帰りには必ず女

の子の家に寄る事を約束して。

 毛むくじゃらのヨハンの旅は、まだまだ続きます。




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