米粒


 米粒には七柱の神様がおわします。

 一粒に付き七柱。ぎゅうぎゅうに詰まっておるのです。

 七柱の神様は皆家族でありまして、たまにはケンカもしますが、概ね仲良くやっておられます。

 そこは神様にとってのお住まいなのです。

 さて、そんな一粒の米に向かって、どこからともなく一柱の神様がやってこられました。

 その神様は元居た場所を失い、行く所がなかったのですが。一粒の米を見付けてこれ幸いと入ってこられ

たのです。

 けれど米粒にはもう七柱の神様がおられます。定員一杯でございます。

 ですが米神様は慈悲深い方で、せっかくこられた神様を追い出すのも忍び難く。子供は二柱で一柱分と勘

定して、無理矢理中に迎えたのでした。

 初めはそれで良かったのですが、お子神が成長なされてくると、やはり手狭になってきます。

 といって、迎え入れたものを今更追い出す訳にもいきません。

 今では家族同然の付き合いですし、その神様が実にいい方で、仲睦まじくしておられたのです。

 しかしこのままでは米粒がぱつぱつに膨らんで弾けてしまうでしょう。そうなると一家揃って家を失う事

になってしまいます。

 お米の実る季節はまだ先ですし、今でももうぱつぱつなのですから、その日まで持つとは思えません。

 米神様は仕方なくお子神の一柱を旅に出される事になされました。かわいい子には旅をさせよ、という言

葉もございます。良い機会かもしれません。

 旅に出すなら、やはりご長男です。男は自分の居場所を自ら作ってこそ一人前と言いますし、年齢を考え

てもそろそろ一人立ちしても良い頃合です。

 いつかは出すのですから、それが今日に早まったとしても同じ事。

 長男神もいつかこうなるだろう事は覚悟しておりましたし、外に出る事を尊ぶお年でもありましたので、

むしろ一人前に認められたと喜び、勇んでお出かけなされました。

「さて、どうしようかいの」

 そうして出たはいいですが、何か当てがある訳ではありません。

 神様も自分の居場所を見付ける事は難しいのです。空き米粒があれば良いのですが、収穫前のこの時期に

空いている米があるとは思えません。

 どの米もぎっしり神様で埋まっております。

 無理を頼めば入れてくれるかもしれませんが、それでは旅に出た意味がありませんし、また同じように誰

かが出て行かなければなりません。

 長男神はそんな事は嫌いでした。自分は覚悟を決めて出てきたのだから、自分だけの居場所を見付けるま

で、決して諦めてはならないと思うのです。

「とりあえず歩こうかい」

 普段は小さなお姿で米粒の中に住んでおられますが、外に出ると人間の子供くらいの背丈はございます。

 別に大きくなる訳ではなく、その場に一番相応しい大きさに自然と変わられるのございます。その大きさ

の比率を変える事は神様にもできません。それは天が決めておられる事だからです。

 長男神はとにかく歩かれましたが、今は物で溢れ、どこに行っても隙間を探すのさえ苦労するような時代

です。

 そりゃあ虫が入れるような隙間はございますが、そんな所に神様が入っても仕方ありません。

 物が多ければ空いている場所も多かろうと思うのですが、そう簡単にはいきません。神様が居るに相応し

い尊い場所でなければ、お住まいにはできないのです。神様に相応しい神聖さがなければいけないのでござ

います。

 それもまた天がお決めになった事。どんな神様も天の中では同じ一つ。無限に広がる天に抗う事はできま

せん。それは自分自身を否定する事にもなってくるからです。

 長男神は無限に溢れるような物を一つ一つ見、調べ、確認して行かれたのですが、お住まいになりそうな

物はありませんし。不思議な事に物自体もまた埋まっているのです。世界が物で埋まっているように、物も

また何かで埋まっているのです。

 一体何が詰まっているんだと不思議に思って覗いてみますと、そこには無数の人の心がありました。執着

とか依存とかそういう人間達の心ですっかり埋まっておるのでございます。

 昔は色んな心が食物に集まっておりまして、だからこそその一つ一つが尊い物になり、神様がそこに住む

事もできるようになったのですが。同じ心でも、こう歪んだ感情ばかりが詰まっておりますと、痛々しくて

住めません。

 歪みの中では、さすがの神様も傷だらけになってしまいます。

「こりゃあ、入れない訳だ」

 長男神は物に入るのを諦め、どこかに空きがないかと探され始めました。

 この世には無数の場所がありますが、その全てが埋まる訳ではありません。本来は全てが丁度良く満たさ

れているのですが、このようにどこに詰まっていると、別のどこかが空いてくるものなのです。

 だからこうも物で埋まってしまっているのなら、その分どこかがやけに空いているはずです。

 時間がかかりましたが、さすがは神様、何とか見付けられたようです。

 それがどこかと申しますと、人間そのものの中でした。神様が護り慈しんできた、幸福であるはずの、望

むべき物が大量にある幸せなはずのこの世界で、人間の中身だけがやけに空っぽなのです。

 長男神は我が目をお疑いになりました。まさか、と。父やそのまた父が見守ってきた人間達が、まさかそ

んな事になっている訳がないはずだ、と。

 それにどの人間も見るからに健康そのものです。むしろ肉が詰まり過ぎなくらいで、これだけ大きければ

どれだけたくさんの物を詰め込めるだろうと感心しました。

 でも不思議な事に、それだけ大きい人間の中に、詰め込むべき物が何一つ無いのです。

 中には幸福で満ち溢れている人もいましたが、ほとんどは空でした。がらんどうの空っぽなのです。まる

で生きているお化けのよう。

 長男神は不覚にも恐怖を覚えてしまわれましたが、そんな事で負けるような方ではございません。

 とにかく空っぽなら埋めれば良いと考え、手近にいた人間の中に入られました。

 すると今まで疲れた顔でぐったり腰掛けていた人間の顔に生気が戻り、息を吹き返しました。物に行って

いた心が、神様が入られた事で、もう一度自分の価値、意味というものを取り戻したのでしょう。

 そんじょそこらの物には神を宿すなんて芸当はできませんが、人はすべからくその心に神を宿す事ができ

るのです。その偉大な事実を思い出せば、物なんてあるだけ邪魔というものです。

 人の居場所には人が居れば良いのです。物の出る幕はありません。

 長男神は頃合を見計らって次の人へ、次の人へと入り込んでいかれました。ある程度満ちれば、後は慣性

によってそのまま最後まで広く満ちていくもの。神様はその手助けをするだけで充分なのでした。

 幸せは幸せを呼ぶものです。何か一つでも優しく芽生えれば、やがて全てを満たせるに充分なものが宿る

のでございます。

 生気の戻った人々は長男神の存在には気付きませんでしたが、何かあたたかい力には気付き、その力をそ

っと信仰するようになりました。

 それが人から人へ移る幸福の神様。

 真心の神と呼ばれている神様です。

 米神様が体の空腹を満たし、そのお子神様が心の空虚を満たす、という訳でございます。

 まことに仲の良いご家族であります事。

 そんなお話。




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